2005年アジアツアーのレポート

2005年11月1日〜7日 東京、大阪、長崎

ワシントンD.C.から24時間を超える大変なフライトを経て、ヴァスーラは東京に到着しました。北太平洋地域に連なるこの島々への訪問は、今回で4度目となります。この印象深い国では、人々は規律と礼節の長い伝統を持ち、社会の発展とともに高度な先端技術と精神性とが競い合っています。16世紀に聖フランシスコ・ザビエルとイエズス会修道士たちによって日本に信仰がもたらされて以来、多くの殉教した宣教師たちや改宗者たちのおかげで、日本のキリスト教信仰は今も生き続けています。

ヴァスーラは前回の訪問では北から南まで、1億2700万人の人口(ほとんどが神道と仏教の信徒であり、キリスト教徒は0.7%のみ)を持つこの国に『神のうちのまこと のいのち』のメッセージを伝えました。メッセージは何年も前から、日本の『神のうちのまこと のいのち』の熱心な読者たちによって出版されて広められていました。聖霊はこの忍耐が必要な仕事をゆっくり続けられ、『神のうちのまこと のいのち』の祈りの集いに招待された証し人たちを通して、また『教理省との諸問題に関する解明』の普及の成功を通して、メッセージを地元の聖職者や信徒たちにもたらしました。今回のこの旅路で、ヴァスーラは東京、大阪、長崎のそれぞれの都市の司教座を表敬訪問し、『神のうちのまこと のいのち』の巡礼と黙想会について強調しつつ、彼女の使命とキリスト教の一致の発展について伝えました。

東京

首都東京でヴァスーラは教皇大使を訪問し、『神のうちのまこと のいのち』の読者の会が準備した講演会で、500名の人々に話しました。

駐日ローマ教皇大使館を訪問

ヴァスーラ、駐日ローマ教皇大使アルベルト・ボッターリ・デ・カステッロ大司教閣下を表敬訪問

ヴァスーラ、駐日ローマ教皇大使アルベルト・ボッターリ・デ・カステッロ大司教閣下を表敬訪問

教皇大使閣下の応接間にて

教皇大使閣下の応接間にて

右から教皇大使閣下、ヴァスーラ、参事官のカレンガ氏、『神のうちの<ruby srcset=

まこと のいのち』東京のハンス・エンデルレ氏” width=”390″ height=”293″ /> 右から教皇大使閣下、ヴァスーラ、参事官のカレンガ氏、『神のうちのまこと のいのち』東京のハンス・エンデルレ氏

『神のうちのまこと のいのち』東京のハンス・エンデルレ氏は書いています:「2005年11月2日朝、ヴァスーラは、同行者であるセシリア・ルッツさん、菅原悟さん、そして私の4名で、東京にあるバチカン大使館のカステッロ大司教閣下を訪ねました。また大使館の参事官カレンガ氏も参席されました。」

「ヴァスーラとセシリアは、どちらともなく大司教閣下の指輪に接吻しましたが、この伝統的な慣習を見るのは素晴らしいことでした。日本でこれが行われるのを見た覚えがないからです。ヴァスーラと大司教は多くの共通点を持っていました。二人ともアフリカで過ごしたことがあり、またカレンガ氏もザイール出身でした。彼女は自分の使命について説明しました。閣下は親切で親しみやすい人柄のイタリア人神父で、私たちにおいしいエスプレッソコーヒーを出してくださり、メッセージに関してはとても寛容に感じました。彼は、自分の日本への異動はおそらく、前教皇ヨハネ・パウロII世の最後の任命の一つであったろうと語りました。なぜならその任命の手紙の日付は4月1日で、前教皇の死去は4月2日だったからです。彼はゴッビ神父に会ったことがあり、また私の記憶が正しければ、マザーテレサが国連で聖フランシスコの平和の祈りを人々に唱えさせたその日、そこにいたと彼は語りました。彼はもっと知りたいと望み、ローランタン神父の本を求めました。私は彼が悪魔祓いを研究していること、また第一の規則は『謙遜でなければならない』ということだと言ったことにとても感銘を受けました。」

