2025年10月

エマヌエル府主教、教皇レオ十四世のトルコ訪問を歓迎

2025年10月28日 in お知らせ

教皇レオ14世、カルケドン府主教エマヌエル師と握手―2025年6月7日、バチカンでの謁見にて(@Vatican Media)

バチカンニュースの記事を和訳

第一ニカイア公会議の1700周年を記念して、教皇レオ十四世がトルコを訪問するとの発表を受け、カルケドン府主教エマヌエル師は、教皇とコンスタンティノープル総主教との間に築かれてきたエキュメニカルな絆の重要性について語った。

(記者:デルフィーヌ・アレール)

教皇レオ十四世、トルコへの使徒的訪問へ

教皇レオ十四世は、2025年11月27日〜30日にトルコを訪問し、第一全地公会議(ニカイア公会議)1700周年を記念する巡礼として、現在「イズニク」と呼ばれる都市を訪れる予定である。

10月7日の発表後、カルケドン府主教エマヌエル師(コンスタンティノープル総主教ヴァルソロメオスの側近)は、教皇の訪問についてバチカン・ニュースの取材に応じた。

例年、総主教庁は6月29日の聖ペトロと聖パウロの祝日にローマへ代表団を派遣し、教皇はその返礼として11月30日の聖アンデレ使徒の祝日にイスタンブールへ代表団を送っている。

今年は、この恒例の交流の一環として、教皇レオ十四世自身が直接イスタンブールを訪問し、正教会とカトリック教会の一致と理解を深めるためのエキュメニカルな訪問を行う。

Q:今回のイズニク(ニカイア)訪問は、あなたにとってどのような意味を持ちますか?

これは、コンスタンティノープル総主教ヴァルソロメオス猊下の招待による総主教庁への訪問であり、第一全地公会議(ニカイア公会議)1700周年を記念して共に巡礼を行うものです。私たちはこの訪問を大きな喜びをもって迎えます。

このような交流と、イスタンブールのコンスタンティノープル教会訪問は、教皇パウロ六世の時代から続いています。これまでは首都アンカラおよびイスタンブールでの訪問に限られていましたが、ニカイア(現在のイズニク)を訪れるのは初めてです。325年の公会議から1700周年という記念の年にあたり、今回の合同訪問が実現する運びとなりました。

この祝典には、他のキリスト教会の首座や代表者たちも招かれます。第一ニカイア公会議は、信条(ニカイア信条)の最初の7条を制定した会議であり(残り5条は381年の第2全地公会議で完成)、キリスト教信仰と教義において極めて重要な節目を成したものです。

Q:現在、カトリック教会とギリシャ正教会の関係はどうなっていますか?

ローマ教会とコンスタンティノープル教会の関係は非常に良好です。神学対話も進展しており、それはコンスタンティノープル総主教庁だけでなく、各地の独立正教会(自治教会)とも続いています。

まだ整理すべき点は残されていますが、1054年の相互破門(アナテマ)の撤回以降、近年の取り組みによって大きな前進がありました。今年はその撤回から60周年にあたり、両教会が数多くの障壁を乗り越えてきたことを示しています。

私たちは、近い将来に「両教会の完全な交わり」が実現することを希望をもって信じています。

Q:ヴァルソロメオス総主教は、近代の教皇たち──フランシスコ、ベネディクト十六世、ヨハネ・パウロ二世──とも親しい関係を築いてきましたね。

それは、さらにパウロ六世とアテナゴラス総主教の時代(1964年のエルサレム会談)にまでさかのぼります。このときから両教会の関係が新たに開かれました。

その後、ヨハネ・パウロ二世、ベネディクト十六世、フランシスコ教皇のもとでも、相互訪問や交流が続き、「個人的なつながり」と「相互理解」が、神学的対話を進める上で不可欠であることが示されました。それは単なる理論的対話にとどまらず、実践的な交流へと発展しています。

Q:1964年から2025年までを振り返ると、「エルサレムの精神」に続く「ニカイアの精神」が吹き始めると見てよいでしょうか?

まさにその通りです。1964年のエルサレムでの会見、そして翌年の相互破門の撤回を経て、両教会の関係は新たな段階に入りました。依然として取り組むべき課題はありますが、今や私たちは互いをより深く理解し、受け入れる時代に入っています。こうした交流を通じて、私たちはますます強い絆を築き、「すべての人が一つとなるように」というキリストご自身の願いを実現していくのです。

西暦2700年以降、正教会とカトリックの復活祭が二度と同じ日にならないのはなぜか

2025年10月28日 in お知らせ

今年(2024年)、異なる典礼暦を用いるカトリック教徒とギリシャ正教徒は、ほぼ一ヶ月ずれて復活祭を祝う。 出典:JohnKarak(CC BY-SA 2.0/flickr)

2024年3月24日

Greek Reporterの記事を和訳

今年(2024年)、異なる典礼暦を用いるカトリック教徒とギリシャ正教徒は、復活祭(パスハ)を一ヶ月以上ずれて祝う。カトリックは3月31日、ギリシャ正教は5月5日である。

