ペル・リデンさんの経歴の和訳

2021年7月27日 お知らせ

先日の追悼ミサで、トッポ大司教がペル・リデンさんの経歴をお話されていましたが、内容を知りたいという要望がありましたので和訳しました。


親愛なる兄弟姉妹の皆さん、私たちはこの追悼ミサを、ペル・アクセル・リデンさんの霊魂の安息のために捧げます。ペルさんは1945年1月21日、スウェーデンのエーレブルー市に生まれました。ご両親はシグルド・リデンとメリー・リデン夫妻で、6人兄弟の5番目でした。ペルさんはルター派教会で洗礼と堅信(訳注:ルター派には堅信礼がある)を受けました。

学校を卒業後、騎馬竜騎兵として1年間の兵役を務め、作物栽培学の修士号を取得するためにウプサラ市のスウェーデン農業科学大学で学びました。

ペルさんはウプサラ市のスウェーデン国際開発協力庁(SIDA)でキャリアをスタートさせ、1972年から1977年までストックホルムの本庁で働いた後、世界のさまざまな地域でのSIDAの長期開発計画の責任者を務め、1977年から81年まではモザンビーク、84年から87年まではバングラデシュに赴任しました。81年から83年までは、国連の食糧農業機関(FAO)の責任者としてレソトに赴任し、87年から98年までの11年間は、スイスで国際自然保護連合(IUCN)の組織開発部門の責任者を務め、98年から2004年まではイタリアのローマで、国連砂漠対防止会議(UNCCD)が設立した地球機構(グローバル・メカニズム GM)の本局で最初の責任者を務めました。2005年から2010年までは米国ワシントンDCの世界銀行で専門職を務め、引退後はギリシャのロードス島から、同銀行の顧問として働きました。

将来妻となるヴァスーラさんとはモザンビークで出会い、81年に結婚しました。ヴァスーラさんは1985年に神からの啓示を受けましたが、ペルさんは妻に与えられたカリスマを疑うことはなく、忠実な支援者として、「神のうちの真のいのち」の管理業務に関して助言を与え、職業上の経験を生かしました。リタイア後は「神のうちの真のいのち」にさらに関与するようになり、持っていた時間とタレント、専門性を自発的に捧げました。ペルさんは数カ国語を話し、2014年には財団法人「神のうちの真のいのち」の理事会の委員となり、代表と共に、「神のうちの真のいのち」の使命を定義し、メッセージを広め、宣伝するために、奉仕者たち全員がどのように共に働くべきかを説明する鍵となる文書を書き上げました。

素晴らしいスキルとマネージャーとしての資質の持ち主として生涯にわたって奉仕し、「神のうちの真のいのち」の働き人としては、出版部門、ベス・ミリアム、TLIGマガジン、インターネットのウェブ部門、映像部門の相談役でした。

リタイア後はヴァスーラと共にギリシャのロードス島に居を構えました。ヴァスーラには以前の結婚により二人の息子たち、ヨハンとファビアンがいますが、ペルさんはとくに次男のファビアンにとっては良き父親でした。

ペルさんは重篤なガンのため、短い闘病期間の後、2021年7月15日に亡くなられました。妻ヴァスーラ、ファビアンとヨハン、そしてスウェーデンのご家族が故人の死を悼んでおられます。

ペルさんはアイスホッケーや乗馬といった体力を要するスポーツや、自動車ラリーなどの趣味をお持ちでした。歴史に強い関心を持ち、スウェーデンと米国の歴史について博識で、特に18世紀のことをよく知っておられました。多くの国際開発計画の責任者として、ペルさんはいつも貧しく困窮する人々の側に立ち、多くの開発計画に参加した人々と共に、猛暑の中の畑や、新しく掘った井戸の中に留まりました。

ペルさんを知る人は、彼は真のキリスト者、謙遜で素晴らしい紳士だったと言います。皆に愛され、不在を惜しまれるペルさんの魂が、父と子と聖霊の御名において、平和のうちに休息しますように。

※Per Rydénさんのお名前で検索しますと、国連やその他での経歴が書かれているページがいくつか見つかります(英語)。

国連のサイト
リンクトイン