1988年10月11日のメッセージ

私の霊がどう働くかを読むと良い – 1コリント12・1-11 私の義の杯は溢れ出す

1988年10月11日 ノート28

あなたに平和。

神に栄光!

この啓示が始まって以来伝えているが、私の教会は廃墟と化し、この廃墟の内部にマムシが巣喰い、その奥深くに居座っている。ああ 、ヴァスーラ1!! 苦しい…… 私はやって来て、私の最も神聖な秘跡にからみつき、はいずり回るへびどもを解いて、教会の外に放り出さねばならない。そして初めから教会を建て直さなければ…… 私の子よ、この荒涼とした荒野で暮らし、それに囲まれているのは、本当に困難で、恐怖に満ちている。しかし私を愛し、愛をもって私の名を崇める人びと皆のそばにいる

私は限りない富であると、私の天来の御わざを踏みにじる全ての人に思い出させたい。被造物が反逆に陥るのを見た時はいつも、みことばを運ぶ使者を送った。反逆はあなたたちの住む地を砂漠に変えてしまうゆえ。先祖たちも反逆したが、選ばれた天使たちに私が語り、メッセージを託すのを疑う、あなたの世代ほど激しく疑いはしなかった。

今日、私の子よ、教会には私を信じると主張しながら、聖霊によってあなたの時代に与えている全ての私の神聖なわざを拒む僕たちがいる! 自らの不毛により、すでに非とされており、審判の日には厳しく裁かれよう! この人びとは聖書に立ち還り、私の霊がどう働き、選ばれた者たちに与える賜を私がどう祝福するかを読むとよい。それら一切は私に由来する2。私の子よ、あなたと私、私とあなたは、この荒野、死に至る荒野を渡っている、それは合理主義、不信仰、愛の欠如、無節操、自己陶酔、虚栄と、聖霊から降る全てに対する敵意によってもたらされた荒野でもある、彼らは聞こうとしない頑なな態度によって、非とされている、私の聖霊による御わざを拒む者は誰であっても、私を拒んでいる、聖霊と私は一つであり、同じであるがゆえ!……

この人びとは砂漠を押しひろげ、そこでは何も育たないように手を尽くす。花を見つけると、踏みにじり、つぶしてしまうか、わざと無視して水を与えずに、枯れさせ、捨てておく…… 私の義の杯が溢れ出し、彼らはすでに、私の義の最初の雫を感じ始めている。こうした諸々の民、特に仕えていながら、聖霊の御わざをまだ拒む僕たちに求めるのはただ一つ、光明と、さらに強い信仰が与えられるように、祈り、祈り、祈り求めること。来なさい、私の子よ、私の聖なる現存を常に思い出し、私を喜ばせなさい、

「私たち」、主よ。

愛している、そう、「私たち」。

「私たち」、

はい、聖なるお母さま。