私を食べ、飲みなさい

1988年9月12日 (ノート27)

わが主よ!

私です
いつもともにいる。私の意思によって与えた恵みを、どの魂にも与えたわけではない。それでいて、なんとしばしば疑うか? 信じなさい……
足を引っ張る人びとを放っておきなさい、心が閉じていて、暗やみの中で生きている。どうして目の見えない人のあとについて行き、さらに奥深く荒野にさまよい込むか? 私は従うべき、唯一、ただひとりの人、そこで聞こえているのだから、耳を開きなさい。分かろうと努め、私の現存を感じなさい。私が見えているのに、どうして目を逸らすのか? 私の視線を追いなさい、子よ、そう(*2)! 分かっただろう? 努力すればできる。許嫁よ! 私を喜ばせなさい、与えた全てに思い巡らし、私を尊ぶように。

主よ、私はどうしようもなく弱い者です!

その弱さのために祈りなさい、私は待たずに、あなたを本当に引き上げる、まこと愛する者よ、私の体を食べなさい、書くように、

(「私の体を食べなさい」と言われた時に思い出したことを、イエスは書かせてくださいます。前の晩に、私は十字架(20センチ)からイエスのお体をはずし、その全部を食べてしまい、十字架だけが残るという夢を見ました)

私がこのヴィジョンを与えた。あなたは私の体を食べなければならない、私の体を与えた、私の血を飲みなさい、私の血も飲んでほしい
ヴァスーラ、どうしてときどき疑うかを知っているか? あなたは、私の薔薇として、砂漠に生きているからです、薔薇は砂漠では生きていけない、特別な注意と世話が要る。その環境全体が 影響を及ぼす。私はあなたの園丁、目を離すことがない、熱風によって火傷をおわないよう、絶え間なく見張り、注意深く見守っている、踏みつけにされないよう、敵を追い払い、あなたに不足がないよう、調べを怠らない。必要とあれば、あなたを矯め、土壤を灌漑する。
私の魂の許嫁よ、落胆だけはしないようにと注意したい、主なる私が、園丁であり、決してこの砂漠に捨ておかないがゆえ、そこで私に信頼し、この荒野を恐れないように。私の平和を保ちなさい、あなたが望んでいるゆえ、私に対する信仰を、大きくする手助けをしよう。私に養われるように。「私たち共に」?

永えに、

代々永えに

「私たち」、ママ?

はい、「私たち」、いつもイエスのおそばにいらっしゃい。

はい、お母さま、そうしたいです。

来なさい。

*1 イエスに申し上げたのです:「地上で主の時代に生きていた人びとは、なんと恵まれていたでしょう!」
*2 「子よ」と神が仰しゃった途端、主を感じました、主の現存を感じ、そして心は歓びで高鳴りました!