09. ムスタファ・ラシェド博士(エジプト、アズハル派)

エジプト人アズハル派学者、法学教授、国連国際平和機関大使

宗教、国籍、背景を問わず、兄弟姉妹の皆さん、皆さんの第二の祖国、エジプトへようこそ。エジプトは歴史と文明、宗教とメッセージの発祥の地です。エジプトは旧約聖書、新約聖書、コーランの三つの聖典で言及されている唯一の国です。エジプトは他のすべての国の中で、主が御自身を顕すために選ばれた唯一の国であり、エジプト人である預言者モーセに古代エジプト語で語りかけた国です。キリストとその母である聖母マリアが、エジプトが神に祝福された安全な土地であることを世界に示すために逃れ場を求めた時、彼らを受け入れたのも同じこの国です。だからこそ、彼らはエジプトを東から南へ、そして北へと、その高貴な足で歩いたのです。そして主(神)は言われました。「祝福されよ、わが民エジプト」。

同様に、義人ヨセフもエジプトに住んでいました。預言者たちの父アブラハムは、エジプト人女性ハガルと結婚し、エジプトで彼女と暮らし、彼らの息子イシュマエルはエジプトの聖カタリナ修道院の近くにあるシナイ山の聖なる谷で生まれました。預言者ムハンマドもシナイ山でも巡礼を行いました。彼は聖カタリナ修道院の修道士たちに、修道士たち、その十字架、建物、巡礼者たちを守るようにとの預言的な契約を託し、それが修道院の博物館に記録されています。これは、彼らに対する一部のアラブ系イスラム教徒の不品行に対する、彼らの不満に応えるものでした。エジプトは多くの預言者の居住地であり、シナイ山の聖なる谷の近くにある「40人の谷」に埋葬された40人の預言者が眠る最後の安息の地でもあります。その中にはヤコブ、エテロ、エノク、アブラハム、ソロモン、ダビデなどがいます。そのようなわけで、皆さんの祝福に満ちた訪問を歓迎します。

平和が地上に広く行き渡るように、愛と平和と正義の主である神に祈りましょう。私たちは皆、アダムとエバの子孫である兄弟姉妹なのですから。悪が増大して地上に広がり、悪魔に影響された人間の手によって戦争が引き起こされてしまったからです。ロシアとウクライナ間で、シリア、スーダン、イエメン、イラク、アフガニスタン、エチオピア、アルメニア、アゼルバイジャン、リビア、ニジェール、ソマリア、イスラエルで起こっている紛争のような、現在も続いている戦争を私たちは目撃しています。これらの紛争は、数百万人の死者と数十億ドル相当の財産の破壊をもたらしました。このお金は、世界人口の半数以上が影響を受けている貧困を軽減するために使われたはずです。また、地震、火山噴火、森林火災、台風、洪水、病気、伝染病、COVID-19のようなウイルスなどの自然災害から守られるように祈ります。さらに、世界はNATOとロシア、中国、北朝鮮、ベラルーシ、イラン、シリアを中心とする同盟国、そして特定のアフリカ諸国との間の核紛争による潜在的な荒廃に脅かされており、世界情勢のためにも祈らなければなりません。

そして奇妙なことに、紛争で戦い、他者を殺す人々の大多数が、信心と信仰を宣言し、謳い、明示しています。まるで彼らが嘘つきであり、この地上の邪悪な者であることに神が気づいておられないかのように。残念なことに、多くの愚かな人々が、こうした人間や支配者の権威を守るために無駄に戦い、殺しているのです。したがって、私はこの壇上から全人類に、同胞である人間を殺す命令を実行するのをやめるように訴えます。罪のない人々を殺せという暴君の命令に背くことは、信仰の頂点であり、神の意志を達成することです。なぜなら、神はそれをはっきりと否定されたからです。「殺すな」。神はまた、「人の生命を救う者は、全人類の生命を救ったのと同じである」、そして「一人の命を守る者は、神の目に使徒と義人の地位にある」と言われました。

ですから今日、この集まりに参加される皆さんが、神に謙虚に心を向け、神がご自身を顕すために選ばれたこの祝福された土地で祈る時間を設けられることを望みます。信条が違うとしても、私たちは希望と神への信仰、そして純粋な愛を持って集まり、神の平和が地上を包み、虐げられた者に勝利が与えられ、不正な者が導かれ、その悪行をやめることを、神が正しい義をもって彼らを懲らしめられるように祈ります。

神のご意志によって、私たちはこの時、この場所に共に集められ、私たちのただ中におられる神の助けによって、世界中の全人類にメッセージを送ることができました。私たちは全人類に、神を畏れ、虐げられた人々に対する抑圧を終わらせ、罪のない人々の命を守るために、戦争に巻き込まれたすべての場所で戦いをやめるように呼びかけます。私たちは理性と平和を擁護し、国際的な仲裁と国連を通して、また、ある特定の場所に住む人々による住民投票と、最も公正な道である自決権を通じて、問題が解決されるように提唱します。