ローマ教皇大使閣下は、ヴァスーラが2002年のエジプトへの巡礼と2005年5月のレバノン、シリア、ヨルダンへの巡礼のことを話すと、大きな関心を示しました。彼はさまざまな教会の状況に精通しており、以前ダマスカスの在ローマ大使館へも配属されたことがあります。閣下は、カトリックと正教が同じ日に復活祭を祝うことは主の望みであること、復活祭の日付を別々に定めることの愚かさを悲しまれていることをヴァスーラと分かち合い、彼女の意見に同意しました。多くの正教徒とカトリック信徒が共に復活祭を祝う中東では、キリスト教会は生き残るために一致することを強いられてきました。ヴァスーラは、復活祭の日取りを一致させることのメリットは、教会を強化し強めることだと説明しました。

閣下は日本の秋田の聖母マリアの御出現にも関心を示しました。ヴァスーラは、1992年の初来日の際、オーキャロル神父とともに、聖母マリアと出会ったシスター・アグネス笹川と会ったこと、また、秋田の聖母の御出現を伊藤司教が認可され、当時の信仰教理省長官であったラッツィンガー枢機卿はそれを直ちに承認したことを説明しました。なぜなら、この御出現がファティマでのメッセージの秘密を再提示し確証するものだったからです。訪問の最後に、大使閣下は彼のプライベートチャペルに案内され、長崎二十六聖人の飾りを見せてくださいました。

東京での講演会:開催地だった三つの都市それぞれでの聴衆の数とその熱心さは、生活において神性へ飢え渇く最中、キリスト者と非キリスト者を一致させる霊的滋養が必要とされていることを確認させるものでした。

11月3日木曜日、東京の上野で最初の講演会が開催されました。会場は500人の熱心な聴衆で一杯となり、ヴァスーラの発する一つ一つの言葉に耳を傾けていました。『神のうちのまこと のいのち』とは、慈しみの呼びかけなのです!」彼女は宣言しました。「それは地上から天国へかかる梯子となる、回心への呼びかけなのです。回心とは神を知りたいという欲求であり、また、心と力と精神のすべてをもって神を愛したいという欲求なのです…愛である聖霊を獲得し、自分に対して死に、自分のエゴに対して死ぬということ、無となって、神がすべてとなることができるように、自己を滅するということなのです。」

日本の人々のうちには謙遜が深く根付いています。ヴァスーラが自分の意志を捧げるということについて話すとき、彼らはまるで、私たちの主の優しい忠告に従う用意ができている子供たちのようです。「もし私たちが自分の意志を神に明け渡すなら、神の御意志が私たちのうちに行われるでしょう。神は王であり、神の王国は私たちの心のうちにあるのです。神は私たちの心を求めておられる、これが重要なことです。」ヴァスーラは次のメッセージを読みました。

「すべて清らかな心は私を悦ばせる。あなたの目が天のことだけを追うのを見たなら私は歓喜する。私のもとに来て、「ここです……私はここです」と言ってその心を捧げ、変容させて、私の領地となり、そして私が君臨するようにさせてくれるなら、私は栄光を受ける。私の聖所を清く保ち、君臨するにふさわしい栄えある領地となったとき、私は壮麗さと光輝にかがやく。あなたがみじめで貧しい中にあっても、「永遠に及ぶ救いを下さった王にホザンナ! ホザンナ!」と叫べたなら、私の王権は確立する」(19944年6月10日)

菅原悟氏は書いています:「およそ500名が参加し、中には遠く北海道や沖縄から来た人もいました。6人の神父と多くのシスター方も来ていました。ヴァスーラはわかりやすい言葉で、時にはユーモアを交え、時には熱意をもって、回心、清め、絶え間ない祈り、神との親密さ、教会の一致といったテーマについて語りました。彼女はいくつかのエピソードを交えて、神とともに生きることのよろこびについて語り、聴衆の心を次第に掴みはじめ、講演会が終わる頃には聴衆の心は一つになっていました。会の最後、私たちは癒しと解放の祈りを唱えました。」

後になって、この講演会に参加していたある女性が、毎夜の神経痛とヘルペスの副作用、そして麻酔の継続的使用による背骨付近の血腫の痛みから癒されたことが伝えられました。女性とその娘さんは、私たちの主とヴァスーラにその癒しを感謝の意を表しつつ、残る他の2つの病気も癒されるよう、忍耐強く祈り続けています。

講演会の後、東京の祈りの会とそのほかの参加者の方たちとともに

講演会の後、東京の祈りの会とそのほかの参加者の方たちとともに

大阪

大阪は本州に位置する東京に次ぐ2番目の都市で、270万人の人口を持ち、大部分は仏教徒です。ヴァスーラが大阪を訪れるのは今回が3度目になるので、それはまるで帰郷のようでした。多くの信徒と、何年もメッセージを読み続けてきた外国人神父たち(主にフランス人とベルギー人神父)が、会に参加するためにはるばる来ていました。彼らは聖霊の御手がヴァスーラの使命を導くのを見て、またバチカンとの建設的な対話について知って非常に喜びました。この宣教師たちの多くは、長い期間を日本の信徒への奉仕のために捧げた後、日本を自分たちの故郷として選んでいます。

