1988年のメッセージ

私はあなたの力

1988年1月1日 in ノート20

わが神よ。

私である。私の手を取りなさい、今度はもう片方の手を取って歩きなさい!

(以前にも一度こう言われました、新しいテーマに入ってゆくべき時に、神は両手を取って歩かれるヴィジョンを下さったのです)

歩いて! 歩きなさい、愛する者よ、前に進みなさい! 恐れないで。私を運ぶ者としてあなたを選んだ、私の被造物の一部にだけでなく、全体のために。

ヴァスーラ、今に分かるだろう。まだ私のメッセージの中ほどにも差し掛っていない。私はあなたがいなくとも働くことができる、ヴァスーラ、しかしあなたと私のわざを分かち合うのが嬉しい、花よ。私は神、そして自ら充足している。あなたの踏み出す一歩一歩を祝福する、前に進みなさい、愛する者よ、私とともに前進し、前に向かって歩みなさい。

全能の神よ、お望みですので、前に進めるようにお助けください。独りではできません、いつものように、担いで下さるようお願いします。何につけても私は全く無力です。

ヴァスーラ、助けよう、私があなたの力なのだから。

イエスとは救い主を意味する

1988年1月2日 in ノート20

全能の神よ、私たちが過ちに陥らないよう、お護り下さい、世の初めのときのような、たった一つの過ちが、全民族を消滅させて、破滅を意味することもあるからです。

そう、ヴァスーラ、この疫病を恐れなさい、過ちは本当に感染する疫病であるがゆえ。

わが神、どこかで読んだのですが、教会が新しい啓示をなかなか受け入れようとしないのは、知るべきことがすでに聖書にすべて書かれてある体ということです、それで新しい啓示を受け入れないのです、新しいといっても、テーマが新しいのでなく、聖書とは別だという意味で新しいので、聖書からはみ出すことを恐れています、新しい個人的な啓示は道を逸らせはしないかと考えて……

ヴァスーラ、被造物が目の前で今にも敵の罠に落ちそうになっているのを見るとき、急いで助けたいと思うかわりに、ただ座って落ちるのを眺めているだろうか? 安息日に水腫の人を助けたのを覚えているか? ファリサイ派の人たちに何と尋ねたか?

主よ、聖書の中を調べなければなりません。

では、みことばを取って来なさい。

(そうしました、そして調べました。――ルカ14・1-6)

そうだ、娘よ、私は尋ねた、「安息日に人を癒やすのは、法に背いているか、いないか?」彼らは答えなかった、私は言った、「ここにいるあなたたちのうちで、自分の息子や牛が井戸に落ちたときに、安息日だからといって引き上げるのをためらう者がいるだろうか?」これに対し、今日まで彼らは答えを見出せないでいる1。今日この啓示を拒む者たちにこの問いを投げかける、「あなたの時代に、今日の摂理によるわざによって、私たちの被造物を転落から救うことは、私の法に反するか?」ヴァスーラ、私はイエス、そしてイエスとは救い主を意味する。

皆に知らせてください、主よ、それなら皆に、主よ、今言われたすべてを思い出させてください。

愛する者よ、彼らは心に茨の冠をかぶせた、私の聖心は血を流している。

イエス、皆はこのことに気づいているでしょうか?

私は黙って戸口に立ち、前触れなく家に入り、聖心を示す、誠実な人なら自分の誤りに気づくだろう。来なさい、娘よ、「私たち、共に」?

はい、主よ、一致のうちに。

ラザロを復活させたように、ロシアを復活させよう

1988年1月4日 in ノート20

ヴァスーラ1! ああ、ヴァスーラ! 私の愛する娘の一人が死んで横たわっている! あなたの姉妹の一人が!

主よ、それは誰ですか?

