1988年2月のメッセージ

私の園を美しく飾る

1988年2月24日 ノート22

(ロードス島)

主に賛美!

愛する者よ、あなたの歩む一歩一歩を祝福する。

ありがとうございます、お父さま。神に栄光、み名が再び称えられますように。何でしょう、主よ。

あなたたち皆を助ける。私の家を建て直し、私の子どもたちを愛に引き戻そう。この者たちが忘れてしまった私の徳の道を教えよう。教師たちには光を与え、

一人ひとりの心の扉を叩く。希望、信仰と愛を与え、私の園を美しく飾る。見ただろう?

ありがとうございます、主よ、そして救い主、すべての愛と慈しみを。

花よ、まだ道のりは長い。私、主が導く。喜んで受け入れ、来て、しばしば悔い改め、私を受けなさい、私の王国が顕れるように祈り、あなたを用いさせなさい。私が全てとなるよう、無のままでいるように。愛する者たち皆を祝福する。

犠牲を献げ、黙想し、断食しなさい

1988年2月20日 ノート21

愛する者がそばにいる。娘よ、苦難を迎える私と出会うように。私の時が近づいている。なにか犠牲を献げてほしい、瞑想し、断食しなさい。ヴァスーラ、フレデリキから学びなさい、そのやり方は私を喜ばせている。私の苦難をどう尊ぶかを学びなさい。その後、私のもとに来て、十字架上の救い主を仰ぎ見るように。黙想と断食によって私を満足させ、私の傷の中で生きなさい。すべての人に私の受難の時を告げ、磔刑の正確な時間を知らせてほしい。あなたたちの間に平和があるように。

主は去年、正確な日付をお教えくださいました:正教会で守られ、正教会の典礼に従って。

あなたたちの間に今、平和があるように。もう皆に分かっただろう。もっとしばしば私に呼びかけなさい、私の現存を思い出して私を満足させなさい。愛している。

主を愛します。

私の心は愛と赦しの深淵

1988年2月19日 ノート21

(ロードス島)

お父さま?

私です。

こんなにたくさんの魂に会わせていただいてありがとうごさいました。道を開いてくださりありがとうごさいます。私を導いてくださりありがとうごさいます。皆が癒やされるよう、お声が聞き取れますよう助けてあげてください。

ヴァスーラ、私に倚りかかりなさい、私の手をあなたの手の中に入れて。ともに進んでいこう、ああ、みじめな時代よ、すっかり道を逸れてしまった! 私なしでも歩けると信じるほどに、自らをふさわしい者と錯覚するほど、サタンの虚栄心に養われるままとなって。言葉で言い尽くせないほどみじめで、罪深く、目の見えない者たちよ、自ら気を許してしまわないように、目覚めていなさい、時が近い、寝てはいけない。私の霊のうちに成長しなさい、信頼のうちに近づき、私を迎えるよう心を開きなさい。多くの人は祈る、しかしその祈りは私にまで届かない。祈り方を学びなさい、たくさんの祈りが私に届かないまま、むなしく地上で放たれている、

口先だけの祈りですか、主よ?

そう、口先だけの祈りをしている。私は学ぶようにとみことばを与えてきた、今度は、私の道を思い出すように私のメッセージを与えている、来て学びなさい、あなたの罪深さを愛で置き換える、私のやり方を受け入れなさい、徳に満ちた私の道を、不忠実な時代よ、私の神聖な道をどうして忘れてしまったか? 救い主のもとに戻って来なさい、私はあなたを見捨ててはいない、それにあなたが極悪だろうと大切に思っている、私の心は愛の深淵、ゆるしの深淵。

私、主が、御母を天の元后として戴冠させた

1988年2月10日 ノート21

ヴァスーラ、私の声を聞き、書きなさい。

はい、主よ。

私は言葉であり、アルファでありオメガ、私は不死の霊薬、愛の源、すべては私が存在させた、あなたたちをあがなうために、肉となり地上に降った。娘よ、十字架からヨハネと母に与えた私の言葉に対して、私の教会には非常に多くの混乱が見られる、私、主が、御母を天の元后として戴冠させたことを、何にもまして皆に思い出させたい。

主よ?

何か、ヴァスーラ?

