1987年5月のメッセージ

私のからだは愛されないために痛む

1987年5月19日 ノート11

イエス様?

私だ。ヴァスーラ、この導きは私からのものだということを覚えておきなさい。

イエス様、私が何に思い焦がれているかご存じですか?

知っている、娘よ。

このようにしてあなたとお会いできるお恵みを、また、私の魂の目であなたを見ることができるこのお恵みを、私のためだけに与えてくださっていたらと思うことがあるのです。あなたと私、私とあなただけだったら、とても素晴らしかったでしょう。何の心配もなく、私たちの秘密を誰にも知られることもなく。

(ため息が出ました。)

娘よ、私のために働きたいかと尋ねた時、あなたは喜ばしい答えをしてくれた。思い出させてあげよう、あなたは私の愛する魂であり、あなたを通して、私自身と私の望みとをはっきりと現そうとしているということを、それが私の意志なのだから。

けれども私の神よ、あなたの気持ちを損なうようなことは言いたくないのですが、あなたのお言葉を背負ったままでいると、私の上に重くのしかかってくるのです。どうしたらよいのでしょうか?

愛する者よ、私があなたを助けないだろうか、私は主である。
「兄弟たち、私のメッセージを読みなさい、私を喜びで満たし、私のわざを思い出しなさい、私の無限の富とあわれみを信じなさい!」
ヴァスーラ、私に付いて来なさい、あなたを導こう。小さな子よ、あなたに私の力を与えよう、決して私の手を離さないように。

私の神よ……私に何をお望みですか……

ヴァスーラ、私が望むものは愛、愛、愛である。愛がなくなると私の体は痛みを感じる、私の唇は愛を求めて渇き切っている。あなたを、小さな子よ、私の導きの道具として使いたい。

私の主よ、むねが行われますように。あなたのお望みが実現しますように。

愛する者よ、私にり頼みなさい、私の声に耳を傾けなさい、決して独りぼっちだとは思わないように、私、神があなたと共にいるのだから。

(少し慰めを感じました。)

主よ、ご一緒に一日を始めましょうか?

来なさい、そうしよう。完全に私にり頼むように。あなたを導いている。

(しばらくして)

(バベットが来ました。彼女はイエスと話をしました。私たち三人は一緒にいました。バベットは声を出して質問する必要はありませんでした。心の中でただ思っただけで、主が直ちに御自分の手で書いて答えてくださったからです。このようにして、イエスは御自身の真の現存を私たちにありありと示してくださったのです。そして主ともっと親しくなるように、また主の現存を思い出し、主を愛するようにと本当に呼びかけておられるのです。
イエスがこのような仕方でバベットとお会いになったことに、正直言って感動しました……)

私にり頼みなさい。

イエス様、友人からあなたに頼んでほしいと言われたのですが、もう一度私たちのところに来ていただけないものでしょうか? 以前のように、肉体のお姿で? 人々が変わることができるように。

ああ、ヴァスーラ……私は戻って来る。夜が明ける度に、ヴァスーラ、あなたのもとに来る日が近づいている、どういう意味か分かるか?

教えてください、主よ。

愛が再び帰って来る、愛がもう一度あなたたちの間に生きる、愛は再びあなたたちに平和をもたらすだろう。私の地上の国は、天の国のようになる。愛が愛をほめたたえるだろう。私は間もなくあなたたちと一緒になる、私の愛する者よ。祈りなさい、時が近づいているのだから。
小さな子よ、私のためにまだ働いてくれるか?

お名前を聞かせてほしいのですが。

私は愛である。

はい、愛のために働きます。非力なまま、あなたに完全に頼りながら。

私がいなければ、あなたは途方に暮れてしまうのを知っている、愛する者よ。あなたは私の光を必要としている私の花である。

とても幸せです!

ああ、娘よ、狂おしいほどあなたを愛している! 私にすっかり頼りなさい。あなたの識別の認識を大きくしよう。

私の主よ! あなたを感じ、あなたを見、お声を聞く感受性を大きくしてくださるのですか?

そうだ、あなたは私を感じ、私をもっとはっきり見分けられるようになるだろう。

私の神よ! この恵みをなぜ私に? どの恵みにもふさわしいことは何もしていないのに!