私が深く愛する娘、ロシアだ。来なさい! さあ、彼女を見せよう。

(神は私を砂漠の端まで連れて行き、腕を伸ばして、はるか向こうを人差し指で指し示し、焼けつくような太陽の下で死んで倒れている主の娘、私の姉妹をお見せになりました。虐待によって痩せ衰えた彼女の体は、荒れ野の真ん中に横たわっていました。死にひんしてさえも見捨てられたようでした。慰めてくれる者もなく、孤独な死を遂げていました。この痛々しい姿を見た時、私はかわいそうで思わず泣きだしてしまいました。彼女を見ておいおい泣きました。)

ああ、泣くな。私が彼女をよみがえらせる、ヴァスーラ。私の栄光のためによみがえらせる。ラザロを復活させたように、彼女を復活させよう。

ああ、神よ、あまりにつらくて……

あなたの感じているつらさは私のつらさとは比較にならない。彼女を愛している、ヴァスーラ、あなたも彼女をあわれみなさい。死んで横たわり、熱風にさらされたままにはしておかない。ヴァスーラ、あなたの姉妹を愛しなさい。彼女をあわれみ、彼女のもとに行き、愛しなさい、愛しなさい、誰からもまったく愛されていないのだから!
ヴァスーラ、彼女は私を見捨て、背を向けた。成長し、彼女が愛する時が来ると、私に背を向けてしまった。私のマントを分かち合おうと呼びかけたが、そうはせずに行ってしまった。大人になったと感じ、自分で自分を養っていけると信じた。私に背を向け、歩み去った、不貞の妻のごとく逃げ去ったのだ。
 愛する者よ、娘を失うとはどんなことか分かるか? 私の心は引き裂かれた。私は泣いた。それではまだ不十分だとばかりに、彼女は誇らしげに、自責の念などみじんも見せず、自分の父である私とすべての殉教者の聖人に対して、公然と宣戦を布告したのだ! 彼女はもはや私を信じなかった。私を礼拝することも、私に希望を置くことも、そして私を愛することもやめた! かつて分かち合った私との愛を忘れてしまったかのようだった。
 彼女に息子や娘たちを与えたが、怒りにまかせて私の子どもたちを虐殺し、焼き尽くす献げ物のようにサタンに手渡した。そしてそれでも不十分だとばかりに、自分の望みをすべてかなえてくれるならと、サタンを頼り、彼に忠誠を誓い、私の代わりにサタンを礼拝するという契約を結んだ。サタンは、自由に振る舞わせるならという条件で承諾した。そしてサタンは、彼女を私から完全に引き離した。サタンが私との絆を断ち切るのを彼女は許した。サタンは自分を信頼させた。裏切り者であるサタンは、私の娘をまず沼地に連れて行った、そこは、泥沼に足を取られる恐怖のために、どうしてもサタンに頼る他ない場所であった。娘はサタンにすっかり頼らせてほしいと願った。
 ヴァスーラ、かつてエルサレムは、私の家、私の聖なる家から逃げ出して、道徳心のない娘となり、次から次へと子どもたちをいけにえとして献げた。私の娘であるロシアは、それと同じことをするのが賢明だと思ったのだ。私の聖なる贈り物をサタンに献げ、サタンはそれらすべてを武器へと変えた。サタンは自らの栄光で彼女の目をくらませ、目が見えなくなった彼女を沼地から連れ出して、渇きで死ぬように荒れ野の中に置いた。彼女が裸で歩き、自ら流した血の中でもがくのを私は見た、彼女に呼びかけたが、聞こうとはしなかった。再び呼びかけたが、私の声を聞こうとはしない。むしろ私を挑発し、自分の道徳を支持させようと妹たちを呼びつけた。妹たちが拒むと、剣で強要した。「剣を振り上げる者は、剣で滅びる」と私は言わなかったか?
 彼女が私のパンを必要とするように、彼女のパンを制限した、しかし私から食べるよりも飢えることを選んだ。力尽き、飢えながらも、邪悪な行為を秘密裏に続けようとして、妹たちを遣わした、彼女の虚栄心は、虚栄心そのものであるサタンにかき立てられていたからである。彼女の土地には、自分を養うだけの十分な収穫もなかった。私の敵の、いわば「被扶養者」となってしまったのだ。
 娘よ、ここまでにしよう。このメッセージの続きはあしたにする。さあ、祝福させてほしい、娘よ。
 私から糧を受けなさい。私たちで、共に?

