2024年6月7日

2024年5月25日 ユリアン神父様の黙想会の講話

2024年6月7日 in お知らせ

先月の黙想会でのユリアン神父様の講話のメモをいただきましたのでお知らせします。

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私の人生で、ただ一人だけヨルダン川で洗礼を授けた人がいます。沖縄の人です。その方が今回、私を日本に呼んでくださいました。ウクライナから夜行バスでワルシャワに着き、そこからチェコのプラハまで3時間。プラハから11時間かかって台北に、そして成田に到着し、沖縄に行きました。沖縄では、戦争で2万人の日本人の死者の名が刻まれた石碑を見ました。どの出来事も一期一会です。

私は(かつて)東京に5年間、名古屋に16年間、最後は名古屋の観想会のドミニコ修道院付きの司祭として6年間働きました。28年間日本にいましたので第二の母国です。36歳から64歳までのことですので、働き盛りでした。

聖ファウスティナは「(イエスの)あわれみの秘書」と呼ばれました。「存在する者は、母(なる)大地よりわたしのあわれみである。(とイエスは言われた)」。神は私が生まれる前から永遠におられた。

私は数え年で85歳(満84歳)ですが、年齢に2歳加えると、(そのときには)わたしはいませんでした。(注:おなかにいた年を1年と数える)。私はいなかった。いても、いなくてもよかった。

「必要性」からいうと絶対に必要なものは、神のみです。私という人間は、必要性からいうといても、いなくてもいい。でも、必要性ではなく「自由」(という面)からみると愛。神が、私にいてほしかった。私を愛したから。

両親が一緒になったときに私の体が造られ、そのときに魂が入った。DNAの中に。魂は、神から直接入った。双子でもまったく違う。(ユリアン神父さまも双子)。

神さまの無限の愛。「神のうちの真のいのち」。御父と御子の間にある無限の愛。それは聖霊です。愛する御父、愛される御子、愛そのものである聖霊。ヨハネ第一の手紙4章11節「愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。」神さまが私を造った動機は、愛。愛をもって(造られた)。

84歳の時、私は革命的な考えに至りました。「明日はありません」ということ。(明日があるとは限らないという意味)

ある人がお客さんに、「あなた、明日、来てください。どうしていつも、いつも今日、来るの?」という。(注:もし、その人が明日来ても、それは、すでに「今日」になる。昨日も明日もつかめない。私たちには今しかない。)

生きているのは「今」です。「今」の瞬間をつかんでください。神は、あわれみによって私たちを無から存在へと呼び出されたが、一瞬、一瞬を生きさせてくださっている。神さまから次の息を送られている。

口先の祈りではなく、ヴァスーラさんが言っているように、心から祈ってください。

実際の祈りは空気を吸うのと同じです。

人類は一つです。24時間同じ空気を吸いながら、同じ太陽を浴びながら、同じ自然の中で生きている。同じ生きる場所、地球。空気を吸っていることで一瞬一瞬を生きている。(私が)6年間、観想修道会付きの司祭だったとき、ぜんそくに苦しむコックさんがいた。次の息がとれないないなら、もうダメです。どれほど苦しいかを見ました。(呼吸は当たり前ではない。次の息がとれるとは限らない)

空気を通して生きている。空気を通して神さまの現存の中に生きる。24時間祈る。空気のように神さまを( ?)生きる。キリスト教のメディテーションです。
夜、ベッドで体をのばして、吸って10まで数えて息を胸にいっぱい入れて、「わたしは在る」。「あなたは無いもの」。(聖カタリナにイエスがおっしゃった言葉)
(息をいっぱい胸に入れて)「あなたは在る。(息を吐きながら)私は無い。アーメン」

唯一の神。ガブリエルのお告げのとき、新約聖書は、三位一体を語っている。

(息を吸って)栄光は愛する父、(吐く)、愛される子、(吸う)愛そのものである聖霊。

祈る時間がない? 忙しさは誘惑。「今」に生きるのではなく、「後」に生きているということ。忙しい? 落ち着け。祈る時間がない? じゃ、息をするヒマもないの?

