frederic

復活祭の日付の一致のためのノベナ

2025年11月8日 in お知らせ

2025年11月18日─26日

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1日目

黙想

「決して祈りを止めてはならない。私を喜ばせ、心を込めて祈りなさい。一致のため、私の体の一致のために祈ってほしい。教皇と総主教のために祈ってほしい。すべての司祭のために祈ってほしい。ペトロの導きのもとにいない羊たちが、ペトロのもとに戻って和解するように祈りなさい。一人の羊飼いのもとに、一つの群れとなるように祈りなさい。あなたたちの間に平和、一致、そして、より大きな愛があるように祈りなさい。あなたたちが一つの聖櫃を囲んで私を賛美することができるように祈りなさい。一致しなさい、愛する者たちよ。一つになりなさい。父と私が一つであり、同じであるように。あなたたち皆を祝福する」
(『神のうちの真のいのち』1989年1月17日)1

祈り

主イエス・キリストよ、あなたはペトロの信仰という岩の上に教会を築かれ2、御父とあなたが一つであるように、私たちも一つになるよう祈られました3。あなたが尊い御血をもって贖われた、あなたの花嫁である教会を、今日、御覧ください4。そして私たちの分裂の傷をいやしてください。あなたの聖霊が私たちを真理のうちに強め、揺らいでいるあなたの家5を建て直し、あなたの栄光を回復してくださいますように。これをあなたに願います。あなたは御父と聖霊とともに、唯一の神として世々に生き、支配しておられる御方です。アーメン。

「イエスよ、
あなたの聖なる御顔を私たちに向け、ほほえみかけてください。
そうすれば私たちは再び生き返ります。
私たちの分裂は火のように私たちを焼き尽くしました。
あなたのみが奇跡を行うお方です。
私たちを一つにしてください。
人々が自分の愚かさを捨てますように。
あなたのご計画は、復活祭の日付を一致させることによって
私たちを一つにし、和解させることです。
私はあなたの聖なる助けを呼び求めます」
(ヴァスーラの祈り、『神のうちの真のいのち』1992年1月20日)

「彼らにこのように祈らせなさい。

『ああ主よ、
私たちの間に立っておられるお方、
私たちを導いてください。
あなたのぶどうの木の真ん中に
あなたの王座を据え、
私たちに命じてください。

ああ、至聖なる主よ、
あなたの家とぶどうの木を、完全なまま保つことができるように、
私たちを清めてください。
愛をもって介入し
あなたの右の手で植えられたものを守ってください。

私たちはあなたに背きましたが、
あなたのぶどうの木にいのちの川が流れ込み、
そこからもう一度枝が芽吹き、
実をつけて最良のぶどうとなり、
これまで以上に堂々としたものになるように、
あなたが門を大きく開いてくださると知っています。
そう信じ、信頼しています。
なぜならいのちの与え主である聖霊が
それを覆ってくださるからです』
アーメン」
(イエスの祈り、『神のうちの真のいのち』1992年12月21日)

2日目

黙想

「兄弟よ、くる年もくる年も耐えている痛みを、またこの季節も忍ばなければならないのか? それともこのたびは休ませてくれるだろうか? あなたたちの分裂の杯を、もう一度、この季節にも飲まねばならないのか? それとも私の体を休息させ、復活祭の祭日を、私のために統一してくれるだろうか? あなたたちが復活祭の日付を統一することによって、私の痛みは和らぐ。兄弟よ、そしてあなたたちは私のうちに歓喜し、私はあなたたちのうちに歓ぶ。そして多くの視力が取り戻されるだろう……」

(『神のうちの真のいのち』1991年10月14日)

・主イエスへの祈り(教会の一致のため)
・ヴァスーラの祈り(1992年1月20日)
・イエスの祈り(1992年12月21日)

3日目

黙想

「一致のために働く者たちには、空を見上げるように言いなさい。空と地がどんなに離れているかを見たか? 彼らの心はそれほど互いから遠く離れている。それほどまでに隔たっている。皆が復活祭を同じ日に祝うように、一致して定め、布告を発してくれるのはいつの日か?」
(『神のうちの真のいのち』1992年12月21日)

・主イエスへの祈り(教会の一致のため)
・ヴァスーラの祈り(1992年1月20日)
・イエスの祈り(1992年12月21日)

4日目

黙想

「私を愛しなさい。あなたの愛のゆえに、私は諸教会を呼び集め、復活祭の日付を一致させる。私を愛しなさい。あなたのために、この闇を、予見されたよりも早く光に置き換える。私があなたから望む実りは、愛である! あなたの愛によって、私は多くの祈りをかなえることができる」
(『神のうちの真のいのち』1994年4月19日)

・主イエスへの祈り(教会の一致のため)
・ヴァスーラの祈り(1992年1月20日)
・イエスの祈り(1992年12月21日)

5日目

黙想

「復活祭ごとに、私はあなたたちの分裂の杯を強いられ、飲まされている。だがあなたも、娘よ、その杯を飲むことになる。人間の手から渡された苦い杯を私と分かち合うであろう。彼らが復活祭の日付を一致させるまでに時間がたてばたつほど、この時代は厳しい裁きを受ける」
(『神のうちの真のいのち』1994年5月31日)

・主イエスへの祈り(教会の一致のため)
・ヴァスーラの祈り(1992年1月20日)
・イエスの祈り(1992年12月21日)

6日目

黙想

「私の家の者たちが誠実さに欠け、復活祭の日付を一致させようと、私の霊のうちに働かないのを見て、私の心は絶えず憂う。御父が彼らの心を変えてくださるよう、この者たちのために祈ってほしい。私の聖霊によってひとたび目が開かれたなら、悔い改めて、真理を見る妨げとなった自分たちの誤りに気づき、真理から彼らを引き離しているこの傲慢の霊が立ち退き、正気を取り戻すよう、彼らのために祈ってほしい。『彼らが真に私の弟子だと、その愛によって、今やすべての人に知られよう』と私が言えるように、彼らのために祈ってほしい」
(『神のうちの真のいのち』1996年11月27日)

