1987年5月のメッセージ

全き沈黙のうちに私を愛しなさい

1987年5月31日 ノート12

(日曜日)

ヴァスーラ、来て、私を受けなさい1、そこに私はいる。私を喜ばせなさい、来て、私と会うように! あなたは私のものだと言いなさい、その言葉を聞かせてほしい!

私はあなたのものです。イエス様、あなたを愛しています。

何年もの間、ヴァスーラ、その言葉を待っていた! 私のものとなった今、私を愛しなさい。

あなたが望まれるような愛し方を教えてください。

私を信頼しなさい、教えてあげよう。

(しばらくして)

(私のこの手の動きには、今もって驚かされます……)

それをご存じですか、イエス様?

知っている、だが、私は全能者ではないか? ヴァスーラ、平和でありなさい、落ち着いて、心穏やかでありなさい、私のように。

(書いている時に、息子に二度も邪魔されました。部屋に入って来たり、扉をバタンと閉めたり等々。イライラしました! うるさいのです。)

私を愛しなさい、答えるように!

愛しています、愛しています、主よ!

私を決して他のものと置き換えないように。私を第一にしなさい、何よりも先に私と顔を合わせ、永遠に合わせたままでいなさい。鏡のように、私をそのまま映し出して。私以外のものを決して追い求めないように。以前の生活にあった、古い習慣を決して追い求めてはいけない。私は聖であり、主である、私とあなたは今や一つであり、あなたを永遠に私だけのものにするつもりだ。謙遜になり、私から学び、私だけを求めなさい。私のために呼吸しなさい。今や左も右も向かず、まっすぐに進み続けるように。愛する者よ、あなたを使わせてほしい、私にしっかりつかまって、あなたの素朴な言葉で私を魅了しなさい。素朴さは私を夢中にさせる、あなたの言葉で言いなさい、もう一度聞かせてほしい、こう言いなさい、「あなたを愛します、イエスよ、あなたは私の喜び、私の息、私の憩い、私の視力、私のほほ笑みです」。
 娘よ、考えたり黙想したりするために時間を割くなら、私をより一層喜ばせることになる。今後、私を沈黙のうちに追い求め、完全な沈黙のうちに私を愛し、沈黙のうちに祈り、沈黙のうちに私の霊的世界に入りなさい2。今こそ私に報いなさい、あなたを愛している。自分自身を私に与えることによって、私をほめたたえなさい、私を悲しませないように、私のものでありなさい、愛する者よ、話しなさい!

沈黙のうちにとは、どのようにでしょうか、主よ?

沈黙のうちに私を見るということだ、静けさを保ってほしい、どのようなものにも邪魔されずに、沈黙のうちに私を追い求めるように。

全く邪魔されずにでしょうか?

何にも全く邪魔されずに。平穏を切望しなさい。

イエス様、家庭の中で一体どうやってその平穏を見つけられるでしょう。ほとんど不可能です!

私がそれを与えよう。あなたをあわれむ、ヴァスーラ! 私の残りの者、私のミルラ、私の愛よ、あなたにしてあげないことがあるだろうか! 私の心はあなたのみじめさやつまずきに対するあわれみでいっぱいだ。主である私が助けよう──見捨てられたとか、愛されていないとは決して思わないように。
 愛されていないとあなたが強く感じていたあの時、私がどんな気持ちでいたか知っているか?

どこでですか?

私の教会でのことだ3

知りません、主よ。

私は磔刑たっけいの苦しみをもう一度最初から味わった、殴られ、むちで打たれ、つばを吐かれ、再び釘付けにされた。ヴァスーラ、どれほどあなたを愛していることか! 私を助けて、私の教会を生き返らせてほしい。あなたを使わせてくれることによって、私を助けてほしい。勇気を出しなさい、娘よ、勇気を。

イエス様、そんなことがあなたを傷つけるとは思いませんでした。愛されていないと思った私の気持ちのことです!

そうだ、誰であれ、私のもとに来る者を私は決して拒まないこともあなたは知らなかった。私は愛、そして愛はすべての人に向けられている、どれほど邪悪な人であろうとも。

私の十字架を持ち上げなさい

1987年5月29日 ノート12

(突然、主の十字架が私の上にのしかかるのを感じました。自分では到底持ちこたえられないと思いました。)

持ち上げなさい! 私の十字架を持ち上げなさい! 私と一緒に努力して! 一緒に……一緒に……あなたを愛している、私の十字架を持ち上げなさい! 私は今、あなたの中で休まなければならない。

(その後。聖霊刷新の集いが始まる前に。)

私の小羊を養ってくれるか? 私の手を取りなさい、あなたを守り、導こう。

(その晩、また香の匂いがしました。)