2017年には両教派の復活祭が同じ日になったが、次に同じ日に祝われるのは2025年である。

しかし純粋に天文学的な理由から、両教派の復活祭の日付の差は今後ますます広がっていくことになる。

この隔たりが拡大した結果、西暦2700年以降、ギリシャ正教会と西方教会(カトリック・プロテスタントなど)の復活祭は二度と同じ日にはなることはない。

21世紀全体で見ると、復活祭が同じ日に祝われるのは31回だが、次の世紀以降はその回数がさらに減っていく。

最後に両教派の復活祭が一致すると推定されているのは2698年であり、それ以降、正教会と西方教会の信徒たちは二度と同じ日にキリストの復活を共に祝うことはなくなる。

復活祭と西方暦

東方正教会の教会壁画に描かれた「枝の主日」──イエスがエルサレムに凱旋入城する場面。(出典:Wikimedia Commons)

西暦325年の第一ニカイア公会議(第一全地公会議)で、復活祭の日付は「春分の後、最初の満月の次の日曜日」と定められた。

もしその満月が日曜日に当たる場合は、次の週の日曜日に祝うことになった。このようにして、復活祭がユダヤの過越祭と重ならないようにされたのである。

同時に、復活祭の祝日は明確に天文学的現象(春分と春の最初の満月)に結びつけられていた。

そのため、復活祭の日付を求めるには、まず春の最初の満月を割り出し、その後、その満月の後の日曜日を特定する必要があった。

公会議は、エジプトの都市アレクサンドリアの天文学者の助けを借りて最初の満月の日付を算出した後、その結果をもとに、アレクサンドリア総主教が他の教会に復活祭の日を通知するよう指示した。

当時使用されていた暦はユリウス暦で、これは紀元前45年にユリウス・カエサルがアレクサンドリアの天文学者ソシゲネスの協力を得て制定したものである。

ソシゲネスは、一世紀前に天文学者ヒッパルコスが算出した太陽年(365.242日)の長さを基に、1年を365日とし、4年ごとに1日を加える(閏年)暦法を定めた。

ユリウス暦の誤差とグレゴリオ暦の改革

しかしユリウス暦にはわずかな誤差があった。実際の太陽年は365.242199日であり、この差は4年ごとに約45分、129年ごとに1日分のずれとなる。

その結果、春分の日は次第に早まっていった。キリストの時代には春分は3月23日であったが、1582年には3月11日になっていた。

当時、教皇グレゴリウス十三世は天文学者クリストフォロス・クラヴィウスとルイージ・リリウスに暦の改革を命じた。

その結果、1582年10月5日を10月15日と改め、11世紀分の誤差を修正した。これにより春分は第一公会議当時と同じ3月21日に戻った。この新しい暦がグレゴリオ暦(太陽暦)である。

カトリック諸国は5年以内にこれを採用し、プロテスタント諸国はさらに遅れて導入した。

一方、正教会はこのグレゴリオ暦に強く反発し、二十世紀に入るまで正教諸国ではユリウス暦が使われ続けた。

ギリシャとグレゴリオ暦

ギリシャでは、1923年2月16日にユリウス暦からグレゴリオ暦に切り替えられ、その日が3月1日とされた。

つまり、1582年当時の10日分の差に加え、西方とギリシャが暦を採用した約350年の差による3日分を合わせ、合計13日が修正されたことになる。

1924年、ギリシャ正教会は固定祝祭日にはグレゴリオ暦を用い、復活祭など移動祝祭日には旧ユリウス暦を用いるという妥協的な「教会暦」を採用した。

したがって、復活祭の日付の違いはユリウス暦の誤差だけでなく、紀元前5世紀の天文学者アテナイのメトンに由来する「メトン周期(Metonic cycle)」の誤差にも基づいている。

メトン周期とその誤差

メトン周期とは、19太陽年 ≒ 235朔望月(さくぼうげつ)という近似関係に基づく周期で、太陽年と月の満ち欠けをほぼ整合させるものである。

アレクサンドリアのキリスト教天文学者たちはこの周期を用いて、正教会が今も春の満月を計算する基礎としている。

ユリウス暦による春分の日の13日のずれに加えて、このメトン周期の誤差(325年から現在までに約4〜5日)が加わる。

そのため、メトン法による「教会暦上の満月」は実際の満月よりも4〜5日遅く計算される。

このため、正教会では第一公会議の決定「春の最初の満月の次の日曜日」ではなく、しばしばその次の満月、あるいは2回目の満月の後の日曜日にパスハ(復活祭)を祝うことになる。

カトリックと正教の計算方法の違い

カトリックおよび他の西方教会では、公会議の規定に従いつつも、春分と満月の日付をグレゴリオ暦に基づいて算出し、メトン周期の誤差も補正している。

そのため、グレゴリオ暦による「教会暦上の満月」は、実際の天文上の満月に極めて近く(多くの場合は一致、あるいは一日の差)になる。

一方、ユリウス暦・メトン周期に基づく正教会の満月はこれより遅れる。

その結果、両者の満月が同じ週(日曜から土曜の間)に当たるときは、復活祭の日が一致することがある(条件として、4月3日以降で、2回目の満月までであること)。

このとき、翌日曜日が両教派共通の復活祭となる。

しかし西暦2700年以降は、約7世紀分のメトン周期の誤差が累積するため、ユリウス暦の満月とグレゴリオ暦の満月が同じ週に現れることはなくなり、両教派の復活祭は永遠に一致することがなくなる。

令和6年度の決算の公告

2025年10月16日 in お知らせ

令和6年度の決算について、法律で義務づけられている電子公告を公開しました。

一般社団法人TLIG日本 令和6年12月期(2024年)賃借対照表(PDF)