はい、主よ。

科学

1988年1月9日 in ノート20

主よ、聖痕を受けた人びとを信じない科学者たちについて読みました。そのような人びとは精神病者であって、聖痕は暗示によって植えつけられたと言い、自分たちが奇跡を信じないことをはっきりと認めています。すべては自然的に説明できると言いながら、何ひとつ説明はしていません。

科学は、私に敵対するための知者たちのお気に入りの武器であり続けるだろう、あなたたちの間には決して耳を開かない魂がある。彼らは私の目に最もあわれみを誘う。この失われた魂たちのために祈りなさい。

私は自由にみことばを与える

1988年1月10日 in ノート20

わが神よ、私と同じようなみわざが行われている魂について時々耳にすると、本当に嬉しいです、方法は違っていても、超自然的な仕方で。すでに二人の婦人たちのことを耳にしました、私とほとんど同じメッセージを受けていますが、この方がたは、聖ヨハネのように脱魂状態になるのです! 聖霊から与えられて。

私は自由にみことばを与える。常にそうする、愛する者よ、私を喜ばせ、ともに祈りなさい、私の魂があなたに好意を示した。

さあ、ともに祈ろう1

御父よ、正義なるお方、み旨を喜んで行います。

限りなく感じやすい御心を、進んでお喜ばせする用意があります。

まだ突き刺さっている、その棘を私の愛におき換えて。アーメン。

さあ、もう一つ祈りを教えよう、あがないとして大変効果的な祈りを。次の言葉を私について唱えなさい。

主を信じます。

礼拝します。

希望します。

そして愛します、アーメン。

けれど主よ、これはファティマであなたの平和の天使が唱えた祈りです。

こう祈るよう私が天使たちに教えた、今度はあがないのために、私の子たちにもこの祈りを教えている。

そうです、主は本当に私の希望、私の幸せ、ほほえみです。
主を信じます、
あなたは私の人生の喜び、いのちです。
永遠に主を崇め、礼拝します、アーメン。

さあ、私のもとに来なさい2、十字架の印をするように、

(私は立ち上がり、主のもとに行き、ひざまずいて十字を切りました)

そう、三位一体のうちに、愛している、娘よ、「私たち、共に」?

はい、主よ。

皆に知らせなさい、知らせなさい。

主がおっしゃっているのは、十字架の印をする時、東方教会で教わったやり方をしたということなのです。親指、人指し指と中指を合わせるやり方、つまり三位一体です、三位一体を確認するやり方です。

あなたたちは聞き、再び聞くが、理解しないであろう

1988年1月18日 in ノート20

主よ、すべてがみ旨からのもので 起こるすべてが主のご意思によるのでしたら、どうしてメッセージを受け入れてもらいたいと願っておられる魂たちの心を開かれないのか私には分かりません、主がそれをお望みなのですから。この方がたをどうして照らされないのでしょう?

ああ、娘よ、愛する者よ、あなたを癒やし、改心させたことを歓び、幸せに思いなさい。私を畏れる者たちには代々に私の慈悲が及ぶ、しかし棘となって突き刺す者たちに対してはイザヤの預言が繰り返されている、「あなたたちは聞き、再び聞くが、理解しないだろう、見て、再び見ながら、悟らない。この国の心は粗雑になり、耳は聞く力を鈍らせ、目は閉じてしまった、目で見て、耳で聞き、心で理解し、私のために改心し、癒やされるのを恐れて」娘よ、永遠の昔からこの人びとの頑なさを予見していた、この時代に与えられた私の摂理的わざを拒み、彼らはその特権を失った、ヴァスーラ、あなたたちのうちに一番見いだしたいもの、それは信仰希望1 だが、これらが身につくよう、繰り返し繰り返し何百回も祈り求めなさい。

主よ、皆の中でもジェームズ神父とディビッドに主は光を与えられました。

私を見て、聞き分け、感じるように、二人を照らした、誠実である証しを立てる者には光を与える、知者は誠実さに欠けるがため、光を与えない、主なる私は貧しく卑しい者を探し求めている、あなたが小さいほど、私は偉大さのうちに上からかがみ、引き上げようと手を差しのべたくなる、あなたが小さく、つまらない者であるほど、私の聖心の奥深くに入りやすくなる、ヴァスーラ! 見えるか?