分かっている、それでもあなたを愛している、自分がどのような者であるかを忘れないように。

主よ、思い出せるように助けてください。

あなたのみじめさを思い出させることによって、私の与えた恵みであなたが有頂天にならないようにしよう。私から受ける恵みはすべて、私自身の栄光のためであることを思い出させる。私から受ける恵みはどれも、私自身の利益のためであって、あなたの利益のためではない。だから私の心から引き出し、それであなたの心をいっぱいに満たしなさい。私は自分の祭壇が絶え間なく燃え立つことを願っている。私のために生き、私のために呼吸し、永遠に私のものとなりなさい。

(神のためにそうします。)

私の神よ?

私だ、私を愛しなさい、そして私の利益を図りなさい。

主よ! ……(ため息をつきました。)私は取るに足らない者です。あなたはそれをご存じです、主よ。どうか私を信用しないでください。

あなたの中で自由に行動させてほしい。
来なさい、あなたの疑問に答えよう。愛が愛として、あなたたちの間に帰って来ようとしている。共に祈ろう。

「ああ、天の御父、愛の父よ、
私たちのもとにおいでくださり、
私たちを悪から解放してください。
父よ、私たちを愛し、
あなたの光のうちに住まうのをお許しください。
みこころが望まれるとおりになさってください。
がほめたたえられますように。
アーメン。」

あなたを使わせてほしい、

もう一度あなたのお名前を聞かせていただくことをお許しください。

私はイエス・キリスト、愛する者よ、神の独り子である。ヴァスーラ、あなたに求めるものは愛だけ、そして、私の平和と愛の十字架を私と共に担うことだけだ。

はい、主よ。

娘よ、私の手を決して離さないように。私を愛しなさい、娘よ。

あなたが望まれるように、あなたを愛することができるように教えてください。お望みなら、世界で一番、あなたを愛させてください。
あなたはほほ笑んでおられる!

とても幸せだ! 私のためにそうしたいのか?

はい!

愛する者よ、私と共にいるならあなたは学ぶであろう。私のために進んで苦しみを負ってくれるか?

主のためなら、はい、主がそのように願われるのでしたら……

それならば、すべては私の意志に従って行われることになる。

(あなたは魂にとって何が良いかをご存じですから、私は神に頼ります。)

私は神である。今入って来なさい、あなたのために取ってある、私の心の中の特別な場所に。そしてそこにとどまるように。

悪魔はあなたを自分のもとに引き戻したいのだ

1987年5月18日 ノート11

(イエスが望まれたので、六時半に聖体拝領に行きました。ミサの中間あたりで、イエスが私に話し始められました。パンをいただいた時、まるでむち打ちでがれ落ち、引き裂かれた肉片1が口の中にあるように感じました。昨日受けた感じとはまるで違っているので、不思議に思いました。今日は違うのです。イエスは日によって違う印象を与えておられるようでした。)

イエス様?

私だ。
 私を愛しなさい、私に近づきなさい。あなたが私を受ける度に違う印象を与えよう。ヴァスーラ、あなたが遠くにいると私は悲しむ。

(そのとおりです。疑いの「波」が時々私を覆い、心の中で主ではないと思い、主と話すことや主と会うことを拒んでしまうのです。主のお姿を避けたり、主と語ることを避けたり、主が教えてくださったことを何もかも遠ざけたりしてしまいます。私の想像によって錯覚を起こしているのだと、自分に言い聞かせようとしてしまうのです。)

あなたは私を悲しませている、愛する者よ。あなたが私を追い出し、はるか遠くに離れたように見えるとき、あなたは私に背いている。そのすべての背後には悪魔がいることを理解しなさい。悪魔は必死であり、私の与えた恵みは何もかもただの想像だと信じさせたいのだ。私の天からの教えを何もかも忘れさせたがっている。あなたを自分のもとに引き戻したいのだ。
 あなたがはるか遠くに離れたように見えると、私は心配する。あなたを心配する。羊飼いは一匹の羊が群れから迷い出たのを見て、ただそこに座っているだろうか? 良い羊飼いなら、その羊に駆け寄り、捕まえて、もとの場所に戻すだろう。
 あなたがさまよっている姿を見たら、私は放ってはおかない。あなたのもとへ駆け寄り、あなたを捕まえよう。私の方に引き寄せる。小さな子よ、寒いときは私のマントであなたを包もう。落ち込んでいるときは、私の胸元にまで引き上げて食べさせよう。あなたのためにしないことなどあるだろうか。

イエス様?

私だ。

どうしてこのようなお恵みを私に下さるのですか? どうして?

与えたいと思う者に自由に与えさせてほしい。

でも、他の人と違いたくありません!

