私は子どもがたまらなく好きだ 私は無力な者を選んだ

1987年1月30日 ノート7

あなたに平和があるように。弱さを感じたときはいつでも私のもとに来なさい、力づけてあげよう。
ヴァスーラ、なぜあなたを選んだか分かるか?

いいえ、イエス様。

では教えよう。私があなたを選んだのは、あなたが無力で、私の知る誰よりもはるかにみじめな者だからだ。みじめさは私を引きつける、なぜなら私が慰めることができるからだ。あなたは無力で、不十分であり、どの国の言葉も習熟できていない。

主よ、私がそんなにだめな人間なら、なぜ私を選ばれて、このような導きをなさっているのでしょう?

以前に言わなかったか? 私は子どもがたまらなく好きだと、なぜなら彼らは私に形造らせてくれるからだと。あなたを通して、私の愛をはっきりと示すためにあなたを選んだ、自分の力では育つことのできないひ弱な花よ。荒れ地の真ん中で見つけて摘み取り、私の喜びの園に植え替え、私の光の下で育つようにさせた花よ。あなたに求めているものは愛だけ。私を愛し、私に忠実でありなさい。あなたの忠実さを求める。私の心を満たすために、あなたの心の中に持つ愛のしずくの一滴一滴がほしい。私は愛の師ゆえ、愛に渇いている。だから、あなたに求めているのは愛だけだ。誰かを愛したら、その人から片時も離れたくないという望みで心が燃えないだろうか?

ええ、そのとおりです。

では、あなた自身を私に与え尽くすことは一番自然なことではないか? 来なさい、私のもとに来なさい、私はあなたの父である1。私無しではあなたは無力だと分かっている、あなた独りではみじめであり、あなただけでは弱いことも。あなたを通してメッセージを届けることができるように、あなたを形造らせてほしい。ああ、娘よ、あなたはこれからどれほど学ばなければならないか……

分かっています。自分が何一つ知らないことは分かっています。

ヴァスーラ、愛している、疑わないように。あなたの質問に答えよう。私は、私の花嫁たち2の中から選ぶだけではなく、私を知らない者たちの所にも行き、その人たちの中からも選ぶ。私は出て行って、すべての扉をたたく。扉をたたき、その音を聞いてくれたらと願いながら待っている。ヴァスーラ、私はすべての魂に受け入れられ、喜んで迎え入れられるのを待ち望んでいる。あなたたち皆を愛している。

あなたは信心深い魂と共にいる方を好まれるのだ思っていました。その人たちはあなたをいつも喜ばせていますから。

ヴァスーラ、私は信心深い魂や私の司祭、修道女を、そうではない他の私の子どもたちと同様に愛している。罪人も、私を迫害している者も含めて、すべての人々を愛している。ヴァスーラ、私はその人がどのような仕事をしているか、また人生においてどれほど知識を習得したかに関係なく、すべての人に近づく。私の力は死人をも生き返らせる。このようにして私と会えるよう、あなたに私の力を与えている。私は主であり、あなたが小さければ小さいほど、あなたを容易に用いることができるのだから。私が自分だけでことりていることは、あなたもよく分かっているだろう。しかし私の十分さは、あなたの不十分さによって栄光を受ける。あなたのみじめさなど、私の目にはほんのささいなものだ、あなたを私に任せ、私の手であなたを形造らせてほしい。

私は権威ある者を選んだことはない、私の権威だけで十分だからだ。私の平和と愛の訴えは、あなたを通して運ばれ、私のあわれみが全人類に示されるであろう。あなたを通して私を現そう。私の子どもたちに、持っていないものを要求したりはしない。過ちと罪しか持っていないのなら、それを私に献げてほしい、そうするなら私は彼らを清め、重荷を取り去り、ゆるそう、彼らを責めたりはしない、ひたすら愛するだけだ。たとえ倒れようと、ゆるしを求めて私のもとに来る者を皆、私は愛する。彼らをなお一層愛するであろう。何百万回倒れようとも、決して拒絶したりはしない。その場で彼らをゆるし、彼らの罪を私の血で洗おう。私は愛とあわれみの神だから、ゆるすことに疲れることは決してない。私は弱い者たちへのあわれみに満ちている。

