2009年ギリシャ巡礼レポート

第7回「神のうちの真のいのち」エキュメニカル巡礼
~聖パウロの足跡を辿って~

2009年9月3日~11日

失望に終わらない航行

ユリアン・ルジツキ神父

親愛なる日本の兄弟姉妹の皆様

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今回の「神のうちの真のいのち」の巡礼はこれまでのうちでも一番平和なもので、ギリシャの核心、アテネ、コリント、テサロニキなどの聖パウロが活躍した所に案内されたのです。皆様と7日間の時を御一緒に過ごすことが出来て、大変嬉しく思いました。以前の巡礼の参加者とふたたび対面した時には感動し、皆様を懐かしく思いました。また新しい方々との出会い、ドイツから来られた日本人の兄弟姉妹と知り合うことが出来、自己紹介を通して互いにお近づきになれたことも、この巡礼の一つの実りでした。

船室に入ると日本人の先輩、川村神父様が見えて、嬉しく思いました。7日間、お互いに仲良く過ごした事もお恵みでした。御一緒に数回、日本の兄弟姉妹と共に日本語でのごミサに与かることで、僕と日本全国から来た信者の皆様との絆も新たにされ、深められて行きました。また御一緒に食事したり、プールの中で生後9ヶ月のアイリちゃんと遊んだり、また色々な対話によって、私達はしだいに、イエス様が望まれる全人類の一致に確かに近付いたと確信出来ます。さらに、同じ船の中におよそ800人の巡礼者と共に生活する事で、やはり一致のイメージが目の前に浮んだような感じがしたと思います。55ヶ国からそれぞれを代表してきたような集まりでした。皆がお互いに優しい心で触れ合うのを味わいながら「ああ、この「神のうちの真のいのち」のような集いは真の一致の種ではないか」と考えました。全人類がこのようになったら何と素晴らしいことでしょう。

毎日は霊的な活動で一杯でした。バスの中での普通のロザリオ、憐れみの時間の時「憐れみのロザリオ」、4日間ご聖体顕示をして、昼も夜もいつでも沢山の巡礼者が礼拝をしました。またほとんど毎晩のヒーリングサービス(癒しの祈り)、そして見学した所々でのお祈りもありました。忘れる事が出来ないのは、星空の下、満月の下、真夜中過ぎの皆様の赦しの秘蹟でした。日本人、黒人、白人の巡礼者が赦しの秘蹟を行っているのを見て、私は深く感動しました。やはり私達は皆神の家族なのだと理解しました。しかし最も重要なことは、毎日のごミサと、ミサ後にヴァスーラとの話し合い、一致の為にどうすればよいかという討論でした。そして一致に至る為の最初の条件として、カトリックと正教が復活祭を同じ日付に定める事です。来年と再来年は偶然、両者の間で同じ日付になるという事実は大きな希望を与えます。最後の夕べ、司教たちはその一致の為に、復活祭の日取りをこれからずっと同じ日付に定めるようにという願いにサインしたことは、一致の為にまたもう一歩前進となりました。

私達の船は、私達が寝ていても目覚めていても、夜のうちに目的と定められた港にいつも無事に着きました。イエス様は聖ペトロの船に乗りました、そして決してその船から下りませんでした。聖ペトロの船は必ず、間違いなく、真の一致、三位一体と、そして緒聖人のお互いの愛の絆で結び合う一致のうちに航行しています。イエス様は説教する為にしばしば聖ペトロの船に乗って、船から説教しました。私達の船にもイエス様はおいでになったので、この一週間の巡礼は一致への大きなジャンプとなったような感じがします。「種を蒔く人が夜昼寝起きしている内に、種は芽を出し成長する」。自分の力で。それと同じように、一致の時は必ず訪れるのです。

その為には、ヴァスーラの「神のうちの真のいのち」のメッセージを読み、メッセージに生きるならば、それで十分でしょう。敬愛するヴァスーラ様、疲れを知らずにメッセージをお書きになったあなたの右の手に、感謝の印として接吻をさせてください。