主はご自分を神として紹介なさいました、それから御母を二度口にされました。いましがたは聖マリアがあなたのお母さまであると宣言なさいました、「神の母」という呼び名を確認なさって。ご自分でそうおっしゃったのです! プロテスタントの人々が拒む呼び名ですのに。

私は歓びでいっぱいだ、娘よ、教えていたのは無駄ではなかった、私の業を理解してくれたことを喜んでいる、学び続けるよう努力しなさい。その達成のために祈りなさい、願うなら必要な洞察力を与える、ヴァスーラ、再び繰り返す、みことばが知られることを望む、神である私は母の胎内で育った、あなたたちの神をこの方は育まれた、被造物よ! 私はこの方に養っていただいた。みことばである私はこの方を愛し、尊んでいる。ヴァスーラ、初めの頃に私の十字架刑を詳しく述べた、「私の視線が母の上にとどまった、そのお方を見たとき私たちの心が呼応した1 〈私の愛する子どもたちを与えよう、あなたの子ともなるように、この子たちの母となってほしい〉」

はい、主よ、けれど私たちのプロテスタントの兄弟は、主の十字架上の御言葉は文字通り、ヨハネに向けられたものだと言っています、お母さまが「未亡人」となり、主がおられなくなってもヨハネが世話するようにと。聖マリアは「神の母」ではないとも言っています。

だが、私のヴァスーラ、聖書に偽りはない、聖書には書かれている、「私の主の母」と。聖霊に促され、エリザベトはこの言葉を口にした、書きなさい:「すべての女の中であなたは最も祝された方、そしてご胎内の子も祝されています。私の主の御母に訪ねていただく名誉をいただくとは?」十字架上で述べた言葉はあなたたちの多くが理解するよりはるかに深い2。あなたたちの聖なる母でもあるこの方を、尊びなさい。もう私の心の中で休むように、私の現存を覚え、喜ばせてほしい、私を尊びなさい、私のヴァスーラ。

はい、わが神よ。

私の心の鼓動は魂にたいする呼びかけ

1988年2月4日 ノート21

(イエスが今朝は本当にはっきりと感じられます。ときどきこのすべてが錯覚ではないかとすごく不安になります、もしかして見えていないのに、見えていると思って。でも今のようですと、すべてがこのままでよいと、主はどういうわけか安心させて下さるのです)

本当に主ですか?

私です、教えたように、私が見えたのです、私の心を示そう。私を前にして、見て感じたことを書きなさい。

神のみ前にいるこういった瞬間は大変元気づけられます。この瞬間が決して離れていかないでほしい、もう何もいらない、周りのすべてが色褪せ、重要ではなくなるのです。神の臨在が隅々にまで及び、満ち溢れ、満たされた感じです: すっかり満足して。私たちの知っているお姿で主が見えます。お召し物のかすれる音、足音がほとんど肉の耳で聞きとれるようです: 今主は私の左に立たれていますが、私は小さなテーブルの前にひざまずき、正面には聖骸布の御絵があります。そしてそこには幼子イエスと聖マリアのイコンが。イエスは60センチ離れたところにおられ、み顔は美しさそのものです。主はご自分を見るように頼まれました。聖心を示されましたが、御胸は愛に溢れ、光り、輝き、全体に明るく映えています。

すべてその通り、その識別は正しい、ああ、ヴァスーラ、私のヴァスーラ、どんなに愛しているか、最愛の魂、望む時いつでも来なさい、私の聖心を見ただろう。

(始めの頃はしばらくこれらの祈りをしていましたが、あとでやめていました。聖マリアが続けるように思い出させて下さり、それ以来、毎日続けています。イエスはこの三つの祈りでその日を始めるようにと説明なさったのです。私は書き始めるたびにそれをしなければならないのか、確かでありませんでした、一日三、四回とか、一行だけのこともありますから、それとも一日の始めに一回なのでしょうか)

ヴァスーラ、私の子たちを集めて、少し前に1書き記させたメッセージを読みなさい。

それを読み上げてほしい、皆を愛し、私は皆のさ中にいる、被造物よ、あなたたちは私のもの、私の種子、愛する者よ、私はあなたの救い主、私のもとに戻って来てくれるか、腕に飛び込んでくれるか? 罪を赦そう、来て私のパンを食べなさい、葡萄酒を味わいなさい、悔い改めるならあなたをゆるす、私の心の鼓動に耳を澄ましなさい、一つの鼓動は一人の魂に対する呼びかけ。ヴァスーラ、以前与えたものとこれとを、彼らに読んで聞かせてくれるか?

