1988年8月のメッセージ

あなたたちの罪は炭のように黒い

1988年8月2日 in ノート26

私、主のあわれみは大きく、その慈悲は比類なく大きい。私の慈悲は非常に大きく、底知れない。被造物よ! あなたたちの罪は炭のように黒く、この限りない慈悲がなかったなら、私の義はあなたたちに完全な破滅をもたらしただろう。私は今まさにあなたたちの戸口に立つ、そして泥棒のように入っていこう。与えている時のしるしに注意を向けなさい。準備しているように。

祈りなさい、私のヴァスーラ! 未だ私に抵抗する人びとのために祈りなさい。

正しい道を歩む小羊たちを非として世を闇で覆い、私を悲しませている人びとのために祈りなさい。小羊たちを解放しなさい! 解放し、私のもとに連れて来なさい、ああ、ヴァスーラ! 小さな小羊よ、そばにいなさい。私のマントの下に、この心の中に隠れていなさい。救いはまことに私から来る、あなたを使わせてもらいたい。

はい、主よ。

(聖マリア)

望んでいなさい。私の現存を覚えていてください。私たちは共に、いつまでも永遠に、私たち共に。

私に信頼し、聖という種を蒔きなさい

1988年8月4日 in ノート26

(ローマ)

(教皇様の一般謁見の際、教皇様が私の近くに立っておられる間に、その帯の中にイエスのメッセージを何とか差し込みました。その時の写真が撮られました。今日は、どこに行ってもイエスが満面の笑みを私に向けておられるのがずっと見えました。)

イエス様?

私である。花よ、私のやり方を理解しようと探し求めないように。素直でありなさい、私から来るものはすべて受け取るように。主である私が、あなたを私の家へと導いた。私があなたを導いて、非常に愛する私の僕、ヨハネ・パウロ二世に出会わせた。最愛の魂よ、あなたは私に従い、私を信頼し、私に依り頼んだ。喜びなさい、魂よ! あなたの神である私が、喜んでいるのだから! 素直さは私を夢中にさせる。従順は私の聖心を躍らせる、なぜなら、それは悪い者と戦う武器だからだ

主よ、あなたのお手紙を教皇様の帯に差し込んだのは正しかったのでしょうか?

あなたは私に従った――これを、他の人々に対して従順の手本とさせなさい。状況がどんなに困難に見えても、私を信頼し、私に従いなさい。あなたが私に従い、私の意志を行っているのを見たら、いつでもあなたを助けよう――これを私のために行うように求めた理由を理解しようと探し求めないように。覚えておきなさい、あなたたち皆を私の名の下に一つにするのは、主である私だということを、そして私が切望することはすべて、私の力を通して成し遂げられるということを。

 私の指をあなたの上に置かせ、このようにしてあなたを使わせてほしい、私の子よ。あなたの上に私のベールを置いたままにさせてもいたい、このようにしてあなたを悪から遠ざけ、あなたに注いだこのすべての恵みによってあなたが有頂天になってしまわないようにする。あなたの神である私は、あなたを愛し、たとえ最も危機的な状態にあっても、決して見捨てることはない。愛があなたに霊的導きを与える。知恵はいのちを愛する。知恵は聖性の名を担い、私に従うすべての者に与えられる。あらゆる導きは知恵から降る。私を信頼し、聖性の種を蒔きなさい。

 平和があなたたちの上にあるように。さあ、私の聖なる現存を覚えておきなさい。私にほほ笑みかけなさい。

教会は刷新されなければならない

1988年8月6日 in ノート26

ローマ

教皇さまとの謁見の切符をもっと多く取りに行くためにローマの中を歩いている最中、どういうわけか間違った通りに出てしまいました。ジェームズ神父が気づいて直ぐに立ち止まり、戻って行くつもりでしたが、そこには壁に窓ガラスがあり、中に蝋燭の明りが点っているのが目にとまりました。外からは教会のように見えませんでしたので、考えずにそれはなにかの墳墓かしらと思いました。ジェームズ神父が入り口を見つけて、入って行くと、聖なる御母の腕に抱かれたイエスの美しい彫刻があり、それは十字架で亡くなられた直ぐあとの情景でした。――

イエス様? この教会に導かれたのでしょうか?