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ブロツワフ、ポーランド
2009年9月26日


「神のうちの真のいのち」巡礼に参加させていただいて

深町 香

私達ドイツ在住の信者7名がギリシャに到着したのは、9月3日の13時半でした。飛行場では若い女性がTLIG(神のうちの真のいのち)と書かれた紙を高く上げて待っていてくださいました。それはよく飛行場で目にする出迎えの光景でした。案内された窓口で一人一人の参加証明入りの入れ物をもらうのでしたが、私達7名の名前は日本人グループの中にもドイツ人グループの中にも見つからず、時間がかかりましたが、なんにも心配ありませんでした。とにかくゆっくりゆっくりとすべてを託した巡礼の旅がこうしてはじまったのでした。

20091223_804315バスで港に運ばれましたが、港に豪華客船の姿はありません。それでも岸壁にカバンを降ろし、あとは指示があるまで時間をすごすように、という事でした。私達7名のカバンのうち名札がついていないものが3個ありました。ですが、全く間違いなく、3個とも持ち主の名前と部屋番号がつけられていたのにはもうびっくり。すでに聖霊が働いてくださっているのだと、それぞれ同じ思いを口にしました。与えられた船室の前に、あの山のようにあったカバンの中から、間違えなく持ち主のカバンが運ばれて置かれたのでした。船がホテルですから、旅行カバンをあけたり閉めたりすることなく目的地へ運んでもらうので、移動する旅にはつきものの荷造りとの格闘は全くありません。どんなに多くの天使が羽ばたいて下さったことでしょう。

聖パウロの宣教の旅だけを辿るのではなく、ギリシャ正教の教会や修道院に案内していただいて、私は感激でした。聖山アトスの入山は女人禁制との事ですから、ギリシャ正教、ロシア正教の修道院を訪ねる事は出来ないと思っていましたから…。訪問時間が短かったのが残念でしたが…。素晴らしいイコンや、壁にかかれたフレスコ画に目を奪われました。

聖ヨハネが幻視をいただき、黙示録を書かれたというパトモス島では、洞穴に下りました。狭い洞穴は人で一杯ですからどうしてもザワザワしています。人がいないとどんなに良いだろうと思いました。きっと他の人たちもそのように思われたことでしょう。翌日、洞穴の上の広場でギリシャ正教の奉神礼に預かる事が出来たのも大事なお恵みです。それは私にとって初めてのオーソドックスの奉神礼でした。十字のきりかた、拝領の時に両手を胸の前でどのように交差させるかなど、事前にレクチャーされました。映像で見たことはありましたが、自分がその作法をするとは、思いもしませんでした。神妙に従って預かっていた仲間の顔が思い出されます。

夜は船のホールでオートドックスの奉神礼やカトリックの典礼がありましたから 毎日与かることが出来ました。家では、車で出掛けないと与かれませんから、これまた大変なお恵みでした。船室を出てちょっと階段を上ったらよいのですから。

ミーティングでは司教様たち、司祭様たちのお話がありました。言葉がよくわかりませんので、難しいことはわかりません。ですが、そのあとのヴァスーラさんの短いコメントがズシーンと心に落ちました。主の一致の願いの下に多くの人達が世界中から集まったという現実を目の前にして、ヴァスーラさん始め、力強い協力者達の御苦労がいかほどであるかが心痛いくらいに良くわかりました。皆さん方がそれぞれの役目をよろこんで担っていらっしゃる事が、素晴らしかったです。

ヨハネの黙示録、使徒言行録を読みなおしました。何故か涙が出てきます。訪ねた一つ一つの遺跡や教会、ホールに一堂に会した多くの聖職者や参加者達への感謝と思い出からでしょうか。

私達の「神のうちの真のいのち」の祈りの集いは、たった4名ですが、何か新しい息吹を感じます。目に見えたもの見えなかったものから、頂いた多くの宝物は、これから私達の中で膨らんでいきますよう。神に感謝、主に賛美!