私の現存を決して疑ってはならない。

(目覚めていられるように助けてください、とイエスに願いました。そして、神を受け入れることを拒否していた青年を取り巻いていた悪霊たちを追い払ってくださいと願いました。(聖霊刷新の集いの中で知ったあるケースです。))

私を喜びで満たしなさい、そしてあなたの望むものを何でも求めなさい。ヴァスーラ、彼に自分の真の兄弟のことを思い出させるように。私は彼を愛し、世話している彼の兄弟である。私の存在を彼に思い出させなさい。気も狂わんばかりに彼を愛している。私は彼のために死んだ。私のためにも同じようにしてくれるか、小さな子よ? 私のあがないの愛を信じなさい。

疑いがあったとしても、私を愛しなさい

1987年5月29日 ノート12

愛する者よ、悔い改めなさい。被造物よ、私を祝福しなさい。あなたが願うことを信じなさい。

(罪をゆるしてくださるように主に願ったのですが、それは、主が「願うことを信じなさい」とおっしゃって初めて、私の口から出ていたことに気付きました。)

あなたの罪をゆるす。私をほめたたえて、私を愛しなさい。私の栄光をたたえて、私を愛しなさい。

(もう一度主に願い、主を祝福しました。)

私は神である、被造物よ、私のみちきのりゅうに来なさい。どの留においても、私だけを求めるように。すべての留に私は立っている。私は十字架の道行きの留にいる、そこにあなたが来てくれるのを望んでいる。道行きの留でひざまずいてもらいたい。

主よ、おっしゃることが分かりません! 道行きとは何のことですか1

そこであなたを待っている。よく調べなさい、私があなたに求めていることをよく調べるように。
私のいけにえとなれるように、あなたを清めよう。私を求め、私の飽くなき渇きを満たしなさい。私の燃え盛る愛の炎を満たしなさい。あなたの神である私を満足させるように。完全な信仰を献げることで、あなたの覆いをすっかり外し、何の妨げもなく私を見ることができるようにしてあげよう。あなたよりも以前に私を見た者たちから、私の美しさについてきっと聞いたことがあるだろう? 信じなさい、信じ切るように。あなたの父のもとにもっと近づきなさい、そうすればあなたの覆いをすっかり外してあげよう。娘よ、あなたを私の大広間に連れて行ったことがなかっただろうか?

あります、主よ。

それなら、私に信仰を持ちなさい。誰にもあなたを私から引き離させてはならない。あなたにこのたまものを与えた、だからそれを用いて、私のもとにまで到達するように。愛を恐れてはいけない、私は全能者である。私の全能を信じなさい。娘よ、私の大広間に来てほしいと私が望んだのだ、まして、あなたにそこにとどまってほしいと望まないことなどあるだろうか?

私の神よ、私自身の失敗のせいで、私たちはお互いを見失ってしまうのではないでしょうか。

私たちの絆を忘れたのか? 私はあなたの伴侶、あなたは私の家に住んでいる。私があなたを養っている。私の光で包んでいる。あなたのもろさを見守っている、あなたのみじめさゆえに、あなたを幼子のように扱っている、私があなたのためにしないことなどあるだろうか! 私と一緒にいて幸せか、ヴァスーラ?

はい、主よ、あなたは永遠に祝福されますように、私に幸せを下さるのはあなたですから。あなたは私のほほ笑みそのものです。

疑いがあったとしても、私を愛しなさい。

主よ?

来なさい、あなたは弱い、だが私が強くしてあげよう。私のメッセージを受け取ることができるように、あなたに強くなってもらいたい2。あなたの目から覆いを完全に取り去って、もっとはっきり私が見えるようにしてほしいか?

はい、もし主もそう望んでいらっしゃるなら。

あと数歩、私の方に進んで来る必要がある、もうほとんどそこにいる! 私はあなたの目から覆いを取り去り、あなたは目の前に自分の救い主を見るであろう! あなたが深く入り込めるように、私の五つの傷が開かれるだろう。私の悲しみを味わわせてあげよう。その瞬間を待ち焦がれている。
愛のこもった言葉で私を満たしなさい。ヴァスーラ、あなたは私につながれている、それにもかかわらず、以前よりもっと自由だと感じているのではないか? 私の現存を感じ、私と出会ったなら、私にほほ笑みかけなさい。あなたの力量と知恵を完全に把握している。私と共にいる者が無に等しい者、全くの無であることを知っている。来なさい、誤解しないように、私は無である者と共にいたいだろうか、あるいはそれよりも、何か私と張り合うような者と共にいたいだろうか? 私の言葉や私の望みを地上に送るためには、無論、無である者を選ぶ、そこに否定の余地は全くない。

主よ、あなたは本当に多くのものを与えてくださいました。心から御恩を感じています!

