インサイド・ザ・バチカン誌のグレッヒ枢機卿の書評

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長い歴史を持つ権威あるカトリック系情報誌『インサイド・ザ・バチカン』の2013年1月号に、プロスペロ・グレッヒ枢機卿によるヴァスーラの著作『天国は現実、しかし地獄も現実』の書評が掲載されました。

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グレッヒ枢機卿は2002年に、教理省長官のラッツィンガー枢機卿の代理としてヴァスーラに五つの質問の手紙を送った方で、2012年に枢機卿になられ、教皇フランシスコが選出された2013年のコンクラーヴェにおいて、開催の祈りをされた方です。

グレッヒ枢機卿、高名な神学者でもあられた

「……ヴァスーラの以前の本は、天からの「メッセージ」のみを収めたものだったが、この書籍はいわば自叙伝、アポロギア(自己の動機・信念・行動を説明・正当性を弁明するために書かれた作品)あるいは懇願であるといえる。しかしその真の文学的あるいは神学的な領域は黙示録的なものである。黙示録的という言葉は、善と悪の対立として歴史の現状を描く啓示の聖書的認識という意味において理解されるべきで、「時のしるし」を読み解く鍵を提供し、神の警告に関心を向けるための招きでもある。

自叙伝の部分では、ヴァスーラの霊的気付きの成長に関連してメッセージが盛り込まれている。彼女はこの賜物は自分にはまったく不相応なものであり、ただ神の好意によってのみ与えられたと繰り返し告白する。そのような賜物を受け入れることが彼女にとってどれほど困難であったか、また一方では重荷でもあったことに読者は直ちに気づかせられる。メッセージの断片があちこちに引用されている。著者は謙虚さを保っており、メッセージの信憑性に関してはいささかの疑いも抱くことはないだろう。この本が黙示録の分野に属する理由は、「黙示録 apocalypse」とはギリシャ語で「啓示」を意味するからである。著者は、繰り返し起こる夢やヴィジョンの中に、そして声を聞いた時に現れる人物を象徴を用いて表現する。この分野が最終的に伝えようとするメッセージは、圧迫された状況に置かれた信じる者たちが、神の愛に応え、信仰を守り抜くために励ますことである。神の和解の申し出を受け入れず拒否すれば、それはしばしば神の裁きを引き起こす。それゆえにこの本のタイトルは『天国は現実、しかし地獄も現実』となるのだ。

この本は読みやすい文量で、明確な文体と誠実さを持って書かれている。問題はもちろん、このメッセージが真に口述されたものなのか、教理的にどのように受け入れられるべきなのかという点である。私は神秘的な事象に関する専門家ではないし、特にヴァスーラは回心の以前にも評判になったことがあるからだ。しかしながら、仮にもし私たちがこのメッセージを矮小化し、単なる「個人的黙想」と呼んだとしても、真の黙想とは―ヴァスーラは何時間も深い祈りのうちに過ごした女性である―聖霊の実りなのだ。その上、このメッセージのもたらす実りが、人々を神に立ち帰らせ、生き方を変えるために助けてきたということであれば、メッセージを即座に拒否する理由はない。

私はこの本の中に、信仰に反する内容を何も見出さなかった。特に、適切な文学のジャンルで読まれるのであれば。また、ヴァスーラはローマ・カトリックではなくギリシャ正教徒であることにも留意するべきである。例えば、すべての教派がキリストのもとに再び集まるために、少し屈むことによって、教会のうちに一致を再構築する、それが教会一致運動の主目的であると彼女は主張している。ヴァスーラは同教派の者たちにローマ・カトリックのスパイであると非難されている。彼女がこの一致をどのように心に思い描いているのかまだ明確にされていないが、メッセージから明らかにされていることは、彼女が「ペトロ」、つまり教皇を兄弟たちの中で最初の指導者として理解していることである。いずれにしろ、この本の主なメッセージは、神は私たち一人ひとりを皆愛しておられ、悔い改めた罪人を受け入れるために腕を広げて立っておられるということである。現代の多くの出来事は、その本質は愛であるが、また罰することもできる神との関係を再考するように世界に思い起こさせるしるしとして、ヨハネの啓示の光のもとで読みとられるのだ。……」