1988年12月21日のメッセージ

私の子どもたちを気も狂わんばかりに愛している

1988年12月21日 ノート30

主よ、メッセージに含まれる愛を取り違え、センチメンタルな愛と同レベルに見なす人もいて、きっとお悲しみでしょう! 主よ?

(一つ二つ、こういった意見を聞いたのです)

私である。この時代、私の愛は喜ばれもせず、理解もされていない。私がどれほど私の子どもたちを愛しているか、あなたは知っている1、彼らを気も狂わんばかりに愛している! しかし、この時代の罪は実に深刻で重く、もはやあなたたちの神、私が見分けられないでいる! 彼らのために私が払った代価を忘れてしまったのか。私は卑しめられ、苦しめられ、拷問にかけられて、この上なく苦しい死を自ら進んで耐え忍んだ、すべては愛ゆえに。それなのに、あなたたちをどんなに愛するか、何百万回も繰り返し伝えるのがなぜいけないのか? 私の愛の深さと大きさを理解させようと、私は同じことを繰り返し語っている。そしてあなたたちの心に私の言葉が染み通るまで、繰り返し語り続ける! 私は今でも、受難をもう一度やり直す用意がある。

ああ、被造物よ! どれほど私を苦しませるのか! あなたたちに対する愛は無限である。この愛を分かろうとしてほしい。