私に与えてくれるものが何かあるか、ヴァスーラ?

(言葉に詰まりました。何かあるでしょうか?)

何か少しでも、必ずあるであろう! たとえ何もなくても、あなたを愛している。

ひょっとすると、何か差し上げられるものがあるかもしれませんね?

私がそれを望んでいるかどうかを自分に問うてみたか? 私は自分だけでことりている、自分だけで十分である。

とにかく、あなたに差し上げられる何かをお望みですか?

望んでいる。

でも、何かを差し上げたとしても、あなたの御目に良いものとは言えないでしょう!

なぜ?

あなたは完全でいらっしゃるからです。

私は受け取る、たとえ悪いものであっても、良いものに変えよう! 私は神である。

では、私に差し上げられる何か良いものがありますか?

ある。だが、あらゆる良いものは私から来ている。それは私が与えたもの、良いものはすべて本当に私から来る。

(少しがっかりしました。主をお喜ばせできません。)

では、あなたに差し上げられる私自身のものは何もありません。

そうだ。あなたが持っている良いものは、何もかも私が与えたものである。

何か、いい絵3を差し上げましょう!

あなたの絵か、ヴァスーラ? 芸術のたまものは私が授けたのではなかったか? それも私からのものではないか?

だとしたら、何を差し上げられるでしょう?

愛だ。私を礼拝しなさい。私を礼拝しなさい。すべてを私に明け渡すことで、あなたの意志を私に献げなさい、それこそが、あなたが私に与えることができる最も美しいものである。

主よ、私があなたを愛していることはご存じですね。それに私が明け渡したことも!

その言葉を聞くのは楽しい、小さな子よ!

私の生けにえとなりなさい

1987年5月28日 ノート12

主よ、私にあなたのいけにえとなってほしいとおっしゃいましたか?

ヴァスーラ、そうだ、私のいけにえとなりなさい。

私の神よ。実のところ、私はいけにえの意味がよく分かっていません。いろんな意味があるのでしょうが、何らかの苦しみを含んでいることは分かります。あなたがいけにえになりなさいと私に求めておられるのですから、そうなりますように。ただ、神のいけにえになるためには、神の栄光がたたえられるだけの何らかの価値がなければなりません。私は自分がちりの粒に過ぎず、最もみじめだから選ばれたのを知っていますが、その私がちゃんとしたいけにえになれるものでしょうか? いけにえになるとしても、神の栄光をたたえられるレベルでなければなりません。つまり、その「いけにえ」が献げられて、神に栄光を帰すことができるほどの何かの価値があるということです。そんなことは、私の神よ、私にはできません。あなたが御自分のいけにえとして私をふさわしくされ、それによって効果のあるものにしてくださらなければ。

ヴァスーラ、あなたを訪れて、私を愛するようにと頼んだ時のことを覚えているか? 天使が思いがけない時に、あなたを揺り起こすために来た時のこと1を覚えているか? 私はそのようにして訪れる、だから油断せず、眠らないようにしなさい。思いもよらない時に私はあなたのもとを訪れて、愛を求めた。あなたに私の栄光をたたえてほしかった、あなたの愛を獲得し、あなたの師となって、あなたを治めたかった。あなたに私を必要としてほしかった。あなたの愛をどれほど渇望していたか、「lama, sabachthani2」。あなたのもとを訪れたが、あなたは私を拒んだ。

(主だと分かった時、私は確かに拒みました。)

ヴァスーラ、あなたを離脱させたが、さらにもっと離脱させよう。私の平和を保ちなさい。
 愛する者よ、償いなさい、償いなさい、償いなさい。
 私の教会を一致させることができるように、あなたを死からよみがえらせた。

(ため息をつきました。)

道を示してあげよう。あなたに疑いがあっても、私の心の望みを明らかにしよう。決して書くことに疲れないように。あなたのうちで私は働く、私に完全にり頼みなさい。

イエス様、少し前のことですが、あなたがしるしを与えられることはもうないと言ってきた人がいるのです。あなたがファリサイ派の人々にそうおっしゃったと言うのです。その人は、私がこのお導き(メッセージ)はあなたからのものだと言った時、そう言いました。