(イエスはあるヴィジョンを下さり、そこには廊下と通路を遮る大きな岩の塊がありました、その向うには強いまぶしい光が見えますが、その岩があって廊下には光が射していません)

その岩とは私に通じる道を塞ぐ者たちだ、大きいあまり、私を求める人びとの上に光が射すのを妨げてしまう、この者たちに、主なる私は言う、あなたの権勢を忍ばないだろう、その傲慢にあきあきした、私の杯は満ちている、時が訪れたなら、一人ずつ呼んで悔い改めさせる、忠実でない者は災い、私と顔を合わせる日が来るだろうから。

イエス、分かり始めたのですが、身を低くする謙遜な本当の弟子たちは主の啓示を喜び、主に不忠実な者たちはこの啓示を喜ばないでしょう、つまりある人にはよくて、ある人には悪いわけです。

そう、ヴァスーラ、これで分かったか2

聖マリア、私はみじめな者ですが、支えとなっていただけますでしょうか? 勇気をお与え下さい、位階職で耳をかして下さる権威ある方が一人でもおられないでしょうか? 一人だけでも。

ヴァスーラ、私の娘よ、イエスはあなたを愛しておられます、あなたが愛おしい、祝された者よ、イエスと私が今助けましょう、主のご好意を得られるよう、祈りなさい。

はい、お母さま、正しい言葉が見つかりますよう、お助け下さい。

私です、花よ。皆を愛している。決して疑わないように。

助けをお与え下さり、ありがとうございます。

愛が多くの試練を堪え忍ぶよう、助けてくれます、子よ、イエスがご自身の力をお与えになります、いつも励ましてあげましょう、怖れないように3 、あなたを護っています。

私は主、愛する魂よ、今から私の誉れとなり、ともに歩みなさい、私の望みを達成する力を与えよう、どんなに愛しているか! あなたの魂が決して把握し得ないほどに、その愛は大きい。

私の平和と慈悲、愛と正義のメッセージが今あなたたちの間に降る。私を称えなさい、私の愛が、義によって下される罰からあなたたちを救うだろう。

ああ、ペトロよ4 、私が自ら選び出し、聖化した者よ、あなたから目を離したことはない。この長い年月あなたを見守り続けてきた、今私は戸口に立っている、兄弟よ、いとしい者よ、戸を叩いて、中に入れてくれるか? 私を拒まないように、ペトロよ、愛している、耳をかしなさい、私の声を聞いてほしい、私の声を聞き分けなさい。それは主なる私です。あなたに平和、魂よ、歓びなさい! 血を流す私の体を一致させ、小羊たちを集めに来た、私の園を灌漑しにやって来た、私はイエス、あなたの救い主。見るように5 ! 見るように、ペトロよ、私の聖心には再びこれほど多くの棘が突き刺さっている、愛する者たちから受けた棘が!私の魂は再び傷つき、われわれ二つの御心は踏みにじられ、どちらも茨の冠を再び被せられている6 、この脇腹は大きく引き裂かれ、血がほとばしりでている。今あなたの戸口に立ち、密かな救いの計画を携えてきた、それはここにある。この啓示は私の声、心を込めて、心を込めて、あなたたちを愛する。

私自身の者たちにほとんど理解されていない

1988年1月24日 in ノート20

ヴァスーラ、私の気持ちを(……)に打ち明けたい。聞きなさい。兄弟よ! 魂よ! 「神は奉献された魂にしか近づかれず、引き上げられない」という理論を永久に捨て去りなさい、私は敬虔な魂だけに近づくのではない。私は差別をしない。それをどうして、別け隔てする神だと言うのか? あなたたちの多くが、私の恵みは敬虔な姉妹、兄弟たちだけに与えられるといまだに信じているのを見て心が痛む。わかるか、子よ、私自身の者たちに私がどれほどわずかしか理解されていないかを? 