私です。母があなたを導いて来られた、ご自分の悲しみの瞬間を訪れるよう、あなたたちに状況を整えて、あなたの聖なる母はご自分が悲しみの聖母であるのを思い出すように望まれた。 

ヴァスーラ*、決して勇気を失わないように、そばにいます、イエスの傷の中に入っていらっしゃい、私の悲しみの心に入って来て、この悲しみをお感じなさい、止めどなく流れる涙をお感じなさい。私は多くの人びと**を訪れ、心を現しています、しるしを与え、私の像に涙を流させ、さまざまな場所で出現します、けれど私の子どもたちの心は厚いかさぶた、不信仰というかさぶたに覆われています、信じる人びとを馬鹿にして、神のみことばはこの人びとにとって無意味なのです、神の呼びかけは無視され、私たちの警告はほとんど注意が払われていません、神が与え、その唇で語られる啓示に誰も耳を傾けたがらないのです、あなたの時代の信仰は消えてしまいました、不寛容、排教、残忍と恥辱に足をすくわれて、この汚れなき御心はどのように悲しんでいるでしょう、私の腕はもはやあなたたちの上に神のみ手が振り下ろされるのを防げません。教会は刷新されなければならず、清めの時期がもうほとんど終わりかけています。聖霊があなたたち皆の上に下り、希望信仰を与え、あなたたちの信仰を回復し、魂を養ってくださいますでしょう、これは大いなる立ち帰りとして、永遠の源が芽吹き、花開いたとして、知られるようになります。教会の清めにより、皆が新しい天と新しい地を迎える準備が整います、教会はあなたたちの神に顔を向ける準備をさせるでしょう、あなたたち皆に抱くこの深い愛を理解してください。「私たち」?

* 聖マリアが話されます。   ** 出現を通して。

はい、「私たち」。

おいでなさい、

この教会はサン・シルヴェストロと呼ばれています。聖母は今日の教会の状態を示すためにそこへ私たちを連れていかれました、傷つき死んだように見えても、教会は、イエスが甦られたように、再び生き返るでしょう。

私を感じてほしい

1988年8月7日 in ノート26

ローマ

今日は、啓示の聖母の記念堂トレ・フォンテインと、聖心の一万人の殉教者を祭る教会を訪ねる予定です。──トレ・フォンテインの向かい側にある三つの教会を訪ねました。最初の教会で内的呼びかけを感じましたが、そこを出てもイエスは引き返すように呼んでおられます。その感じは三つ目の教会でいっそう強くなりました。

ヴァスーラ、戻って来るように呼んでいた、あなたが本当は全然私に話しかけていない1ように感じたのです。そこで私を尊びに戻って来てほしかった、愛している、子よ、それに気づきなさい、私を感じてほしい、私の心の望みを感じなさい、愛への飢え渇きを、そばにおいておきたいという望みを、全人類に対する嫉妬深い愛を感じてほしい。野心を捨てなさい、全く持たないように、養うのが私である以上、私の前でこういったものは不要だ。私のわざをすべて私のものとし、あなたを導くこのやり方を受け入れるように、私の聖心に入って来なさい、あなたを祝福する。

私の教会の大艱難

1988年8月8日 in ノート26

(ローマ)

愛する者よ、あなたを探し、ついに見つけだした牧者は私だと思い出させたい。あなたは他の死体と共に、死んで横たわっていた。私は復活である、そして私を通してのみ、いのちを見いだすことができる、永遠のいのちを。しかし今や、牧者が戻ってみると、小羊は散らされ、多くが飢えている。入れてあった囲いは牧者自身の友に叩き壊され、虐待を受け、餓死した小羊の屍がある。群れを牧する羊飼いたちには誠意がない。彼らは私に従わなかった。そこで、さらに害が及ばないよう、この者たちを退けなければならない。これは私の教会の大艱難として知られるようになる。

来なさい、あなたは学んでいる、愛に愛された者よ。

教会は私を通して生き返る 新しい聖霊降臨

1988年8月9日 in ノート26

(ローマ)

イエス様?