・主イエスへの祈り(教会の一致のため)
・ヴァスーラの祈り(1992年1月20日)
・イエスの祈り(1992年12月21日)

7日目

黙想

「へりくだることによって、造り主の前に証しを立てなさい。復活祭の日付を一致させて、造り主の前に証しを立てなさい。パンをともに分け合って、私に証しを立てなさい。栄えある厳かな祭服を、宗教心と敬虔さの見せかけによらず、へりくだった心で身につけなさい」
(『神のうちの真のいのち』1996年11月25日)

・主イエスへの祈り(教会の一致のため)
・ヴァスーラの祈り(1992年1月20日)
・イエスの祈り(1992年12月21日)

8日目

黙想

「ああ、あなたたちが一つの祭壇の周りに集まり、この同じ祭壇を囲んで私を賛美してくれるなら、どんなにうれしいだろうか。自分の過ちを認め、背いたことを悔い改め、あなたたちに対する私の愛を思い出し、私が愛したように、あなたたちも互いに愛し合うなら」
(『神のうちの真のいのち』1988年4月19日)

・主イエスへの祈り(教会の一致のため)
・ヴァスーラの祈り(1992年1月20日)
・イエスの祈り(1992年12月21日)

9日目

黙想

「私の心は、すべての羊飼いたちが一つの祭壇を囲んで集まってほしいという望みで燃えている。彼らが(……)私の群れの世話をするのを見たいという望みで燃えている。彼らが私の優しさと正しさを語り、私が教えてきたすべてを語るのを聞きたいという望みで燃えている。彼らが愛とあわれみをもって、私の民の世話をするのを見たいという望みで燃えている」
(『神のうちの真のいのち』2006年5月31日)

「心を開いて、私の恩寵の霊がなぜ、この世代にこれほどまでに豊かに注がれているのかを理解しようと努めなさい。すべての世代が、一人の羊飼いのもとに、一つの聖櫃を取り囲んで、一つとなる日が近づいている。主である私は、彼らにとって唯一の主となる。だから祈りなさい、愛する者たちよ、主である私が万全の準備をもって進めているこの一致のために祈りなさい」
(『神のうちの真のいのち』1989年6月19日)

・主イエスへの祈り(教会の一致のため)
・ヴァスーラの祈り(1992年1月20日)
・イエスの祈り(1992年12月21日)

シノドス性と「神のうちの真のいのち」のメッセージに関する省察

2025年11月8日 in お知らせ

イエスは呼びかけの初めに、ヴァスーラを通して、「神のうちのまことのいのち」の読者に問いかけられました。「どちらの家の方があなたをより必要としているだろうか?」(1986年10月23日)
ヴァスーラは正しく答えました。「家」とは「教会」を意味すると。私たちは知っています。イエス・キリストによって創設された教会は本来ひとつですが、私たちの罪のために、カトリック教会、正教会、そしてさまざまな宗派の他の教会へと分裂していることを。ローマ・カトリック教会は、イエス・キリストの家の重要な一部です。イエスはその後、ヴァスーラと「神のうちのまことのいのち」の読者たちにこう語られました。「私は今日、多くの国の民にあなたを遣わし、私のこだまとして教会を生き返らせ、一致させて、美しく飾らせている」(1994年12月18日)

ヴァスーラが世界中を旅して証しを始めた後、イエスは彼女を通して私たちに語られます。「帰って来なさい! 皆ペトロのもとに戻って来なさい、なぜならあなたの神、私が彼を選んだのだから」(1988年6月21日)また、「何が起ころうとも私の教皇に従いなさい。忠実であれば、私が必要な恵みと力を与える。彼への忠実を守り、反逆する誰からも遠ざかるようにと勧める。なによりも、彼を追放しようとする誰の声も聞かないように。決して彼に対する愛を欺かないように」(1993年3月17日)ともおっしゃいました。

ヴァスーラがこのメッセージを受けた当時の教皇はヨハネ・パウロ二世でした。そして今、私たち「神のうちのまことのいのち」の協力者にとっての教皇はレオ十四世です。彼はヴァスーラがブエノスアイレスの司教であった頃に出会った教皇フランシスコの死後、教皇となりました。その時以来、世界は変わり、教会もまた変化しています。つまり、私たち「神のうちのまことのいのち」の協力者が生き、メッセージを広めている状況は、もはや以前と同じではありません。各国、各都市の「神のうちのまことのいのち」の読者の会は、この変化を意識し、現代の新しい文脈に応じてメッセージと霊性を実践する方法を考える必要があります。そうしてこそ、人々はこれらのメッセージを自分の日常生活において意味あるもの、必要なものとして受け止め、生きることができるのです。

2021年10月、ヴァスーラがまだ存命中に、教皇フランシスコは第16回通常シノドス司教会議を「シノドス性(協働性)」をテーマに招集し、全カトリック教会を対象とした「シノドス的プロセス」を開始しました。このプロセスは、すべての地方教会でも行われるべきものです。シノドスの目的は、第二バチカン公会議の権威ある教えとその後に発表された関連文書(聖霊に霊感を受けたと信じられる内容)を実現することであり、「シノドス性」とは何か、なぜそれが必要なのか、どのように地方教会(司教協議会や教区)で実践するか、どのような変化が求められているかを示すものです。

「シノドス性」に関する前回のシノドスに関して、司教会議事務局から数十の文書が発表されました。その多くは、世界各地の司教協議会からの協議結果に基づく作業文書や報告書です。中には非常に長く、内容豊かなものもあり、現代の教会が直面している新たな司牧上の課題を提示・分析しています。それは、聖職者や信徒に関わる教会内部の問題、家庭司牧、さらには気候変動、戦争と暴力、貧困、移住などの社会問題にまで及びます。これらすべての問題は、「教会は何を語るべきか」「どのような役割を果たすべきか」という問いへと私たちを導きます。