(イエスは悲しみのうちに、頭を片方に少し曲げ、聖心に手を挙げられました。しばらくこうしたままでした。とてもお美しいお姿で)

私は私の教会の外にいる多くの人びとを訪れている、そう、……みじめな魂たち1、……改心させて、私に熱心に従わせ、使徒とし、聖人とした。それでいて、教会の権威ある人びとの多くはこうした私のわざを見落とし、無視する。この魂たちを全く認めようとはしない、知ろうともしない。彼らの分け隔てによって多くが拒まれてきた。「神は修道服をまとった敬虔な魂たちにしか訪れない」という理論は間違っている。あなたたちは大きな誤りを犯している!

(穏やかな悲しみを湛えたイエスは、今は苦渋に満ちておられました)

どれほど多くの魂に近づいたか、あなたたちが知ったなら、この人びとは必ずしも修道服を着ておらず、私に献身的でさえなかった、ところが聖人に変えられた!

愛する者よ、香りによってあなた自身が私の現存を識別したことを、本当に忘れてしまったか? 私の香りであなたを包み、祝福したのを! さあ、今に学ぶだろう。私は多くの魂を私の平和と愛のメッセージで回心させ、失われた小羊たちは戻って来て、腕に飛び込んできてくれた。歓びなさい、魂よ! 迷子の小羊が主人を見つけるほど、大きい奇跡があろうか! 羊飼いにとっても、迷子の羊を再び見出す以上の歓びがあろうか2! 私の誉れとなりなさい、……私のわざに栄光を与えなさい、愛する者よ……私の種子を蒔きなさい。私の誉れとなり、平和と愛の十字架を担いなさい。羊飼いの呼びかけに気づいて、私の救いの奇跡を兄弟たちに知らせなさい! 隣り人たちに告げなさい! よい知らせを告げなさい、私のわざを知らせなさい! 私のわざが知られ、奇跡が知られるように。

私はあなたを訪れ、あなたの燭台に油を注いだ。私の光を与えた、あなたの床の下にこの明りを隠してはいけない、それでは役に立たない。さあ、台の上で輝くようにあなたの燭台に油を注いだゆえに歓びなさい、兄弟よ、皆がその明りを見て、私からのものであることを知るように。私はあなたを訪れた、魂よ、あなたには私が分かった。魂よ、私を招き入れてくれて、私はあなたの食事を分かち合った、歓びなさい!

私の神聖なわざを宣言し、皆に見えるよう、私の光を屋根の上に掲げて私を称えなさい。皆が見えるようにしなさい。この明りを見たなら、皆ははるばる遠くから集まってくる、私がどうやってあなたを訪れ、この明りを与えたかを知らせなさい。

私の平和を持つように……

母の汚れなき御心は私の聖心に結ばれている

1988年1月25日 in ノート21

イエス様?

私です。

今だに、このすべてに驚きを感じます。啓示のことですが、夢のようで、ある時ふと目が覚めてただの夢だったと分かっても不思議ではありません。驚くばかりです!

ヴァスーラ、私は全知全能、あなたを死者から甦らせて、光を与えることを望んだ。「太陽」のヴィジョンを覚えているか?