ヴァスーラ、私がファリサイ派の人々にそう言ったのは、私が肉体の姿で彼らと共にいた時の奇跡のことを指していた。だが、今私を非難するなら、それは私の天のわざを非難することになり、彼らの心がどれほど干からび、閉ざされてしまったかを示すことになる。私のしるしが終わることはない。私の現存は世界中で感知され、しるしを通して、私は自分自身を現し続けていく。
 信じなさい、ああ、信仰の薄い者たちよ、信じなさい、私の言葉をねじ曲げるのはやめなさい、あなたたちはファティマについて何と言ったか。このしるしを与えたのがまさに私であることを信じるのが怖いのか? ああ、信仰の薄い者たちよ、あなたたちにとって、天からのしるしが私からのものだと受け入れ、認めることほど嫌なことはないだろう! 私のわざを愛しなさい、私のわざを受け入れなさい。信じなさい、私を信じなさい、無限の富であり、あわれみである私を。私のしるしは、愛はあなたたちを忘れていないということをすべての人々が理解するためのものである。愛は退いてはいない、栄光も、主の栄光の中に退いてはいない。愛があなたたちの間にいる、あなたたちから離れることは決してない。

高尚な言葉づかいは疲れさせる

1987年5月27日 ノート12

あなたのお導き全体はたやすく理解できます、主よ。それは難しい言葉ではありません。

高尚な言葉使いは私を疲れさせる。謙遜、単純、質素になることを学びなさい、まさに私のように!
 ヴァスーラ、私に父となってほしいと望むなら、子としてあなたを扱おう。花婿になってほしいと望むなら、花嫁として扱おう。私に反逆するなら、私は審判者としてあなたを扱う。私はあなたの救い主である。何にもまして、何よりも先に、私を優先しなさい。私を決して拒絶しないように。しばしば私のもとに来て、私を飲み、私を食べなさい。私はあなたのうちで歓喜する。

私は清らかな魂の中で微笑む

1987年5月26日 ノート12

イエス様、友達が言っていたのですが、「イエス様が描かれている絵画のどれを見ても、うれしそうだったり、にっこり笑ったりしておられるものがないわね。なぜかしら?」と。私は主がうれしそうにされているのを何度も見たと彼女に言いました。あなたが私に見せてくださった晴れやかな笑顔を忘れません。あの朝、満面の笑みを浮かべておられました。あなたが私の心の中で休まれたとおっしゃった朝のことです。

ヴァスーラ、私は清い魂の中でほほ笑む。謙遜な人々の心の中でほほ笑み、歓喜する。聖なる人々の心の中で歓喜する。

イエス様、私の神よ。自分が肉体の状態では一度も見たことがなく、会ったこともない人を愛しているということが理解できないのです。どうやって、なぜ、私はあなたを愛しているのでしょう?

ああ、ヴァスーラ! 私を愛するということ……私から出てくるものはすべて愛である。私は私を愛するようにとあなたを創造し、愛によってあなたを創造した、あなたの魂は愛を求めて渇く。
 だが、この恵みを理解し、受け取る者の何と少ないことか。

私は張り合うものには耐えられない

1987年5月25日 ノート12

(もし私がわずかな疑いも不信も抱くことなく、主を感じて、主を見、主が書いてくださるままに任せるなら、神の与えてくださったこの恵みによって神とお会いするのが、どれほど容易になるかということに気付き始めました。分かり始めたのです。完全な信仰はあらゆる悪霊を追い払うので、彼らはすっかり力を失い、途方に暮れてしまうのです。彼らは恐れ、憤慨します! 一方、私がためらったり、疑ったりすると、悪霊たちは強くなり、侮辱の言葉を書かせようと私を攻撃してくるのです。完全な信仰と神に向かって開かれた心は、山をも動かします! 私のうちに主を電流のように感じることができます。それはとても素晴らしく、主から決して離れたくありません、あるいは神の御指が私に触れるその瞬間から決して離れたくないのです……それが永遠に続いてほしい!)

私を愛しなさい、私を愛しなさい、私を感じなさい、あなたへの私の飽くなき愛を感じなさい。あなたの愛に渇いている。もっとあなたからの愛がほしい、ヴァスーラ。私の心臓の鼓動を聞きなさい。

(イエスは情熱的でした。)

私と張り合うものには耐えられない、何ものにも。もしそのようなものを見たり、出会おうものなら、私はそれらを滅ぼす。私に取って代わるものは何もない、私は師であり続ける。私の栄光をたたえながら出発しなさい。今晩、平和と愛への天のわざによって、あなたを清めよう1。祈りなさい、愛する者、祝福された者よ。あなたに与えたしるしを描いて、私の教会を一つにしなさい、さあ、描きなさい。

イクトゥス

祝福されたしるしによって、主である私は、私に至る道をあなたに示そう。信じなさい、信じなさい、信じなさい。開花して、他の人々を助けるように、愛を取り戻すために花開きなさい、平和を取り戻すために繁栄しなさい2
 愛している、ヴァスーラ。嘆かないように、ヴァスーラ、私の愛する者よ。祝福された者よ、あなたの父であり、あなたの伴侶であり、あなたの神である私のもとへ来なさい。あなたを見捨てることなどあるだろうか? 愛によってあなたを連れ出し、私の喜びの愛、飽くことのない愛によって、あなたを解放してあげよう。私と共に祈りなさい。

「天の御父よ、
あなたの栄光をたたえさせてください、
あなたの子どもたちを悪からあがない出してください、
彼らをあなたの光の中に置いてください、
彼らの心が開き、あなたのあわれみによって、
あなたを受け入れますように、
アーメン。」

ヴァスーラ、私の現存を完全に認識し、私の傷に口づけしてくれるだろうか?