このプロセスは段階的に進められます。まず教区レベル、次に国家レベル、大陸レベル、そして最後に、教皇フランシスコ臨席のもとで行われるバチカンの司教会議(普遍レベル)へと展開されます。2024年10月の第二会期で普遍段階のシノドスが終了した後、教会全体は2025年から2028年までの三年間、「シノドス性の実施段階」へと入りました。
司教会議事務局の公式指針によれば、司教たちは2028年10月にローマに集まり、それぞれの教区でのシノドス性実践の結果を報告することになっています。
これは、神の民──すなわちすべての洗礼を受けた人々──が、自らの教区、小教区、共同体の刷新と自己形成に積極的に関わり、今日の世界における神の救いの計画を成就するために生きることを意味します。

教会が存在する理由は、時の終わりまで福音を宣べ伝え、すべての人が教会を通して救われるためです(マルコ16・15–16参照)。
しかし今日、何百万もの人々がイエス・キリストを知らずにいます。このため、2021〜2024年の司教シノドスは「交わり、参加、宣教──シノドス的教会のために」というテーマに捧げられました。
簡単に言えば、シノドス的教会とは次のような教会です。「シノドス」とは「共に歩むこと」を意味します。教会のすべての構成員──例外なく洗礼を受けたすべての人──が宣教者であり、互いに交わりのうちに自分の使命を果たすよう召されています。それは、洗礼による召命に基づき、それぞれの身分、奉仕職、カリスマに従って、教会共同体の識別に参加することによって果たされます。「シノドス性」は教会にとって新しい概念ではなく、むしろ再発見し、評価し、推進すべきものです。言い換えれば、「シノドス的プロセス」は摂理的な機会であると同時に、全教会──すなわちすべての信徒──が深い変革を遂げ、福音宣教の使命を果たすために必要不可欠なものなのです。多文化的で変化の激しい現代世界において、あらゆる宗教的信念や価値観が存在する中でこそ、教会の刷新が求められています。

「シノドス性」という言葉自体は「神のうちのまことのいのち」のメッセージには現れません。しかし、その内容やヴァスーラの証しにおける教え──「悔い改め、回心、和解、赦し、福音宣教、キリスト教一致、諸宗教対話」など──は、明らかに「シノドス性」に関する司教会議と同じ目的を反映し、響き合っています。
したがって「神のうちのまことのいのち」のメッセージはその実現に大きく寄与し、教会を導き支配する聖霊の呼びかけに応えています。
しかしながら、「神のうちのまことのいのち」のメッセージは「シノドス性」に還元できるものではなく、また単なるその実践手段として限定されるものでもありません。それには、「シノドス性」に関する公文書には見られない深い神学的教えと霊的洞察が含まれています。
同様に「神のうちのまことのいのち」のメッセージが触れていない豊かな司牧的内容や法的根拠もあります。
したがって、両者を対立的に扱うのではなく、むしろ調和させるべきです。メッセージを黙想し、関連する教会文書を学ぶことによって、ペトロ、すなわち教皇レオ十四世に真に従い、「今この時、聖霊が教会に語られていることに耳を傾ける」ために(参照:教皇フランシスコ『シノドス的教会のために──交わり、参加、宣教—最終文書』付随覚書、2024年11月24日)。

「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります」(ヨハネ17・21)

オッフリー・チャン神父

台北、2025年10月12日

エマヌエル府主教、教皇レオ十四世のトルコ訪問を歓迎

2025年10月28日 in お知らせ

教皇レオ14世、カルケドン府主教エマヌエル師と握手―2025年6月7日、バチカンでの謁見にて(@Vatican Media)

バチカンニュースの記事を和訳

第一ニカイア公会議の1700周年を記念して、教皇レオ十四世がトルコを訪問するとの発表を受け、カルケドン府主教エマヌエル師は、教皇とコンスタンティノープル総主教との間に築かれてきたエキュメニカルな絆の重要性について語った。

(記者:デルフィーヌ・アレール)

教皇レオ十四世、トルコへの使徒的訪問へ

教皇レオ十四世は、2025年11月27日〜30日にトルコを訪問し、第一全地公会議(ニカイア公会議)1700周年を記念する巡礼として、現在「イズニク」と呼ばれる都市を訪れる予定である。

10月7日の発表後、カルケドン府主教エマヌエル師(コンスタンティノープル総主教ヴァルソロメオスの側近)は、教皇の訪問についてバチカン・ニュースの取材に応じた。

例年、総主教庁は6月29日の聖ペトロと聖パウロの祝日にローマへ代表団を派遣し、教皇はその返礼として11月30日の聖アンデレ使徒の祝日にイスタンブールへ代表団を送っている。

今年は、この恒例の交流の一環として、教皇レオ十四世自身が直接イスタンブールを訪問し、正教会とカトリック教会の一致と理解を深めるためのエキュメニカルな訪問を行う。

Q:今回のイズニク(ニカイア)訪問は、あなたにとってどのような意味を持ちますか?

これは、コンスタンティノープル総主教ヴァルソロメオス猊下の招待による総主教庁への訪問であり、第一全地公会議(ニカイア公会議)1700周年を記念して共に巡礼を行うものです。私たちはこの訪問を大きな喜びをもって迎えます。

このような交流と、イスタンブールのコンスタンティノープル教会訪問は、教皇パウロ六世の時代から続いています。これまでは首都アンカラおよびイスタンブールでの訪問に限られていましたが、ニカイア(現在のイズニク)を訪れるのは初めてです。325年の公会議から1700周年という記念の年にあたり、今回の合同訪問が実現する運びとなりました。

この祝典には、他のキリスト教会の首座や代表者たちも招かれます。第一ニカイア公会議は、信条(ニカイア信条)の最初の7条を制定した会議であり(残り5条は381年の第2全地公会議で完成)、キリスト教信仰と教義において極めて重要な節目を成したものです。

Q:現在、カトリック教会とギリシャ正教会の関係はどうなっていますか?