ヴァスーラ、あなたは私を受けようとしている、あなたを使わせてほしい。あなたを解放すると言わなかっただろうか?

理解できません。

私は多くの魂を鎖から、悪魔の鎖から解放したい。あなたを一つの道具として用いている。私のわざを誤解しないように。私の訴えはあなただけのためではない。私の平和と愛の訴えは、全人類のため!

はい、主よ、でも友人たちにこのことが知られるのは少し気まずいです。彼らの中には、私を見て「あなたは特別扱いされているのね」などと言う人がいるので、気まずいのです。最悪の気分になります。

娘よ、最悪の気分になりなさい、そのみじめさのゆえに選ばれたということに。功徳のゆえにあなたを選んだのではない。前にも言ったが、あなたには功徳は全くない、主の口から出る言葉は真理以外の何ものでもない。しばしば来て、私に向かって悔い改めなさい。覚えておくように、あなたを私の他の子どもたちよりもひいきすることなどないということを。

分かっています、イエス様。だからこそ、あなたの下さったこのお恵み、つまり、いつでもお呼びしたいときにあなたをお呼びできるというこのお恵みに、戸惑いを感じるのです。

ヴァスーラ、ヴァスーラ、私は最もみじめな者にさえ与える。私の心が無限のあわれみとゆるしであることを、あなたの友人たちに知らせなさい。私がどうやって死者さえもよみがえらせるかを知らせなさい。私を否定する者たちでさえも、どれほど愛しているかを知らせなさい。

イエス様?

私だ、愛する者よ。

何を言えばいいのか分かりません。

私を愛していると言いなさい。

あなたを愛しています。あなたはそれをご存じです。

愛している、娘よ。そうだ、あなたがみじめであっても。覚えておきなさい、私に話しかけなさい。私はあなたの伴侶。私と分かち合い、私と会うときはほほ笑みなさい。

はい、イエス様。まさに私の存在そのものがあなたに逆らっているのを感じます。自分が何度も同じことを繰り返していることも分かっています。どれほど私に耐えてくださっているのでしょう……

あなたを愛している。

私も愛しています。

私を感じなさい。私の目を見つめるように2。そう、覚えておきなさい、娘よ、私はあなたの聖なる父。さあ、一緒に行こう。

あなたの魂を清めることは、私の誉れとなる

1987年5月17日 ノート11

(聖ミカエルへの祈りを唱えました。)

次の祈りも唱えなさい。

(聖ベルナルドの聖母に向かう祈りを唱えました。あることを心配しながら。私の友人たちはメッセージを読んで神について再び考えるようになり、中には神に立ち帰った人たちもいます。そして希望を抱いて喜び、その喜びを伝えたくて、知り合いの司祭に話しに行った人たちもいます。ところが残念なことに、それは神のものではないから、信じないようにと司祭に警告された人たちがいるのです。実際、この書き物のことを知ったこの地域の四人の司祭のうち、二人は私を失望させ、二人は励ましてくださいました。私や他の人たちを失望させてしまったその二人の司祭については、私の書き物を最初から最後まで読んでから判断していただきたかったです。読んだ上で、それが取るに足りないものだと思われたならば、その理由を私に話したり、説明したりするべきだと思うのです。メッセージをしっかり読むこともせず、一度でも私と話をすることもせずに、一体どうやって意見を述べることができるというのでしょう!)

神の炎であなたの心を満たしなさい。あなたを愛しています。

愛するお母さん、神のメッセージが、それに従ったことも、読んだこともない人たちによって踏みつけられるのではないかと心配なのです!

恐れないで、子よ。

つらいです!

分かっています。ヴァスーラ、イエスのわざを認めますか?

認めます……

ヴァスーラ、あなたのために祈りました、agapi mou1、忍耐しなさい。イエスにり頼むのです。

(イエスに祈りました。)

私にり頼みなさい。

あなたのメッセージが、読んだこともない人たちによってつぶされてしまうのではないかと恐れています。

恐れなくてよい、私を愛しなさい。自分の魂を清めることは私の栄光をたたえることになる、さあ、私たちで共に行こう。私たちで共に……ということを覚えておきなさい。悲しまないように。

(昨日イエスは、私を主日のミサに導かれました。けれども、他の参列者のようにうまくミサに付いていくことができません。ミサの歌も式次第も教えてもらったことがないからです。いつも他の人より一歩遅れています。でもイエスがそこにおられることは分かりますし、私に語りかけてくださいます。パンに慰めを感じました。)