ヴァスーラとダニエル・ヴァン・キルホブ神父

ヴァスーラとダニエル・ヴァン・キルホブ神父

『神のうちのまこと のいのち』東京のハンス・エンデルレ氏のコメントです:「11月4日金曜日の朝、ヴァスーラは高層ビルが立ち並ぶ大阪市中心部にある小さな教会、カトリック北野教会でのミサに出席しました。ダニエル・ヴァン・キルホブ神父は84歳のベルギー人で、若き日より長い間日本の宣教のために尽くした人です。今年の1月には司祭叙階60周年を祝いました。彼はこのミサを司式するために大阪のオーガナイザーから特別に招かれていました。ダニエル神父は前日の夜、睡眠薬を取るまで眠れないくらいに興奮していたと語り、ヴァスーラが参席するミサを挙げることができるということは、イエスの聖心からの贈り物だと考えていました。なんと素晴らしい神父でしょうか! 福音朗読として、彼はイエスが父なる神に感謝を捧げる箇所を選びました:『天地の主である父に感謝します。賢い者や知恵のある者に隠し、幼子にこれらのことを現して下さったからです。(マタイ福音書11、25-27)』短い説教で、神父は『神は自由であり、どんな者でもお選びになることができます。』と語りました。ヴァスーラが神のメッセンジャーであると神父がはっきり言及したことを私は幸せに思います。」

北野教会の前で東京と大阪のオーガナイザーと一緒の集合写真

北野教会の前で東京と大阪のオーガナイザーと一緒の集合写真

正教、メソジスト、カトリック信徒とともに和食をいただく

正教徒、メソジスト、カトリック信徒とともに和食をいただく

リーガロイヤルNCB会場での講演

大阪会場での癒しの祈り 一列目は司祭方

大阪会場での癒しの祈り 一列目は司祭方

菅原氏は書きます:「大阪市中ノ島の会場では、6人の神父、たくさんのシスター方、プロテスタント信徒を含むおよそ280人が参加しました。内容は東京で話されたものと同じではなく、ヴァスーラは同じテーマでも他のエピソードを話していました。彼女は会の前に話す内容を準備しておらず、聖霊によって与えられるインスピレーションによって自由に話すのだと聞きました。記憶が正しければ、ほとんどの会で、彼女はバスの中での2つの座席と一枚のチケットの面白い話ををしていたと思います。どうぞ皆さん、どこかへ出かけるとき、イエスと一緒に行くことを忘れないで下さい。」

会の始まりにあたって、ヴァスーラは「主の祈り」を主が話されたアラム語で唱え、その間聴衆は起立していました。私たちにはあまり馴染みのないこの言語には、聞く人たちの心を穏やかにする効果があります。ヴァスーラは二十歳になるひとりの人物にたとえて、『神のうちのまこと のいのち』が2005年の11月に20周年を迎えることを紹介しました。20年前のバングラディッシュでの始まり以来、主は彼女を60を超える国々に導びかれ、700回近くの集会で神の御業を宣べ伝え、メッセージは40を越える言語に翻訳されました。世界中で『神のうちのまこと のいのち』の祈りの会とアソシエーションが設立され、黙想会と五回の国際的な超教派の巡礼が行われ、『神のうちのまこと のいのち』の貧しい人のための家、ベス・ミリアムが25件オープンしました。これまでにも、そして今も困難はありますが、神の御業を押しつぶして神の使節を黙らせることはできませんでした。『神のうちのまこと のいのち』は多くの人の心に根付きました。私たちの仕事は、神のメッセージを周囲のすべての人々と分かち合うことです。

ヴァスーラは聴衆に語り続けます。『神のうちのまこと のいのち』は、神が私たちにすでにお与えになったものを思い出させるための学び舎です。それは聖書をもう一度綴り直します。私たちがいまだに聖書を生きることができないので、神は憐れみのうちにもういちど教えに来られたのです。彼女は自分を、神のラブレターをこんにち子どもたちに届ける郵便配達人にたとえて、神がどれほど、私たちの魂が神と親しく触れ合い、神を知るようになることを望まれているかを話しました。