はい、主よ、光の丸い球ですね。(ノート9、1986年3月26日を参照)

この光の球はあなたたちの間で「太陽の奇跡」として知られている、あなたに見るのを許したこの丸い球はファティマのものと同じです、私はその中にあなたを連れていって、入るのを許した。ああ、ヴァスーラ、それがどんなに特別なことかを知ったなら! 小さな者よ、まだ悟っていないのは、目に被いを掛けてあるからです。

愛しております、わが神。

ヴァスーラ、あなたを私の聖心のうちに隠す、あなたは私にとって貴重な者、あなたの神、私はあなたを大切に思っている、決して怖れないように、私は愛、限りなく優しい父、私に歯向かう時にだけ怖れなさい、ああ、ヴァスーラ、私の神秘は数多くある、そのほとんどはあなたに隠されている。ヴァスーラ、さあ、注意深く聞きなさい。口にのぼった預言はすべて実現する、聖書に書かれてあるみことばはすべて成し遂げられる。ヴァスーラ、二つの心を描いてほしい。

そう、互いに近く、じつは結ばれている心を、それらを一つの茨の冠で囲むように、そう、母の汚れなき御心は私の聖心に結ばれている、私は、その汚れなき御心の受けるにふさわしい情愛を、あなたたち一人ひとりが献げるようにと望んでいる、分かるか、娘よ、私たち神聖な心は、忘恩、涜聖、愛の不在による、茨の冠で覆われ、その茨はこの者たちの罪全体を現す。ヴァスーラ、みことばである私は母を愛し、尊敬を抱いている、私が母を尊ぶと同じように、あなたたちもみもとに近づき、尊んでほしい。どの膝もかがんで母に尊敬を現し、ロザリオの祈りを通して「めでたし」とご挨拶してもらいたい、母にどうするかお教えいただいて、罪を償ってほしい。目覚めているように、娘よ、さあ、母の御心が私の神聖な聖心と、いかに結ばれているかを示した、一つの茨の冠に囲まれて。私の現存を思い出させよう、愛している。

私も愛します、イエス。

来なさい。ヴァスーラ、ともに祈ってくれるか?

はい、主よ。

「御父よ、ああ、アッバ!

私の意志をお献げします、いのちをお献げします、

自らを明け渡します、正義なる御父よ

み旨にかないますなら

完全に用いていただくにふさわしくしてください

燃えるようなお望みの生けにえとなれますよう、

御心の望まれるままに行ってください、アーメン」

ヴァスーラ、あなたを弾圧する人びとを祝福しなさい、この人びとのために祈りなさい。さあ、あなたの聖なる母に祈りなさい、私と一緒に祈るように。

(イエスが書き記させなさいます)

「ああ、聖なる御母、

あなたの汚れなき御心に対する侮辱を

私が償います、

愛のために、喜んで愛の生けにえとなって、アーメン」

ヴァスーラ、私と一緒に御父に祈ってほしい、さあ、ともに。

「御父よ、愛するお方、

私の信仰、愛、希望を、あなたにぜひ

大きくしていただきたいのです、

御名の栄光を、再び称えられますように、アーメン」

あなたの聖母が黙示録12章を教えられる

1988年1月26日 in ノート21

ヴァスーラ、あなたの聖なる母と共に働いてくれるか。私たちを分かつことはできない。

はい、イエス様。

愛している。私はいつも母のそばにいる。今度はあなたの聖母がお教えになられる。

(イエスは聖マリアとご一緒でした。たとえ聖マリアのお姿がいつもイエスと一緒に見えてはいなくとも、それは聖マリアがイエスとご一緒でないということにはならない、とイエスは解らせてくださいました。お二人はいつも一緒におられるのです)

娘よ、私はいつもあなたと一緒でした。あなたを守り、助けています。

(ここでいくつかのことを聖マリアは解らせようしておいででした。神が私のために用意されたこの道をお助け下さっているのだと)

最後まで助けましょう。

(聖マリアは内的語りかけによって、黙示録12章に目を通すようにと分からせてくださいました)

さあ、説明しましょう。サタンが敗北したとき、彼は私の他の子どもたちに戦いを挑み、荒れ狂う怒りのうちに飲み込もうと誓いました、彼の日々が限られていて、その間、少しでも多くの者を一緒に引きずり下ろしたいからです。そう、彼は龍であって、その尾で、神の造られたものを破滅の淵にまで落とそうとしています1。ヴァスーラ、私の子よ、サタンは虚栄心そのもので、全能者の御業を非難し、神の創造は失敗したと、私たちの子どもたちは彼の邪悪なやり方に従うように造られていると証明したいのです。

