10. マルティン・ダウッド補佐主教(イラク、アッシリア東方教会)

神のあわれみは、神を礼拝し、賛美するために、私たちを一致のうちに結び付ける

まず第一に、歴史と文明に彩られた国、エジプトを訪れる機会に恵まれたことを幸運に思います……私の信仰にとっても、宗教の歴史においても、エジプトは重要な位置を占めており、その空気を吸い、その土の上を歩き、その人々を知るだけでも学ぶことがたくさんあります。今日、このような場にお招きいただき、大変光栄に思います。

宗教的、民族的、文化的、社会的な多様性を経験している私の国、イラクについてお話したいと思います。私たちはさまざまな名目での紛争や戦闘の時代を経験してきましたが、その主な原因は宗教の違いによるものでした。

宗教と、神の栄光を表す方法のこの多様性は、ひどいやり方で利用され、理解できる理由も、受け入れることのできる理由もないまま、無分別に血が流される結果となりました。そのようなことが起こったにもかかわらず、私たちは生き延び、平和と平穏に向かって暗いトンネルを抜けてきたのです……そうです、私たちは果てしない激動と紛争を生き抜く世界で、平和を目の当たりにし、見てきたのです、兄弟の皆さん……

聖霊の導きがなければ、私たちは生き延びることはできなかったでしょう……神が私たちのうちに植え付けてくださったあわれみがなければ……神が存在し、私たちの行動を見守っておられ、職場で、路上で、カフェで、教会で、モスクで、そして私たちを取り巻くすべての場所で、日々の他者との関係の細部で目撃してきた変化を通して、私たちを鍛錬しておられるという信仰がなければ…………神と自分自身との祈りの中で学ぶために、私たちを上の部屋に呼び集め、鍛錬させる霊であられるという事実を目撃してきました……神は、私たちに自分の奥底を見つめさせ、私たちの内に住んでいる御霊を発見させられたのです……。

神の栄光と偉大さを証しするために、神は私たちを多様な存在として創造されました。私たちが多様となるように意図されたのは、創造の旅路なのです。神は唯一無二の存在であられますが、私たちは異なり、多様です。それが人間の強さなのです。人間関係は異なる者同士の間で形成されるもので、神は創造の始めからこのことを教えてこられました。神は私たちを男と女として創造し、形を異にしながらも、同時に神への信仰を通して私たちを一つにされたのです……

私たちが自分たちの相違を通して、常に神の一体性を理解することを、神がどれほど望んでおられるかを理解できるでしょうか? これを神のあわれみと定義することもできますし、被造物との関係に対する神の切望と定義することもできます。この切望が存在の原動力であり、それを何と呼んでもいいのですが、真理と本質において、それはただひとつ、神なのです。

私の十字架への信仰は、確かに、神についてだけでなく、人間性についてのメッセージも与えてくれました。人間とは何かを理解すればするほど、神の深淵を深く掘り下げることができます……人間の中に眠る霊的エネルギーを解放するたびに、神の偉大さに驚嘆することができます……誰もが、自分なりの方法で、自分なりの言葉で、神のメッセージを世界に伝えるように召されています……そしてそのメッセージとは愛であり、それ以外の何物でもありません。

私は、イラクで経験した困難な時期を思い起こすことからこのスピーチを始めました。人間がいかに簡単に、世界に対する神聖な使命を顧みず、代わりに破壊と暗闇のメッセージを伝えてしまうかを忘れないために。私たちはこのことを真に自覚し、この世界におけるメッセンジャーとしての責任を負わなければなりません……

人間の弱さの瞬間、私たちは神のあわれみを求めなければなりません。なぜなら、神のあわれみこそが私たちを支え、育み、決して闇の深淵に陥らせはしないからです。それどころか、神のあわれみは私たちを照らし、私たちの目の前で私たちの心を開き、私たちの理性に先だって思考を啓発し、私たちの利己主義に先だって愛で満たしてくださるのです。これこそ私たちが依り頼まなければならないもの、神のあわれみです……それは、神の栄光のために私たちを真に結び付けてくださるのです。

信仰、希望、祈り、愛に満たされた時間に対する深い感謝を心に抱きます。そして主が私たちを祝福し、主の聖なる御名の栄光のために私たちを用いてくださいますように……アーメン。