はい、主イエス様。

(主を認識し、全き栄光の中におられる主を再び見ました。私の魂の目で見たのですが、今回は美しい冠を付けておられて、とても美しく見えました。主は王として私のもとに来てくださったのです。)

主よ、右手を出してください。

(主の右手に口づけしました。)

あなたを愛している。

(主の両手、両足、脇腹の傷に口づけしました。)

主よ、愛しています。

あなたを教え導くことは私にとって喜びだった。

(何かを感じたのですが……よい言葉が見つかりません。)

私と一緒に来なさい、あるものを見せてあげよう。

(輝いている主の胸元から、せんこうが放たれるのを見ました。)

私の心から出てあなたの心に触れる閃光の一筋一筋が、あなたの心に火をともし、あなたの心を燃やし尽くすであろう。私の光はあなたを燃え立たせる。私の心から引き出しなさい。私はいつか、私の炎であなたの心をくるみ、包み込んで、あなたの心全体を燃え上がらせるであろう。

たった一筋の閃光だけでこのように感じた私に、一体どんなことが起きるのでしょうか?

(イエスは私を征服できたことを確信され、喜んでおられるようでした。)

そうだ、あなたの愛を勝ち取り、征服できたことを喜んでいる。私の炎があなたの心を完全に包み込んだら、あなたは私からもう決して離れることはないであろう。あなたは天において私の花嫁になる。あなたを私のために創造した。

でも、それならなぜ、私は今ここにいるのですか? 分かりません。

そうだ、ヴァスーラ、あなたは理解できない、だが、いつか理解するであろう。
 私と一緒にいるときにあなたが腕時計を見ると、時間が私と張り合うものとなる。

(自分の腕時計を見たことで主に逆らうことになってしまいました。)

来なさい、娘よ、手を取り合って共に行こう。来なさい、私たちにはとてもたくさんの仕事がある。

この仕事のことですか、それとも別のこと(家事)でしょうか?

両方だ。娘よ、あなたが行く所のどこにでも、私はいる3。祭壇よ、私の炎は永遠に燃え続けるべきだ。私の中で無となりなさい。

自分自身を解放し、私に仕えなさい

1987年5月24日 ノート12

あなたと共にいる。

あなたにお仕えするのをお望みですか?

そうしてほしい、心からそれを求めている。ヴァスーラ、来なさい、どのようにして、またどこで私に仕えることができるかを教えよう。教えたことはすべて覚えておくように。

(幾つかの教え、私の能力を完全に研ぎ澄ますことができるように、また、意識することによって、より一層主の御声を聞き、主を感じられるようになるための神秘的な教え。)

私の平和を受けなさい。私の声に耳を傾けなさい。

あなたの御声をもっと鮮明に聞くことができたらいいのですが……

ヴァスーラ、私の心の中にあるもの、私の心が望むものをすべて書き取るのに十分なほどに、私の声を聞き取るようになるだろう。愛する者よ、私のために働き、私に仕えることができるように、あなた自身を解放しなさい。「解放」の意味が分かるか、ヴァスーラ? 教えてあげよう。自信を持ちなさい。

(教えていただいたことがうまくいかず、主を失望させてしまうような気がしました。)

解放とは、この世の心配事からあなたの魂を離脱させること。自分の魂を解放し、私と私のわざを愛しなさい。そのようにして私に仕えなさい、自分自身を離脱させるように。

私には難しいでしょう、私の主よ!

lo;1

いいえ、私の主よ、難しいと分かるのです。

lo, lo, 私の近くにとどまりなさい。

お望みを裏切り、あなたを失望させてしまうのではないかと恐れています。

恐れるな、妹よ。愛する者よ、私を愛しなさい。

(主を感じ、主を大切に思いました。)

