素朴さと貧しさは私を夢中にさせる 愛は苦しむ
1988年3月23日 in ノート22
イエス様?
私だ。愛は勝利する、私は愛、私の平和を受けなさい。怖れないように、私、イエスである。私のもとに来てくれるか、待っている、私を愛しなさい。他の人たちを案内した所に、あなたも案内しよう。愛する者よ、そこに連れていく。祈りなさい、私のヴァスーラ、悪魔の罠に警戒していなさい、もし私の被造物が心を入れ変え、悔い改めなければ。
主よ! 私たちを変えて下さるとたびたびおっしゃり、あなたの御国が本当に来るとおっしゃっているときに、どうして、もし、という言葉をお使いになるのですか。私には分かりません……
聞いて、理解しなさい。あなたたちには選ぶ自由がある、主であり至高者、そして光である私は、あなたたちの上に降った、被造物よ、与えようと手に私の心を持って、この漆黒の闇の中を降って来た。あなたたちを贖い、その上に輝くために。私に対してなされた無数の罪と背きを洗い流すために、あなたたちを呼び戻し、教会を一致させに来た。主なる私は、誰に権威を与え、天の王国の鍵を与えたかを思い出させ、私の母を尊び、母の前で膝をかがめることを皆に教えようと訪れた。母は私の手によって栄冠を受け、天の元后であられる。被造物よ! 悪魔に警戒しなさい、あなたたちを罠にかけようと、その努力を倍加し、一方では存在しないふりをして、怖れられることなく、企んでいるからだ。ああ、被造物よ! 悪魔はあなたたちに対して大虐殺を企んでいる、ああ、どんなに十字架から叫んでいることか! 被造物よ、私に立ち帰りなさい! 私を否定して、悪魔があなたたちを罠にかけることを許さないように! 祈りなさい、魂の立ち帰りのために祈りなさい。どの魂も与えた祈り1を覚えるように。あなたたち皆を愛している。
娘よ、私のもとに来て、ひざまずいて書くのに疲れてしまわないように。私は救い主、あなたの連れ合い、私はすべてを分かち合っている。来て、慰めてもらいたい、私は疲れ果てている。
ああ、おいで下さい、主よ! イエスは疲れているご様子で、その大きな肩は少しかがみ、悲しそうでいらっしゃいます。私も同じ気持ちです、主をお喜ばせしたい、今や主の訴えをパパさまが受け取られるよう、毎日祈っています。25日金曜日までにイエスのメッセージを手にされるかもしれないと希望しているのですが。
私の現存を覚えていてくれるか、ヴァスーラ?
はい、主イエスよ、そうします。「私たち、共に」!
はい、いつまでも永遠に「私たち、共に」。
(今日のイエスは疲れ、悲しんでおられます。)
あなたに平和、魂よ。疲れた、愛と素朴さが欠けているのを見て、疲れ果てた、彼らの間に愛が欠けているなら、私にとって儀式や犠牲は何の役に立つだろうか? 花よ、私の素足の弟子たち以上に大きな歓びがあったろうか? 手には小羊を導く杖しか持たなかった! 私は素朴を愛する。素朴さと貧しさは私を夢中にさせる。真の弟子たちは素足だったが、しかし霊は富んでいた。ヴァスーラ、勇気を、私は磔にされている、私自身の者たちによって手足をのばされ、私たちはこの十字架を分かち合っている、私とあなた、あなたと私で。愛は苦しむ……