ローマ教会とコンスタンティノープル教会の関係は非常に良好です。神学対話も進展しており、それはコンスタンティノープル総主教庁だけでなく、各地の独立正教会(自治教会)とも続いています。

まだ整理すべき点は残されていますが、1054年の相互破門(アナテマ)の撤回以降、近年の取り組みによって大きな前進がありました。今年はその撤回から60周年にあたり、両教会が数多くの障壁を乗り越えてきたことを示しています。

私たちは、近い将来に「両教会の完全な交わり」が実現することを希望をもって信じています。

Q:ヴァルソロメオス総主教は、近代の教皇たち──フランシスコ、ベネディクト十六世、ヨハネ・パウロ二世──とも親しい関係を築いてきましたね。

それは、さらにパウロ六世とアテナゴラス総主教の時代(1964年のエルサレム会談)にまでさかのぼります。このときから両教会の関係が新たに開かれました。

その後、ヨハネ・パウロ二世、ベネディクト十六世、フランシスコ教皇のもとでも、相互訪問や交流が続き、「個人的なつながり」と「相互理解」が、神学的対話を進める上で不可欠であることが示されました。それは単なる理論的対話にとどまらず、実践的な交流へと発展しています。

Q:1964年から2025年までを振り返ると、「エルサレムの精神」に続く「ニカイアの精神」が吹き始めると見てよいでしょうか?

まさにその通りです。1964年のエルサレムでの会見、そして翌年の相互破門の撤回を経て、両教会の関係は新たな段階に入りました。依然として取り組むべき課題はありますが、今や私たちは互いをより深く理解し、受け入れる時代に入っています。こうした交流を通じて、私たちはますます強い絆を築き、「すべての人が一つとなるように」というキリストご自身の願いを実現していくのです。

西暦2700年以降、正教会とカトリックの復活祭が二度と同じ日にならないのはなぜか

2025年10月28日 in お知らせ

今年(2024年)、異なる典礼暦を用いるカトリック教徒とギリシャ正教徒は、ほぼ一ヶ月ずれて復活祭を祝う。 出典:JohnKarak(CC BY-SA 2.0/flickr)

2024年3月24日

Greek Reporterの記事を和訳

今年(2024年)、異なる典礼暦を用いるカトリック教徒とギリシャ正教徒は、復活祭(パスハ)を一ヶ月以上ずれて祝う。カトリックは3月31日、ギリシャ正教は5月5日である。

2017年には両教派の復活祭が同じ日になったが、次に同じ日に祝われるのは2025年である。

しかし純粋に天文学的な理由から、両教派の復活祭の日付の差は今後ますます広がっていくことになる。

この隔たりが拡大した結果、西暦2700年以降、ギリシャ正教会と西方教会(カトリック・プロテスタントなど)の復活祭は二度と同じ日にはなることはない。

21世紀全体で見ると、復活祭が同じ日に祝われるのは31回だが、次の世紀以降はその回数がさらに減っていく。

最後に両教派の復活祭が一致すると推定されているのは2698年であり、それ以降、正教会と西方教会の信徒たちは二度と同じ日にキリストの復活を共に祝うことはなくなる。

復活祭と西方暦

東方正教会の教会壁画に描かれた「枝の主日」──イエスがエルサレムに凱旋入城する場面。(出典:Wikimedia Commons)

西暦325年の第一ニカイア公会議(第一全地公会議)で、復活祭の日付は「春分の後、最初の満月の次の日曜日」と定められた。

もしその満月が日曜日に当たる場合は、次の週の日曜日に祝うことになった。このようにして、復活祭がユダヤの過越祭と重ならないようにされたのである。

同時に、復活祭の祝日は明確に天文学的現象(春分と春の最初の満月)に結びつけられていた。

そのため、復活祭の日付を求めるには、まず春の最初の満月を割り出し、その後、その満月の後の日曜日を特定する必要があった。

公会議は、エジプトの都市アレクサンドリアの天文学者の助けを借りて最初の満月の日付を算出した後、その結果をもとに、アレクサンドリア総主教が他の教会に復活祭の日を通知するよう指示した。

当時使用されていた暦はユリウス暦で、これは紀元前45年にユリウス・カエサルがアレクサンドリアの天文学者ソシゲネスの協力を得て制定したものである。

ソシゲネスは、一世紀前に天文学者ヒッパルコスが算出した太陽年(365.242日)の長さを基に、1年を365日とし、4年ごとに1日を加える(閏年)暦法を定めた。

ユリウス暦の誤差とグレゴリオ暦の改革

しかしユリウス暦にはわずかな誤差があった。実際の太陽年は365.242199日であり、この差は4年ごとに約45分、129年ごとに1日分のずれとなる。

その結果、春分の日は次第に早まっていった。キリストの時代には春分は3月23日であったが、1582年には3月11日になっていた。

当時、教皇グレゴリウス十三世は天文学者クリストフォロス・クラヴィウスとルイージ・リリウスに暦の改革を命じた。

その結果、1582年10月5日を10月15日と改め、11世紀分の誤差を修正した。これにより春分は第一公会議当時と同じ3月21日に戻った。この新しい暦がグレゴリオ暦(太陽暦)である。

カトリック諸国は5年以内にこれを採用し、プロテスタント諸国はさらに遅れて導入した。

一方、正教会はこのグレゴリオ暦に強く反発し、二十世紀に入るまで正教諸国ではユリウス暦が使われ続けた。

ギリシャとグレゴリオ暦

ギリシャでは、1923年2月16日にユリウス暦からグレゴリオ暦に切り替えられ、その日が3月1日とされた。

つまり、1582年当時の10日分の差に加え、西方とギリシャが暦を採用した約350年の差による3日分を合わせ、合計13日が修正されたことになる。

1924年、ギリシャ正教会は固定祝祭日にはグレゴリオ暦を用い、復活祭など移動祝祭日には旧ユリウス暦を用いるという妥協的な「教会暦」を採用した。

したがって、復活祭の日付の違いはユリウス暦の誤差だけでなく、紀元前5世紀の天文学者アテナイのメトンに由来する「メトン周期(Metonic cycle)」の誤差にも基づいている。

メトン周期とその誤差

メトン周期とは、19太陽年 ≒ 235朔望月(さくぼうげつ)という近似関係に基づく周期で、太陽年と月の満ち欠けをほぼ整合させるものである。

アレクサンドリアのキリスト教天文学者たちはこの周期を用いて、正教会が今も春の満月を計算する基礎としている。

ユリウス暦による春分の日の13日のずれに加えて、このメトン周期の誤差(325年から現在までに約4〜5日)が加わる。

そのため、メトン法による「教会暦上の満月」は実際の満月よりも4〜5日遅く計算される。

このため、正教会では第一公会議の決定「春の最初の満月の次の日曜日」ではなく、しばしばその次の満月、あるいは2回目の満月の後の日曜日にパスハ(復活祭)を祝うことになる。