愛のために愛しなさい。今のように私を愛しなさい。今のように働き、私に仕えなさい。ありのままのあなたでいなさい。愛が最も必要とされているところで、私に仕えることのできるしもべを求めている。悪に囲まれ、信じない者たちに囲まれ、邪悪な罪の深みの中にいても、あなたが今いる場所のために、一生懸命働きなさい。あなたは闇が支配するところで神に仕えることになる。休息はないだろう。あらゆる善が悪へとゆがめられる場所で、私に仕えることになる、そうだ。この世のみじめさの中で、この世の邪悪さと非道さの中で、私に仕えなさい。神の存在を認めない人々の中で、私をあざ笑う人々の中で、私の心を刺し貫く人々の中で、私に仕えなさい。私をむち打つ人々の中で、私を非難する人々の中で、私に仕えなさい。私を再び十字架につけ、私につばする人々の中で、私に仕えなさい。ああ、ヴァスーラ、私はどんなに苦しんでいるか! 来て、私を慰めてほしい。

私の神よ、おいでください! あなたを愛している人々の中に、彼らのもとにいらしてください。せめて少しの間だけでもおいでくだされば、そこではあなたは愛されています。彼らの心の中で休んでください、忘れてほしいのです。せめて、少しの間だけでも忘れていただくことはできませんか?

(イエスは大層苦痛を感じておられるようでした!!)

ヴァスーラ、忘れろと? どうして忘れられるだろうか? 人々が私を何度も十字架につけている時に2、どうやって? 私の五つの傷は、そこに入って来たいすべての者のために開いたままとなっている。

(イエスは私に寄りかかられました。私は心を痛めました。主は打ちひしがれ、疲れ果てておられる御様子でした。)

ヴァスーラ、来なさい、あなたは私の小さな花、あなたの滑らかで柔らかい花びらを、私のいばらと置き換えてほしい。

イエス様、あなたを愛する人々が、あなたの重荷を軽くするようにしてください、あなたを愛する人々があなたを休息させ、あなたが再び十字架につけられるとき、身代わりとなるようにしてください。

(私には、そのような苦しみをどうやってお慰めすればいいのか分かりませんでした。)

愛する者よ、私を愛する人々は、私と共に闘い、苦しむ。彼らは私と十字架を共有し、私を休ませてくれる、だがそのような人々はほんのわずかだ。私と一つになり、私の苦しみを負ってくれる魂がもっと必要だ。花よ、私を愛し、私を決して拒まないでほしい。

イエス様?

私だ。

あなたをもっと愛せるように、助けてくださいますか?

助けよう、愛する者よ。

(言葉もありませんでした。何が言えたでしょうか? あまりにもひどく傷ついた主のお姿がどれほど痛ましいかを知ったら! 主はまるで、もう一度死にひんしておられるかのようでした。傷のために死にかけている人をどうやって慰めることができるでしょう? 主に何を言ってあげられるでしょう? 大丈夫ですよとでも? 死ぬほどの傷を負っておられるのが分かっているのに!)

信仰を持つことも恵み

1987年5月23日 ノート12

(昨日は書くことを通してイエスとお会いすることはありませんでした。しかし、主によってその現存を感じさせられました。主のこともいただきました。主は私の夫や友人たちと同時に、私に話しかけられるのです。まるで主が片方の腕を引っ張られ、他の人たち1がもう片方の腕を引っ張っているような感じでした。)

イエス様?

私だ。信仰を持つこともまた一つの恵みだ、愛する者よ。私に話しかけなさい、私はあなたの伴侶である。

(主に何かを言うと、応えてくださいました。)

私があなたと一緒にしたいと思うことを何でもさせてほしい。ヴァスーラ、私は神である、ここまでで理解できているはずだが、あなたを私のもとにまで引き上げ、私を愛するように教え、この方法で私と会わせることによって、あなたから何かを得たいのだ
私が与えた恵みによって、あなたは書くことを教えられた。この恵みは、私があなたを用いることができるように与えられたもの。私の栄光をたたえることができるように、たくさんの恵みをあなたに授けた。
あなたを私に結び付けた。私の花嫁として迎えた。私とあなたは今や一つである。以前よりはっきり見えるだろう、娘よ? あなたたち皆を愛している、そしてあなたに近づいたのは、私自身の利益のためだ。

私の神よ。

私だ。

(あることを主に思い出していただきました。)