私の心は聖、そして無限のゆるし。ここまでにしておこう、娘よ。あなたを愛している、私に信頼しなさい、ヴァスーラ、私が言うべきことは、必ずすべて書き記されるであろう。

(しばらくして)

あなたがそばにいてくれるので、私が幸せなのが分かるか? 私、イエスは、心の底からあなたを愛している、そしてあなたに対する私の愛ゆえに、悪魔はあなたを憎んでいる。あなたにわなを仕掛けてくるだろう、私がそばにいて警告を与える。

倒れたくありません!

あなたが倒れるのを見ることはない。私がそばにいて、倒れないようにしっかり支えてあげよう。

私はまだ「形造られ」てもいないのに、どうしてメッセージが与えられたのか分からないんです。

ヴァスーラ、神である私は、多くの人々の益となるようあなたにメッセージを与えた。私にとって魂がどれほど貴重なものか、あなたが知ってさえいれば3。あなたが思っていることは分かっている、その質問に答えよう。

聞きなさい、私は平和と愛のメッセージを与えるためにあなたのもとに来た、私の仕事には不向きで、無力で、名もなく、小さな、無に等しい、ほんの子どもに過ぎないあなたを選んだ、それはあなたを通して、私の熱烈な愛を表し、私の心の豊かさをいまだに理解しない人々に教えるためだった。

私の教師たちが、天的な事柄からあまりにも遠ざかり、私の祝福に対して冷淡なのを見て、私は苦しんでいる。なぜなら、カリスマ(聖霊のたまものは祝福だからだ。彼らの心はどれほど粗野になり、霊的に何も聞こえない不毛な状態を引き起こしていることか。私はもう一度平和と愛を訴えに来た、しかし、これからさらに何人の者が私を拒むだろう? 私に応えようとしない者はさらに何人? あなたたちの中で、特に私の教師たちの中で、私を探し求めながらもあらぬ方向へ目を向けてしまう者が何人いるだろう? ああ、信仰の薄い者たちよ、どこまで私を知らないのか! 私が無限の富であることを忘れてしまったのか? 私が用いるこの種の道具を見てなぜ驚くのか? 私の力は大きく、無限である、そして私はみじめな魂を通して私の言葉を知らしめていく……

ヴァスーラ、この導きが私からのものであることを示すしるしを多くの人々が求めるであろう。だが、私の与えるしるしはあなた自身だ。私はあなたを目覚めさせ、悪から解放した。あなたを生き返らせ、あなたの上に私のわざをたくさん注ぎ込んで、私の心へと引き上げた。与えたものを受け取りなさい、知恵があなたを導いているのだから。

ヴァスーラ、愛している。小さな子よ、あなたは私のもの。娘よ、私を愛し、私を休ませてほしい。あなたの心の中で休ませてほしい、私を受け入れなさい、ヴァスーラ、私を拒絶しないように。ヴァスーラ、あなたが私を受け入れてくれるまで何年待ったか分かるか? ああ、どれほど私の心から遠く離れていたことか、その時私がどんな気持ちだったかを、あなたに言ったことがあるだろうか?

あまりよく思い出せません、イエス様。

教えてあげよう。あなたのことをとても心配していた、あなたが私から遠ざかって当てもなくさまよっていたので、私の心は悲しみでずたずたに引き裂かれていた。

ヴァスーラ、愛する者よ、それなのにどうして私の訴えを拒むことができるだろう? あまりに長い年月、あなたを待ち続けてきたのだから。ヴァスーラ、私の愛を受けなさい、私の愛はあなたを癒やす。

あなたを拒んでいるわけではないのです、イエス様、受け取るよりも、差し出して、愛する方が、むしろ心地良いのです。私のことは分かっておられると思います。

(自分ではそのつもりもないのに、イエスを傷つけてしまったことに悲しみを覚えました。イエスはそれを瞬時に感じ取られました。)

一緒に来なさい、伝えたい秘密がある。ヴァスーラ、私がなぜあなたを愛しているか分かるか?