はい、主よ、そうします。

(しばらくして)

友人からの手紙と、教会がなぜ「啓示」を非常に警戒するかが書かれてある新聞の切り抜きを読んで、この啓示を司祭が認めにくい理由が分かりました、偽物やまやかしがたくさんありますから。でもファティマの奇跡に対してさえ大変懐疑的だったのを思い出さずにいられません。今日ではガラバンダルに懐疑的ですが、明日受け入れても遅すぎるかも知れません。懐疑的過ぎます

御父よ2

言いなさい。

……教皇様が反対されるのではと恐れています。この方だろうと、どなただろうと信じていただけなくて当然です。この方がたに起こればよかったのに! そうすれば受け入れてもらえたでしょう……

ヴァスーラ、あなたにはパンを与え、私の園の果実で養った、私は手ずからあなたを養った、ああ、愛する子よ、あなたを改心させたのは私ではなかったか? 私を愛させたのは誰だったか、私ではなかったか? 探し求め、死者のさ中に見出し、かがんで引き上げ、甦らせたのは誰か、私ではなかったか? あなたを癒やし、健康を取り戻すまで世話しようと、深いあわれみをもって私の家に担いでいったのは誰か、私ではなかったか? 日々私の道を教えたのは、私ではなかったか? そして今私の子たちを改心させているのは誰か?私ではないか? 私はあなたの救い主、ヴァスーラ、あなたはもう私の一部となり、一人では生きていけない、あなたには私が要る。枝がそれだけでは実を結ばず、木に繋がっていなければならないように、あなたも同じです、あなたの実は私からのものであり、私の果実は多くを養う、私の果実とは証し人としてのあなたであり、疑う者はあなたの実によってあなたを見分け、こう言うだろう、「良い木は良い実をつける」と。飢えた私の子らがこの実を味わい、眼に涙して悔い改めながら、戻って来る時、私は幸せを感じる、どんなに幸せとなるか! 人びとを悪魔の支配からもぎ取りなさい、ヴァスーラ、忍耐を持つように、みことばは流れ出した小川のようだと言った、小川は走り始め、河となり、幅を広げ、みことばは溢れて大海となる、愛の大海はあなたたちの心を満たし、愛は愛としてあなたたちの間にとどまるだろう。多くの者にあなたは拒まれると、ヴァスーラ、私は予告した3、受諾を学びなさい、私は4多くの者に拒まれ、その頑なさに泣かされてきた! 来なさい、学ぶだろう。愛している、あなたを支える、

さらに多くを改心させよう。「私たち」? 私の現存を感じなさい、そうするなら私を悦ばせる。

はい、主よ。主の支えを感謝します。

私のために、あなたの心の中に天国を築きなさい

1988年2月3日 ノート21

ヴァスーラ、こうして私のもとに来てくれるとき、どんなに一層あなたをいとおしく感じるか知っているか? あなたはみじめなままで私のところに来て、ひざまずいてくれる。私に心を開いてくれる。私の子よ、あなたの涙、私に思い焦がれ、私を愛するゆえに流すその涙は、私の傷を癒やす乳香である。ああ娘よ、私の没薬、私の残りの者よ、どんなに愛しているか! そのため息は、婚約者よ、私にとって何百万もの愛の言葉のように響く。私の手によって聖別された者、私の花よ、失望することはない。アベルは今度は打ち砕かれない……アベルは必ず生きる。そうだ! 私のために、あなたの心の中に天国を築きなさい。私は疲れ果て、休む必要がある。私を良い香りで包みなさい、花よ。あなたの愛で私を和らげてほしい。
 小さな子よ、あなたを美しく装わせよう。罪をゆるし、あなたの古い衣はもうなくなる。あなたは美しく飾られるであろう、花よ。あなたをすっかり新しくしよう。ヴァスーラ、愛している。私の恵みがあなたの上にある。さあ、私の手を取りなさい。あなたを教え導いている。

(聖マリア)

「O Vassula, min amfivalis, Se zitao, tha zissis mono yia to Christo, to Potiri Tou ine ksekhilo me tis amarties tou cosmou, afto ine to telefteo Tou Minima, ean to arnithoun thafisso to Kheri Tou na pessi apano tous, then tha boresso alo na to kratisso, ekhi varini. Avrio Vassula, tha kano to thavma Mou, i ora plissizi;1

(ここ最近、聖母から教えを受けています。聖母が「母」という言葉をことさら強調しておられるのに気付きました。聖母はすべての人の母であることを教えておられるのです。
 もう一つ学んだことは、イエスと御母は切り離すことができないということです。イエスのおられる所には、御母もおられます。お二人の御心は結ばれており、一つなのです。
 御母が「時の終わり」について話されるとき、それは、「一つの時代の終わり」のことだと理解しなければなりません。私たちが生きている今の時代は、邪悪な棄教の時代です。それゆえ、神が介入してくださっているのです。)