眠れない時、「栄光は、(息を吸って10数えて、吐きながら)愛する御父、(息を吸って)愛される子、(吐きながら)「愛である聖霊」このように祈ると深く眠れます。

マリアさまのお告げの場面(ルカ1章26~38節)には三位一体が全部出ている。

三日目の夜、(イエスさまが)復活されたあと、イエスさまの一番大きなプレゼントは聖霊を送ることでした。司教、司祭には罪を赦す権能を与えられた。(そして)「自分自身を赦す」ということは、神の大きな心~(を受け取るということ?メモなし)神の大きなあわれみ。

ミステリウム・パスカーレ、「過ぎ越しの神秘」が私たちの人生を形作るように。イエスさまが神でありながら人となったのは、イエスさまを通して、神性に与るように(私たちが)招かれているということ。人間でありながら「聖化される」。これは洗礼の大きな恵み。

(十字架上で隣にいた盗賊が)「御国に行くとき、私を思い出してください」と言った。イエスは「今日、あなたはわたしと共にいる」とおっしゃった。

洗礼によって私たちは清められている。私たちは遅かれ早かれ死ぬ。毎日死ぬ練習をしなくては。それは眠ること。死ぬとは意識を失うこと。(眠ることも同じ)。80歳になると、眠ったら起きるとは限らない。この世に目覚めて起きるか、あの世に目覚めて生きるか。
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 太陽が沈むと少し寂しくなる。「死」を感じる。無常感なしに死なせてください、と祈る。

復活の練習もいる。(歌♪「私は復活し、あなたと共にいる。~」

 「あなたたちは今悲しんでいますが喜ぶ。その喜びは誰も奪うことはできない。」

「今」にだけ生きよう。復活とは、神による新しい創造。イエスと一致すると新しい被造物になる。最初の被造物は、悪魔(の誘惑に負けたアダムとイブ)によってちょっと……。
 私を生かす三位一体も、ほかの人を生かす三位一体もみんな同じ。これからは年を取らないように。神さまのうちに永遠の若さを保って生きてください。
 アリストテレスは言いました。「たくさんの無意味な言葉がある。すべてを語る沈黙もある」

「神のうちの真のいのち」について。私たちのアイデンティティー、本物の自分自身になるにはどうすればよいか。個人を本物にする。イエスさまの中に深く一致することで(そうなる)。ヴァッスーラさんは、アッシジのフランシスコについて霊的な体験から知った。神さまのまなざしから自分自身を見ること。人がどう見るかは問題ではない。

ガラバンダルの(聖母の)預言で、3人の教皇様のあとで、ヨハネ・パウロ1世、2世、ベネディクト16世、もちろん教皇フランシスコも入る。神からの「警告」が起きる、とコンチータが言っています。すべての動きは止まり、約15分間、神の目に映る自分の姿を見る。悪、欠点、罪。

今日、神さまのまなざしでどう見られているか。「私」ではなく、「私たち」。「イエスさま、あなたと今日一日、過ごさせてください。」「イエスさま、ご一緒にどうぞ」(とイエスさまと共に生きること)

失敗が一日に何度も続いた。「あなた一人で何ができるか」を(イエスさまが)教えてくれた。

あなたへの私の愛を信じます。

「イエス様の再臨」のために準備しなくてはならない。

「不法がはびこるので人々の心は冷たくなる。(ルカ17章) 信仰、どんなことも私たちからイエスさまの愛を引き離すことはできない。(ローマ人への手紙8章31~35節)
神さまはすべてを私たちに与えてくださる。

ファリサイ派の人が、イエスに「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは律法にかなっているでしょうか」と聞く場面(マタイ19章3~8節)でイエスさまは「二人は別々ではなく、一体となる」とおっしゃっています。花婿であるイエスさま、花嫁である教会の一致。

ご聖体の中に自分自身を込める。愛は何を必要とするか?愛は、愛を求める。自分もイエさまにすべてを与えなければならない。聖ベルナルドは「あなたは私にすべてを与えてくださいました。神さまは海のような愛、私は一しずくのような愛」

 神さまの敵はエゴ。「神はいらない」という自我です。私たちの最後の時、体を霊魂が離れる時にイエス様と会う。「けっこうです」と(断ると)地獄に行く。完全に自分を与えるなら煉獄を通らない。「キリストの御体」「アーメン」。私たちが、ご聖体を頂くとき、神はすべてを与える。

「恐れずに拝領しなさい。あなたが私を消化するのではなく、わたしがあなたを自分に変える」

白いホスティア。その白さの中に沈んで、一致して、花嫁となって。

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