はい、もう教えてくださいました。

もう一つ理由がある。あなたを愛しているのは、あなたが私の子どもたちを愛しているからだ。
さあ、もっと私に近づきなさい、あなたの心の中に入らせてくれるか?

ええ、どうぞ、イエス様。

あなたの中で休むことができると分かって、どれほど喜んだことか。もう私を拒まないように、私は人々の心の中に入っていくのを切望しているのだから。

多分、いろいろなけがれが見つかるでしょう……

清くないものはすべて見つけ出して、必ず洗い流そう。愛する者よ、私の血はあなたを清くする。

あなた一人の力で私を愛することができたか

1987年1月24日 ノート1-6

ヴァスーラ、ヴァスーラ、小さな子、私のみこころに愛された者よ、恐れるな、愛している。
 娘よ、自分の力で私を愛することができただろうか?

いいえ、イエス様。

私があなたに近づき、照らしたので、あなたは私を愛することを学んだ。あなたを目覚めさせることによって回心させた。ヴァスーラ、なぜあなたを愛しているか知っているか?

いいえ、知りません、イエス様。

では教えよう。あなたを愛するのは、あなたが無力で、みじめで、そして罪深いからだ。私は子どもがたまらなく好きだ。彼らは私に形造らせてくれる、だから愛している。ヴァスーラ、来なさい、そして私の聖心みこころの中にとどまりなさい、あなたはその深みで平和を見いだし、あなたたち皆に対する私の熱い愛を感じることができるだろう。あなたは、彼らに抱く私の愛を伝えることができるようになる。見なさい! 日を追うごとに、あなたは私に近づいている!

私を運ぶ者としてあなたを選んだ

1987年1月23日 ノート1-6

ああ、ヴァスーラ、あなたをどれほど愛しているか、私のもとに来なさい、私はあなたの永遠の父。子どもたちに対する私の愛を感じなさい! 私を愛するようにあなたを教え、導いてきた。道を示したのは私。私は愛の神、平和の神、あわれみの神。私は柔和。良い羊飼い。ゆるしを与える父。道に迷ったあなたたちを助けにも行かず、ただ見ていることなどできるだろうか? 私はあなたたち一人ひとりを数えている。良い羊飼いは羊のためにいのちを捨てる。私は無限のゆるし、あなたたちを見捨てるようなことは決してない。

(しばらくして)

もしも私が書くのをやめてしまったら、イエス様、どうなるのでしょうか?

ヴァスーラ、たとえあなたが書くのをやめても、私はいつもあなたと共にいて、教え導こう。このようにして私と会うというカリスマ(聖霊のたまものを与えて、あなたを教えた。私のために働きたいかと尋ね、あなたの返答は私を喜ばせた。ヴァスーラ、あなたがためらうのを見てうれしく思う。あなたは決断する前に考えることを学び始めている。
 私はあなたの教師、私の導きを受け入れなさい。自分自身の虚栄心で養うことによって、魂を破滅させようとたくらんでいる悪魔の存在に、常に注意しておくように教え導いている。悪魔がどれほど油断ならないかを理解するように教えている。受け入れることを教えよう。謙遜で、自分に正直であり、私に忠実であることを教えよう。あなたに謙遜を与えよう。他の人々よりもあなたを特別扱いしているわけではないことを思い出させている。私の導きは、あなたを成長させ、あなたの魂を清めるためのもの。自分が他の子どもたちよりも愛されているからこのカリスマ(聖霊のたまものが与えられたとは、一瞬たりとも考えてはならない、この恵みはあなたと、恵みを切実に必要としている他の人々とを養うために与えた。私は主イエス・キリスト、自分の群れの世話をする良い羊飼いである。あなたたちに立ち戻る道を教えるために来た。あなたたちを照らし、希望を与えるために来た。
 ヴァスーラ、あなたが生まれる以前に、あなたを評価したのは本当だ。私のメッセージを全人類に示す伝え手として、あなたを選んだ。私の花嫁になりなさいと以前に言ったので、ためらっているのか?

