2025年3月19日

ヴァルソロメオス総主教、ニカイア公会議の記念式典が近づく中、1054年の教会大分裂を「克服するのは不可能ではない」と語る

2025年3月19日 in お知らせ

コンスタンティノープルの全地総主教ヴァルソロメオス一世、2025年3月12日水曜日に
イスタンブールでドイツ聖地協会の巡礼団と謁見された/Credit:Martin Rothweiler/EWTN

CNAの記事を翻訳

AC・ウィマー/CNAニュースルーム
2025年3月15日午前8時

コンスタンティノープルの全地総主教ヴァルソロメオス一世は水曜日、伝統的に1054年とされる、ローマとコンスタンティノープル間の「大分裂」の出来事について、希望に満ちた歴史的評価を示した。総主教は、緊張は時間とともに徐々に高まったものであり、「克服不可能ではない」と述べた。

総主教は12日、イスタンブールでドイツ聖地協会の巡礼団と謁見された際に「もちろん、問題は千年以上にわたり積み重なってきました。しかし、私たちは数年でそれらが解決されることを大いに期待しています」と強調した。

世界正教会の名誉指導者である総主教は、メルキト・ギリシャ・カトリック教会の名誉総主教グレゴリオ三世ラハムが同席する中でコメントされ、CNAのドイツ語ニュースパートナーであるCNA Deutschがこれを報じた。

この巡礼は、西暦325年に開催されたニカイア公会議の1700周年を前にしたもの。

ヴァルソロメオス総主教は、1054年にカトリック教会と東方正教会間の突然の分裂が起きたとする伝統的な見方よりも、これらの緊張はむしろ時間とともに徐々に強まったことを示唆した。

しばらく前から、エキュメニカルな関係における歴史的な突破口の可能性が高まっている。1月、キリスト教一致祈祷週の閉幕の晩課で、教皇フランシスコは、今年の復活祭がグレゴリオ暦とユリウス暦の両方で同じ日付になる「摂理的な」タイミングであることを強調した。

「信仰の共通の根源を再発見しましょう」と教皇は促し、「一致を保ちましょう!」と呼びかけた。

キリスト教一致推進評議会の長官であるクルト・コッホ枢機卿は、共通の復活祭の日付を求める努力を長年支持してきた。2021年、枢機卿は、2025年が東方と西方のキリスト教徒が一緒に復活祭を祝うための典礼暦改革を導入する理想的な時期であるという提案を歓迎した。

当時、枢機卿は「共通の復活祭の日付に合意するのは簡単ではないでしょうが、そのために努力する価値があります」と述べ、教皇フランシスコとコプト正教の教皇タワドロスにとっても、この取り組みが「非常に大切である」と付け加えた。

典礼暦の議論

325年に開催された第一ニカイア公会議は、復活祭を立春後の最初の満月の後の最初の日曜日に祝うと決定し、最も早い日付は3月22日、最も遅い日付は4月25日とした。

現在、正教会のキリスト教徒は復活祭の日付を計算するのにユリウス暦を使用している。これは、1582年に導入され、世界のほとんどの地域で使用されているグレゴリオ暦とは異なっている。ユリウス暦では一年がわずかに長くなり、現在ではグレゴリオ暦より13日遅れており、その結果として、ほとんどの年で復活祭の日付が異なっている。

普遍的な合意への障害の一つとして、異なる教会間の継続的な緊張が挙げられるかもしれない。2018年、ロシア正教会は、ヴァルソロメオス総主教がウクライナ正教会の独立を認める意向を確認した後、コンスタンティノープル総主教庁との関係を断絶した。

2024年11月にバチカンで開催された国際神学委員会との会合で、教皇フランシスコは、この重要な年を記念するため、2025年5月にトルコを訪問する意向を確認した。

教皇フランシスコは「私はそこに行くつもりです」と述べ、ニカイア公会議が「教会だけでなく、全人類の旅路にとっても節目です。なぜなら、イエス・キリストへの信仰──私たちのため、私たちの救いのために肉となられた神の子──が定式化され、告白されたことは、現実の意味と歴史全体の運命を照らす光だからです」と指摘した。

しかし、教皇の健康状態がこのトルコへの巡礼の計画に影響を与える可能性がある。教皇は継続的に入院しており、旅行に耐えられるか疑問を投げかけられている。

ヴァスーラの最後の証し

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2024年4月、ヴァスーラは私を彼女のギリシャの自宅に数日間招待してくれました。私は喜んでその誘いを受け入れ、ロードス島に行きました。私がそこにいる間、ポルトガル語を話すグループからヴァスーラに電話がかかってきました。ポルトガル人とブラジル人数名で構成されたグループで、彼らはクルーズ船でロードス島に短時間立ち寄る予定でした。彼らはヴァスーラに、船上で昼食を共にして、彼女の経験を短い証しとして分かち合ってほしいと頼みました。

私たちはすぐに、彼女の自宅にあったポルトガル語の書籍を全部──かなりの数でしたが──を袋に詰め、ヴァスーラが彼らと会うことができるよう、港へ向かいました。グループのガイドがクルーズ船の外で私たちを迎えましたが、残念ながら、ヴァスーラが船に乗り込む許可を得ることができなかったと告げられました。いずれにせよ、音楽が騒がしく鳴っている部屋で証しをするのは難しかったでしょう。そこでヴァスーラは、もし彼らが興味があるなら、彼女の自宅に来てもいいと伝えました。彼らは大喜びし、その提案を受け入れました。

少しして、タクシーの列がヴァスーラの自宅に到着しました。そこで彼女は、美しく家庭的な雰囲気の中で証しをしました。彼らは皆、真剣に耳を傾け、ガイドが彼女の証言を通訳しました。ヴァスーラはいつでも、私たちの主が求めることを分かち合う準備ができていました。彼女は自身の経験がどのように始まったのかを説明し、「神のうちの真のいのち」のメッセージの多くのテーマを明らかにしました。彼らはヴァスーラの話に引き込まれ、深く心を動かされました。

彼らの限られた時間が終わりを迎え、グループはまもなく出航するクルーズ船に戻らなければなりませんでした。私たちが贈り物として渡した本を手に、彼らは去っていきました。それは彼ら自身のためだけでなく、来られなかった同行者たちのためでもありました。自宅に残った私たちは、主がどのように働かれるのか、そしてヴァスーラが知らないうちに証しの機会を整えられたことに驚嘆しました。これがヴァスーラによる最後の証しとなりました。

テレザ・ペリ