スッダーナンダ・マハテロ師のスピーチ

スッダーナンダ・マハテロ師のスピーチ

(バングラデシュのダルマラジカ仏教寺院の高僧、ブッダ・クリスティ・プラチャール・サンガ会長)

高名なるヴァスーラ・リデン様、枢機卿猊下、司教、司祭、聖職者、修道者、神学者、研究者、高位の方々、そして皆様の夕べが素晴らしいものであることを願います。

「ロシア正教を称えて」と題され、ロシア連邦の国際的かつ肖像的な都市であるモスクワで行われている、今回の第11回エキュメニカル巡礼に参加する栄誉をいただいたことは、私にとって本当に大きな喜びです。高名な神のメッセンジャーであられるヴァスーラ・リデン様、そして平和と和解、一致を不断の努力で広めている『神のうちのまこと のいのち』に献身されておられる方々、この歴史的な巡礼にお招きいただき、この光栄な機会に少しお話しをさせていただく機会をいただき、心からの感謝と喜びをお伝えします。異なる教派の聖職者の方々による超教派の集まりに、私は大いに感銘を受けています。キリスト教世界の大部分にとって、到達すべてき最も重要なゴールの一つは、キリスト教内部での歴史的な分裂を乗り越え、様々な教派が和解することです。

仏教は平和と非暴力の宗教として知られています。その長い歴史を通じて、紛争を解決し、平和をもたらすために、歴史的に重要な役割を果たしてきました。この宗教の創始者である仏陀は弟子たちに、非暴力を実践し、内的にも外的にも紛争のない生き方を送るように教えました。仏教は、階層や宗教を問わず、全人類は基本的に平等であることを認めており、人間はその尊厳と権利において平等であることを認めています。さらに、仏教は男女同権を認めています。

互いの信条に敬意を表すことは、どんな紛争を解決する場合においても、非常に重要なステップです。これを行うためには、すべての宗教間のよりよい理解を進展させる必要があります。これは関係者全員がお互いの信条に敬意を払う時、初めて獲得できるものです。さらに、相手方の信徒をよく理解することができるよう、共通の目的を共有する必要があります。

すべての宗教は精神を制御し、理解することの重要性を強調しています。精神こそが、自己中心主義や、その他の紛争の元になるものを抱くのですから。あらゆる宗教は、平和であり、統制された、道徳的で賢明な霊的状態へと導く道筋を描きます。その長い歴史を通じて、仏教は精神に重きを置いてきました。私たちの意識的な行動は、最初に思考の中に生まれ、そして行動へと転換されます。このような理由で、仏教は精神を汚れから清く保つことの重要性を強調するのです。

皆さん、「どのようにして分裂に橋を架け、世界に平和をもたらすのか」というテーマは、今日の状況においては、極めて時宜にかなう適切なものです。仏教は、あらゆる信条における、あらゆる異なる視点に扉を開いています。自身の立場を、唯一あり得る正しい立場として狂信的に主張することはありません。私たちが自分のやり方について話す時、例えば自分の道徳律や宗教、食習慣などについて、それもまた正しいと言うなら、このような立場は衝突を引き起こしません。しかしもし自分のやり方、自分の道徳律や宗教、食習慣などだけが唯一の正しい道だとするなら、それは衝突を引き起こします。仏教は私たちの間の違いを強調しすぎることはせず、むしろ紛争を解決するために共通の基盤を見つけ出そうと言います。それゆえ、仏教はその長い歴史を通じて、どのような場所に伝わったとしても、同時期に存在した伝統を壊そうとしたことはなく、そうした文化と衝突せず、調和のうちに共存することに成功しました。世界の美は単一性にあるのではなく、調和した一致と共にある多様性のうちに存在します。そしてそれは、お互いをもっと深く知り合うことによってのみ獲得されるものなのです。

尊敬すべき聖職者の皆さん、そして高位の方々、第二次世界大戦の惨事の後、国連が結成された時の出来事の記憶を思い起こします。国々の首脳たちが、合意した国連憲章に署名するために集まったのです。それはこのような序文で始まるものでした。「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」。これと同じ言葉がほっきょう(仏典の一つ)の最初の一節にこだましています。仏陀はこう言明しています。「何事も皆、心より起こる。心を元にして成らないものはない。ものを言うにしても、振る舞うにしても、汚れた心より行えば、車輪に跡が続くように、必ず苦しみがその後に続く」。

平和はいつでも得ることができます。しかし、平和への道は儀式や祈りだけではありません。平和とは、同胞である人間に対し、あるいは環境に対して調和を獲得した結果です。力によって平和を導入しようとしても、それは平和には終わりません。それはただ単に、利己的な欲望と世俗的な条件による紛争の休止期間に過ぎません。

結論として、世界は鏡のようなものであると申し上げたいと思います。もし微笑みのうちに見るなら、微笑みが返ってきます。しかし怒りの形相で見るなら、醜い顔が映し出されるのです。おなじように、私たちが優しさと慈悲を持って行動するなら、同じ善い報いを受けることになるでしょう。

願わくは、天地じょうが幸福でありますように。