第6回「神のうちの真のいのち」トルコ巡礼レポート

2007年5月19日〜29日

〜聖パウロと聖ヨハネの足跡をたどって – 黙示録の七つの教会 – 黙示録の聖なる洞窟〜

 耳ある者は、”霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。(黙示録2・7)

ユリアン・スタニスワフ・ロジツキ神父(ドミニコ会)

pilgrimage20071この叫び声は10日間の巡礼の間、約500名の参加者の心に響くひとつのメロディーとなりました。私達は黙示録の七つの教会に足を踏み入れましたが、その教会は一つ残らず、ただ廃墟ばかり。57カ国から18の宗派を代表する巡礼団として、各教会の地で黙示録のメッセージを黙想しながら、信望愛の絆によって初代教会との一致を新たにしました。聖パウロ、聖ヨハネが創立された教会の跡地に立ち、“使徒たちはここで説教したり、祈ったりして、同じ山の風景、同じ空気を吸ったのだ”と、私達はそこで起こった歴史的事実を肌で感じたようでした。どうして七つの教会は廃墟になってしまったのでしょう、とスミルナでの最後の御ミサの説教者は叫びました。『私達は沢山の廃墟を見ました。なぜ廃墟にされたのでしょうか。耳があっても、十分に聖霊の声を聞いて従わなかったからです。』

エキュメニカルな巡礼ということでしたが、一致は出発点として参加者の各自の心だと思います。イスタンブールの空港で乗換えの飛行機を長時間待っている間、バングラデシュからの参加者に私は話しかけ、フライドポテトを一緒に食べながら私達は友達となりました。とくに、二年前の巡礼にも参加したマズラフル・イマーム(※注:イマームはイスラム教の導師)は、当時一緒にとった写真を見せてくれ、私達はお互いに嬉しくなって、兄弟としての厚い抱擁の挨拶を交わしました。ダッカの仏教のお坊さん、そして他の3人のメンバーとも自己紹介し知り合いとなりました。私達は仏教、イスラム教、キリスト教からの参加者でしたが、このような個人的な関係から、一致のための小さな一歩、しかし確実な一歩を踏み出せたのです。日本の巡礼団には巡礼者全員の中で一番可愛いメンバーがいました─1歳4ヶ月の万梨亜(まりあ)ちゃんです。この娘だけでは足りないとばかり、お父さんは結構重量のあるキーボードも持ってきました。そのお陰で、10日間の典礼の際、ほとんど全ての場所でオルガンの伴奏が響いて、落ち着きと荘厳さが加わりました。またさらに小さなギターも持ってきたので、バスの中で歌の為にギターの伴奏もありました。ギターの持ち主は非常にパワフルな『神のうちのまこと のいのち』から作曲した歌をバスで歌ってくれました。前の巡礼で知り合った日本人は4人だけでしたが、他の人たちとも直ぐに親しくなりました。ホテルの受付で日本人たちを見た時、私の心はワクワクしました。未信者の方も一人いらっしゃいました。

pilgrimage20072オープニング・ミサ(最初の御ミサ)は主のご昇天の祝日に当たり、ネヴシェヒル市の文化センターで行われました。ヴァスーラは二つの枯れ枝で作った十字架を手に持ち、100人以上の聖職者を先導して司祭団の入場行列を舞台上の祭壇まで導きます。これが毎日の典礼での恒例となりました。この十字架を手に持っての先導は素晴らしいシンボルとなりました。やはりヴァスーラは私達を集め、主キリストのうちに一致に導くと言う役割を担っているのだという、明らかなしるしです。インドの大司教の司式でしたが、すばらしい巡礼の開催をしてくださいました。祭壇を囲んでいる司教様たちの側になぜか私は立っていました。そしてご聖体を配る為に私はカリスを持ち、大司教様の側に居ました。ヴァスーラはご聖体を頂き、少し離れて司教様の左の方で祈っていました。聖体拝領の行列はなかなか終わらず、もうホスチアが足りないだろうと思った時、ある司祭が前日の御ミサのホスチアを持ってきてくれたので、それで助かりました。御ミサの終わりに、各司祭は自己紹介し、それは皆に大きな喜びをもたらすものでした。アトス半島(※注)からも一人の修道士がいたことは大きなニュースでした。
(注:アトスとは、ギリシアの北部、第二の都市テッサロニキから東部へ突き出しているハルキディキ半島の先に、エーゲ海に3本の半島が突き出ている、その一番北に位置している半島。「聖山の修道院による自治国家」として知られ、東方正教会の修道院によって自治が行われる宗教共和国となっている。ここは千年以上も「女人禁制」の男子修道院(20の大修道院と数多くのケリからなる)があり、今でも2000人以上の修道士たちが修行に励んでいる。ビザンチン時代の祈りを守り、生神女マリアをアトスの守護者として神への奉仕、隣人への祈りを実践している。)

