ヴァスーラ、教皇職とコンクラーヴェについてコメントする

以下は、2013年に教皇ベネディクト十六世が退位され、コンクラーヴェが行われる直前のヴァスーラのコメントです。

問い:教皇職とは過去のものなのでしょうか。

いいえ、それは過去のものになることはありません。なぜなら、常に誰かがペトロの座を占めることになるからです。教会は地上におけるキリストの代理者である牧者を必要としています。イエスがペトロを選ばれて以来、教皇職は存在してきましたし、ペトロの座はいつもそこにあるでしょう。

問い:教皇の言うことに耳を傾ける人々がまだいるでしょうか?

教皇は力と権威を持っており、多くの人々が彼の言うことに耳を傾けるでしょう。また彼は多くの人々に愛されています。しかしながら、私が受けているメッセージの中で主が啓示されたところによれば、教皇の側にいながらも、闇の力に導かれて教皇に反対し、反逆する人々もまたいるということです。私がローマに住んでいたとき、ベルトーネ・タルシチオ枢機卿(当時大司教、信仰教理省秘書官)と彼の住居でお会いしたことがあります。私の使命についていくつかの点を明確にするためにお会いしたのですが、イエスがバチカンの地下における反逆について話されていることを私が話すと、彼はそれは真実だと認めました。

問い:近年の教皇たちは、他宗派や他宗教との間に橋を架けるために何をしてきたのですか?

これはとても厄介な質問です。第一に、私は第二ヴァチカン公会議以降、大きな進展があったと信じています。とくに、教皇ヨハネ・パウロ二世によって、諸教会が互いに近づくために重要な成果を達成してきたと信じます。彼はある時こう言いました、「私たちを一致させる要素は、分裂させる要素よりもはるかに多いのです」。彼は本当に懸命に働きました。彼の働きは諸教会を近づけましたが、キリストが「神のうちのまこと のいのち」のメッセージで求められている一致を成し遂げるためには十分ではありません。彼にはカリスマがありました。もし次の教皇もカリスマを持った方であれば、それは教会の利益のためとなるでしょう。

キリストが求められたのは、復活祭の日付の一致です。これはまだ実現していません。イエスが求められたもう一つのことは、互いを分け隔てしないこと、そして一つの祭壇を囲んでミサ聖祭を祝うことです。これはとても受け入れがたいことでした。教会は一致しなければならない、主は私に言われました。教会は分断され弱体化している。一致の探求は教会の生命全体へと行き渡る必要があり、一致は達成されなければならない。しかし教会はまだ否定的な障害を乗り越えるには至っていません。この障害は聖書によれば、私たちの間における信仰と愛、礼拝の一致を成就することに逆らうものです。キリストは非常に落胆しておられます。

他宗教に関して言えば、これも教皇ヨハネ・パウロ二世の在位中に進展を見せました。彼は他宗教の指導者たちに愛されました。近年の他の教皇たちについては、このように言うことはできません。

問い:教会一致の潮流を継続させるためにはどのような教皇が必要でしょうか? イタリア人ではない者、あるいはヨーロッパ人ですらない者のほうが貢献できるでしょうか?

このケースに関して国籍は関係ありません。助けを求められれば、聖霊は国籍に関係なくお望みの方を選ばれるでしょう。聖霊は今言ったように、もし助けを求められるなら、ペトロの座に座るべき正しい方を選ばれるでしょう。聖霊のご意志はイエスのご意志と同じです。それゆえ、もしも投票が適切に行われるなら、教会は復活祭の日付を一つにすることができるでしょう。イエスはメッセージの中で約束されました。もし私たちがこの段階を踏むなら、イエスはお戻りになり、聖霊を送られて教会を完全な一致へと導かれるでしょう。主は言われました、一致とは、教会だけではなく世界に平和をもたらすものだと。しかし一致が受け入れられない限り、世界は戦争と邪悪な行いと反逆を続け、自然災害は増大し続けるでしょう。これが主が言われたことです。

問い:私たちが生きているこの時代と預言に関して、教皇職において何が起こっているのでしょうか?

私がキリストから受けているメッセージにおいてこう言われています。和解と一致を求める聖霊の呻き声に耳を傾けないのなら、教会は火による清めを経験することになるだろうと。それは来たるべき大艱難と、覆われていたすべてのものが露わにされるという出来事を伴います。新しい教皇は見過ごされていたスキャンダルの問題を片付けるために十分な力を持たねばならず、謙遜のうちに働くことによって、教会の透明性を示さなければなりません。真実だけが教会を自由にすることができます。教会は一つの産業としてではなく、神の家として、聖なるものとして保たれなければなりません。教会が謙遜になり、聖霊が導かれるためにもっとスペースを開けなければ、平和を保つことはできず、さらなる大きな試練に苦しむことになるでしょう。

教会の信徒たちが自分たちを分裂させたままでおくなら、私たちは神の愛の掟に背いているのだということを忘れてはなりません。主は教会に警告されました、声を低くして主のみ声を聞くように、頭を低くしてキリストの頭を見るように、自分自身を低くしてキリストが教会を高く挙げることができるようにせよと。しかし彼らは聞こうとしません。彼らは神が警告されているということを信じようとしません。あるときイエスは言われました、彼らはむしろ神のメッセージと戦おうとして逆上すると。いまだに、これらの苦難にもかかわらず、主は教会を助けようとされておられます。なぜなら、何もキリストの神秘体である教会を破壊することは出来ないとご自身が言われたからです。イエスは多くのメッセージをこう言って締めくくられました。「教会は甦る」。