カトリックと正教の計算方法の違い

カトリックおよび他の西方教会では、公会議の規定に従いつつも、春分と満月の日付をグレゴリオ暦に基づいて算出し、メトン周期の誤差も補正している。

そのため、グレゴリオ暦による「教会暦上の満月」は、実際の天文上の満月に極めて近く(多くの場合は一致、あるいは一日の差)になる。

一方、ユリウス暦・メトン周期に基づく正教会の満月はこれより遅れる。

その結果、両者の満月が同じ週(日曜から土曜の間)に当たるときは、復活祭の日が一致することがある(条件として、4月3日以降で、2回目の満月までであること)。

このとき、翌日曜日が両教派共通の復活祭となる。

しかし西暦2700年以降は、約7世紀分のメトン周期の誤差が累積するため、ユリウス暦の満月とグレゴリオ暦の満月が同じ週に現れることはなくなり、両教派の復活祭は永遠に一致することがなくなる。

令和6年度の決算の公告

2025年10月16日 in お知らせ

令和6年度の決算について、法律で義務づけられている電子公告を公開しました。

一般社団法人TLIG日本 令和6年12月期(2024年)賃借対照表(PDF)

エジプトのコプト正教の聖人、皮なめし職人の聖シモンについて

2025年8月10日 in お知らせ

2023年、私たちはエジプトのカイロを巡礼で訪れましたが、その時、信仰によって山を動かしたコプト正教会の聖人についての伝承を耳にしました。皮なめし職人の聖シモンです。

皮なめし職人の聖シモン(十世紀)は、靴職人の聖シモン(コプト語:Ⲫⲏⲉⲑⲟⲩⲁⲃ Ⲥⲓⲙⲱⲛ Ⲡⲓⲃⲁⲕϣⲁⲣ; Ⲡⲓϩⲟⲙ;アラビア語:سمعان الدباغ、Sama’an al-Dabagh)としても知られ、エジプトのカイロにあるモカッタム山を動かしたという奇跡の物語に関連するコプト正教会の聖人です。この出来事は、ムスリムのファティマ朝カリフ、アル・ムイズ・リディーニッラー(953–975年在位)の治世中、コプト正教会のアレクサンドリア教皇アブラハム(アブラアム)の時代に起こったとされています。

生涯

皮なめし職人の聖シモンは十世紀末に生き、多くのエジプトのコプト・キリスト教徒が手工業に従事していた時代に、皮なめし職人として働いていました。この職業は皮革に関連する複数の技術を包含し、シモンは皮なめし職人、靴職人、革職人などの称号で呼ばれました。

山を動かす奇跡

伝承によると、カリフ・アル・ムイズ(972–975年在位)は、宗教指導者たちを招いて議論をさせていました。ある議論の場で、教皇アブラハムとユダヤ人のヤクブ・イブン・キリス(別の話ではモーセと呼ばれる)が参加し、アブラハムが議論で優位に立ちました。復讐を企てたイブン・キリスは、マタイ福音書(17・20)の「イエスは言われた。『はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。』」を引用し、教皇にこの奇跡を証明するよう求めました。カリフはアブラハムにこの言葉が福音書にあるかと尋ね、アブラハムが「ある」と答えると、三日以内にこの奇跡を行わなければ、コプト正教徒は全員剣で殺されると命じました。

アブラハムは僧侶、司祭、長老たちを集め、三日間教会で悔い改めの祈りをしました。三日目の朝、空中教会で祈っていると、聖母マリアが現れ、市場で「水の入った壺を肩に担いでいる片目の男」を見つけるように、彼が奇跡を起こす者だと告げました。アブラハムは市場でその男、皮なめし職人の聖シモンを見つけました。シモンは、聖書の「もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい」(マタイ 5・29–30)に従い、自身の右目をえぐり出していた人物でした。シモンはアブラハムに、司祭や民衆、カリフや兵士たちと共に山に行き、「主よ、あわれみたまえ」と三回叫び、十字架のしるしを山にかけるよう指示しました。アブラハムがその通りにすると、山が持ち上がり、奇跡が起こりました。カリフの前で奇跡が実現した後、アブラハムはシモンを探しましたが、彼は姿を消し、誰も見つけられませんでした。カリフはアブラハムに「おお、教皇よ、私はあなたの信仰の正しさを知った」と語りました。

この奇跡の後、アル・ムイズはキリスト教に改宗し、息子に位を譲って修道院に入ったとされます。彼のための大きな洗礼盤が聖メルクリウス教会に作られ、「スルタンの洗礼盤(Maamoudiat Al-Sultan)」として現存しています。ただし、この改宗の話は、アフマド・ザキ・パシャやムハンマド・アブドゥッラー・エナンなどの著名なムスリム歴史家によって否定されています。この奇跡を記念して、コプト正教会は降誕祭の前に三日間の特別な断食を行います。物語の詳細は、979年11月27日に奇跡が起こったと主張するコプトのウェブサイトに記載されています。

シモンの遺骨の発見

1989–91年に、コプトの聖職者と考古学者が十世紀の皮なめし職人であり聖人であるシモンの遺骨を探しました。シモンはカイロ旧市街のアル・ハバシュ墓地に埋葬されたとされていましたが、コプト正教会のバビロン・エル・ダラグの聖母教会の修復中に彼の遺骨が発見されました。1991年8月4日、教会の表面下約1メートルで発見された遺骨は、頭の後ろに髪が残っており、頭頂部が禿げていたことが確認されました。これは、シモンが貧しい人々に水を運んでいたとされる特徴と一致します。近くの教会では、千年以上前のものとされるシモンが使ったとされる水がめの破片も発見され、現在はモカッタムの聖シモン教会に保管されています。