典礼は巡礼の中心でしたが、だいたいカトリック、正教、聖公会の順番によって行われました。主にホテルの集会場が典礼の場所として使われましたが、正教の奉神礼の為には非常に難しい環境ですが、カトリックの典礼には一番適応しやすいものでした。そして一番短いカトリックの御ミサで、と書きたかったのですが、この時の説教は45分間でしたから長くなってしまいましたが、5月24日の御ミサでは私にとって大変嬉しい事が起こりました。つまり主イエスの一致の為の祈りを、福音朗読箇所として、日本語で読む事が出来たことです。これは幸せなことでした。巡礼全体でたった一度きりのその箇所を日本語で読めたことには、深い意味があると思います。

pilgrimage20073日々いろいろな印象深い出来事がありましたが、特に心に残るのは、聖ヨハネの墓前で“神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。”(1ヨハネ4:16)という一節を日本語で読む事が出来たことで、これには大変深く感動しました。バスでの移動や、また船でのパトモス島への移動の時間は長いものでしたが、決して辛い思い出にはなりませんでした。ロザリオの祈りや色々な祈り、ガイドさんの説明もありました。私達のバスの中では皆自己紹介しましたので、お互いの深い絆が生じました。私達は「バス、ナンバー5!」に乗っていましたが、これは最も重要なバスでした。インドの枢機卿、2人の大司教、一人の司教、そして2人の神父が乗っていたからです。しかし最も立派な参加者は、枢機卿ではなく1歳4ヶ月の万梨亜ちゃんでした。バスの中で一番静かで一度も泣き声を聞かせなかったのです。最後まで無事によく頑張りましたが、どれほどの大きな犠牲であったか、神様しかご存じないでしょう。日本のチームはどこでもすぐ、とてもよく歌いましたから、バス中での歌や、船に乗っていた時の合唱団みたいな歌の響きが特に心に残っています。

最後に、私は日本の巡礼団のお陰で参加することが出来ました。感謝の言葉としては不足ですが、ご招待を深く感謝しております。毎日でも良いと思って日本語の御ミサの為に準備しておきましたが、一度だけ出来ました。最後の晩餐をイエス様は一度だけ行われましたが、それと同じように、日本へ帰国する日、ホテルの私の部屋で、オーストラリアの司祭と一緒に日本語で御ミサが出来、全ての恵みを深く感謝しながら、帰国の旅の為にご無事を祈りました。日本人の巡礼団は人数としてはとても小さいグループでしたが、500名の巡礼団全体のために重要な貢献をし、非常に役に立ちました。私も古いメンバーとの友情の絆を深め、また新しいメンバーと絆を結び合う事が出来て大変嬉しく思っています。いつかどこかで、必ずまた会いましょう。そのときまで、この巡礼の沢山のエピゾードを思い出しながら、皆さんのお名前とお顔を思い出しつつ、心で対話を続けております。私達はいつも『神の愛』にとどまっているからです。pilgrimage20074