回心の時が迫っています2。神の御国はあなたたち皆の間にあります。時の終わりのことを心に留めておきなさい。主のメッセージがどのようにその御体を癒やし、一つにするかを心に留めておくのです。イエスの救いの御計画がどのようにして何百万もの魂をあがなうかを覚えておきなさい。主の平和と愛のメッセージが、私たちの子どもたちを愛に引き戻します。子どもたちが主のパンを味わうと直ちに、イエスは彼らを回心させるでしょう、それは愛の実りです。愛があなたたち皆を回復させ、愛とあわれみがサタンの仕掛けた不信仰の罠からあなたたちを解放します。さあ、愛する者よ、神の御旨を行いなさい。私はいつもあなたのそばにいます。私を覚えていてくれるように、あなたを祝福しました。
 私のためにこの願いを聞いてくれますか? 私の平和をお受けなさい3

私、主があなたの上に神聖な手を置き、美しくした

1988年2月2日 ノート21

あなたに平和、花よ。私は、あなたの救い主、イエス。みじめさのまっただ中にいるあなたを、愛が見出した、いとしい者よ! 私、主があなたの上に神聖な手を置き、美しくした……私を見るなら、栄光を与えてくれる、

イエス、自分のみじめさを憎んでいます。

何を言うか、ヴァスーラ! 私がどれほど深くあなたと結ばれているかを忘れたか、言葉を慎みなさい、「私たち」だろう?

ああ、イエス、あなたの忍耐は偉大です……

大切に思っている、さあ、母の言葉を聞きなさい。

「どんなに愛しているでしょう、ヴァスーラ*、to Spiti Mou se zitai, i portes ine orthanikhtes yia sna pethi Mou.

* ギリシャ語:私の家はあなたを必要としています。戸はあなたのために広く開かれています、私の子よ。

ロシアは神の栄光の象徴となるでしょう

1988年2月1日 ノート21

ヴァスーラ、私はこれまでいくたびも娘ロシアの奉献を求めてきました、その奉献をせつに願っています。今日は*、ヴァスーラ、彼女が光を見た日、そして千年祭を祝います。ヴァスーラ、あなたの姉妹**は、死んでいますが、主は今そばにおられ、甦らせてくださいますでしょう、愛されていない者を愛は愛し、彼女はそのほうに向けて、叫び声を挙げます: 「あなたは私の神、救い主!」 この叫びで悪魔は退散し、怖がる悪魔たちは逃げ去ります、この国が一つとなり、神の最も熱心な僕となるからです、神の御力によって癒やされ、甦り、その聖なるたたずまいは全能者に対する情熱によって近隣の人びとを皆惹きつけます。ロシアは神の栄光、神の慈悲と愛の象徴となるでしょう、私たちの耳に心地よく響くその讃歌と詠唱は、優美な動きを伴い、香のように天まで届きます。千年前そうしたように、愛が彼女を甦らせるのです***。 

* 今年。  ** ロシア。  *** ここで聖母のメッセージが終わります。

私は主なる、甦り、ロシアを甦らせたなら、私の賜を回復させよう、再び愛によって私の家を美しく飾らせ、彼女をもう一度私に一致させよう、私のパンと葡萄酒を差し出し、彼女は私の食べ物を拒まないだろう、差し出すものを受け取り、私のパンを食べ、葡萄酒を飲み、新たにされて私を称えるだろう。私の栄光で彼女を飾り、威厳をもって装わせる、私自身の泉から水を引いて、その蓄えを満たす、私の目は彼女に据えられている、ああ、ヴァスーラ、今に見ているがよい*!

* 今に明かさるべき沢山のことがまだ隠されているといったお声の調子でした。イエスは嬉しそうで、興奮しておられました。

娘よ、ペトロ、私のペトロが、あなたの姉妹を訪ねる日が待ち遠しい……

行くようにと、主よ、励ましてください、み旨なら行けますように道を開いてください。

そう、多くの心に働きかけている、ヴァスーラ、御父の目にかなうように祈りなさい、私の教会を建て直すつもりです、不忠実な者たちは災い! ヴァスーラ、私は高い木の成長を妨げ、低い木を育てることを思い出させたい、さあ、来なさい、私たち、そう*、ともに、そう**

*  主が長椅子に腰掛けておられるのが突然見え、「私たち」とみ手で示されるお顔がとても美しい。「そう」と言われたのは、まさしく主が見えたことを示すためでした。
** 二つ目の「そう」は、聖マリアがイエスのそばにおられ、微笑んでおられるのが見えたのです。

そうです、ヴァスーラ、決して疑わないように、心の目で私たちを見ることを教えた、私はあなたの師、愛している、決して疑わないように。