奉献された礼拝所

聖母マリアと皮なめし職人の聖シモン大聖堂は、ナイル川東岸のザッバリーン村(ゴミ収集者の村)の背後にある皮なめし職人の聖シモン修道院にあります。1969年、カイロの知事がゴミ収集者をモカッタムに移すことを決定し、1987年には約1万5000人がザッバリーン村に住んでいました。修道院への最終行程は「ごみの町」としても知られるザッバリーン村の通りを通ります。

(Wikipediaの”Simon the Tanner”を和訳)

ベス・ミリアム宅配子ども食堂・7月のコメント

2025年8月2日 in お知らせ

「昨日無事にたくさんの食材を受け取りました。いつもありがとうございます。子供たちと大切に食べたいと思います。アイスクリーム、子供たちが飛び跳ねて喜んでました。このような笑顔がみれるのも、ベス・ミリアム様のご支援のお陰です。本当にありがとうございます。ご縁に感謝し毎日を大切に生きたいと思います。ありがとうございました」

「沢山の食材、無事に受け取りました! いつにも増して夏休みなので本当助かります。大切に頂きます。ありがとうございました」

「毎日暑い中、子供たちの長い夏休みが始まりました。お気遣いありがとうございます。神に感謝。ベス・ミリアムスタッフの皆さんにも感謝です。いつも助かります」

ベス・ミリアム宅配子ども食堂・5月と6月のコメント

2025年7月7日 in お知らせ

「昨日、無事に沢山の食材を受け取らせていただきました。この日をいつも楽しみにしているので、子供たちも大喜びでした。本当にありがとうございます」

「主の平和 食料支援届きました。神に感謝です。いつもありがとうございます。あと、送ってくださる食材はいつも美味しいですけど、今回送っていただいた麺が特に美味しくてびっくりしました。本当にありがとうございました。

「沢山の食材、今無事に届きました♪ 普段は買えない物ばかりなので、子供たちは大喜びしてます。感謝しながら子供たちと大切にいただきます。いつも本当にありがとうございます」

「主の平和 いつもありがとうございます。とても助かります。食べ物を送ってくださり、本当に感謝しています。神様とあなたに心から感謝いたします」

最近のある神秘家の死

2025年7月7日 in お知らせ

 
神のしもべ、ルイザ・ピッカレータに関する2024年9月30日のオンラインミーティングで、イアヌッツィ神父は、数日前に亡くなったヴァスーラ・リデンに関する質問に答えています。大変興味深い内容です。動画の内容を和訳しました。

ジョセフ・レオ・イアヌッツィ神父について

イアヌッツィ神父は神学者であり、ローマの教皇庁立グレゴリアン大学の博士課程修了者です。啓示と預言に関する数冊の著書を執筆し、EWTNに出演し、複数のテレビ番組や全国放送のラジオ番組の司会を務めました。イアヌッツィ神父は、教会の神秘神学の伝統を推進し、「神の御旨に生きる」という神秘的な賜物の適切な神学的提示に専念する「聖三位一体の宣教者共同体」の創設者です。

優れたバイオリニストでありレスラーでもあるイアヌッツィ神父は、医学を学び、1988年にメジュゴリエを訪れ、そこで神学校に入る決意をしました。1991年に哲学の学士号を取得し、キルバーン賞を受賞しました。イタリアでの15年間の任務中、イタリア語、ギリシャ語、ヘブライ語、ラテン語などの言語を学びました。神学の学士号、STL(神学修士)、および教父学、教義学、神秘主義を専門とするSTD(神学博士号)を取得しました。

イアヌッツィ神父は、ローマの教皇ビブリクム大学からイスラエルで神学を学ぶための奨学金を受けた4人の選抜学生の一人でした。ローマ滞在中、彼はローマのチーフエクソシスト、ガブリエル・アモルト神父を補佐し、預言と啓示に関する数冊の著書を執筆しました。多くの神学作品を英語に翻訳し、5つの出版物を著しています。


神父:祈りから始めましょう。父と子と聖霊の御名によって、アーメン。年間第二十六日曜日です。私たちは聖霊を呼び求め、毎週日曜日に祝うキリストの死に対する勝利を記念します。聖霊がすべての真理の認識へと私たちを導き、キリストの言葉を思い起こさせてくださいますように。私たちが呼び求める聖霊が、私たちの思い、言葉、息づかい、願い、意図を満たし、三位一体の第三の位格である聖霊を通して、筆記者ルイザ・ピッカレータにより明らかにされた「神の御旨」に生きる恵みを感謝できますように。栄光は父と子と聖霊に。初めのように、今もいつも世々に、アーメン。

それでは早速質問に入りましょう。今夜は、先週いくつかの想定外の出来事が重なったため、少し短く切り上げます。まず、教会の主任司祭が退任し、11月まで私がその教会を運営しています。現在、三つの教会を担当しており、さらに修道女たちの霊的指導司祭として、週二回のミサをささげています。忙しいですが、それも喜んで受け入れています。神に感謝しています。そのため、いつもより少し早く休む必要があり、今夜は短く切り上げます。ご理解いただければ幸いです。それでは、最初の質問から始めましょう。

マイケル博士: 神父さま、今週、神秘家であったヴァスーラが亡くなられました。彼女との関わりや、彼女の使命への神父さまの協力についてお話しいただけますか?

神父:はい、そうです、ヴァスーラは聖人でした。彼女は聖人です(*訳注:当然ながら、教会によって公式に列聖されたという意味ではない)。ヴァスーラ・リデンですね。この女性は子供の頃、要理教育を何も受けていませんでした。自分の子供の頃を思い出してみてください。カトリックの学校に通ったり、キリスト教の教育を受けましたよね? ヴァスーラはそのどれも受けていませんでした。エジプトで生まれ、スイスで育ちました。そして国連の職員である夫の仕事のために世界各地を回りました。彼女はカトリックではなくギリシャ正教徒です。ギリシャ正教はカトリックと同じ七つの秘跡を有しています。