ゲツセマネ

1987年5月16日 ノート11

(昨晩、夕食を終えて戻って来る際、階段を上がって行くと、また香のすばらしい香りが私の鼻に充満してきました。私には分かりました。)

ヴァスーラ、香の香りがしたら、それは私、イエス・キリストである、私の現存を感じてほしい。ヴァスーラ、気が狂いそうなほどにあなたを愛している、計り難いほどに、ああ! 私の心からあふれ出るこの愛、燃え立つこの愛の炎は、ほとんど理解してもらえない、ごくわずかな者しかこの愛から引き出そうとはしない……ごくわずかだ……

イエス様、多くの人々には、あなたにどう近づいたらいいのかが分からないのです。そう確信しています。

彼らは私のもとに来て、私と話すことができる。彼らの言うことを聞いている。どんな会話であっても、何時間であっても、私は楽しむことができる。彼らが私を友人の一人に数えてくれるなら、それは私にとって大きな喜びなのだ。

昨晩、ある男性が私に言ったのですが、女性は皆マグダラのマリアになりたがっていると。

いいや、女性が皆そうだというわけではない。

まあ、あなたを愛している女性たちなら、多分そうでしょう。

そうであってほしい。

イエス様、急がなくては。

どこへ?

一階です。オーブンの様子を見に1

では、一緒に行こう。

イエス様、あなたが近づいてくださるまでは、あなたのことを神話のように聞いていました。あなたがこれほどまでに、現実に存在しておられることを全く知りませんでした。私の目には、あなたはあまりにも遠い存在だったのです。本の中のお話のような!

分かっている、ヴァスーラ、分かっている、多くの人々にとって、私はまだ神話のままなのだ。
 次に私と会う時には、ゲツセマネにいる私を見つけなさい。あの夜の私のもん、私の苦しみと恐れをあなたに見せてあげよう、さあ、あなたの中で休息させてほしい、娘よ。

(翌日)

来なさい、私が言っておいた場所で私を見つけなさい。
 ああ、ゲツセマネよ! お前が私に明らかにするものとは、恐れ、もん、裏切り、見捨てられること以外に何があるというのか! ゲツセマネよ、お前は人々の勇気を失わせ、私のもんをその静寂な大気の中に永遠に封じ込めてしまった。
 ゲツセマネよ、これまで明らかにされずにいたもので、今明らかにすべきものがあるだろうか? 聖なる静寂の中で、お前は自分の神への裏切りを目撃した、お前は私を目撃した。
 その時刻が来て、聖書の言葉はまさに実現されようとしていた。
 娘よ、私は、多くの魂が私のことをただの神話に過ぎないと思っているのを知っている。彼らは私が過去にしか存在しなかったと信じている。多くの者にとって今や私は、時の経過や発展と共に光彩を失った過ぎゆく影でしかなくなった。かつて私が肉体のうちに地上に存在し、今もあなたたちの間に存在していることを信じている者はほとんどいない。『私である』は、既に起きたこと、そしてこれから起ころうとしていることのすべてである。私は彼らの恐れを知っている。彼らのもんを知っている、彼らの弱さを知っている。そのすべての弱さを、私はゲツセマネで目撃したのではなかったか
 娘よ、愛がゲツセマネで祈った時、千の悪霊が震え上がり、恐怖におののいた悪霊たちは逃げ出した。その時刻が来ていた。愛が愛をほめたたえていた。
 ああ、ゲツセマネよ、裏切られた者を目撃し、見捨てられた者を目撃した者よ、立ち上がって証しし、証言せよ。娘よ、ユダは私を裏切った、だが、他にもどれほど多くの者たちが、ユダのように今なお私を裏切っていることか。私はユダの口づけが多くの人々の間に広がり、きたるべき幾世代の人々の間にまで広がっていくことを即座に悟った。これと同じ口づけが、今後も私に対して幾度も繰り返されることだろう、その度に私の悲しみは新たにされ、私の心はずたずたに引き裂かれることになる。
 ヴァスーラ、さあ、私を慰めてほしい、あなたの心の中で休ませてほしい。

(翌日)

ヴァスーラ、書いてくれるか?

はい、イエス様。それがあなたのお望みなら。

私を愛しなさい、娘よ、ゲツセマネで苦しんでいる私を。私は弟子の一人、愛する者の一人によってあざむかれた。そして今日も、まだ侮辱を受け、過去のもんを思い出している。私の心には苦渋が充満し、そのために膨れ上がっている。

(私は問題を感じ、突然、これ以上続ける自信がなくなりました。)

イエス様?