日本から参加された方達、皆さんに、この場をお借りして心からの感謝を申しあげます。


旅する教会

菅原 悟

第7回目となった今回の「神のうちの真のいのち」エキュメニカル巡礼は、聖パウロが伝道旅行に出たエーゲ海を航海し、使徒言行録や使徒書簡で知られるギリシャ各地を訪れる船の旅となりました。

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<人々>

今回は57ヶ国から総勢800名以上の人々が参加しました。

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そのうち108名が各教派からの聖職者、そのうちの15名が司教(大司教、正教の主教を含む)、1人が枢機卿でした。

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前回のトルコ巡礼では約500名でしたので、聖霊の呼びかけに応える人々がますます増えてきていることを実感します。参加した教派はカトリック(東方典礼カトリック諸派を含む)、ギリシャ正教、ロシア正教、アルメニア正教、シリア正教、エチオピア正教、コプト正教、復古カトリック教会、聖公会、ルター派、福音派など合わせて16教派。仏教徒やヒンドゥー教徒もいました。日本からの参加者は22名、ドイツ在住の日本人の方が7名、ポーランドからのユリアン神父を合わせて、日本人のグループは29名となりました。

<巡礼の目的>

「エイジアン・パール(エーゲ海の真珠)」と名付けられた贅沢な遊覧船、エーゲ海とその上に浮かぶ島々の美しい景色、素晴らしい気候に迎えられ、私たちは日常から退避(Retreat)して霊的な活力を得ました。とはいえ、この旅はバカンス旅行でも、観光としての聖地巡りでもありません。この旅は私たち全教会に与えられた最も重要な使命、一致を成し遂げるための大切な仕事の一つなのです。私たちは二年に一度こうした巡礼の機会を持ちますが、それにはいくつかの理由があります。

第一には、神がそれをお望みになったからです。この巡礼は神が次のように仰ったことから始まります:
「あなたの労苦で実らせたものは 我が心を感動させた。あなたは進んで仕えてくれた そしてこのような尊い捧げ物は必ずや 我が心を感動させる。 そこで私のからだに引きこもる 巡礼を贈りたい…来なさい、私のからだのうちで憩うがよい。私のうちに自らを忘れ こうして私の足もとからはじめ 我がすべてをもってあなたの必要を満たしなさい。 私とあなただけとなって、私を望むなら皆近づいて 自らを満たすように。 この黙想会と巡礼を 我がからだの庭園の中で与える。」(97年1月27日、同26日も参照)。

第二に、私たちは世界に一致と和解を宣べ伝えるために呼ばれています。一致と和解の喜びがどんなものか、見たことも味わったこともないのに、それを喜びを持って人に伝えることはできません。この旅は、世界が本当に一つになれること、教会が一つであるということを実際に体験できる、ほとんど唯一の機会です。それは、すぐに来るであろう教会の一致の前祝いでもあります。世界中のあらゆる教派からあらゆる祭服の聖職者が集い、一斉に一つの祭壇を囲むのを目撃し、参加する全ての人々の間にも分け隔てはありません。

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パトモス島の黙示録の洞窟横の野外会場で行われたギリシャ正教の奉神礼(金口イオアンの聖体礼儀。司式はギリシャ正教司祭、主教による)全ての教派の聖職者が一つの祭壇を囲む

ここでは「心の中の一致」はすでに成し遂げられています。しかし、神が求められるこの一致は、世界ではまだ成し遂げられていないのを私達は知っています。ですから私たちは自分の国に帰って一致を証言するために、本来あるべき教会の姿とはどういうものだったかを証言するために、その喜びを体験する必要があるのです。