はい、主よ……

あなたは既にそれを受け入れた、覚えているか?

分かっています、イエス様。でももう一度考えてみると、無理だと思ってしまうのです。嫌だということではありません。あなたの花嫁になる値打ちなど私にはないということなのです。一体どうやって! その値打ちも分からないまま、どうしてあのように受け入れることができたのでしょう!

ヴァスーラ、私にふさわしい者になれるよう、あなたを導くことができる。

ふさわしくなれたとしても、それだけでは十分ではありません。

なぜ?

ふさわしいだけではだめだと思うからです。それ以上でなければ。

分かっている、ふさわしいだけでは十分ではない、だが、あなたがふさわしく、そして聖なる者になるように私が教えよう。あなたも努力してそれを獲得しなければならない。さあ、助けてあげよう。あなたは私の花嫁であり続ける、鍛錬を必要とする花嫁として。あなたを愛しているから、ありのままのあなたを受け入れた、だが私の望むような者になるために、私に鍛えさせてもらわなければならない。成長できるようにあなたを養おう。これまでも多くの情報を与えて、悪魔がどのように働くかを明らかにしてきた。それを注意深く読み、いつも目を覚ましていてほしい。
 受け入れることを学びなさい。あなたが弱く、わなに陥りそうになるのを見たら、その度に助けに駆けつけよう。私の導きを、罰するための手段とは受け取らないように、あなたが倒れないように教え導いているのだから。あなたを失いたくない。祈りの中で私に呼び求めなさい、もっと祈るように。

あなたには選ぶ自由がある

1987年1月21日 ノート1-6

(司祭は私をひどく苦しめました。16日に神が予告なさったとおり、私の書いたものが邪悪なものだと証明するために、あらゆる種類の学説が書かれた冊子を何冊も送ってきたのです。神が予告されたとおり、潜在意識、オカルト、悪魔崇拝に関する学説なども送ってこられ、さらに手紙が添えてありました。そこには、私と他の人々のために、これまで書いたものを破り捨てて、これはすべて悪魔からのものだから、警戒するように伝えなさいと書いてありました。そこで私は、司祭の指示に従ってあの三つの祈りを唱えたことと、結果を見るために書かなかったことを伝えたのです。でも彼は信じなかったようです。というのも、彼はもう一人の(書かれたものが神から来ていると信じ、私を支持してくださった)司祭の所に行き、この文書は悪魔的なものであり、私は指示した三つの祈りを唱えることすらしていないとおっしゃっていたからです! 彼は他の多くの司祭にも警告していたので、私を支持してくださる司祭は、最新の二冊のノートを彼に渡して読んでもらうようにと私に言われました。翌日、私を信じようとなさらないその司祭は、自分なりに考えをまとめたのか、私に書き続けるようにと言ってこられました。とはいえ、これが邪悪なものだと信じておられるその司祭も、教会への愛のため、教会を守るためにそうしておられることは私にも分かっています。この方がもっとはっきり見えるようになることだけを願っています。彼は私のことも救いたいのです、なぜなら、これが邪悪なものだと信じておられるからです。いつかきっと分かってくださるでしょう。聖マリアに祈ります、私は何か間違ったことをしたのでしょうか?)

ああ、娘よ、あなたのために、どんなに心が痛むでしょう。

他の人々にも神を愛してほしいと望んで、このメッセージを見せたら、私は間違ったことをしていることになるのでしょうか?

