私は生きていて、生きた者として行動する 時間がほとんど無い

1988年5月4日 ノート24

聖なるロザリオを少し祈りました。すべてが正しい祈り方ではないかも知れませんが、努力しています。それから主が私たちに祈るのを望んでおられる三つの祈りも。皆にも分かるよう、書き記しましょう。

イエス様?

私です、平和を受けなさい、私、主です、恐れないように1。 

ああ、主よ、ほかに何ができるでしょうか? (神に満足していただきたいのです)

私を礼拝しなさい! 愛しなさい! メジュゴリエの十字架は生きていて、炎に包まれている。私はこの地を祝福し、私の神聖なわざの契約の櫃である御母を通して、恵みを与えてきた2

(神は何日間か、山の上の巨大な十字架のヴィジョンを下さっています。この十字架は炎に包まれていました、けれど火がついて燃えているのではなく、そうではなく、炎は十字架から出ているようで、十字架の形をしているのです。絶え間なく光り輝き、燃え尽きることのない炎が)

聞きなさい、もうすぐ、信じない人びとがまさにその山でひざを屈めるようにさせる。私の聖なる十字架は、生きた炎3が燃え盛っている。

(炎が何かを主にお尋ねしましたら、主は: 「いのち」とおっしゃいました)

ヴァスーラ、時は差し迫っている、本当に差し迫っている4。ああ、愛する者たちよ、私のもとに来なさい! 私のもとに来なさい! 私は道、真理、いのち、まだ時間があるうちに、私のもとに早く来なさい、草がまだ青く、花がまだ木々に咲いているうちに、ああ、来なさい5! あなたたちを限りなく愛している! その極悪さと悪行にもかかわらず、愛し続けてきた、被造物よ、どうしてそのように進んでサタンの足もとに身を投げ出すのか? 被造物よ、春風が吹き、改心の時がまだあるうちに、立ち帰りなさい、ああ、ヴァスーラ、時間がほとんどない6、来るべきことが本当に迫っている!

私の言葉7を預ける私の使者、ジェームズとディビッド、この生きた言葉、私の言葉を、人びとはどうして埋もれさせることができると考えるか8? 信仰は醜い不恰好な忌むべき野獣9に見えるよう、歪められてしまった。信仰はこのように見られている、今日の神聖で生き生きとしたものはすべて、このように歪められてしまい、醜く見え、人がそこから逃げだすようにさせている、それを恐れるあまり。どうしてあなたの神に沈黙し、死んでいてもらいたいのか? 私は生きていて、生きた者として行動する

教会の権威者は相変わらずあなたを拒むだろう。すべての権力と権限を握っていると信じて、ファリサイ派の者どもは、をも拒んだ、天からその力と権限が与えられなければ何もすることができないのを忘れて、そして今カインの息子たちも、私がその力と権限を与えなければ何もできないのをすぐ忘れてしまう。私は今までも、今もこれからも永遠に権威そのものであり続ける。今は、このようにして、私の摂理的なわざ10を否定する者たちの目は、虚栄に覆われ、見えていない、この者どもは例の盲の導き手であって、同じ誤りを繰り返し、外目には純潔であかぬけしていながら、内側はすべてが腐り、屍の骨となっている! ヴァスーラ、すべてを書き記せるように注意深く聞いて、私を識別しなさい、付け加えたり、省いたりしないように。あなたと二人の僕11には私の平和と愛のメッセージがあり、三つの冠、愛、平和と義の冠を与え、ペトロの足もとに置いてくるようにと命じてある12、そこで、

主よ、私たち三人ですか?

そう、私の二人の僕は、愛する者よ、あなたに付き添う用意が出来ているように、主である私は二人がともにいてくれるのを望んでいる。腰には与えたベルトを締めるのを望む、それは: 私を悦ばせる、幼子の-ような-信仰。そう、このベルトが一つの象徴となるように。素足でいるのを望む、修道者のようでありなさい、古えの衣服を着ていてもらいたい、

どの服ですか、主よ?

私の衣服は簡素です13。 

愛する主よ、私たちは新しい宗派と思われてしまうかもしれません!

ああ、ヴァスーラ! 本当に何も分かっていない! 娘よ、あなたと息子たちに光を与え、「古えの衣服を着る」とはどういうことかを教えよう。今日ここまで識別に達したのを喜んでいる、私の愛を決して疑わないように、私の臨在を覚えていてほしい、

はい、主よ、ありがとうございます、イエス。

ここにイエスが毎日祈るように勧めておられる祈りのひとつがあります。

イエスの聖心への信頼のノヴェナ

ああ主、イエス・キリストよ、
あなたの至聖なる聖心に向かい、この意向を委ねます。
(ここであなたの願いを申し上げます)
私にひと目でも注いで下さい
あとは主の聖心の呼び起こすままに……
主の聖心の決められるままになさってください……
それに委ねます……より頼みます……
私自身をそのご慈悲の中に投げ入れます……
主イエスよ、あなたは私をお見捨てにはなりません。
イエスの至聖なる聖心よ、あなたに信頼します。
イエスの至聖なる聖心よ、あなたの私への愛を信じます。
イエスの至聖なる聖心よ、み国が来ますように。
ああ、イエスの聖心よ、
私は今までいくたびもご好意を願いましたが、
この祈りを切に願い上げます。
これを受け取ってください。
主の聖心の中においてください。
天の御父は、この祈りが主の尊い御血で
おおわれているのをご覧になったなら、
決して否みはなさいませんでしょう。
ああ、イエスよ、この祈りはもはや私のものではなく
主の祈りになったのですから。
ああ、至聖なる、イエスの聖心よ、
主に信頼申し上げます。
決して私がくじけませんように。アーメン。

ここにイエスが毎日祈るように勧めておられる二つ目の祈りがあります。

大天使聖ミカエルに向かう祈り

大天使ミカエル、戦いにおいてわれらを護り、
悪魔の凶悪なる謀計に勝たしめ給え。
天主のかれに命を下し給わんことを伏して願いたてまつる。
ああ、天軍の総帥、
魂をそこなわんとて
この世を徘徊するサタン及びその他の悪魔を、
天主の御力によりて地獄に閉じ込め給え。アーメン。

これは、やはりイエスが毎日祈るように勧めておられる三つ目の祈りです。

聖ベルナルドの聖母に向かう祈り

慈悲深き童貞マリア、
ご保護によりすがりて御助けを求め、
あえて御取り次ぎを願える者、一人として捨てられしこと、
いにしえより今にいたるまで、世に聞こえざるを思い給え。
ああ、童貞中の童貞なる御母、
われこれによりて頼もしく思いて馳せ来たり、
罪人の身をもって、み前に嘆きたてまつる。
ああ、み言葉の御母、わが祈りを軽んじ給わず、
御あわれみをたれて、これを聞き給え、
これを聞き入れ給え。
アーメン。