1988年9月のメッセージ

聖ミカエル

1988年9月10日 ノート27

神に栄光! 神に栄光。

聖ミカエル?

ヴァスーラ、これをあなたに告げます、このすべての啓示は至高者の口から出ています。主の慈しみを確信しなさい。

ありがとうございます、聖ミカエル。(悪と戦うための聖ミカエルへの祈りをしている時に、このお言葉をいただきました)

主よ?

私です。

「イエスの最後の誘惑」という新しく出た映画は、全くのスキャンダルです。次は何が飛び出すでしょう!

あえて見に行こうとしない者は幸い!

(イエスはこう仰しゃった後、黙っておられました)

再び子供のようにならなければ、私の王国に入ることはできない

1988年9月9日 ノート27

主よ、あなたに信頼します。私は全てを、ただあなたおひとりから学びました。しかし主よ、多くの聖職者が私をあざ笑います。私があなたから学んだと信じるのを拒み、あなたの御業を追いやって。子供たちのヴィジョンも、出現も、啓示も、すべてが踏みにじられています。あなたに沈黙していてほしいのです。どうか、脇に退いておられないで、神よ、急いで助けに来てください、主なる救い主よ! 主よ?

私だ。ヴァスーラ、あなたを虐げる人びとに対しては、「再び子供のようにならなければ、私の王国に入ることはできない」と忠告する。私の子よ、どのヴィジョンも、真実と宣言される日が訪れる。私の教会にとって、空しいヴィジョンも、偽りの預言もなくなると私は言った。言ったことは間もなく実現される、あなたの生きている間に、宣べたことを成就させるからだ。

ありがとうございます、主よ。

「私たち、共に」?

永えに、アーメン。

あなたのうちに始めたことを成し遂げよう

1988年9月7日 ノート27

主に賛美! 主は祝福されますように!
神に栄光! 死ぬほど愛します、お父さま。
主よ?

私です。私の子よ、聞きなさい、あなたの主のために、これからも働いてくれるか?

今の私でよろしければ。

あなたでよい。そのどうしようもない弱さに惹かれている。来て、私から吸収しなさい。

いのちを得て癒やされた者よ! 面と向かってあなたは真理を見た、私が癒やし、回心させた。あなたを引き上げ、私の聖心のうちにおいた。祝福を与えた、あなたのうちに始めたことを成し遂げよう。あなたは私の王宮に留まり、私だけから養われる。悪から遠ざけようと、目には覆いをした。与えているこのすべての恵みで、思い上がってほしくない。あなたの住まいとなるよう、私の聖心を与えた。その内奥にもぐり込みなさい、その内奥に隠れ、決して出て来ないように。私、あなたの救い主は、終わりまでそこにあなたを隠しておく。

ありがとうございます、主よ。

私を愛するようにあなたを創造した

1988年9月6日 ノート27

私です、この裏切りについて、私の子よ、知らせておいた。

来て、私に倚りかかりなさい。これを私からのものでないとする議論が、いかに無意味であるかが知られるように、その熱意は的を外れ、私の正義がはっきりと、見えていないようだ、そして自分たちの考えを吐露しているに過ぎない。

聖書には書かれてある:「善い知らせをもたらす人の足音は、歓迎すべき足音」と、また私の選ぶ器の種類に、驚く人びとにはこう言う:「私を求めない人びとに私は見いだされ、私に聞かない人びとに自らを現した」

彼の議論にも一理あります。この賜を受けるのに、本当に私は適当ではありませんから。私は駄目な人間です。ですが、友人のビアトリスが神父さまに尋ねました。「マリア・マグダレナはどうですか?」彼は答えたそうです、「ああ、そうです、しかし後で回心しましたから」では私は回心していないと神父さまは思っておられるのですね?

平和でいなさい! 私の聖心のうちにあなたをおいた。

二千年前に彼が生きていたなら、私を罪人として、石殺しにする一人に加わっていたでしょう。

私が許しはしなかった、かつてと同じ言葉を言っただろう、「罪のない者が最初に石を投げなさい」と。心を開きなさい! 頭でなく! ヴァスーラ、あなたの救い主、私に倚りかかっていなさい、心の閉じたままの人びとのために、祈りなさい、耳を閉じる人びとのために祈りなさい。

はい、主よ。

私の受難の残りに備えなさい、覚えておくように、あなたの十字架の大きさを示した。

はい、主よ。

しかしあなたと私は、それをともに分かち合う。すべて無駄にはならない、与えた使命を達成する手助けをする、それから……私のもとに飛んで来よう、そう*! 来なさい、私は現存する、「私たち」?