第三に、参加者の中には、新しい人々とともに、普段「神のうちの真のいのち」のために働いている人々が多くいます。この人々は神無き時代の暗闇の中に、追放された身として働いているわけですから、ときおり世界中の仲間と再会して、顔を合わせて励ましあう機会が必要です。Eメールのやりとりだけでは不足なのです。私たちは食卓をともにし、一緒に祈り、歌い、分かちあってともに憩い、慰めの時を得て、ふたたび遠く離れた世界中のそれぞれの場所へと散らばっていくのです。そしてまた再会できることも知っています。なぜなら、私達は皆、もう一つの家族 – 唯一の教会 – という共同体に属しているからです。

<訪問先>

今回の主な訪問地は次の通りです。

有名なパルテノン神殿など、古代ギリシャ美術を代表する建築物があるアテネ市内のアクロポリス。隣接するアレオパゴスの丘は、聖パウロが、多くの偶像を持つギリシャ人に「あなたがたが知らずに拝んでいるものを知らせましょう」(使徒書簡17:22)と語ったところです。またここは2001年にヨハネ・パウロ二世がローマ教皇として千年ぶりにギリシャを訪れた際に、当時のギリシャ正教のクリストドロス大主教とともに訪れた場所でもあります。

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コリントの教会があった古代コリント。

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聖ヨハネが黙示録の啓示を受けたパトモス島。洞窟内は撮影不可のため、写真は洞窟入口のものです。

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三人の殉教者と大天使聖ミカエルの奇跡(マンタマドスの大天使ミカエル)で有名なレスボス島。写真は、海賊に襲撃されて殺された修道者たちの血の染みた土で造られた大天使聖ミカエルのイコン。このイコンに由来する奇跡が伝えられています。

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フィリピの遺跡。

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ギリシャ第二の都市テサロニケ、写真は殉教者ディミトリオスの教会。

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高い断崖絶壁の岩の上に建てられた修道院があるメテオラ。

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<ヴァスーラの話>

ヴァスーラは前回のトルコ巡礼で、言うべきことをすべて言い切ったような決定的なスピーチをしたせいか、今回はほとんどスピーチをしませんでしたが、ある時少し話をしました。それは87年9月27日のメッセージですでに知られているエピソードですが、本人の口から生き生きと語られるとまた新鮮な感動がありました。文面でどれだけ伝えられるかわかりませんが、私が覚えている範囲でその内容を記しておきます。

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「メッセージの新しい翻訳が出版されます。エチオピア語版と、中国語版の新刊です(手にその二冊をもって見せる)。これでもう一ヶ国語増えたことになります。メッセージは文字通り世界の隅々まで届こうとしています。じつは私はあるとき、もうやめようと思ったことがあります。私にはもうできない、と思いました。なぜかと言うと、神は私に「世界に出て行ってこれを伝えなさい」とか「私のメッセージは世界の果てまで知られるようになる」などと書き取らせておられましたが、その当時、世界はおろか、私の周りの数人がメッセージのことを知っているだけで、お言葉とはほど遠い状態でした。ですから、神のその言葉は私にとって重い重圧だったのです。私はこの使命のためにテニスも棄てましたし、絵を描くことも棄てました。窓の外を見ると良い天気、青空にお日様が照らしているというのに、私は一日中部屋の中でメッセージを書き取る毎日です。自分はいったいここで何をしているんだろうと思いました。そこで私は神に言いました。『主よ、あなたは私を獲得されました。私はあなたを愛していますし、これからも愛し続けます。ですから、ここから先は私無しでお続けください。私にはもう続ける力がありません。』

するとその夜、私の夢に一人の聖人が現れ、高いところからこちらに向かってこうやって(ここでヴァスーラは両手をすくい上げるように大きく振り上げる)、大声で何か叫んでいました。イタリア語だったので何を言っているかはわかりませんでした(場内は笑いに包まれる)が、彼が「こっちへ登ってきなさい!」と叫んでいることはわかりました。それは聖パードレ・ピオでした。彼のそばには聖フランシスコがいました。そして私の足下から聖人たちのところまで、梯子がかかっているのが見えました。私はまだその梯子の一段目に足をかけてもいなかったのです。そしてその後、イエスが現れました。イエスは胸をこうやってバッと開き、その聖心をお見せになりました。聖心は傷ついていて血を流していました。そしておっしゃいます。『ヴァスーラ、私を見捨てるのか?』私は観念しました。『いいえ、ごめんなさい、イエス様。私の弱さをお許しください。』」