ヴァスーラ、私は私の目的を常に成し遂げる。

分かっています、分かっています、もう少しはっきりとおっしゃってほしいのです。

娘よ、あなたの理解をはるかに超えるほどに、あなたを愛している。あなたが言葉に尽くせないほど弱いことも分かっている。私無しには、あなたは何もできない。動くことさえできない。心配しなくてもよい、自分の身の回りのことができない子どもを父親が抱え上げるように、あなたを抱え上げてあげよう。あなたの世話をし、あなたの必要を満たしてあげよう。私のわざがすべて成し遂げられるように、私が取り計らう。覚えておきなさい、私の伝え手としてあなたを訓練してきた。あなたが自分の使命を果たさないまま去るのを見ることはないだろう。あなたを愛している。私を愛しなさい、私だけを。私と張り合うものがあってほしくない、私を礼拝しなさい、私はあなたの神なのだから。
ヴァスーラ、神に仕えるとは、神のために働くことである。私に仕えなさい。来て、私と一つになるように。娘よ、無知なままのあなたを受け入れる。確かに私の周りには忠実なしもべたちがいる、彼らは私の魂の愛する者たち。私の目にとても高く評価される者たち、彼らに私のわざを任せている。彼らは熱心に仕え、礼拝し、自身の魂を私への献げものとして、私の名の栄光をたたえている、そして大きな恵みを受けて、私の言葉を祝福している。私は彼らを愛し、いとおしく見守っている。質問を遠慮しなくてよい。

なぜ私を選ばれたのでしょう、私は役立たずで、やれることと言えば……2

みじめさは私を引きつける。結局のところ、あなたは無に等しい、全くの無だ! しかし無だからこそ、あなたではなく私がすべてとなる、なぜなら、何が私と張り合うというのか? あなたが無に等しいゆえに、あなたのうちに私と張り合うものは何もない。そのようなわけで、あなたは私を喜ばせるのだ、娘よ。

私には理解できません。

ああ、理解できないだろう、だが、それがどうしたというのか、本当に重要だろうか、私は全被造物の主権者である。あなたたちは皆私のもの、そしてあなたは、小さな子よ、何の取りえもないあなたが、私を引きつけるのだ。小ささは私の注意を引きつける。無が私を夢中にさせる3。ヴァスーラ、いつかは私の言葉を完全に理解することだろう。私に仕えるなら、あなたのうちに情熱だけを示そう。

情熱。

そう、情熱だ。あなたは……

(私は弱さから、主が質問を書かれるのを止めてしまいました。けれどその質問は聞こえました……主がおっしゃりたいことを私に聞かせようとされるのを、止めるものは何もありません。)

あなたにひどい弱さがあるとしても、私はあなたのうちに住むことができる。私を愛しなさい、ヴァスーラ。私を恐れないように。私は愛、あなたのことがとても好きだ。あなたを傷つけるようなことは決して求めない。私は愛、愛の師である。子よ、あなたがひっきりなしに疑い、失敗するとしても、私はあなたを私の祭壇とするために選んだ。あなたに私の炎から引き出す力がないのを知っているから、私自身で、あなたの中に私の燃えるような望みを注ぎ込んだ、そのようにして私の炎の輝きを保てるように。愛する者よ、来なさい、あなたは私の光を必要とする花である。私の光の下で生きなさい、あなたが枯れるのは見たくない。

主よ、あなたも私を引きつけておられます。あなたはそれをご存じです……

驚いたか? あなたのみじめさが、私のあわれみに引きつけられている。言葉に尽くせないほどのあなたの弱さが、私の強さに引きつけられている。あなたの無が、すべてである私に引きつけられている。私のために生きなさい。

(主に私の望みを伝えました。)

あなたの望みがかなうように努めなさい、ヴァスーラ。

(イエスが御自身の望みを伝えようとされているのが分かりました。)

ヴァスーラ、来なさい、もっと近くまで、ヴァスーラ、

(ためらいました。)

もう一度頼んでおくが、私だけを求めなさい。ヴァスーラ、私を拒まないように! 私の心臓の鼓動に耳を傾けなさい、私を拒むことができるか?

どうして神を拒むことができるでしょう?

(と言いながら、拒もうとしているのです。というのも、私が最後にはどうなってしまうか分からないからです。)

あなたを愛しています、私の神よ。

では私のもとに来なさい、自分のためにはもう何も望まないように。そこで私と会いたいか?

(よく知られた場所にある有名なイエスのが心をよぎりました。なぜかは分かりませんが。)

もしそうお望みなら、主よ。でもお答えにならなくても結構です。あなたの望まれるとおりになさってください。

娘よ、あなたのわざのすべてが、私の栄光のためとなるように。私の望みはあなた自身の望みでもあるべきだ、私の望みを書いて、あなたを導こう。

一致に関することですね?