私です、最愛の魂よ、どれほどあなたを愛するか。

教会は私を通して生き返るであろう。あなたを通して自らを現すのを許してもらいたい、私のミルラよ、あなたの主、私をよい香りで包みなさい。私は聖心を示した、私の道を教え、真理に導くために。魂よ、あなたのもとを訪れた、あなたの時代は真理を探し求めているが、その真理とは愛。しかし彼らのうちには愛が見当たらない、彼らにとって私の名1はもはや意味を持たない。しかし私の慈悲は私を蔑む者たちの上に大きく注がれている。被造物は私のやり方を捨ててしまい、盲の道案内に導かれるままとなった。私の掟に反逆し、私のでない掟を教えている、被造物よ! 奈落にどれほど近づいているかが分かるなら! 互いを迫害するかわりに、心を配り合いなさい2、私の道、英知の道を学びなさい、すべての行為も思いも愛に覆われるように。

花よ、私はあなたの献身的な世話係である。そこで信頼しなさい、私の光のもとで護り、私の露で養っている。篤い好意を寄せている私、あなたの神に信頼しなさい。いつもそばにいて美しく飾る、私は-完全に-忠実な-者である、来なさい、「私たち、共に」、私と一つになるように。

ありがとうございます、わが神よ。神に包まれ、神の美しさをちょっとだけ垣間見て、ほんとうに嬉しい心地でした。

(しばらくして)

(聖マリア)

戦いは終わっていません、どの日も、毎日どれほど多くの魂が地獄に落ちていくかを知ったなら! その数は警戒すべきほど多いのです……

(私はどういう人びとかお尋ねしました)

枢機卿から幼い子どもまで3。あなたの時代は堕落してしまいました、実に、敵の領土と化しています。私たちの敵はその領土を地上に最も広範囲にひろげたのです。ああ、ヴァスーラ……神は日々を数えておられます、あなたたちが再び新しく、豊かな園となるよう、露のように降り、生き返らせる日々を。これは新しい聖霊降臨として知られるでしょう。皆来て、この栄えある出来事のために主に向かい、跪いて祈りなさい、主の再臨のために祈り、愛が戻って来られるよう祈りなさい。

私は、ヴァスーラ、ロザリオの聖母です。

聖なるお母さま、どうしてこのようなかたちでお現れになるのですか、メッセージに何か特別な意味が加わるのでしょうか?

そうです、この時代が終わる前に、ファティマで言ったことはすべて実現されるでしょう。さあ、もうこの汚れなき御心とイエスの聖心のうちに憩いなさい。私たちを愛さない人びとに代わって償いをし、主を愛し、今のようにお仕えして、イエスをお喜ばせするのです。「私たち、共に」?

はい、いつまでも。

清算の日々が始まった

1988年8月15日 in ノート26

(被昇天の祝日)

主イエスよ、祝福をお受け下さい。

主である私はあなたを祝福する。私の聖心は痛みにあえいでいる、私を愛し、祝福し、探し求めるすべての人々は、茨のとげに包まれた私を癒やし、慰めてもらいたい。私は小さな魂たちの方を向き、そちらに行く、そこには小さいがゆえに憩いがあり、安らぎがある。

ああ、イエスよ、それほど苦しんでおられるのを感じて、私はとても辛い……

救われる必要がある魂のために祈りなさい、私に向かって祈りなさい、私の名は、救う-者。時間が無くなっている。もう清算の日々が始まった、報復の時代が来ている、この時代の罪があまりに大きく、棄教が非常に深刻なため、私たちの心はどちらも、その不正と目にあまる背きによって、繰り返し貫かれている。私に立ち帰り、私のほうを振り向くようにと懇願する、そうするなら本当にゆるす! 愛にしっかりととどまるなら、祝福を降り注ぐ、互いを正しく扱い、親切にし、互いに愛し合い、私の光の子となりなさい。どれほど多くの艱難が近づいているかを理解しなさい、それらは、あなたたちの魂に蓄積した悪によって引き起こされる、私に立ち帰り、私の血潮で清められるように。

(しばらくして)