ヴァスーラ、ひとつ教えましょう。私を愛する人々が皆喜ぶことを。今年は私の栄光の年となるでしょう。そう2、あなたはよく分かっていませんね。私の汚れなき心が勝利するのです3、多くの魂をイエスのもとに引き戻すでしょう。

(聖マリアはご自身のご出現に私の注意を向けさせられました)

ルルドとファティマに現れたの時のように、私はガラバンダルでも現れ、同様のメッセージを与えました。ガラバンダルはファティマのメッセージの続きです。ですがサタンは再び、教会の権威者たちの目に塵をかけて、混乱させました。サタンはこの者たちの心に自分の種子を蒔き4、私の出現を否定させ、私のメッセージが普遍的に広がるのを妨げました。ヴァスーラ、私たちの心は血を流しています。突き刺す茨の棘に傷つき、どんなにあなたたちの上に涙を流しているでしょう。子どもたちよ、愛しています。ヴァスーラ、悪魔の尾にさらわれて行くあなたたちを見ながら、どんなに私の傷ついた心が痛むか!

(聖マリアは大変辛そうなご様子でした)

ヴァスーラ、耳もとにあることをささやきましょう、聞きなさい。そうです。

(聖マリアはある秘密を耳もとに囁かれました。自分が夢を見ていて、いつか目を覚ますのではと時々思ってしまいます)

ヴァスーラ、それはあなたの目にイエスが被いを掛けておられるからです。ちょうどよい時にこの被いが取り除かれるでしょう。イエスに信頼してほしいのです、娘よ、あなたをこのような仕方で導くにお任せなさい。嘆かないように、花よ、いつもともにいます。

トリノであなたたちに教会の外で現れたのを覚えていますか?

はい!(聖マリアは従妹に巨大な像として現れて下さったのです。ご自分の教会がどこにあるかを示すために)

そうです、あなたを呼ぶために現れました。私の教会に入って来てほしかったからです。愛する子よ、私の子たちを呼ぶのに、私はさまざまな場所で、多くの人に現れています。あなたたち皆をどんなに愛しているかを知ってくれたなら。皆を抱擁し、皆を私の心に近づけたいのです。

(ある思い、悲しい思いが頭をよぎりました、これがあまりにも大きな啓示なために、教会の権威者たちが疑っているのかもしれません。イエスが二度おっしゃったように、このメッセージも、またもや人の思いをはるかに越えているのです。疑い、疑い、疑い、不信、不信、不信……)

子よ、イエスが肉のうちに地上で過ごされた時はどうだったのか、忘れてしまったのですか。迫害され、ファリサイ派の人たちには馬鹿にされて、信じてもらえませんでした。今日は、娘よ、この人々は5神の天的み業を信じようとしません。あなたの時代は、娘よ、ソドムの低さにまで堕落しました。あなたを弾圧する者は多いとイエスは予告なさいましたが、私は最悪の事態からあなたを守っています。さあ、ヴァスーラ、神の至聖所で経験したことを忘れないように、神があなたを聖心のうちに置かれたことを思い出させるために、こう言っています。主の光、そう、「太陽」の中に入ってゆくことを神はお許しになりました。あなたは最も聖なる神の住まいを見たのです。

聖マリア、私の見たとてつもなく大きい「光の球」が、ファティマと同じものだとは気がつきませんでした!