「私のために善を行い 愛のわざ、感謝と償いの行為をするのも それと同時に何らかの信心に励むのもよい、だが私を知る前に死ぬようなら 甚だしくがっかりしよう。」1997年11月2日

ヴァスーラは、悔い改め、和解、絶え間ない祈り、一致といったテーマについて詳しく説明した後、一致のために祈る『神のうちのまこと のいのち』の祈りの会をつくることを求めつつ、話を終えました。人々は聖霊の言葉に活気づけられ、ヴァスーラとともに癒しと解放の祈りを唱えました。神父とシスター方はヴァスーラを囲み、大阪に再び来てくれたことに感謝しました。

長崎

長崎は現在約50万人の人口を持ち、九州の北西に位置しています。歴史的に見ても、日本国内最大のキリスト教徒人口を有しているところです。16世紀、ローマ・カトリックの宣教師、聖フランシスコ・ザビエルが鹿児島近郊に上陸し、多くの改宗者を生み出しました。将軍家によるキリシタン迫害と殺害によって、250年にわたり、多くの信者が逃亡し地下生活を強いられることになりましたが、勇敢にも、かたくその信仰は守り通されました。これは「長崎の隠れキリシタン」として知られています。長崎の信者たちのあつい信仰によって、街には多くの巡礼教会が存在しています。

第二次世界大戦の終わり、原子爆弾の投下によって7万人が死亡しましたが、その中には多くのカトリック信者が含まれていました。このため、長崎は「キリスト教が原爆に直面した最初の地」と呼ばれてきました。教皇ヨハネ・パウロ二世の来日のおかげで、長崎のカトリック信者は、原爆に対して無抵抗な殉教者的な態度から現在は平和に向けた戦いに積極的に参加するように変わってきました。十六世紀に苦難を受けた長崎の殉教者と同様に、原爆で命を落としたキリスト者たちは歴史の記念碑であり、私たちの主イエス・キリストにならう証人たちなのです。

原爆博物館と大浦、浦上の両天主堂を訪問して、この美しい港町に起こった出来事を学び、生き延びるための闘いを乗り越えてなお生きている信仰を見て私たちは感動しました。長崎は聖なる地です。今回はヴァスーラにとって初めての訪問でしたが、近隣の島々から人々が彼女の話を聞きにやって来ました。

長崎殉教者の絵。250年の間隠れ、勇敢にかたく信仰を守り通した「長崎の隠れキリシタン」と呼ばれる人々

長崎殉教者の絵。250年の間隠れ、勇敢にかたく信仰を守り通した「長崎の隠れキリシタン」と呼ばれる人々

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まこと のいのち』の本の出版社の林氏、読者の方々と共に” width=”390″ height=”293″ /> 『神のうちのまこと のいのち』の本の出版社の林氏、読者の方々と共に

長崎での講演会の前に黙想するヴァスーラ

長崎での講演会の前に黙想するヴァスーラ

11月6日日曜日、長崎講演会

九州各地から約180名が参加。沖縄から来られた方も

九州各地から約180名が参加。沖縄から来られた方も

長崎ビュー・ホテルでの講演会には初めての参加者が多かったため、ヴァスーラは、20年前のバングラデシュで神を体験したその始まりに立ち戻りました。彼女は清めの段階、つまり、神の御前において自分が誰であるかを悟るために忍ばなければならなかった苦しみと痛みについて描写しました。私は人々が静かに耳を傾けているのを見ていましたが、彼らは自分たちが受け継いできた闘いと苦しみの遺産の意味を、彼女の言葉の中に見いだしたようでした。聴衆の多くが清めと苦しみというものを垣間見てきたので、彼女が何について話しているのかを知っていました。ヴァスーラの魂が神に立ち返り、全面的に神のものになると決心したとき、神の慈しみが彼女を抱擁するのを感じました。神の声の響きは、思いやり深い御方、御父の位格の本当の姿を彼女に理解させました。ヴァスーラの父なる神との対面は、多くの人が考えるように、神を単に厳しい審判者としてしか捉えない誤ったイメージを打ち消すものでした。神は私たちの御父であり、私たちは神に属するものです。神は、私たちの基礎が何であるかを思い出させようと、『神のうちのまこと のいのち』において私たちのところに来て下さるのです。