<永久礼拝>

船の一番上の船室では24時間聖体顕示が行われ、4日間の永久礼拝が行われました。巡礼者はいつでもこの部屋に行っていつでも祈ることができました。船は波が高い日になると大きく左右に揺れます。揺れる船上の船室が聖堂となり、静寂の祈りが続けられる様子は、まさに旅する教会の姿を象徴していました。

<歴史的な瞬間>

毎日の夕食前のミーティングでは、いろいろな話し合いがありました。前述のようにヴァスーラは自分はあまり話さず、各宗派の聖職者の方々に一致について積極的に話をしてもらうように促し、ホスト役に徹していました。パトモス島を管轄する地元教区のギリシャ正教の主教が「希望の船」と呼び、ある司祭が「ノアの箱船」と呼んだこの船の中では、神が求めておられる「心の中での一致」はすでに達成されていました。ヴァスーラはとくに各教派の神学者や司教方に、せっかく世界中からこれだけの人々が共に集まっているのだから、世界がこの一致を達成するための解決策を見いだすために討論をと呼びかけました。ある司祭は一致に向かう行程表(ロードマップ)を示し、私達が現在どの地点にいるのかを明確にするべきだと提案し、それには皆が同意しているようでした。さまざまな意見が交わされましたが、その先の具体的な案を見いだすには至りません。原則ではすでに皆が合意しており、心の一致もありましたが、知られている通り、教会の一致は、複雑に絡み合った問題 – 二〇〇〇年の間に人間が高く積みあげてきた壁 – を含んでいるために、そう簡単な話ではありません。最終日が近づくにつれて、皆のうちに少し焦りのようなものが感じられました。皆が繰り返して一致を声高に訴えますが、具体的な成果を見いだせないかに思えたからです。ヴァスーラは言います。「ここで何の成果も挙げられないのは、残念なことです」。

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最終日の夕方、この話し合いはいよいよ大詰めを迎えました。聖職者達の話はますます熱を帯びてきました。そこである司祭が言いました。「少なくとも、私たちは皆、次のことを知っています。神は復活祭の日取りを一致させることを求めておられ、人間がそれさえ成し遂げれば、後のことはご自身がなされると仰っていることです。今ここには、さまざまな国からのさまざまな教派の司教様方がおられます。彼らに、復活祭を同じ日取りで祝うことに同意する、と連名で署名していただき、それをヴァチカンやコンスタンチノープルなど、教会一致の会議や各教派のしかるべき部署に送るのです*。」これは良いアイデアだと皆が興奮したようでした。ヴァスーラも言いました。「もしそれができたら、それは(教会の一致への)大型爆弾の投下となるでしょう」。しかし、責任ある立場の人々にいわば急作りの「条約」を結ばせるような話ですから、慎重な意見も出てきました。すると、何人もの司祭が壇上に上がり「説得」を始めたのです。皆が熱を帯びて話し始めました。何人もの司祭たちが、神が望まれている一致のために、具体的な一歩を踏み出すべきだと言う趣旨で強烈なアピールをしました。彼らのあまりの熱心さにヴァスーラは頭を抱え、こう言いました。「一致に対する皆の熱心さに感謝します。しかし、司教様方に強要すべきではありません、彼らには選択の自由があるのです」。何人かの司祭が続けます。「慎重な方がいたとしても、今は誰かを悪者にして裁く時ではありません。」「神の民は本当は分裂してはいません。分裂しているのは、諸教会の頭(かしら)たちなのです!」「あまり難しく考えすぎず、今回の旅の記念碑的なものとして、後ろに見えるあの旗に、司教様方、そして今日ここに集う全員が署名をすれば良いのではないでしょうか」。そして最後にダメ押しがありました。ある司祭が言います。「これから神の御言葉を朗読します、皆さん、お立ち下さい!」司教方を含め、全員が起立します。そして読まれたのは、これまでも何度も何度も繰り返されてきた一節、ヨハネ福音書17章のイエスの祈りです。

