前管区長アーサー・ボリュー神父への追悼の手紙

前管区長アーサー・ボリュー神父への追悼の手紙

ボリュー・アーサー神父の前向き思考、人生における危機の切り抜け方

アーサー神父に出会ったのは1976年、ポーランドのクラコフの修道院でのことでした。あの時代に、荒廃した共産主義国家であった私たちの国に来るということは、彼にとっても困難なことだったと想像します。彼は、カナダによる日本の使徒座代理区の宣教の仕事を継続するために、若いドミニコ会士をリクルートするという使命を帯びていました。

彼と話すのは楽しいことでした。可能性を秘めたこの仕事に関する、大局的な視点についての彼の伝え方には敬服しました。このような兄弟と一緒ならば、東方に行くというリスクを取る価値があるかもしれないと思いました。この時、私の教師の一人がある本を貸してくれ、その中に、大戦中に日本人が中国や韓国で行った残虐行為について書かれていたのを読みました。この教師の目的は、私に日本行きを思いとどまらせるか、少なくともそのような決定を下すのによく考えるように促すことでした。さて、まさにこの出来事によって、たとえそのようなひどい事実があったとしても、キリスト教的価値と、福音に基づいて人類の連帯を説くために、私は日本に行くことを決意し、実行しました。それから45年が経ちましたが、アーサー神父の招きは、決して私を失望させませんでした。それどころか、彼は私の上智大学での博士課程において直面したいくつかの危機を乗り越える手助けをしてくれました。「大きな絵を見て、そのすべてを通り抜けるんだ」彼がよく言っていた言葉の要約です。最後に、アーサー神父様、日本で良い宣教師になるのを助けてくれたことに感謝します。

パウロ・ヤノチンスキー神父 O.P.