1988年10月13日のメッセージ

私は愛の霊

1988年10月13日 ノート28

わが神よ?

私です、永遠の昔からあなたを愛してきた、そして永遠の昔から、愛してもらいたいと願ってきた。私は、愛の霊。心を開いたままにし、私の愛があなたのうちに反射するように、相対する鏡のようでありなさい。あなたのうちに私の愛を反射させたい、私は、私のヴァスーラ、厳しい神ではない、私を蔑む者たちをも皆愛し、おだやかに接する。私の花よ、どのようにあなたを愛するかが分かってきた今、愛がこうして欠けているために、どれほど愛は苦しんでいるかが、もう分かっただろう?

はい、主よ、分かってきました。

では来て私を慰めなさい、放っておかないでほしい、あなたには慰めることができる

祝されるように。

ペトロ、どうして私の弟子たちは敵意のうちに散らされているのか?

1988年10月13日 ノート20

僕ジェームズにこの言葉を述べたい:あなたに私の園から取った実を与えた、私の娘を養っているようにあなたと僕ディビッドをも養っている。私の実を食べなさい、賜物を受け取りなさい、決して私を拒まないように。主なる私は、祝福を与えつつ、ともにいる、後になって十分理解するだろう、覆いがすっかり取り除かれ、私の栄光を目の当たりにしたなら、愛している、あなたには決して理解できないほどに、どの人間の思考も、この理解には到達し得ない。ひとたび覆いが取り除かれたなら、その時は高くそびえる木を妨げ低い木を育てるのが私であることを、理解するだろう。

主よ、たくさんの人が主のことを不正だと非難します、そして、「もし神が在るとすれば、もしそうなら、不正な神だ」と言って離れていこうとするのです。

花よ、この人びとに言う、「あなたが死ぬのは、自らに対して犯した悪、あなたたちの棄教のためである、悔い改めなさい、罪を放棄し、私に立ち帰るなら、あなたをゆるす」私をあなたのあがない主、慰め主と見なしなさい、私は光として今日の暗やみの世界を照らしに来た。私の家は混乱と議論、己が利益を求め、聖性が無視された中で統治されている、ペトロよ! ペトロ! どうして私の弟子たちは敵意のうちに散らされているのか? 私の手で祝別された者よ、兄弟、永遠にあなたを愛おしむ。私の聖心は愛する私自身の者たち、自らの者たちの打ち込む棘によって傷ついている、あなたに私の傷ついた心を現そう、また新たに、この聖心は貫き通され、血がほとばしり出ている、私自身の者たちは誠実さに欠け、私を再び十字架につけた、愛が欠けているため、私の体は痛み、愛が欠けているため、唇は乾く、私は渇いている、愛する者よ。この者たちは私のやり方を忘れてしまった、私が謙遜、柔和で愛に満ちていることを。あなたに求めるのは愛だけである、私があなたを愛するように、互いに愛し合いなさい、どうして私の教会の中で戦うのか? 私の面前でこのように言い争い、憎み合うのか? このように毒を持った宣言文を配布するか? この者たちの聖性はどうなってしまったか、私の園をなぜ疎かにするのか? 私の小羊たちはかつてないほど散らされ、残るわずかな小羊も見放されて檻にいなくなろう。ペトロよ、私の目は、彼らが互いに非難し合うのを見厭きた、私の土地を荒廃させ、小羊たちに与える何をも持たないで。そのやり方を受け入れるわけにいかない、愛と平和を与え、人を裁くようにと教えたことはないのに。ヴァスーラ、私は思いやりをもって統治している、私の聖心は血を流し引き裂かれる、どうして彼らは私を挑発するのか? 私の光を受けていながら兄弟を憎む者はまだ闇の中にいる、とは言わなかったか? 本当に分かっただろうか、「祭壇に献げ物を運ぶとき、兄弟の恨みを突然思い出したなら、すぐそこに献げ物をおいて、兄弟を探しにゆき、先ず和睦してから澄んだ心で戻り、あなたの献げ物を献上しなさい」と言ったときに言おうとしたことを、この言葉のうちに、互いに和を保ち、愛し合い、仲直りし、私の家で献げ物をする前に和解するようにとの意を込めた、子よ、私の心も最初の弟子たちの心も愛には決して欠けていなかった。

主よ、そのお苦しみを感じ、私も苦しんでいます、主の忍耐はなんと大きいでしょう!

ヴァスーラ、私の子よ、私は死者のうちから復活した、私を信じ、希望し、愛しなさい、主なる私は決してあなたを見捨てない。

主よ、どうぞ私を復活させられたように、他の子どもたちも復活させてください。

そうする、あなたが求めたからでなく、それが昔も今も私の意思なるがゆえ。来なさい、私の現存を忘れないように。愛する者よ、最後は勝利を得るだろう。