『…息子たち! 娘たちよ! あなた方は至高なる者の跡継ぎ! 壮麗な主権者の子孫、おお 来なさい! あなた方は私たち(*聖三位)に属している! 天に属している … あなた方は王家の出、それではなぜ、なぜ野獣に耳を貸すのか?』94年7月22日

ヴァスーラが霊感を受け、聖霊の炎と新しい聖霊降臨について語ると、聴衆に電撃が走ったようでした。ヴァスーラは説明します。ほとんど死んでいた魂に聖霊が触れ、その人のうちに息づくと、いのちの息が吹き入れられてその人は生き返り、火が放たれます。この人はただ天的なことだけを探し求めるように変容し、養われて、こうしてこの人は使徒となるのです。これを経験した魂は変容し、聖霊の熱情と、神の御国のためにできることは何でもしたいという意欲で満たされます。私たちが生きているこの時代は広大な背教の時ですが、同時に慈しみの時でもあるのです。神は使徒たちを起こし、この人々は「時の終わりの使徒たち」と呼ばれます。彼らは神のみ言葉を広める熱意に燃え立っているので、誰にでもそれと分かるでしょう。

聴衆の中に、ヴァスーラのメッセージを読み続けてきたひとりの米軍兵士がいました。彼は、今回来ることができなかった沖縄米軍基地の友人たちのために講演会を撮影していました。また神戸から来ていたある読者は、オプス・デイ会の若い司祭を長崎近郊から連れて来ました。どうしてもヴァスーラに会わせて話を聞かせたかったのです。この司祭は、ヴァスーラの証しと、メッセージの扱うさまざまな主題に全神経を集中させていました。彼は大変感銘を受けていたようで、同意して何度もうなずくのが見てとれました。ヴァスーラが聴衆に、彼女の宣教と著書についての信仰教理省との対話の進展について知らせると、彼の顔には安堵の笑みがあふれました。癒しの祈りの後、ヴァスーラに紹介され、彼は感謝と祝いの言葉を言っている間、満面の笑みを浮かべていました。彼を連れて来た友人は喜びの涙を止められず、その涙はヴァスーラが別れの挨拶をしたかなり後まで止まりませんでした。

菅原氏は書きます。「とても印象に残ったことに触れておきたいと思います。ヴァスーラはそれぞれの場所で新しい祈りのグループが設立することを望んでいます。2、3人の小さなグループでも十分です。どうぞ定期的に祈りの集いをもってください。このレポートを書いている間にも、いくつかの祈りのグループが準備を初めており、近い将来にその報告ができる事を楽しみにしています。もうひとつ、私たちは教会の一致について興味深い話を聞くことができました。ヴァスーラは、ロシア正教会のアレクシイ二世総主教と教皇ベネディクト十六世が対話路線を推し進め、目下一致に向けて力を尽くしているということです。メッセージでもしばしば語られている通り、教会の一致は遠い将来の話ではなくなりつつあるのかもしれません。しかしながら、私たちにその準備はできているでしょうか? 私たちとは一致するという人々のことをどれほど知っているでしょうか? 準備のときはすでに始まっています。カトリック信者には、ヴァスーラは次の二つの書簡を読むことを奨励しています。教皇ヨハネ・パウロ二世の使徒書簡『東方の光』と回勅『キリスト者の一致』です。」

また長崎の講演会でヴァスーラはこう話していました。「時の終わりの使徒たち…この集会でも、人々は血の汗を流して開催のために働いています。それは容易なことではありませんが、彼らは燃えています。彼らこそ使徒たちなのです!」

長崎。九州各地と沖縄から集まった『神のうちの<ruby srcset=

まこと のいのち』のグループと最後の別れの挨拶を交わした直後” width=”390″ height=”293″ /> 長崎。九州各地と沖縄から集まった『神のうちのまこと のいのち』のグループと最後の別れの挨拶を交わした直後

私たちは、翌日早朝に香港に向けて出発する福岡に向けて、夜行列車に急ぎ飛び乗りました。アジア7カ国を訪問するこの旅の始まりはとてもあわただしいものでした。日本人のペースは信じられないくらい速いものです。私たちは祈りました。熱心なオーガナイザーや読者たちの手に託された『神のうちのまこと のいのち』のアソシエーションと祈りのグループが、聖霊の導きによって豊かに繁栄しますように。神がこの国の善良な人々を祝福し、護り、すべての同胞たちに神の慈しみの御業を広めるために霊感を与えてくださいますように。

セシリア・ルッツ、神のうちのまこと のいのち日本 ハンス・エンデルレ、同 菅原 悟