「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります…」

これを聞いた司教方全員が祭壇に上がり、旗に署名をし始めました。これは最後の最後に神が用意されていた大きな祝福の瞬間でした。そこにいた全員の喜びは爆発し、ハレルヤの大合唱がいつまでも繰り返されました。そこにいた全員が、この旗に署名をしました。こうして、私たちは歴史的な瞬間に立ち会ったのです。

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この出来事を目撃して私が感じたのは、この船を「ノアの箱船」と呼ぶのは、誇張ではなかったということでした。この船には、文字通り世界中のあらゆる種類の人々が乗っていました。専門性を極めた各派の神学者**、説得力とカリスマ性に富んだ尊敬すべき高位聖職者から、知識も権威もない貧しい信徒たちまで、あらゆる階層の人々です。しかし全員が、聖霊の呼びかけに応え、一致への祈りをともにしています。教会の一致は本当に「神のうちの真のいのち」の御業を通して、この船に乗っている人々を通して成し遂げられるのです。そう遠くないうちに、それが現実に起こるのだという実感を得るのに十分でした。

*これは「神のうちの真のいのち」のメッセージから派生した、復活祭の日取りの一致のために署名を呼びかけるウェブサイト「ワンデイト・ドットオーグ」www.onedate.org と同じアイデアです。メッセージをあまり知らない方のために補足しますと、復活祭の日取りは暦の計算法の違いのため、西方教会と東方教会で違っており、ときには5週間もずれてしまいます。神はこのことで大変な苦しみを受けていると言われ、この暦を一つにすることを全教会に求めておられます。

**90歳を越えてなお闊達なルネ・ローランタン神父や、ロシア正教の著名な神学者ヴラディミール・ズィリンスキー氏といった方々。

この夕方のミーティングの時間帯に、ヴァスーラはこの巡礼のために特別に与えられたメッセージを読み上げました。それは次のようなものです。

「私はこの偉大な作品を著しただけではなく、私の教会を美しく飾るためにあなた方を導いている。私はこの日々、あなた方が私の神的な愛のうちに進歩するように、あなた方の精神と心、その存在全体を私自身で満たしたいと望んでいる。あなた方が私の名の下に苦しんできたすべての痛みと、私のために忍んでいるすべてのことについては、私の父があなた方のすべての怠慢を見過ごし、私があなた方の足りないところを補う。その高貴な愛の行いのためにあなた方を祝福する。一致したまま、一致の完全なイコン(象り)となりなさい。(神は次のことを仰いながら微笑まれました)そして…あなた方も知っているとおり、私の力は弱さのうちに最も大きな力を発揮する。私が与えたすべてのものに対して喜び祝い、微笑みが増すように! 暗闇のうちに輝き、私の聖心から炎を引き出し続けなさい。私の十字架を熱愛しなさい、そうするならあなた方の炎が消え失せることはない。私の父の完全な象りとなりなさい。私の慈悲は大きく、あなた方皆の上にある。私の名の下に一つでありなさい。」(09年8月27日)

この旅で大きな励ましを受けた私たちは、これからも神の御業を力強く証し続け、一致を証言するために決意を新たにして帰ってきました。次回の巡礼は2011年、行き先はローマとアナウンスされています。二年後に何が起きるのか想像もつきませんが、参加者は1000人を越えるかもしれません。2010年と2011年、西方と東方で復活祭の日取りが二年連続で同じ日になりますが、2012年にはふたたび5週間離れてしまいます。この時期は一つの試金石となるかもしれない、と聞きました。次回を楽しみにしつつ、それぞれの場所で与えられた使命を果たせるよう、努力していこうとの思いを強くしました。

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