私はあなたの聖なる母です。私の子どもたちよ、神に立ち帰りなさい、戻ってくるようにお願いします。神はきっとおゆるし下さるでしょう、そのご慈悲は露のように降り注がれています。被造物よ、花のように開いて、光を吸収しなさい。あなたたちを呼んでいます、励まそうとして、けれど、私たちの呼びかけを誰が知っているでしょう? どれほどの人々がこの呼びかけを信じるでしょう? ほんの一抱えしかその呼びかけを信用してくれないことに、心が痛みます。この世代は固い岩の心になってしまいました。合理主義に目がくらみ、神のなされ方を忘れています。神の素晴らしい御わざを忘れてしまいました。主が全能で慈悲に満ちておられるのを忘れています。ソドムとゴモラの時代でさえも、神の被造物がこれほどまで堕落してしまったことは今までありません。あなたたちの冷淡さは永劫を貫き、信仰の欠如があなたたちを告発しています。私の出現と、神がメッセージを与えて祝福した人びとに対する無情な迫害は、転落の一つの原因となるでしょう。あなたの聖なる母、救い主の母なる私は、悔い改め、変わるようにと切に願います。私たちのもとに戻っていらっしゃい、聖なる生活を送りなさい、神の眼差しのもとで聖なる生き方をするのです、手に善い行いをいっぱい携えて、清さのうちに神と顔を合わせる用意をなさい。

(しばらくして)

私の香りを降り注ぎました、私の現存を感じてほしかったのです、この好意を通し、私たちにとってあなたがどんなに大切かを思い出させたいと望みました。子よ、私はあなたの聖なる母、再び私たちのそばにいてくれるのを喜んでいます、愛する者よ、あなたと家族全員を祝福します。

聖なるお母さま、すべてをありがとうございます、御身を祝福します。

花よ。

はい、イエス様。

あなたの聖なる母をこれからはママと呼びなさい、私と同様、母に対しても深く親しむように。「私たち共に」、教えたことを忘れないように。

はい、主よ。

主である私は皆を祝福する。

今日は教会から出て、長い階段を下りて行く途中、まるで薔薇の園を歩いているような感じでした。周りはセメントで、一輪の花もありません。ジェームズ神父に何か香りがするかお尋ねしましたら、そう尋ねているさ中、する、と彼は言います。薔薇の香りが。そしてこの現象の一番最後は、すみれの香りでした。

あなたたちは棄教によって教会を裏切った 大いなる回心 幼子のような愛の言葉

1988年8月16日 in ノート27

主よ?

私です、決して疑わないように、私、イエス・キリストです。私の十字架の上からあなたを呼んだ、教会の頭である私を今日、どのように見いだしたらよいかを示すため、苦しみの中から呼んだのです。御母の腕の中に死んで横たわる私自身の像*は、あなたたちの棄教によって教会がどう裏切られたかを皆に示す一つの象徴です。

娘よ、知っての通り、私は今の教会の正確なイメージを見るようにあなたを導いてきた。あなたは御母の悲しみの表情を見た。そしてその腕に私の屍を見た。裏切られ、傷つけられ、鞭打たれ、十字架に釘付けられ、槍に貫かれて、そしてこれは今日の教会の姿そのもの。御母はこの教会の上に血の涙を流しておられる。ゴルゴタで私の体を抱いて泣かれたように。しかし、もう間もなく教会は新たにされ、変容し、甦る。主なる私が、復活させられたように。教会はもはやこのように悲しむべき姿のまま、留まってはいない。敵は私の神殿を破壊した。しかし上から降った私の力と恩寵によって、主なる私は、たった三日のうちに私の神殿を建て直した。私の教会は生き返り、私自身が変容させられたように、教会をも新たにし、変容させると約束する。私は神殿を建て直し、完全さがその腰布となり、忠実さがその帯となる**。そして清さがその松明となり、私の名を冒瀆したすべての人を導き、その光の中で清める。そして主の中の主、小羊である私は、教会の中に生きるゆえ、復活のあとで私が弟子たちに迎え入れられたように、教会は自らの者たちに受け入れられよう。その後、子どもを慰める母親のように、私もいっそうあなたたちを慰める。大きな愛をもってあなたたちを私の腕の中に抱きしめよう。

ああ、愛する子どもたち、あなたたちの住まう新しい天と新しい地、いのちの木の実によってふたたび豊かとなる地球を準備している。その木の根*は愛であるゆえに、実は平和、聖性、そして愛という名を持つ。あなたはその時、最初の聖霊降臨の時のように聖霊に満たされて、神である私に顔を向ける。私の霊はあなたを愛で満たそう……私は私の園を美しく飾り、花床に水を遣り、正義の露を降り注ぐ、愛する者たちよ、そして私の光はあなたたちの茎を力づけ、規律を輝き出させよう。