いいえ、何も間違ったことはしていません。私はマリア、悲しみの母です、ヴァスーラ、私がいつもそばにいます。私たち1と共にいてください。慰めを得るために私たちのもとに来てください。彼らは私たちの豊かさを理解しません。いつまでも心を閉ざしています、あなたは私たちが与えた多くのしるしの一つですが、彼らは理解していないようです。神の呼びかけに耳を傾けるよう、神はあなたを励まされました。
 ヴァスーラ、一人の魂を神のそばに連れてくる度に、神はあなたを喜ばれます。私の子イエスと私がいつもあなたのそばにいます。気をつけなさい、悪魔はあなたに対して激怒しています。あなたを止めようとしているのです。彼らの戦い方は、あなたをあざむくために、間違った言葉を付け加えるというものです。このことを常に覚えておきなさい、決して忘れてはなりません。それがあなたに対する彼らの武器なのです。私がそばにいてあなたを守っています。

悪魔に気付くことができるでしょうか?

私がいつも教えてあげましょう。私に信頼なさい。イエスは、主を識別できるようにあなたを訓練されました。

どうして私は攻撃を受けているのでしょうか?

それを説明しましょう、私の子よ。あなたはハデス2にさらされていることを理解なさい、愛する子よ。あなたの神への愛が、道から外れた多くの魂を癒やしています3。そのためにあなたは攻撃されているのです。私がそばにいてあなたを守っています。偽りの言葉をなぜ受けるのか、あなたが理解できるように今説明しました。イエスと聖なる御父に対して抱く愛によって、あなたは多くの魂を癒やしているのです。

このようなやり方でも働いていることになるのでしょうか?

そうです、あなたは愛によって魂を癒やしています。人々に感化されて、彼らの諸説に屈してはなりません。書くのをやめるように言われる度に、自分がかつてどれほど無知であり、暗闇の中に生きていたかを思い出しなさい。私たちの子どもたちの多くは、もはや私たちのしるしに気付くことができません。神はあなたを選び、神のメッセージを伝える者とされました。神をお喜ばせし、その御声をお聞きなさい。

感謝します、聖マリア、神があなたを祝福されますように。

あなたに平和があるように。

イエス様?

そうだ。ヴァスーラ、あなたが理解できないほどに、あなたを愛している。ヴァスーラ、私の子どもたちがこれほどまでに乾き果てているのを見て、どんなに苦しむか。彼らへの私の愛を、どうして忘れられるのだろうか? 私は彼らのためにいのちを差し出した。愛する者よ、そばにいて私を感じなさい。あなたを解放する時が来たら迎えに来よう、だがその前に、あなたにはやり遂げなければならない仕事がある。
 神である私は、人類すべてを祝福しようと、既に知恵を啓示した。ああ、娘よ、いつの日か、あなたは私の働き方を完全に理解できるようになるであろう。恐れなくてよい、神である私が、あなたを愛しているのだから。

(しばらくして)

娘よ、私はイエス、私と共に書くときは、いつもその前にあの三つの祈りを唱えてほしい、なぜなら、それらは悪を遠ざけるからだ。信じなさい、それらの祈りは強力だ、私のためにこれからも働きたいか?

イエス様、もし私が働きたくないと言ったら、どうされるのですか?

あなたには選ぶ自由がある、恐れなくてよい、あなたに与えたカリスマ(聖霊のたまものを取り上げるようなことはしない。あなたをどんなに愛しているか伝えるために、絶えず会いに来るであろう。

いいえ、イエス様、あなたのために喜んで働きますと既に申し上げました。自分の言葉を覆すことなどどうしてできるでしょう。覚えておられますか?

あなたの答えを聞いて喜んでいる、娘よ。私のそばにとどまりなさい、そうすれば教え導こう。

イエス様、あなたを傷つけたことがあったでしょうか?