ユリアン兄弟

ブロロツワフ市
2007年6月11日


感謝のうちに 2007年「神のうちのまこと のいのち」トルコ・パトモス巡礼レポート

城市 ひとみ

★:巡礼先は、トルコ、パトモス島(ギリシャ)でした。今回の巡礼ツアーは、世界57ケ国から、あらゆる背景(仏教、イスラム教を含め、18宗派)を持つ 500人以上が集まりました。聖職者は100人を超えていました。移動は12台のバスに分乗して、カッパドキアを始め、黙示録の七つの教会跡やマリア様の家を訪ねました。

pilgrimage20075★:巡礼中は毎日、カトリックのミサと聖公会の礼拝、正教の聖体礼儀が交互にありました。司祭入堂は、荘厳な曲で始まります。司祭団の先頭を歩くのは、いつもヴァスーラです。彼女は、木の枝をブルーのリボンで結び合わせただけの、簡単な【十字架】を持っています。彼女の後を、何十人もの聖職者が二列で続きます。

初日の主日ミサでは、聖職者お一人お一人の自己紹介がありました。バングラデシュからは、見るからにイスラム教・仏教とわかる聖職者が自己紹介をされました。会場からは、国と言語・宗派を越えて、すべての聖職者に温かい歓迎の拍手が送られました。ルネ・ローランタン神父様が立たれた時は、もうそれだけで、会場の拍手は鳴り止むことを知りませんでした※。ヴァスーラを娘のように愛し続けて来られたというこの方への拍手は、そのまま主ご自身へ捧げられているようでした。
(※注:ローランタン神父は今年90歳になられる最年長の参加者です。ほとんど目がお見えにならない状態で、それでもこの巡礼に来られたことに皆感銘を受けていました。)

pilgrimage20076★:パトモス島では、聖ヨハネが黙示録を書いた洞窟に行きました。私はギリシャ正教の教会は初めてでした。教会内の壁面を埋め尽くすほどに飾られている【イコン(聖画)】は、とても美しく、日本人の私は、【寺院】のような印象を受けました。私は、【絶えざる御助けの聖母】のイコンを忘れることが出来ません。そのイコンからは、主の臨在と強烈な油注ぎのようなものが感じられ、暫くの間、離れることが出来なかったからです。

★:さて、日本からは14人の参加でした。私たちのバスは、インド、バングラデシュ、オーストラリア、ニュージーランド他‥からの参加者が集められました。ポーランド人のユリアン神父様が日本人の私達の【代表】であり、【通訳】兼【霊的指導者】でした。ドミニコ会のユリアン神父様は、28年間日本で司牧されたそうです。今はポーランドにお帰りになっておられるそうですが、バスの中では、【荒城の月】や【ふるさと】を日本語で歌って下さいました。そんなユリアン神父様は、バス仲間の【人気者】でした。歌もさることながら、マイクを持ったらガイドさん顔負けの名調子で、文化も言葉も違う私達の心を【一つ】にして下さいました。うっかり英語を英語に翻訳(?)なさる場面もありました。そんな時は、他の国の方達が、「ジャパニーズ!」(日本語で通訳してあげて!)と、笑って叫びます。すると、たちまちバスの中には、大爆笑が起きます。

pilgrimage20077ところで、私達のバスは【5番】。バス5番の仲間たちは皆、名札をピンクのリボンで首から下げています。【ピンクのリボン】が、人間と荷物を他のグループから区別し、混乱を防ぎます。「バス NO.5!!」(早く私のあとにつて来なさい・早く私の所に集まりなさい)私達は、トルコ人のチャーミングなガイドさんに、しばしばこう叫ばれながら、巡礼と観光を続けました。日を重ねる毎に、私達はお互いの顔を見分け、次第に親しくなっていきました。

pilgrimage20078★:聖霊降臨の主日は、パトモス島で野外での聖体礼儀に与りました。正教の司祭のメッセージはシンプルでしたが堂々としていて感動しました。ヴァスーラを通してイエス様が語っておられる中心メッセージの一つは【教会の一致】です。私は、カトリックの方達に感謝します。今年の4月にカトリックに転会した私は、20年間プロテスタントでした。神様が、カトリックの方達との出会いを与えてくださったおかげで、【聖母マリア様】を知り、【神のうちのまこと のいのち】のメッセージに出会うことができました。