当時のあなたには分かりませんでしたが、愛があなたを引き上げ、御心のうちに置いて下さったのです。私たちの他の子どもたちにもそうなさいます。この子たちを呼んでいます、神は罪をおゆるしになり、悔い改め、償うことをお教えになるでしょう。ご自分の道を教え、誠実さをもって養い、彼らは改心します。さあ、私を尊びなさい、ヴァスーラ、あなたの聖なる母として接するように。あなたは私の子です、

はい、聖なるお母さま、今の私には聖家族があります、愛しております。

(明日のことが心配になりました)

心配しないように、私の言葉をあなたの耳にささやきましょう。私は、ヴァスーラ、皆の母なのです。おいでなさい。

(聖母の御心を感じましたが、イエスの心と同じくらい傷ついておられます)

そうです、私のヴァスーラ、ガラバンダルで与えたメッセージを繰り返し拒む教会の権威者たちの誤りによってです。ファティマのメッセージを拡大したものがガラバンダルです。ヴァスーラ、もうお休みなさい、明日声をかけます。

はい、聖マリア、祝福します。

娘よ、望むときはいつでも私のもとにいらっしゃい。

従順

1988年1月29日 in ノート21

ゆうべは自分が死ぬありありとした夢を見ました。どう死ぬかを。死を迎える時にイエスが支えてくださいました。私は立っていましたがふらついていて、イエスは肩に私のあごを置かせて下さっていました。私の右の頬には主の髪の毛が感じられ、それは聖骸布にあるように、拷問を受けたかのようでした。主は耳もとに慰めの言葉を囁きながら、同時に気持をほぐし、主が受け取って下されるよう、体から霊を引き離すための指示も与えて下さっていました:ときには医者のような言い方で。私が見た限り心配はなく、苦痛も全然感じませんでした。

ヴァスーラ、私たちがともにいる、子よ。

(イエスと聖マリア)

私の花よ、あなたの時が来たなら、刈り入れ主である私はあなたを摘んで私の喜びの園に植え替える、ヴァスーラ、見たのは現実の反映でしかない、さあ来て回心しなさい、愛する者よ、耳を傾けている。

(私は悔い改め、罪のゆるしを願い求めました)

すべてが赦された、誠実さと聖なる生き方を教えよう、もう罪を犯さないように。

そうです、ヴァスーラ、

(聖マリア)

霊を込め、精神と力を込めて、神を愛するように、あなたを限りなく愛しておられます、そうです、子よ、いかに悪の手から救い出して下さったか、決して忘れないように、主は休まれません、扉から扉へとみ手に聖心を持って、魂がお声を聞くようにと望み、恋い焦がれながら、歩かれます、ああ、わずかな者しかお声を聞きません……ヴァスーラ、私の働き方を知っていますか?

いいえ、あまり……

私は祈るのです、魂の救いのために祈り、悪からあなたを護ります、私はあなたの楯です、危険に際し、子の楯となるどの母親とも同じに、サタンとその不敵な罠からあなたを護ります、ヴァスーラ、魂たちがイエスに立ち帰るように祈っています、祝福しながら集めているのです、確かに姿は見えませんが、多くの人は私を感じています、

本当に喜んでいただけるものをお贈りしたい、何か私のできる範囲で。

ああ、ヴァスーラ、こうやって私を喜ばせてください。従うように。神のみ旨に従うのです、

「ポス1?」

なぜほかの者でなくあなたに、神がメッセージを持って来られたかを理解しようと求めないで、お受けなさい、主が何かを求めておられるときは、子よ、それに従うよう、書く前にと主が頼まれた三つの祈りを唱えていますか?

いいえ。

手伝いましょう、ヴァスーラ、

聖マリア、主はもう私のことを怒って、がっかりしておられるでしょう? (私は自分を憎みました、主を絶対がっかりさせたくはありませんでしたから)

ヴァスーラ、いいえ、主はがっかりされていません、あなたがどうしようもなく弱いみじめな者だとご存じですから、落胆しないように、イエスはあなたを教え、あなたはイエスを喜ばせています、けれど、さらに喜んでいただけるよう、その要求に従ってください、覚えておくように、イエスは決してあなたを害する要求はなさいません、あなたの救いを願っておられるのです、イエスとは救い主という意味です。

祝福します、聖マリア。

いつもあなたを護っています、ヴァスーラ、また私のもとにいらっしゃい、愛しています、娘よ。