ああ、あった。私がどうやってあなたを暗闇から救い出しに来たかを、あなたが忘れてしまった時だ。だが私はゆるした。あなたが私をどれほど愛しているか知っている。私はあなたの花婿。忘れないように。私の花嫁として、私たちはすべてを分かち合っていることも忘れてはならない。ヴァスーラ、私はこの疲れ切った両肩に、平和と愛の十字架を背負っている、これを取りなさい、愛する者よ、しばらくの間でよい。あなたの両肩にこれを降ろして、私の荷を軽くしよう。私の十字架をあなたの上に降ろすことができるよう、そばにいてほしい。私がどれほど苦しんでいるか、あなたは分かっていると知っている、だからそばにいてほしい。私の十字架を感じるとき、あなたも苦しむだろう。私はあなたの花婿、だから私の苦しみも共に分かち合う。あなたがこの重荷から解放してくれる度に、私は安らいだと感じるだろう。あなたが私を受け入れる前から、私はいつもそばにいて、あなたのあらゆる動きを片時も逃さず見守っていた、愛する者よ。あなたに何度も呼びかけた、しかしあなたは私の現存に気付かなかった。今、ようやく私の声を聞いて私のもとに来たというのに、なぜ疑うのか?

(司祭と連絡を取った後、疑いを持ったのです。)

弱さを感じたり、疑いを抱いたりしたときは、いつも私が今言ったことを思い出しなさい。私の平和と愛の十字架を担うように、そして私を置き去りにしないでほしい。さあ、共に祈ろう。

(イエスは私と祈ってくださいました。祈りの間、イエスは上の方を見上げておられました。)

イエス様、私があなたをどれほど愛しているかご存じですね。あなたの十字架を担って荷を軽くし、お助けします。重荷を二人で分かち合いましょう。

娘よ、あなたがそう言ってくれるのをどんなに待っていたことか。愛する者よ、さあ、私たちのやり方を続けていこう。

(イエスはとても喜んでおられました。うれしそうでした。)

(翌日)

(私の名前が聞こえました。イエスが私をひっきりなしに呼んでおられたのです。私は絵を描いていました。絵筆を放り投げ、立ち上がって机の所まで走って行きました。)

ヴァスーラ、ヴァスーラ、ヴァスーラ。私、イエスが、あなたを呼んだ。ああ、ヴァスーラ、あなたをどれほど愛しているか。私の栄光をたたえるように。いつも私と共にいなさい。それほどの熱意を持って愛してくれる度に、私は栄光を受けたと感じる。今のように私の声を聞いて、いつも私を喜ばせなさい。覚えておくように、私は間もなくあなたと一緒になる、すぐにあなたを私のそばに連れて来よう、愛する者よ、私はあなたが想像できないほどに愛しているのだから。だが、まずは私のメッセージを全世界に送り届けなくてはならない、あなたが今やっているように。それからあなたを迎えに来る。私がいるここへとあなたを連れて来る、そして私のそばに永遠にとどまらせよう。私、イエス・キリストは、あなたを愛している。この恵みをあなたに与えた、ヴァスーラ、あなたを祝福した。与えたものを取り上げるようなことは決してない。
 ――娘よ、私の教会を生き返らせてくれるか?

ああ、イエス様、私にはできないことを頼んでおられます!

私に信頼しなさい!

あなたに寄りすがって、すっかり頼ります。あなたは私の教師でいらっしゃいます。

私の栄光をたたえなさい、あなたを導こう。

私の花嫁になりなさい

1987年1月8日 ノート1-6

あなたに平和があるように、ヴァスーラ、私はイエス。ヴァスーラ、私のもとに来なさい、来て、私の心の真ん中に住みなさい。

私をお望みですか、イエス様?

ああ、そうとも! 切望している、あなたを引き寄せたい!

でも私には何の価値もありません。

ありのままのあなたを愛している……私の花嫁になりなさい、ヴァスーラ。

いったいどうやって!

愛している。

どうすればあなたの花嫁になれるのか分かりません、イエス様。

どうすればいいのか教えよう、愛する者よ。

そのために何かしるしを身に着けましょうか、主よ?

私の十字架を担わせよう。私の十字架は平和と愛を求めて叫んでいる。

あなたをお喜ばせしたいです、イエス様。

私から決して離れずにいることによって、私を喜ばせなさい、私を愛することによって、喜ばせなさい、私の子どもたちを目覚めさせることによって、喜ばせなさい。

どれをするにもあなたの力が必要です。特に最後におっしゃったことには!