しかも、私を導いて下さった方達は皆さん【謙遜】な方達ばかりでした。プロテスタントの私を否定したり非難することなく、かえって、熱心さを褒めてくださいました。マリア様や御聖体、カトリックの教義については、質問すれば、どんなことでも答えてくださいましたが、決して押し付けようとはされませんでした。【謙遜】この言葉が、私の心に深く刻まれています。

ヴァスーラを先頭に入堂される司祭お一人お一人のお姿からも、その事を教えられました。

†主の平和
マリア・城市ひとみ


祝福された旅を終えて

菅原 悟

pilgrimage20079「廃墟(ruin)、廃墟、はたまた廃墟……」とは、2004年に来日講演をしてくれたカタリーナが巡礼中に思わず言った言葉。ruinは「遺跡」と体よく訳すのが本筋でしょうが、彼女の言葉のニュアンスに私が感じたことを重ね合わせると、廃墟と言った方がよく伝わります。「黙示録の七つの教会」を訪ねる巡礼とは、かつて栄光のうちに栄えた教会共同体を訪ね歩き、瓦礫の中に想いを馳せる旅でもありました。日本からは子供を含めて14名の参加。どのような想いを持ち帰って帰国したか、神父様と初めて参加された方の感想をまずはご紹介しました。

一行は二つの対照的な色合いの物語を黙想することになります。まず茶色の岩盤が面々と続く厳しい自然相のカッパドキアで、初期キリスト者たちの「苦難と迫害」の物語を味わう。そして地震で崩れ去ったかつて栄華を極めた教会共同体の遺跡の数々を訪ねます。つまり、黙示録の7つの教会と、かつて東方の総本山として君臨しながら占領され、単なる遺跡や博物館と化した、教会の残骸たちです。すべての地でわたしたちは祈り、歌い、当時のキリスト者たちと心を一つにしました。

pilgrimage200710一方、最も祝された地、聖母マリアと使徒ヨハネが住んだとされる家は、建物も綺麗に修復され、日差しは柔らかく草木は茂り鳥は鳴き、蝶や何かふわふわした白いものが空中に飛び交うといった天国的な有様。パトモス島も祝されたとても美しいところでした。これらの訪問地の景観のあまりのコントラストに、何かの意味を感じとったのは私だけでは無かったようです。つまり、聖霊の呼びかけに耳を傾けなかった共同体の行く末と、最後まで神様の御旨を行い続けた共同体との対照です。スペインからの司祭がミサ中に同様のことを説教されていました。

めまぐるしく移動する毎日のハードなスケジュールに、巡礼というのは目的地に向かって巡礼者たちが苦労して「移動しつつ目的地を訪ねる」ところが肝心なんだなと、私はひとりで納得していました。それでも先人達の巡礼に比べれば天国のようなものかもしれません。旅の良し悪しは、楽ちんだったかどうかということより、そこで人々とどんな交わりがあったかということで決まるのではないでしょうか。そうだとすると、この巡礼は皆にとってとても幸福な旅だったと言えるでしょう。

世界中からの家族との出会いと交流、枢機卿や大司教、他宗派の聖職者、果ては他宗教の聖職者といった人々と、バスの中で家族のように交わる日々は、家族としての教会共同体のうちにある本当の平和を味合わせてくれるので、その後の信仰生活に大きな変化をもたらすに違いありません。とくに初めて参加する人にとっては、この巡礼は教会全体に対する世界観が変わってしまったり、典礼で大きな感動を味わう聖霊の体験だったりと、お恵みも特別だったようです。ミサやスピーチがひとつ終わる度に、毎度のように拍手喝采が起きる巡礼も珍しいのではないでしょうか。それは、皆が心から<本当の一致>を求めているからです。

教会が重大な局面を迎えつつあることを誰もが感じ始めているこの時期、その真の行く末と、神の御旨が一致であることを伝えるメッセージの恵みを受けている私たちが、多数ではなくとも、その先駆けを担う大切な努めを果たすために、瓦礫ではなく祝福されたエデンの園のような共同体で在り続けることができますよう。そして日常の努めからすこしばかり退避して、もう一つの大きな家族と過ごしたこの旅の思い出が良い励ましとなりますように。

2007年6月10日
東京にて