* イエスは嬉しそうでした。

はい、主よ。

(しばらくして)

わが主よ?

私です、私の目をのぞき込んで、左も右も見ないように、あなたの主、私を見なさい、私は道、真理そして永遠のいのち。どれほど大きな愛をもって、みことばを教えたかを思い出すように。それにあなたの知識はすべて、私からのもの。

私の王国全体は不思議に満ちている、私はアルファでありオメガ、私を愛しなさい……あなたの示す愛の雫のどの一滴も献げ、私を王として扱いなさい、私を愛するように、あなたを創造した、持てるすべての愛が、私だけのものとなるように*、私なしでは、あなたがいかに弱くみじめであるかは分かっている、しかし私は単なる子ども、無に等しいあなたを私の腕に抱き、与えてくれるこの無の空間で、私の霊は自由に、息することができることも分かっている、私の霊があなたを形造るのを許しなさい、学ぶすべては英知に由来する、そして私は英知。

* 神を愛するようになるなら、お互いも愛し合うようになります。

聖霊を笑いとばす者たちに警告する

1988年9月5日 ノート27

(今朝早くから主は、私が近隣の司祭たち何人かに、近々拒絶されると教えてくださっていました)

主よ、本当に何人かの司祭に、私はまた拒まれてしまうのでしょうか? 主よ?

私です。怖れることはない、間もなく全てが明るみに出され、あなたを拒み、メッセージを信じるのを拒んだ人びとが皆、御父にゆるしを祈る日が来る。ヴァスーラ、「目が見えなかった」なら、私は癒やしただろう。しかし彼らは「見える」と言い張っている。私が地上にいた時と同じ、目の見えない道案内の子孫だ。私の子よ、地上に私がいた時に彼らが生きていたなら、私を磔にした人びとの間にいてその行為に加わっていただろう。預言者たちに石を投げて、黙らせた仲間となっただろう。どうして、今も当時も、何も変わっていないではないか? 私を信じると主張しながら、霊の働きを拒み、こうして再び私を拒んでいる。あなたはメッセージを携え、私に遣わされた、しかし律法学者やファリサイ人のように、この人びとは証拠を求める、堅い証拠を。

身構えていなさい、私の子よ、背中に鞭を受ける準備をしなさい。主である私は背中に鞭打つのを許した、そこであなたも背中を差し出しなさい。聞くのを拒んでいるゆえに、自分たちの間違いを繰り返させておきなさい。主である私は、拒まれ、最後には木に釘付けにされた。そこであなたも従順に、私の十字架を分かち合うように。今日は昨日と同じだ、誰を送ろうと彼らは追及し、迫害するか、拒絶する。私の送る者の血は、アベルの血から今の世代にいたるまで、絶えず流されている!

律法学者やファリサイ派の人たちに警告したように、今日の私の使者たちを迫害し、みことばを弾劾する人びとに警告する。聖霊を笑いとばす者たちに警告する。「お前自身の証拠が、お前にとって不利となる、一人として変わっていない、やることは同じだ、その考え方がお前たちを不利にしている。道案内たちよ! 霊的メッセージをいろいろと教えながら、聖霊の働きを無視するのか! 道案内たちよ! 私の肉で小羊たちを養うが、私の血は差し控えるとは1 私の指示を忘れたのか?」

私のヴァスーラ、私のとげを感じさせよう、これら聖職者たちの心に、合理主義がいかに君臨しているかを感じさせよう。彼らの前にあなたをさらす。私のパンであなたを養っている、私と一致し、私の棘を感じそれを共有するように。一本一本の釘が私を貫いたように、あなたの魂も貫かせなさい。予告しておいた、さあ、鞭打たれる覚悟をしなさい。しかし覚えておくように、彼らには私の背中もさらしているのであり、あなたにすることは皆、私にしているのだ。「私たち、共に」?

はい、主よ。

(三時間後に知らせがありました。私が信頼し、神のメッセージを信じていると思っていた神父様が「裏切った」のです。全然信じてはおられなかったのですが、ずっと信じている振りをされていました。そして単にこう言われます。「神はご自身をこうした方法でお示しにはならない、こういった種類の人には」。大変な痛手でした、彼は理解しており、また友人だと思っていましたので。「友人」を失いました……別の友人からこのような知らせをもらったのです)