ヴァスーラと共に初金のミサに与る 大阪・北野教会

2005年来日時

ヴァスーラとダニエル神父

ヴァスーラとダニエル神父

2005年11月4日、金曜日の午前中、ヴァスーラはカトリック北野教会でミサ聖祭に与りました。北野教会は大阪市の中心部に位置し、高層ビルに囲まれた小さな教会です。私は同席する幸運に与った中の一人で、少し早めに到着した人々と一緒でした。私たちが少し時間が早いことに気づくと、そこにいた若いカトリック信徒の医者が自発的に、待っている間、ダニエル神父様と一緒にロザリオを祈りましょうと提案し、私たちはロザリオを祈りました。

ダニエル・ファン・ケルコフ神父様(淳心会)は84歳になるベルギー人司祭で、人生のほとんどを日本での宣教のために過ごされ、翌年一月にはダイヤモンド祝(司祭叙階60周年)を祝うことになっていました。地元の世話人たちより、ミサを献げてくださるように特別に招待されたのです。神父様は重篤な脳腫瘍を患っておられ、今年前半に手術を受けておられたのです。神父様が亡くなられたらしいという噂が流れたほど、深刻な病状でした。

しかしながら、この晴天の日、神父様はここにおられ、私たちのためにミサを挙げることをとても楽しみにし、そして喜んでおられました。神父様は前日の夜、睡眠薬を飲まないと眠れないほどに興奮していたと教えてくれました。ヴァスーラが参列するミサを挙げるということは、イエスの聖心からの贈り物だと考えておられたのです。なんという素晴らしい司祭でしょうか!

私たちがロザリオを祈り終えるとすぐに、ヴァスーラと菅原さん、今回のツアーの同伴者であるセシリア1さんが到着し、ミサが始まりました。神父様はこのミサを、今晩の大阪での講演を聴きに来る人々のために献げました。朗読ですらあれほどの熱意をもって読まれたミサには、これまで与ったことがありません。それは間違いなく祝福でした。しかしながら、聖堂の中に跪き台がなかったことを悲しく思いました。ここでは多くの教会がそうであるように、以前に取り除かれてしまったのです。

このことをミサの前にダニエル神父様に言うと、彼も喜んではおられないことが分かりました。以前、このことをヴァスーラに言ったところ、彼女は一瞬のためらいもなく「それは悪魔から来ます」と言いました2。ですがヴァスーラは「どこにでも跪くことはできますよ」とも言いましたし、私たちは実際そうしました!

福音朗読として、神父様はイエスが父なる神に感謝を捧げる箇所を選びました。「天地の主である父に感謝します。賢い者や知恵のある者に隠し、幼子にこれらのことを現して下さったからです(マタイ11・25-27)」。短い説教の中で、神父は「神は自由であられ、どんな者でもお選びになることができます」と言われました。ヴァスーラのことをはっきり預言者と言及されたことを、とても嬉しく思いました。

聖櫃が中央から移動されて以来、ミサの終わりには、司祭も、それゆえ信徒も通常、祭壇と十字架がある中央に礼をします。ダニエル神父が中央にではなく、聖櫃にまします私たちの主に礼をしていたのを見て、とても嬉しく思いました! このミサはすべて録画されています。

ミサの後、私たち皆は地元の京風「豆腐料理」レストランで、あらゆる方法で調理された豆腐料理を含む、ヘルシーな昼食を取りました。この後、大司教座のオフィスに行くのですが、それはまた別の機会に。ダニエル神父とヴァスーラ、また全員の写真も掲載しておきます。

ハンス・エンデルレ
「神のうちの真のいのち」の読者
2005年12月8日 東京、日本

  1. ダニエル神父様、セシリア・ルッツさんともに、既に故人となられています。
  2. 解説:このレポートは2005年のものですが、2021年現在、この状況はさらに拡大しています。近年のラテン典礼教会でのいくつかの典礼上の変更について、神は喜んでおられないことをヴァスーラははっきり指摘しています。ただし、読者はここで注意する必要があります。私たちはこのような件に関して反対運動を起こしたり、私たち自身で監督者たちを非難、批判したりするように呼ばれているのではないということです。それは役に立たないだけでなく、新たな分裂と罪を増やすだけです。すべては私たちの罪の蓄積の結果として、一連の棄教の流れの中で起こっているのですから、私たちは祈りと犠牲、善い業と自分自身の聖化によって、罪を償うことに焦点を当てるのが一番の解決策です。重要なことは、こういった変更は全体として、聖体におけるイエスの現存を意識させず、忘れさせるような方向に動いているということです。読者が意識するように呼ばれているのはこの点(聖体におけるイエスの現存をいつも覚えておく)に尽きます。来るべき教会の患難と刷新は、このような典礼上の技術的な問題をはるかに越える大きな出来事で、その結果として教会は一致し、これらの問題もふさわしい時に解決されるわけですから、読者は忍耐強く、神が現在行っておられる業に協力し、償いの業を行っていくのが良いでしょう。「西の家(西方教会)に言う、あなたの家の棄教と破壊のために泣くことはない、うろたえるな、なぜなら、明日には東の岸(東方教会)から出る私の若枝と共に、食べて飲むのだから」(1994年10月24日)。