犠牲、忠節を尽くすように

1987年11月23日 (ノート18)

(リヨンに行き、カトリックの神学者と話しました。この方と奥様は、私がこの世から離脱していることをよく分かっておられません。この神学者は、私には責任があるとおっしゃいました。「そうです」と言いましたが、「でも神を第一に置いています」とも言いました。しかしこの方は、神が私の魂までも離脱させてくださったことをお分かりにはなりませんでした。私に同意なさらなかったのです。(アブラハムには、自分の息子を犠牲にする覚悟があったのではなかったでしょうか?))

小さな子よ、気も狂わんばかりにあなたを愛している。愛には限界がない、あなたにも、気が狂わんばかりに私を愛してほしい。私の意図とは、あなたの愛を大きく広げること。あなたの愛にも限界がないことを私に示させ、私を愛させよう。あなたの私への忠誠を確認する1のは私の喜びである。私を尊ぶあなたの声を聞くのは喜びである。さあ、今度は私のために犠牲を献げなさい、あなたの犠牲も空しくは終わらない。自分自身を惜しみなく私に与えなさい。柔軟であることによって、私を喜ばせなさい、子よ、好きなようにあなたを扱わせてほしい。魂よ、決して私を怖がらないように、私は愛である2

多くの人々が、主よ、私を理解せず、私が主と共にいたいと切望しており、私にとって死は解放でしかないことも理解しないようです。

愛する者よ、聖でありなさい、聖であり続けるなら、神の愛があなたをさらに高めるだろう。恐れないように、深く愛された者よ。私にり頼みなさい、私に忠誠を尽くしなさい、精神と心を尽くし、思いと力を尽くして、あなたの神である私を愛しなさい。あなたの魂に届こうと、私がどんなに身をかがめているかを忘れないように。

  1. 神がアブラハムを試されたように。
  2. これは、私たちの魂の害になるようなことを、神が求められることは決してないという意味です。