ロシア・モスクワ巡礼 ヴァスーラの最初のスピーチ

ロシア・モスクワ巡礼 ヴァスーラの最初のスピーチ

私たちはいま、異なる信仰を持つ人々の間の分裂に橋を架けるための鍵を探しています。そこで質問ですが、私たちキリスト教徒がいまだに内輪で論争し、対立し、自分たちの教会を分裂させたままでいながら、どうやって、世界に平和をもたらすように私たちを変容させる架け橋を見つけられるというのでしょうか?

私たちが探し求めているものは、もちろん、人間の能力を超えています。「私たちの分裂に橋を架け、世界に平和をもたらすためにはどうすれば良いのか?」そのような架け橋とは何でしょうか? 神が介入されない限り、私たち自身の力では、私たちの分裂を終わらせ、解消させる恒久的な解決へと到達することができるとは思えません。ですが、私はイエスが「最善を尽くしなさい、あとは私が行う」と言われるのが好きです。そこには希望の響きがあります。ですから、神の全能のみ手によってのみ、私たちを一致させることができると信じています。私たちは奇跡を必要としています!

私は奇跡を信じますし、神は私たちを一緒にすることが本当におできになります。しかしそれは、私たちはただそこに座って休み、くつろいで、天から奇跡が降ってくるのを待っていればよいということではありません。主は私たちに、誠実さと犠牲、愛を持って働くことを求めておられます。神の呼び掛けは、神を再発見するようにという緊急の呼び掛けです。神は私たちが自己に死に、自我に死ぬことによって、再び神を見つけるように呼ばれています。監督組織の改革によってではありません、違います! 神が私たちの心の中に、親密なやり方でご自身を現してくださることをお許しする必要があります。

ここには、異なる教会から来た、比較的大きなキリスト者のグループが来ています。私はその一つに属しています。ここ数年の巡礼では、念願である多様性における一致を実行に移すために、私たちは23教派の教会からやって来ました。多様性における一致とは、長年にわたって続けられ、今も続いている、教会間の絶え間ない対話です。

神の霊に触発されて、突然何かが起こりました。私たちはもはや違いを見ず、一つとなり、ひとつの祭壇と一つの聖体を囲んで分かち合いました。これは、兄弟愛と分かち合いによって神に栄光を帰す崇高な瞬間でした。私たちは来たるべき一致がどのようなものであるかを前もって味わい、私たちが対話において言いあらわす一致の言葉は、長年にわたって具体化し、形を成してして生きたものとなり、もはや印刷された原稿を読むだけではなく、目に見え、触れることができるものになったのです。

このように、もし私たちが神のご好意を得、神に願い求めるなら、神にはすべてが可能なのです。まことの信仰は、自分の周囲にいる誰もが、全能の神に愛された兄弟あるいは姉妹であることを、神の光を通して理解させます。ですから、私たちの神への信仰が増し、神に近付いて、助けと奇跡を決然と願い求めるほどに確信を持ち、大胆になれるようにしましょう。

しかしまた一方、神はそのご好意と引き替えに、私たち全員からまず悔い改めの叫びを聞くことを求められるでしょう。私たちが道徳に反し、お互いに対して敬意に欠けた態度をとり、他者の信仰や伝統への礼を欠き、率直になることができず、自分たちの失敗を認めることもできず、世界に過激な暴力と苦しみをもたらす独裁的な権力に対して率直に話すこともできなかったことを認めるのです。私たちが自我とプライド、偏見をきっぱりと捨てることを神は求めておられます。神は犠牲的な愛を求めておられ、私たちのいのちを絶え間ない祈りへと変えることを求めておられますが、何にもまして、偉大な二つの掟を生きることを求めておられます。それは、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」そして「隣人を自分のように愛しなさい」というものです。そして、私たちの真摯な心を神がご覧になったなら、そのご威光が恵みを伴って私たちを覆い、油を注ぎ、道を示してくださるでしょう。このようにして神は奇跡を行われるでしょう。

クルアーンのスーラの中で「巡礼」と呼ばれる22番の10章77節~78節にはこう書かれています。「信仰者たちは礼拝し、善を成せ」「おまえたちは人々への証人である。礼拝、施しをし、神にすがるのだ」

簡単に言えば、私たちの主である神が求められているのは、私たちが神の神性の写しとなることであり、神はアルファでありオメガであるゆえに、そこには闇の痕跡はありません。私たちは自分だけでは何もできませんが、神が私たちの側に立ってくだされば、不可能も可能となることを悟る必要があります。ですから、私のお話を終えるにあたって、このように申し上げましょう。「神か、それとも無か」だと!

祈りを私たちのサタンに対する剣としましょう。サタンは私たちの分裂と破壊を喜んでいます。神は私たちの心と霊魂を照らすために必要な光を与えてくださいます、そして一致への架け橋はそこにあるのに、私たちは自分自身の闇の中にいて、それを見つけることができずにいることを! それはあらゆる善徳を表す天的なサファイヤで出来ている橋なのです

私たちの無数の罪を悔い改める瞬間、神は私たちをゆるしてくださり、そのゆるしのうちに、世界に平和をもたらし、私たちを神の現実に連れ戻すための架け橋を見る視力を回復してくださいます。神に栄光がありますように、私たちのうちに働くその力は、私たちが求める以上の、想像を超えた、無限の業を行うことができるのですから!