私は霊である

1988年1月6日 ノート20

イエス様、あなた御自身の栄光の御体は苦しんでおられるのでしょうか? あなたも聖母も今や天国におられ、身体的な苦しみを超えていらっしゃるのではありませんか?

ヴァスーラ、私は肉体を持たない1。私は霊である2。霊であるから肉体的な痛みはない、しかし、子どもたちがサタンのわなにまっすぐ突き進んでいくのを見るとき、私の魂は聖母の魂と共に、耐え難いほどの痛みを感じる。

けれども主よ、私が苦しむとき、あなたも苦しまれるのですか? 例えば、だれかが私を不当に非難したら、あなたも苦しまれるのでしょうか?

あなたが不正に非難を受けるなら、私は非難した者と非難された者、両方のために苦しむ。不正はサタンから来る、サタンから来るのだから、非難した者はサタンに操られていることを示す。非難された者については、犠牲となったことで私の心は苦しむ。聖書の私の言葉は真実である。私は栄光を受けている。しかし、あなたと結ばれているので、あなたが感じることすべてを私も感じている。

主よ、ありがとうございます。

  1. (編集者注)この「肉体を持たない」というイエスの発言は、御自身の復活を否定したり、かつて人間の肉体を持っていたことを否定しているのではない。現在のイエスの体は、復活以前の肉体の持っていた地上的な性質をもはや持っていないということを意味している。(一コリント15・42―44を参照。)
  2. (編集者注)キリストが霊であるという発言は、肉体の復活を否定したり、地上に生きておられた時に地上的な肉体を持っていたことを否定しているのではない。(二コリント3・17、一コリント15・46を参照。)イエスはメッセージの中で御自身の肉体の復活について明確に述べている。(例、1988年8月16日、1989年12月6日)