勇気を、娘よ。勇気を、愛する者たちよ。荒れ野で生きるのは大変だと知っている。しかしこうした時代の終焉は間近い、清めるために間もなく、私は降って来る。主なる私ははっきりと言う、あなたたちを不意に襲い、その上に私の光を導こう。天は地を揺さぶり、私を愛する者は皆栄光を称えて膝を屈め、多くは私を思い出して私のもとに立ち帰る。これは教会の大回心として知られよう。

しかし、非常に悲しいことだが、私の聖なる名を冒瀆し、敵の側で戦う頑なな魂たちは、さらにいっそう私を拒もう。こうしたことが起きる時、サタンは彼らを襲って、永遠の火の中へと引きずり込むだろう。ヴァスーラ、私の聖心を感じなさい……これをあなたに告げざるを得ない私は、人間の言葉の及ばないほど苦しむ。私は(I Am)愛という神、あわれみの神なのだから。しかし私は義の神でもあり、審判者ともならねばならない。被造物が反逆する時は、私の魂は傷つき血が川のように溢れ出す。それほど皆を愛している! しかしあなたたちは私を傷つけた、私はあなたたちにとって聖なる者、しかしあなたたちは私を刺し貫いた。私はあなたたちの救い主、今日あなたたちに向かい、十字架上から叫んでいる:私のもとに帰って来なさい! 戻って来なさい! 来て私が(I Am)聖であるように、あなたたちも聖となりなさい!
子よ、来なさい、ともにいる、心に私を住まわせ、休ませてほしい、私と一つであるように。

*ユダ族のライオン、ダビデの根、黙示録5:5。この理解は1988年9月1日に与えられました。

はい、わが主よ、あなたを礼拝します。

私を礼拝し、休ませてほしい、どれほど疲れているか……

「私たち」 主よ?

そう、「私たち」、永遠に。

アーメン。

後ほど:聖マリア

ヴァスーラ、私をママと呼んで私と親密になってください、私の平和をあげましょう、愛しています。

私も愛します、もっと愛せますようにお教え下さい。

ヴァスーラ、あなたを私の聖心の中においた。

主よ、お会いでき、感じることができ、主が見えるこの恵みを下さってありがとうございます。

これはあなたへの贈物、にもかかわらず私の利益と栄光のために与えた恵みであることを忘れないように。あなたの愛で私を抱擁し、愛の香りで包みなさい。あなたの愛で私を慰めなさい。愛をもってあなたの主を称えるように。私だけが、ただ一人、あなたにとって大切な者。私はすべて、私は永遠、アルファでありオメガ、私は救う‐者、創り主、私は(I Am)聖なる者の中の聖なる者、私は愛の霊、だから私のもとに来なさい。あなたがいかに脆いかを、知っている。来て私を愛しなさい、私があなたの神であることをいつも思い出させよう。

どんなに弱くみじめだろうとも、私の力はあなたを支える。最愛の魂よ、もう一つ覚えておくように。私は誰をも必要としない、私のわざを達成するのに、私自身で足りている。しかし私のわざを被造物と分かち合うのを喜びと感じている。だから、私のほうを向き、選ばれたことを歓びなさい。魂よ、あなたが見ているものを見たいと憧れながら、見ることのない者は多い。あなたが聞いているものを聞きたいと憧れていながら、聞いたことない者は多い。あなたが感じることを感じたいと憧れていながら、そのように感じたことない者は多い。だから歓びなさい、魂よ! 歓びなさい! 私を賛美で覆いなさい。愛の花輪で私の頭を飾りなさい。香で私を包みなさい。あなたの幼子のような愛の言葉で私を飾りなさい。主なる私を祝福して崇めなさい、愛する者よ。

私のパンをいつも私から受け取るだろう、しかも豊かに。私は魂を養う。私はあなたの救い主。終わりの日までいつもこの特別な仕方であなたのそばにいると約束する。
知恵は正しい者だけでなく、正しからざる者にもその豊かな力を与えよう…… 来なさい。

清め 新しいエルサレム

1988年8月17日 in ノート27

わが主よ?