私を見なさい。

(イエスを見ました。イエスはオーラのように光り輝き、力を放っておられました。)

私は力。あなたを助けよう、祝福を受けなさい。

私と一緒におられてうれしいですか? 今までお尋ねしたことはありませんでしたが。

あなたと一緒にいていつもうれしい、あなたに愛されているのを感じる。

あなたが肉眼で見えるお姿だったらいいのに!

求めなさい、そうすれば与えられる。私への信仰を大きくするように。

(私は書いたものを近くのカトリック教会の司祭に見せようと決心しました。司祭はそれを悪魔だと言って非難し、やめるように私に言いました。イエスはこの司祭に、私と一緒に平和と愛の十字架を担いたいかと質問しておられたので、そのことを司祭に伝えました。司祭はそれは悪霊だと言いました。そして聖ミカエルへの祈りと聖ベルナルドの聖母に向かう祈り、またイエスのみこころへの信頼のノヴェナを私に手渡し、明日からそれらを唱えて、何が起きるか様子を見なさいと言いました1。私は言われたとおりにしました。手を書くままに任せると、「私、ヤハウェが、あなたを教え導いている」という文字が現れました。四日が過ぎました。)

主イエス様、私は司祭が望まれたとおりに実行しました。祈った後に示された、五つの単語2以外は何も書きませんでした。司祭に従うため、あなたがお書きになるのをお止めしました。お尋ねしたいのですが、主よ、これから何が起きるかも、この司祭に私がどれほど苦しめられるかも既にご存じだったのに、なぜ、どうして、司祭にそのような質問をされたのですか!

私はあなたと共にいる、娘よ、その司祭に質問したのは、彼に学んでほしかったからだ、彼が私の豊かさを理解し始めるように願っている、私は無限の富である!
 「私、イエス・キリストが、私の子どもたちのためにこの導きを与えていることを悟りなさい。ヴァスーラを導いているのは私だ。私が与える祝福を拒んではならない。私のメッセージは平和と愛を求めて叫んでいる。私の聖所が私の子どもたちでいっぱいになることを望んでいる。彼らに私の方を向き、聖なる生き方をしてもらいたい。この闇の世を照らすために私は来た。彼らを生き返らせたい、そして私の言葉が生きていることを彼らに教えたい! 彼らが忘れ去ってしまった私の言葉を思い出してもらいたい。私が彼らをどんなに愛しているかを思い出させたい。彼らの心に火をつけたい、私が彼らを愛しているように、彼らも互いに愛し合ってほしい。あなたを愛している、息子よ、ヴァスーラを止めようとすることによって、あなたにそのつもりはなくとも、私の教会を傷つけていることを理解しなさい。私はあなたが愛する主イエス・キリストである。あなたが誠意からそうしていることは分かっている、だが、私が現れてこう告げる前のサウロもそうだった。『あなたが正しいと信じていることは間違っており、私を迫害している』と。私、イエスが、私の娘に与えたカリスマ(聖霊のたまものを、あなたは邪悪なものだと思い込んでいる。私を信じなさい、息子よ、怖がらないように、なぜなら、もう一度言うが、ヴァスーラに私から学ばせるのが、私の意志なのだから。彼女は今、花開こうとしている、彼女の結んだ実は、後に多くの失われた魂を養うであろう。いずれ分かる、息子よ3。私、イエス・キリストはあなたを愛している。」

(司祭はこれを読み、これこそ悪魔からのものであり、占いのたぐいだと言って私を非難しました。)

分かっている。彼にこう言って、私について説明しなさい。「占いは愚か者のためのものであり、神から来る霊感は祝福された子どもたちのためのものです。占いは何の実も結びませんが、神からの霊感は良い実を結び、多くの者を養います」と。
勇気を取り戻しなさい、娘よ、神の知恵は私の子どもたちを目覚めさせる。神である私が、あなたを愛している。