あのキレネ人のようであってはならない──一致

1987年6月17日 ノート13

(ダッカ)

あなたは私のみじめさに気付かせてくださいました。その上、私が邪悪で、与えてくださった恵みに全く値しない者であるにもかかわらず、私に近づいてくださったことを分からせてくださいました。聖人たちと比べればそれは明らかです。ですから、なぜ「疑いの波」が来るのか、お分かりでしょう? 理由はこれだけです。私が全くふさわしくないから。思い出してください、あなたはすべてを一から教えてくださいました。思い出してください、私が最初、あなたをどう拒んだかを。あなただと知っていたのに? 言いたいことがお分かりでしょう? このような理由で「疑いの波」が来るとき、私はあなたに逆らい、あなたを傷つけていると分かっています。あなたは以前、こうおっしゃいました。「あなたを闇から救い出した者が誰であるかを忘れるとき、私は傷つく」と。その一方、あなたがどうして私のような魂のもとに来られて、これほど重要な使命をお与えになったのか、聖書を全くの初歩から始めなければならないような者、150パーセントの罪人に。 それを理解しようとすると、私の心は混乱しそうになるのです!
 あなたのお導きが進めば進むほど、奇跡が起きます。主よ、全くの無神論者たちが夢中になったのです。あなたがそれを祝福なさったのですから、驚くべきではありませんが。神を信じていなかった人たちが、次から次へと、メッセージを読んであなたのもとに戻って来ています。「このすべてを、一ページたりとも、私に読ませることは決してできない。私は形あるもの、金、ビジネス……しか信じていないのだから」と言った人の言葉がまだ私の耳に響いていますが、今やその男性は奥様よりも熱心で(奥様は最初、彼を説得しようとして失敗したのです)、イエス様のお導きの全部の版をほしがっており、それによってとてつもなく大きな心の平和を得ていると言っています。私は話すのが得意でないので、彼と話したことはありません。ただそうなったのです。イエス様、当然ですね。あなたは何てすばらしいお方なのでしょう!

私はイエス、神の愛する子。あなたが私の超自然的なわざを信じられるように、これらのすべての本を送り続けている。私のパンであなたを養ってきた。私のわざを決して疑ってはならない。私の恵みのすべてを一つひとつ学んでほしい、だから、すべての新しい啓示に注意しているように。すべては私から来る。

(十字架がまたもや私を押しつぶそうとしているように見えました。「十字架」とは、神のメッセージのことです。)

イエス様?

私だ、持ち上げなさい! 持ち上げなさい! 倒れてはいけない、あなたを助けるために私がそばにいる。私の十字架を持ち上げなさい、あのキレネ人のようであってはならない。喜んでするように。来なさい、愛する者よ、道は険しいかもしれないが、私がいつもそばにいて、私の十字架を分かち合っている。ヴァスーラ、私を見なさい!

(主を見ました。最も痛ましいお姿で、塀の角をつかんでおられました。いばらの冠をかぶり、血に染まった衣服を着けておられました(体の半分は裸の状態で)。全身が汗と血で覆われ、肌よりも血の部分が多く見えました……むち打たれたばかりで。)

私はこのような仕打ちに値するだろうか?

いいえ! 私の神よ!

私を尊びなさい、娘よ。

誰があなたにこんなことをしたのですか、主よ?

誰かと? 魂だ、ヴァスーラ、それは魂たち。ソドムの生き写し、生き写しとはそっくりだということだ。

(しばらくして)

娘よ、私は教会の一致を切望している! 一致を!!

(イエスは強く主張され、これらの言葉を大きな声でおっしゃいました。)