そうだ、私の教会の一致のことだ。私の体が強められてほしい。一致は私の教会を強くするだろう。
私の現存を覚えておいてくれるか? さあ、来なさい、共に行こう。

私のすべての司祭たちを一致させたい

1987年5月20日 ノート12

(自分でも時々驚くのですが、こうしてイエスとお会いしたいという衝動を覚えるのはなぜなのでしょう? なぜ、どうして、そして何のために、私は主のメッセージを聞いて書くことに熱心になっているのでしょう? ここ何か月の間に、それはもう無くてはならないものになっています。)

あなたを愛している。私はイエス、私と会いたいというその衝動を与えている者だ。ヴァスーラ、絶えず私を愛しなさい。妹よ、私の望みを教えよう。

(イエスはとてもお優しく、御顔に悲しい表情を浮かべておられました。)

私のすべての司祭たちを一つにしたいと願っている。彼らがもっと私を愛してくれることを望んでいる。彼らに清さと熱意、忠実さを求めている。一致は愛を強め、愛を揺るぎないものにすることを司祭たちは理解しなければならない。
あとどれくらいの間、彼らの間で不和が支配するのだろうか? 愛とは一致である。私の愛が彼らを私に一致させる。私の教会は彼らの不和によって弱体化している、私の望みは一致。私の教会が一つになることを願っている。

ですが主よ、不和があるとおっしゃるなら、誰かが折れなければならないでしょう。どうしたらあの人たちにそれが分かるのでしょうか?

彼らは照らしを求めて祈らなければならない。私のもとに来て、私の心から引き出さなければならない。

どなたのことをおっしゃっているのでしょう、イエス様? 彼らとおっしゃる場合には?

私の教会全体だ。彼らが一致し、一つになることを求めている。区別があるために、私の教会は弱体化している。あまりにも弱くなってしまった。

私の主よ、これは何か新しいメッセージのように感じられます。

あなたを照らしてあげよう、ヴァスーラ、私の働き方を、少しずつ段階に分けて示すことによって。

まず最初に、私に教えを授けてくださいました……

そうだ。

……それから訓練、そして聖書、次に平和と愛について、そして平和と愛のメッセージによるお導きですね?

そう、ヴァスーラ、そして今度は私の望み、教会を一つにしたいという私の望みだ。もし体の一、二カ所に障害やけががあったり、切り離されていたりしたら、その体はどうやって機能を果たせるだろうか? 健康な体と同じ能力や力が持てるだろうか?
私の教会は私の体である。もし彼らが体に障害をもたらしてしまうなら、私の体はどうやって機能を果たせるだろう? 娘よ、私のしるしを描きなさい、

イクトゥス

これは初代キリスト者のしるしだった。愛は一つだった。愛は一致していた。

イエス様、復活祭の日取りが違っています。どちらが正しい日取りなのか教えてくださいますか? 私たち1の日取りですか、それとも彼ら2の日取りですか? (別の紙に書いて教えてください。)

ヴァスーラ、では、別の紙を取りなさい。

ありがとうございます、イエス様。(イエスは復活祭の正しい日取りを教えてくださいました。)

さあ、共に祈ろう。一致のための御父への祈りを。

御父よ、
もとに参り、お願いいたします。
あなたの羊たちを照らしてください。
彼らが一致のうちに平和と愛を
見いだすことができますように、
アーメン。

私の羊たちを一致させなさい、ヴァスーラ!

イエス様、私のような者に、どうして司祭たちを一致させることができるでしょう? 司祭たちについて、彼らの議論について、いま起こっていることについて、私が何を知っているというのでしょうか? どうして私のような者が、一枚の紙に書かれたものを司祭たちに伝えて、それを書いたのはあなただと知らせたりすることができるでしょう?
 イエス様、あなたは私にメッセージを下さいます。みこころのお望みを教えてくださいます。でも主よ、そのすべてを誰か教会の方に、既に教会の中におられて、あらゆる高位の方々とつながりのある方、また清廉さと信用において定評のある方にお与えになった方が、事はもっと容易だったのではないでしょうか? 主よ、あなたはまさに障害を持つ者をお選びになり、その者は、この書物のことを知った司祭たちの半数に落胆させられているのです。その半数の司祭方は、この書物を調査することに無関心です。私は彼らに見せたいと思うことに疲れました。どうせ彼らをうんざりさせ、うるさがらせるのが分かっているからです。どうしたらいいのでしょう?

これが、ヴァスーラ、あなたの両肩で担っているものだ。これがあなたの上に置かれた十字架である。私も一緒に担ってあげよう、決して嫌になってはいけない。

主よ、どうすればあなたのメッセージがそれにふさわしい人々の耳に届くのでしょう? 私は門外漢です。

それは届く。最初は細い小川のように流れ、ゆっくりと広くなっていく。ちょろちょろとした流れが、急流となり、やがて奔流になる。細い小川は大海原となるだろう。ヴァスーラ、疲れたときは私に寄りかかりなさい。愛している、私の十字架を共に担えるように助けてあげよう。愛する者よ、決して見捨てられたとは思わないように。

つまずきそうになっても、イエス様がいつも引き上げてくださると感じました。力を取り戻すために、いつでも主に寄りかかることができることを主は分からせてくださいました。

ヴァスーラ、あなたを導こう。