私です。あなたのあがない主ゆえ、私に信頼しなさい。あなたを通して、全世界に及ぶ平和と愛のメッセージを与え、すべての被造物に私の聖心を示し、私がどれほどあなたたちを愛しているかを伝えに来た。

ああ、ヴァスーラ! あなたたち皆に対する慈しみは大きい! 最愛の魂たちよ、あなたたちの清めの時は近い。私が行うことは愛ゆえのこと、その清めを通してあなたたちを地獄の門から救おう。私は稲妻のように降り、あなたたちを私の火で新たにする。私の愛の霊はあなたたちを愛の中に引き入れ、愛の生きた炎へと燃え上がらせ、このようにしてあなたたちをあがなう。私の霊を天から注ぎ、あなたたちの損なわれた魂を清めて、聖なる汚れない魂とする。金が火で清められるように、あなたたちを清める。救いの時、そして私の愛の霊が降る時をあなたたちは悟るだろう。このことが成就しなければ、新しい天も、私が予告しておいた新しい地も見ないだろう。

私の子よ、私の火によって、私の愛によって、私の慈しみと義によって、私の種子1 は芽生え、太陽に向かって始めて咲く百合のように花開こう。私の光と露を求めて、そして私は天から光を注いであなたを美しく飾り、露をもって養い、あなたは新しい愛の時代を見る。

私の力によって、私はすべての罪、堕落と悪を掃き清め、荒々しい清めの奔流のようにあなたたちの上に降って、すべての悪を洗い流し、純粋な金の柱のように、あなたたちをまっすぐ立たせる。私の情熱的な愛の奔流をもって、まやかしであり真実でないものは全て掃き清め、少しの雨で粘土を洗い落とすように、このように私の崇高な愛の霊は、あなたたちの魂を損なっていた罪を洗い流すだろう。

私、あなたたちの救い主は、あなたたちを新たにする。被造物よ、そして私の賜物を与えよう。私の贈物は天2 から降る、それは輝ける新たなエルサレム、純正で聖なる、刷新された教会、かつてあり、今あり、これからもある私が、そのさ中、その魂のただ中に生きるだろうから。あなたたちは皆、自分の魂が生き生きと脈打つのを感じるだろう、私の聖心がその中で脈打つのだから。

主の中の主なる私は、火のごとく3 、私の聖心は熱烈な炎に包まれている。あなたたち皆を抱擁し、愛の竃に投げ入れ、あなたたちの愛する神、私を想う全き恍惚と陶酔のうちに、燃え立たせたいと切に願って! そう、あなたたち一人ひとりを、私の火で燃え立つ生きた祭壇とする。ああ、被造物よ! 私の火であなたたちの心が燃え立つなら、私に向かってついに叫ぶだろう。

「あなたはただ‐独り‐唯一の‐神、義なるお方、あなたこそは小羊、天の御父です、私たちがこうも見えていなかったとは? ああ、聖なる方の中の聖なるお方、私たちの‐うちに‐いて、私たちの‐うちに‐お住まい下さい、来てください、ああ、救い主よ!」

こうして叫ぶなら私は躊躇しない、必ず稲妻のような速さであなたたちの上に降り、あなたたちの間に住まおう。そしてあなたたちは、愛する者たちよ、初めから、私自身の者であり、私の種子であったと悟ろう。

その時はあなたたちの間に留まり、永遠の愛をもって統治する。私はあなたたちの神となり、あなたたちは私自身の者となろう。最愛の魂よ、私をあなたの王として扱い、愛の冠をかぶせてほしい。「私たち、共に」。来なさい。

自由意志

1988年8月18日 in ノート27

(修道院にて)

(出会ったある団体を助けてくださるように主にお願いしました。大変苦しんでいて、悪魔に苛まれていると感じている人びとです)

主よ?

私である。

娘よ、どの魂も解放されることができる、しかし彼ら自身が心を開いてそう望む時だけだ。私はどの魂にもその自由を与えた、そして彼らの意志は彼らだけのものである。さて、もし私に心を開くまいと魂が強く抵抗するなら、どうやって私はその心に入って行けようか? 私は主であり神、しかし自由と自由意思を皆に与えた。もし信じてその意志を献げ、自らを明け渡すなら、私はその心に入ってあなたを癒やす。強引に入ることはない。戸口に立って、心を開き、迎え入れてくれるのを待っている。