私だ。
小さな子よ、書きなさい。私のもんの汗は、大粒の血のしたたりのように流れ出た。

(突然、悪霊に誘惑されそうになった時のことを思い出しました。……そして恥ずかしくなりました。)

弱さは私を引きつける、なぜなら、あなたに私の強さを与えることができるからだ、さあ、私のもとにあなたの愛を持ってきなさい、私にもたれなさい。

(主にもたれました。)

それでいい!

(イエスは喜ばれました。)

さあ、私から食べなさい、私の心から受け取って、あなたの心を満たしなさい。私を愛し、私を思い、私のものになりなさい、完全に私のものに。私をあがめなさい、私だけを。私を受けるように呼びかけている、そうだ、小さな白いホスチアのうちにいる私を……来て、私を飲みなさい。清くなりなさい! あなたを愛している、あなたが私を受けるのを見ている、決して私を拒んではならない! 私を切に求めなさい、私だけを。
せいひつであなたを待とう。そこであなたは私を見るだろう、既に教えたように、あなたの魂の目で。

イエス様、私のせいであなたのお話を中断させてしまいました。続けられますか?

そうしよう。聞きなさい、地はそれらのしたたりを吸収したが、今日、地はこれまで以上に乾いており、水が引かれねばならない、地は平和を求め、愛に渇いている。

(突然、イエスは止められました。)

私を悲しませないように、そしてもう一度私と祈ってくれるか? 私を愛しなさい、ヴァスーラ。さあ。

「ああ、御父よ、
実現されるべきことを実現してください、
あなたのことが浸透しますように、
あなたの子どもたちの心を
祝福し、清めてください。
御父よ、あなたのみこころの望まれるとおりになさってください、
そしてあなたのむねが行われますように。
アーメン」。

私のために働き続けたいか?

そうするのが主の御意志ならば、神のために働き続けます。

それが私の意志だ。

でしたら、働き続けます。ただ私の非力さを忘れないでください!

私、あなたのイエスに、完全にり頼みなさい。あなたがどれほど無力かを知っている。完全に私に頼り切るほかない、ほんの子どもに過ぎない者をこそ求めていた。

イエス様?

私だ。

ゲツセマネのメッセージは終わったのですか?

いいや。続けよう。私の子どもたちは生き返らなければならない、そして私が今彼らの間にいることを知らなくてはならない。彼らは私が祝福したメッセージによって、私と出会い、私を感じるであろう。多くの者が私のもとへ帰って来る、彼らを愛し、彼らに思い焦がれている私のもとへ。

イエス様、私に何かできるのでしょうか?

ヴァスーラ、道を渡ろうとする子どもが父親の助けを必要としているとき、父親は助けないだろうか? 同じように、私もあなたを最後まで助けよう。

あなたのメッセージを配布することが正しいのかどうか分かりません。私は間違ったことをしているのでしょうか?

いや、あなたは私が与えたように、私のパンを与えている。私のパンは、惜しみなく与えられなければならない!

誘惑

1987年5月15日 ノート11

来なさい、明け渡しなさい。あなたが自分を明け渡しますと言うのを聞いて歓喜している、なぜなら、明け渡しは私の心を喜ばせるからだ、小さな子よ! 自分を使ってくださいと私に願いなさい……

御父よ、少しでもお役に立てるのでしたら、どうぞ私を使ってください!

あなたを愛している。来なさい、書きたいか?

あなたがお望みなら、書きます。

それでは書きなさい。
 私、ヤハウェが、あなたたちを照らしたいと望んでいることを知らせてほしい。あなたたちが頼みにできる者は私だけだ。私の心はゆるしとあわれみの底知れぬ深海である。小さな子よ、あなたを照らしたように、私の方に顔を向ける者たちをも照らそう。

 ──ヴァスーラ、来なさい1、私にもっと近づいて、私を受け入れてくれるか……

(私は沈黙しました。)

私を悲しませてはいけない。

(沈黙)

私と共にいなさい、あなた自身を清めるように。私を愛しなさい。

(沈黙)

私を悲しませてはいけない、愛する者よ……

(沈黙)

私を受けてくれるか? ……私を喜びで満たし、私と共にいなさい。私を愛しなさい、あなたを愛している。もっと頻繁に私のもとに来なさい。もっと頻繁に私を受けなさい。あなたを愛している。私と共に祈ってくれるか2? 私を傷つけないように。