私はまた、パレスチナ人とイスラエル人が、『イスラティン』という名のもとに、すべての宗教を統合したひとつの国家の市民として、平和のうちに共に暮らすことができるように、祈っていただくようお招きします。この国家の役職は、すべての人の安全を確保するために割り当てられるべきです。役職を選ぶ仕組みが、宗教的な属性に基づくよりむしろ、最も能力のある人のための直接かつ自由な選挙に移行した後、おそらく30年間は手本に従った方法を取るべきでしょう。

私たちは皆、両親から宗教を受け継いだのであって、自分で選んだのではないことを認識しなければなりません。どの宗教も、人間の限られた知性を凌駕するような絶対的な真理を持っているわけではありません。絶対的な真実とは人間の理解を超えるものです。人間は古代エジプト、ギリシャ、ローマ文明の遺跡から、私たちが住んでいる地球の歴史の約7000年間を知っているに過ぎないからです。地球が数百万年前からのものであることを証明する地質学的、科学的証拠があるにもかかわらず、人間はそのすべての時間をまったく知りません。さらに、地球以外にも無数の惑星や恒星が存在しているにもかかわらず、私たちは何も知りません。これは、私たち人間は、真理や正しい宗教の前では小さな存在であることを意味しています。私が言えることは、自分は正しい宗教を信仰しているとしても、自分には間違いがないとか、自分の信仰が真の信仰であるという絶対的な真実を持っていると主張することはできないということです。このことから、私たちは異なった信仰を持つ人々に対して、最終的な判断は公正な神に委ね、優しさと平和をもって関わるよう促されるはずです。しかし、邪悪さ、憎悪、対立、不寛容さをもって行動したり、他者の信仰を攻撃したりする者は、邪悪な悪魔の追随者なのであり、精神的な治療を必要とします。

しかし、理性、論理、善と悪の概念に基づいて、宗教を科学的に論じることは私たちの権利です。私たちは、これらのテキストが人道に沿うものなのか、善を促進するものなのか、暴力と憎悪を促進するものなのか、愛、平和、正義、平等を擁護するものはどれなのかを検証しなければなりませんい。私は、暴力、戦争、憎悪を否定する平和な世界を夢見ています。これを達成するためには、平和的共存の概念をすべての国のすべての教育段階で教えるべきです。そしてここから、私は国連に対し、さまざまなレベルのすべての学校で教えられるような、国際的な合意による平和条項の制定を求めます。それゆえ、私は皆さんに愛と平和、正義と平等を広めるように呼びかけます。なぜなら、それらはすべての宗教における、あわれみ深い主の要(かなめ)だからです。

正しい宗教指導者の役割は、説教や指導にとどまらず、愛と平和、正義と平等を世界中に広めるという重要な社会的役割を担っています。宗教指導者を慎重に選ぶことが重要であり、少なくとも世界中で85%を占めている、偏狭な指導者を避けることです。彼らは紛争を助長し、偏見と狂信を強め、宗教の異なる人々への憎しみを生み出す源となります。これは、平和と善、愛と正義、平等を提唱し、人々を和解させるという、正しい宗教指導者に期待される役割に反して、戦争や紛争を引き起こします。

したがって、宗教指導者を選ぶプロセスは再考されなければなりません。宗教指導者は、高レベルの心理学委員会による評価を受け、その精神的健全性、合理性、心理的健全性を保証されるべきです。精神的能力や論理性に乏しい者、攻撃的で犯罪的な傾向を示す者は拒否されるべきです。出世できなかった者、知的に欠陥のある者、あるいは職を持たない者が、信心深さや信仰心の外見だけで宗教的な衣装を身につけ、宗教的な人物になることを許すのは、世界にとって重大な過ちであり、危険です。世界中の宗教信者たちの間で起きている対立や憎しみの原因はここにあります。病んだ魂は善を生み出しません。歴史を通して、私たちは邪悪な支配者たちが宗教的人物を利用して、自分たちの行動を正当化し、裏付けるのを目撃してきました。従って、私がこの言葉を発した目的は、子供たちのためにより良い未来を確保するために、二つの非常に重要な要求を強調することです。

第一に、教育課程に人類の平和的共存、異なる宗教の信者の間の平和的共存についてのコースを導入することです。これは世界中のすべての国のすべての教育レベルで教えるべきです。

第二に、宗教指導者を選ぶ際の指針として、すべての宗教にわたって厳格な基準を導入することです。これは、今日の宗教家たちの大多数を特徴づける、過激で偏狭な傾向の蔓延を防ぐためです。そうすることによって、地球上に平和が訪れ、戦争や紛争、金や大理石、豪華な調度品で飾られた豪華な礼拝所の建設に毎年費やされる何十億ドルもの資金を、貧しい人々や困窮者の救済に振り向けることができます。これこそが神の意志に沿った究極の目標であり、目的なのです。

神の平和と慈悲と祝福が皆様の上にありますように。