ギリシャ正教、ロシア正教、コプト正教はどれも、私たちと同じ有効な秘跡を持っています。ヴァスーラは神からの直接の啓示によって、復活祭の日付を一致させる使命を受けました。これは特別なことではありません。たとえば、ダマスカス(シリア)の正教会の神秘家ミルナがいます。カトリックの司教が彼女の啓示を許可しました。ヴァスーラの啓示も、二人のカトリックの大司教から「印刷許可」と「権威筋の承認」を受けています。今日のマルコの福音と民数記の朗読を思い出してください。モーセのグループに属さないエルダドとメダドが預言するのを止めようとしたとき、モーセは「主の民すべてが預言者になればよい」と言いました。イエスも、ヨハネが「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました」と訴えたとき、「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである」と言われました。ですから、神はヴァスーラやミルナを選ばれたのです。彼女たちは正教徒です。正教徒は聖なる人々で、七つの秘跡(機密)を持ち、その教義はカトリックと99%同じです。

マイケル博士が言われたように、ヴァスーラは先週、5日前に亡くなられました。彼女は何人かの教皇と謁見し、ヨハネ・パウロ二世やヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿(後のベネディクト十六世)と会い、著作を献呈しました。

ヴァスーラは2004年にラッツィンガー枢機卿と会談し、枢機卿は著作の普及を許可しました。人々は彼を「ドイツの羊飼い」と呼びます。ラッツィンガー枢機卿が、正教徒であるヴァスーラに、キリスト教会で彼女の著作を広める許可を与えたのです。考えてみてください。枢機卿は何人かの司教に「ヴァスーラと彼女の著作を歓迎せよ」という書簡を送りました。ところがです。このキリスト者の一致はサタンの王国を脅かします。そこでサタンはカトリック教会や、ギリシャ正教会、ロシア正教会の内部でヴァスーラへの攻撃を起こしました。彼らはとてもうまくやりました。その攻撃は、今日でも特定のウェブサイトで彼女を攻撃する内容として反映されています。しかしながら、ヴァスーラの著作が教導権による公式の承認を受けているという事実を否定することはできません。それを否定することは誰にもできません。すると、彼らはどうするでしょうか?

彼女を攻撃する口実を見つけるのです。彼女の著作は、二人のカトリックの司教による印刷許可と権威筋の承認を今なお有効に保持しています。彼女は4つの教会認可を持っています。二つではなく4つです。彼女は亡くなりましたが、現在の教皇たちが継承すべき遺産を残したのです。教皇フランシスコもヴァスーラと会われました。彼女は本物です。彼女は亡くなりましたが、重要なことは、著作の中で、イエスがヴァスーラに、私たちは終末の時代を生きており、これが神から私たちへの最後のいつくしみの呼びかけだと告げているということです。なぜなら、このいつくしみの呼びかけが終わり、私たちの生存している間にそれが終わると、聖ペテロが第二の手紙で言及した火が来るからです。火は地上を焼き尽くし、すべての要素と惑星上の私たちを焼き尽くすでしょう。

ガラバンダルの預言を思い出してください。聖母は4人の預言者に「罰」の幻を与えました。彼らは何と言ったでしょうか? 火です。ガラバンダルでも言われています。日本の秋田でも言われています。ルイザ・ピッカレータの著作でも言われています。天から火が降り、地の底から火が噴き出すと。ガラバンダルの幻視者は何と言ったでしょうか? 人々は火に包まれ、海に飛び込み、海は空気よりも熱くなると。それが「罰」です。しかし、これで全てではありません。その過程で、地球は地軸がずれるでしょうが、私たちはこれらのことを心配する必要はありません。私はただ、教父たちの教えに従い、十戒を守り、月に二度ゆるしの秘跡を受け、少なくとも毎週日曜日には聖体拝領に参列し、自分たちと家族、子供たち、国を二つの御心に奉献する人々は、何も恐れる必要がないと強調するために、このことに触れただけです。

特に、ルイザ・ピッカレータの著作に献身し、彼女の受難の時間に専心する人々です。この人々は、自分自身の保護と免償を獲得します。マイケル博士、ヴァスーラについてですが、質問の内容を覚えていません。思い出させていただけますか?

マイケル博士:はい、神父さまのヴァスーラとの関わりについてお話しいただけますか?

神父:はい、ありがとうございます。ヴァスーラに出会ったのは、私がペンシルベニアで奨学金を得て医学生だった時です。そこでヴァスーラ・リデンの著作に出会いました。1989年のことでした。父が著作をくれたのです。本はなく、まだ出版されていませんでした。ただ印刷されて送られてきたものでした。

それらを読んだのは、私がただの医学生で、パードレ・ピオや他の神秘家に触れた影響から、信徒として神学の知識が少しあった頃です。私は12歳か13歳の頃から神秘家を読み始めました。どうしてでしょう? 私にも分かりません。聞かないでください。私はおかしかったのかもしれません。12歳か13歳の頃から神秘家に惹かれていました。シエナの聖カタリナ、カタリナ・エンメリック、アグレダのマリア、これらを全部読み始めました。するとヴァスーラが現れたのです。医学の授業を受けながら彼女の著作を読み始めました。その後、マリア年であった1988年に、父がメジュゴリエに招待してくれました。そこで私は、聖母マリアから三つの霊感、語りかけ、召し出しを受けました。現在やっていることを止め、神学校に入るようにと。

それでそのようにしました。一ヶ月後、医学の勉強をやめて神学校に入りました。その当時、病院でも働いていましたが、働き始めてから一年も経たない頃、1989年に、父を通じてヴァスーラの著作に出会いました。理由は分かりませんが、父は私の判断を信頼していました。私の父は海兵隊員で、ニューヨークの警察官であり、ニューヨーク市の消防局長です。父は私に、ヴァスーラをどう思うか尋ねました。彼女のノートを二冊読んだ後、私は「これは100%神からのものだ」と言いました。そして1991年、私はローマに送られました。私はアメリカの大学の哲学科を首席で卒業していたからです。