(同意しました。)

愛する御父よ、
あなたの御子のおんによって私を清めてください、
御父よ、
あなたの御子のおんからだで私を清めてください、
愛する御父よ、
今私を誘惑しようとしている悪霊を
去らせてください、
アーメン。

(イエスがこれを書いておられる時、私はその言葉を唱えていました。
 突然気付いたのですが、イエスの祈りの後、私は目が覚めたようでした。今日のメッセージの始めに、何が起きていたかに気付いたのです。イエスは私を聖体拝領に招いておられたのですが、私は分からないふりをしていました。「嫌です」とさえ言いそうになりました。私はイエスを傷つけていたのに、イエスに返事をするのをまだ渋っていたのです。イエスにはっきりと言わせてしまいました。イエスは私を助けに、急いで駆けつけてくださいました。自分が倒れそうになっていたのを感じました。祈りの後に(イエスは私と一緒に祈ってくださったのですが)、悪霊が私を引っ張ろうとしていることに気付いたのです。奇妙な感覚でしたが、「愛する御父よ、私を今誘惑しようとしている悪霊を去らせてください」という言葉を唱えた時、私をぎゅっとつかんでいた悪霊の手が離れるのを感じました。
 イエスは私の手をとても強い力で押さえられたので、手が非常に重く感じられました。同時に、自分がイエスの巨大かつ最も強力な力で支えられているのを感じました。とても力強い巨人のようでした。その祈りの後、私は目が覚めたようでした。)

もっと近づきなさい。自分自身を聖化しなさい。愛している、あなたが倒れないように支えよう。あなたが路頭に迷う姿を私が見ることはない。花は美しさを保つために、水と栄養を必要とする。私はあなたの献身的な番人である。
 あなたを愛している。

私も愛しています。

(イエスは、私を引っ張っている悪霊を見ておられましたが、私はそれに気付きませんでした。悪霊に引っ張られている間、私はぼうっとしていました。イエスは、とても素早く私を救い出してくださいました。悪霊のつかんでいた手が離れた時、自分が今にも倒れそうになっていたことに気付いたのです! この出来事が信じられません!)

アヴィラの聖テレジアの地獄の幻

1987年5月14日 ノート11

今日は何てうれしいのでしょう。幻(ビジョン)を体験したアビラの聖テレサの生涯を読んで、彼女の地獄の描写に差しかかり、彼女の書いていることと、神が私に下さった地獄の描写とがぴったり合っていたことを知って、とてもうれしくなったのです。聖テレサはこのように説明しています。「暗くて、固く閉ざされています。地面は、不潔で邪悪な臭いのする泥のような水に浸かっています」……など。そうです。地獄全体は洞窟のようで、天井は低く……私の描写は1987年3月7日の所にあります。

私のからだに溶け込んで無となりなさい

1987年5月13日 ノート11

(昨日、5月12日の晩、一階の階段の横を通り過ぎようとすると、濃密な香の香りがして立ち止まりました。その香りは二階まで届いていたのです。驚きました。息子の所に行って、蚊取り線香をつけたか尋ねました。(蚊取り線香のような臭いでは全くなかったのですが。純粋な教会の香の匂いがしていました。)息子はつけていないと言いました。その出来事はさて置き、私は他の仕事で忙しくしていました。一時間後、書斎に行きたいと思いました。いつもそこで鉛筆を取って書くのですが、書斎に入る時、またかぐわしい香の香りがしたのです。私はその香りにすっかり浸されてしまいました! その特定の場所を離れて、他の所でも同じ香りがするかどうか確かめに行ってみましたが、いいえ、他の所では何の香りもしません。先ほど私が香りに覆われた場所で、再び同じ香りに包まれたことを除けば。)

ああ、愛する者よ、私の香りであなたを覆ったその時、私はあなたを祝福した。

まあ、イエス様、あなただったのですか?

そうだ、あなたは私の現存を感じた。それが私のしるし1だった、香は私から出たものだ。

あの晩にそれがはっきり分かっていたら!

私の現存のしるしをもっと与えよう、私の花よ。だが目を覚ましていなさい。

イエス、私の愛するお方、
私の息、私のいのち、私の喜び、
私のため息、私の憩い、
私の聖なる道連れ、
私の救い主、私の視力、
私のすべて、
あなたを愛しています!

