私の血は空しく流されたのか? 信仰の全くない時代よ
1988年3月17日 in ノート22
ヴァスーラ、私が最初に呼んだ時のように、私の声に耳を傾けなさい。
あなたが生まれるはるか以前から、私に仕えるように多くの者を呼んだ。そう、まだ恵みが歓迎されていた徳の高い日々だった。私がみじめな魂を呼ぶと、呼んでいるのが私、神なる救い主であることを決して疑わなかった。周りの人びとも、今日の彼らのように疑わなかった。あなたの時代は、ヴァスーラ、死んでいる。彼らは私の今日のわざを弾劾し、この荒野を広げて、砂漠を造ってしまった。私の血はあなたたちの心を灌漑し、私の光のうちに生きられるようにと流された。
ああ、被造物よ、私の血は空しく流されたのか? この時代は言う。「耳を貸すな、あなたの聞いている声はまさしく悪魔の声だから、耳を塞いでしまえ」。私が霊的直観を与えて祝福した人たちを、今日は私の家の、私自身の者たちが嘲り、落胆させている。彼らは簡単に私を見放し、有罪を固く決意し、恵みを拒んでは、自分で気づかなくても、私を人びとの前で陥れている。私の祝福が歓迎されていた時、私自身の者たちが、呼びかけを伝えた者たちに言う言葉はこうだった。「耳を開きなさい、息子よ、あなたの神がまさしくお呼びかもしれない」私の被造物たちに、サムエルへの呼びかけ1 をもう一度読ませなさい。その時代は、恵みが歓迎された徳のある日々だった。
以前のように、今日、あなたたち被造物に「わずかな信仰しかない時代よ」と言えればよかったのだが。しかし今日はこう言うしかない。「ああ、信仰の全くない時代よ!」
娘よ、疲れた、あなたの心に休ませてほしい、子よ。
ああ、おいで下さい、主よ!
私たち、共に?
はい、主よ。
(イエスは本当に悲しそうで、疲れ果てたご様子です)
書きなさい。
はい、主よ。
(神は悲しんでおられます、あまりにも多くの人が神より悪魔を先においているからです。アヴィラの聖テレジアもおっしゃっています。「私には〈ああ、悪魔、悪魔よ!〉といって怖れる気持が理解できない。むしろ、〈神よ、神よ!〉と言って悪魔を震え上がらせることができるのに」。今日はこういったことがいっぱい行われ、悪魔を先においてしまっているのです。──また一方、嘲ってこう言う人たちもいます。「行って調べてもらいなさい。今日はいい医者がいますからね」――あるいは、超心理学の知識を自慢し、神からの呼びかけはもう時代遅れだと見なす人もいます。しかし、神のみ前に一番よくないのは、偽善です。はい、とも、いいえ、とも言わない外交的な答えで、ピラトがしたように、主に対し、自分たちの手を洗うだけなのです。なぜだか分かるでしょうか? 信仰が欠けているからです)