ローマで、私の共同体は、教皇ヨハネ・パウロ二世とのサラー・デッレ・ベネディツィオーニ(祝福のホール)での謁見に招待されました。家族や友人を一人同伴しても良いと言われました。私はイタリアでヴァスーラの著作を読み続けており、それを持っていきました。著作には「私のヨハネスにこれらのメッセージを受け取ってほしい」と書かれていました。つまりヨハネ・パウロ二世です。そこで私は考えました。「私の共同体が教皇様と会うなら、ヴァスーラを招待しよう。友人を連れて行ってよいわけだから」。私はヴァスーラに会ったことも、話したこともありませんでした。そこで、少し調べて、当時バングラデシュにいた彼女の霊的指導者に電話をかけました。当時は携帯電話はありませんでした。1989年のことです。

そして彼は電話に出ました。ついに連絡が取れました。私は言いました。「ご存知の通り、著作では、イエスがこのメッセージを教皇に伝えるように言われています。私は約二週間後に教皇様と会う予定です。友人を招待してもいいと言われました。彼女に一緒に来てもらえませんか?」彼は「ヴァスーラに連絡を取ってみます。後で連絡します」と言いました。そして連絡を取りました。長くなるので省略しますが、彼女はローマの私の自宅に、マイケル・オーキャロル神父と共に現れました。彼は第二バチカン公会議の神学者で、アイルランドのブラックロック大学の教授でした。非常に知的な人物で、聖霊に関する三巻の百科事典を出版したマイケル・オーキャロル神父です。彼が当時のヴァスーラの霊的指導者でした。

最初の霊的指導者はファナン神父、次にローランタン神父、それからマイケル・オーキャロル神父でした。そしてもちろん、私がその後に続きました。しかし、ヴァスーラはマイケル・オーキャロル神父と共に戸口に現れました。私は「ああ、これは良い」と思いました。そして、私は彼女を一般の部屋に迎え入れました。翌日、私たちは謁見に行き、ヴァスーラは教皇に会い、すべての著作を手渡しました。その後、当時のバチカン国務長官だったアンジェロ・ソダーノ枢機卿は、「教皇はあなたの著作を受け取り、近日中にじっくり読まれるでしょう」と言いました。ところが教皇様は階段で転倒し、右肩を骨折して入院されました。何をしていたのでしょうか? ヴァスーラの著作を読んでおられたのです!

それがヴァスーラとの初めての出会いでした。1993年11月のことです。その後、彼女と何度か会いました。はい。ですから長い、長い旅路でした。

マイケル博士:聞いてよかったです、神父さま。すごい話でした。スルタナさん、神父様に質問はありますか?

スルタナ:私の質問は、(ピッカレータの啓示の)第2巻の1899年6月5日からです。初期の巻ですが、判断力についてです。イエスが私に「他に何か欲しいか言いなさい」と言われました。するとルイザは「聖なるイエスよ、私の聴罪司祭を聖人として、彼の身体に健康を授けてください」と願いました。しかし、この神父が来ることは完全にあなたの御旨なのでしょうか? するとイエスは「そうだ」と言われました。そこでルイザはどうすべきか尋ねました。すると、彼が来ることは神の御旨であると言われました。

ルイザは『もし御旨なら、彼を健康にしてください』と言いました。するとイエスは、「ルイザ、落ち着きなさい。私の判断を深く詮索してはいけない」と言われました。そして識別について、私は自分が正しく識別できているかどうか、いつも確信が持てません。つまり、今では自動的に両方のために祈るようになったように感じます。

神父:わかりました。こう答えましょう。イエスを怒らせてしまうのではという心配はいりません。イエスはあなたの意図を見ておられます。だから、不適切なことを尋ねても心配しないでください。なぜなら、あなたの意図が崇高で、誠実であれば、たとえそれが彼の意志に反していても、イエスは怒らないからです。わかりましたか?

スルタナ:わかりました。とても参考になりました。神が祝福してくださいますように。

神父:今夜の素晴らしい集まりに感謝します。皆さんから学び、私も皆さんを豊かにします。皆さんと一緒にいるたびに、私は多くのことを学びます。時々、ジョセフ神父は神の御旨を知っている、という考えが出てきますが、実際はそうではありません。それは相互作用です。あなたが私を豊かにし、私があなたを豊かにするのです。そして最終的に、私たちは共に豊かになります。それは素晴らしいことです。では、そのために祈りましょう。神があなたを祝福し、至聖なる御心によってあなたを豊かにし続けてくださいますように。父と子と聖霊の御名によって。アーメン。

レオ十四世:ニケア公会議はすべてのキリスト教徒の完全な一致への羅針盤

2025年6月7日 in お知らせ

レオ十四世:ニケア公会議はすべてのキリスト教徒の完全な一致への羅針盤

教皇レオ十四世は、「ニケアと第三千年期の教会:カトリックと正教会の一致に向けて」というシンポジウムの参加者を謁見で迎え、パスカ(復活祭)の共同祝賀への意欲を再確認し、一致は聖霊の働きを通じて受け取られる贈り物であると強調した。

バチカンニュースの記事を和訳

ベネデッタ・カペッリ──バチカン市国

教皇レオ十四世は、「ニケアと第三千年期の教会:カトリックと正教会の一致に向けて」というシンポジウムの参加者に謁見し、ニケアの信仰、シノダリティ(協働性)、パスカの日付という三つのテーマに焦点を当てた。これらのテーマは、今日6月7日の午後にサン・トンマーゾ・ダキーノ教皇庁立大学で終了する同シンポジウムでも取り上げられたもの。このシンポジウムは、アンジェリクム(サン・トンマーゾ・ダキーノ教皇庁立大学)のエキュメニズム研究所であるエキュメニズムと国際正教会神学協会が主催した。教皇は英語で話し、遅れを詫び、ユーモアを交えて「この新しい任務に就いてまだ一か月しか経っていないので、我慢してほしい」と述べました。そして、シンポジウムが未来志向であることに満足を表明した。

「ニケア公会議は過去の出来事にとどまらず、すべてのキリスト教徒の完全な目に見える一致へと我々を導き続ける羅針盤でなければなりません。」

教皇はさらに、第一回公会議が「カトリックと正教会が第二バチカン公会議以降に歩んできた共同の道のり」にとって重要であったと強調しました。また、正教会にとって、1700周年を迎えるニケア公会議は「卓越した公会議」であり、「318人の父祖」によるキリスト教信仰の規範、信仰告白が公布された場であると付け加えた。