ヴァスーラ、私を熱烈に愛しなさい。私の体の中に溶け込んで無となりなさい。優しい言葉、愛の言葉で私を飾りなさい。私の痛みを減らしてほしい。愛の言葉を私の傷に染み込ませ、私の傷を癒やしなさい。

(今日、聖テレサの本を読んで、あの香りが本当に存在することを発見しました。もし悪魔からのものであれば、ひどい悪臭がすると彼女は言っています。不思議なことですが、これは、香の芳香が本当にイエスから来たものだったという、私に今日与えられたもう一つの証拠のようでした。とてもうれしかったです!)

奇跡を信じるか?

1987年5月10日 ノート11

ヴァスーラ、私が私の民にマナを食物として与えた時のことを覚えているか? 私はそれを天から降らせた、それは私の天の蓄えから来たものだった。私の民がシナイ半島へ渡れるように、海を干上がらせたのは私だということを知っているか?

はい、主よ。

私は全能者、小さな子よ。多くの人々を養うために、この導きを備え置いているのは私である。ヴァスーラ、私はこれまでずっとあなたと語り合ってきた! 分かるか?

私の神よ、それでもまだ、私はこれが自分の潜在意識によって起きているのではないかと思われて不安なのです……

では言わせてもらうが、これらのわざのすべては、あなた一人では決してできなかったであろう! 奇跡を信じるか?

はい、信じます。

それなら、これを奇跡と見なしなさい、あなたを愛している。

愛しています、お父さん。もしも人々から、私があなたをどうやって見ているのかと尋ねられたら、どう説明したらいいのでしょう? あなたの現存をとても感じています。そしてそれは決して空想ではありません。

あなたの魂の目で私を見ていると言いなさい。

イエス様、時々、自分の想像であなたを思い描いているのだと思い、それはあなたではないと自分に言い聞かせようとして、あなた(その幻、ビジョン)から目を離したくなるのです……

そうすることによって、あなたは私を傷つけている、ヴァスーラ。この恵み1は私が与えたもの、私のたまものを受けなさい、私が与えたものを受け取るように!

主よ、特にバングラデシュにいると、時々暑さで疲れ果ててしまうのですが、そんなとき、もっと働ければいいのにと思うことがあります。時々、アメーバのように、私も何体にも分裂できたらいいのにと思うことがあります!

私のわざを完成できるように、あなたに十分な力を与える。かつてルカは言った。「私は主のために働いているので、決して疲れ果てることはない。主御自身が私の力であられるから」。小さな子よ、私は、小さな子どもの手を握って学校へ連れて行く父親のように、あなたを導いた。私と共にいて得たものを数えてみなさい。

本当にたくさんのものを与えていただきました。信仰を実践したこともなく、学生時代から家には聖書すらありませんでしたし、長男が洗礼を受けた時(15年前)以来、教会に行ったこともありませんでした。あなたから多くのことを教わりました。自分は今や学者だと思っているわけではありませんが、少なくともあなたがどなたであられ、私たちをどれほど愛してくださっているか、また、あなたをどう愛すればいいかを教えていただきました。

あなたに私自身の園の実を与えた。あなたの倉を私の実で満たしたい。

(ここに書きたくないことを主に願いました。)

分かっている、ヴァスーラ、それを私の望みに沿うようにしよう。

(これを聞いて心からほほ笑まずにはいられませんでした。こうやってイエスと小さなおしゃべりをするのはとても心地良いものです。親友と話しているような気がして、ほほ笑まずにはいられません。クスクス笑いそうになりました。とてもうれしかったのです。)

私も朗らかな気持ちだ。

(確かに、そのようでいらっしゃいました。とてもすばらしかったです!)

ヴァスーラ、あなたが相棒のように話しかけてくれるこうした瞬間を、私がどれほど喜び、楽しんでいるか知っているか? ヴァスーラ、私たちにはまだやり遂げなければならないわざがある。祝されよ、あなたに私の現存のしるしを与える、愛する者よ。

イエス様、何のしるしでしょうか? つまりその、どこに?

あなたの家に。私が現存している証拠を与えよう。

愛しています、イエス様。あなたをお喜ばせできたらと思います。

祭壇よ! 私から引き出し続けなさい、そして私の炎があなたの中で、激しく燃え続けるように保ちなさい。

私はいと高き者 私は偶像崇拝を忌み嫌う

1987年5月9日 ノート11

今しがた「ファティマの奇跡」を扱ったドキュメンタリーを見て考えていました。この奇跡でさえも、「集団催眠」だなどといろんなことを言って、懐疑的だった人が大勢いたのです。古い時代であれば、このような奇跡は信じられたでしょうし、聖書にも書かれたでしょう。しかし今日では、受け入れられるまでに何年もかかります。あなたのメッセージが、あなたからのものだとは見なされないのではないかと恐れています。そこには物理的証拠も、予言も含まれないでしょうから。もしもそこまで到達したらの話ですが、高い権威の座にある人々は、誰もあなたの訴えに関心も示さないでしょう。それでも、今やあなたの義の杯はいっぱいになっているのを知っています! この世はあなたにひどく逆らっています。彼らは耳を傾けようとはしません。

あなたの神よりも高い権威を持つ者がいるだろうか?

いいえ、私の神よ、誰もいません。けれども、もし彼らが耳を傾けなかったら? 中には、これは教会の宣伝広告だと思う人もいるかもしれません。高い権威を持っていて、教会に反対している人たちのことですが。このすべてはでっち上げだと思うかもしれません! 教会によるでっち上げだと!

ヴァスーラ、私はいと高き者であり、すべての権威は私に由来する。

それでも、もし彼らが信じなかったら?

彼らがかたくなさゆえに耳を傾けようとしなければ何が起こるのか、書かないことにしよう。私を恐れているのか、小さな子よ?

(神は私の心によぎった恐れを感じられたに違いありません。それと同時に、「起こる」という言葉を神が書いておられた時、私はみこころにある悲しみの激痛を感じ取りました。)

恐れています。あなたの激怒に対して!

私はあなたたちの罪に耐え、そしてゆるそう。しかし、あなたたちの私に対する憎しみはかんにんしない。私はあなたたちの造り主、あなたたちの呼吸は私が与えている。私が創造したものはすべて、私の手の中にある。
 私は偶像崇拝1を忌み嫌う。
 ヴァスーラ、あなたを案内させてほしい。さあ、私の子よ、私のうちで休みなさい。

(しばらくして)

あなたのため息は、婚約者よ、私への百万回の愛の言葉のようだ。そう、あなたが今朝、私に向かって発したため息のことを言っている。

(そのとおりです。今朝、私は愛をもって、ただイエスのことを思っていました。イエスに伝えたいことがとてもたくさんあったのですが、ふさわしい言葉すら見つけられなかったのです。ため息しか出ませんでした。でもそのため息から、主は多くのことを分かってくださったようです。)

ヴァスーラ、私を盲目的に愛しなさい、そして私の望むようにあなたを用いさせてほしい。完全に無になりなさい、無になれば、私があなたのすべてとなれる、そうして私のわざが完成できる。あなたを創造することは私にとって喜びだった。

私の神よ、私の不忠実さのためにあなたを失望させるのではないかと不安です。最初から忠実だったかどうかさえ分かりません。これまで忠実だったかどうかさえ分からないのに、これから忠実であり続けますなどとどうして言えるでしょう?

私は永遠の初めから、あなたが弱くみじめであることを知っていた、それでもあなたを愛している。あなたが私のものとして忠実であり続けられるように手を打ってきた。そんなことは何もかも承知しているとは思わなかったのか? 私には何もかも分かっていた、だからこそあなたを選んだのだ。言いようもないほどのあなたの弱さとみじめさこそが、私を引きつけると言ったはずだ。来なさい、この導きは私の名誉を回復するであろう、それがどれほどあなたたちの不義を癒やすことになるかを考えると、私は心からうれしい。
 ヴァスーラ、優しい言葉の冠を私にかぶせておくれ!

私の言葉ですか、主よ? あなたのような荘厳な存在に対して、私の言葉にどれほどの値打ちがあるというのでしょうか?

優しい愛の言葉はどれでも、あなたからのものでさえ、私の現存の中では神聖なものとなる。それは私の耳にはすばらしく聞こえるものとなる。
 書くことに決して疲れないように、私の小さな道具よ。あなたがすることは何もかも私から来る。私の力であなたを支え、私が望むときにあなたを呼ぼう。あなたを愛している、あなたも、あなたの主を愛しなさい。

(主の偉大さが私をすっかり消滅させてしまったように再び感じました。大海の最も深い所に飛び込んだような感じでした。神に所有されたいと望み、そうされることを喜ぶという、何ともすばらしい心地でした!)

私を愛しなさい

1987年5月8日 ノート11

イエス様、今日は家の用事がたくさんありますが、あなたから二言だけでもお言葉をいただければ幸せです!

二言だけか? 私を愛しなさい1