1989年4月のメッセージ

私に仕えなさい

1989年4月28日 ノート33

主よ?

私である。

ありがとうございます、文字通り降り注いで下さっています不思議を感謝し、賛美します。私の心は聖なる御名を歓び、ほめ称えます。あなたは私を護る楯、正しい審判者。私の意志をお献げします。

私のヴァスーラ、常にあなたの意志を献げなさい。私に仕え、手を用いさせ、喜んで私の石版になりなさい。何も私に拒まないなら、あなたのうちで働く。あなたの手綱を締めるが、許してほしい。最愛の魂よ、私なしには、いかに役立たずかを悟りなさい。私は英知。私のメッセージはあなたの死後も多くの人に読まれ、地上の隅々にまで届き、愛と信仰と希望を大きく育てよう。信頼しなさい、私の子よ。私はあなたの師、救い主、平和、創造主、そしてあなたを-最も-愛する-者。

私にすがる全ての人を助け出そう

1989年4月23日 ノート33

(聖モーリスの小さな教会で、再会の集いの祈りとメッセージの朗読が終わった頃、小さな教会は人でいっぱいになっていました)

御名によって集う私たちが、困らないようにしてくださいました主は祝されますように。徳のない者たちにも主はよくしてくださいます。わが主よ、あなたは私たちの祈りに答え、あなたの愛する子どもたちのお献げした断食や犠牲に、お応えくださいました。私は御名を祝福します。私たちは御名を祝福します。「主は恵み深く、その慈しみは永遠、主の真実は代々に及ぶ1」主にお仕えしましょう。

私はあなたたちを愛する主。迫害する者たちの目の前であなたたちを養う。羊飼いの呼ぶ声を耳にして、聞き分けたあなたたちは皆祝されよ。私に犠牲を献げた者は皆祝されよ。
私にすがりつく者は皆、救い出そう。私の腕はあなたたちの揺りかご、私の聖心はあなたたちの避けどころ。私はあなたたちの神、そしてあなたたちは私の民。喜びなさい! 喜びなさい、愛する者たちよ。私の声がなぜこの弱い器を通して運ばれているのかと探り求めないように、素直な心で信じなさい。私を試すのを避け、無邪気で純真な子どものような、私の目に適う者となりなさい。
私の聖心を見なさい。あなたたち皆の前に私の心をあらわにしている。あなたたちへの熱烈な愛を感じなさい。抵抗しないように、私の懇願を断ってはいけない、私のもとに来なさい、そしてあなたたちを私の聖心の奥深くに投げ入れさせてほしい。私の心をあなたたちの避けどころとしなさい。私が救い出しに来ないなどということがどうしてあるだろうか、私の愛する者たち? 崇高な愛の源である私が、あなたたちを見捨てることなどあるだろうか?
あなたたちの苦悩の叫びは天全体に響き渡った、地上からの懇願を私は聞いた。恐れるな、愛する者たちよ、恐れてはならない。私の目にはすべてが見えており、すべてが聞こえている、そしてはっきり言っておく、私はあなたたちの歩みを一歩ずつ導き、祝福しよう。私はあなたたちの献身的な番人である、だから自分の手で私のぶどう園に水を引き、世話をする。夜には悪い侵入者たちが入り込まぬように見張ろう。私のぶどう園を見に来たい者は皆、昼間にやって来なさい、夜は狐しか来ない。だから分別ある者のように、夜明けに起きて私のぶどう園を訪れなさい。主である私はその番人、そしてぶどう園を生き返らせるために私が来たのは、無限の愛と大いなるあわれみによる。
喜びなさい、あなたたちの賛美を天まで届かせなさい! 主の栄光をたたえて喜び躍りなさい。私の言葉を運ぶ小さな代弁者となりなさい。あなたたちの声で、眠っている者たちを目覚めさせなさい。すべての国々の民に私の愛を宣べ伝えなさい、私からさまよい出て行った者たちを帰って来させなさい。彼らの心が乾きすさみ、その罪が緋のように赤くとも、私は彼らを拒まない。私のゆるしの心の豊かさを示そう、喜び歌いなさい、私は終わりまであなたたちの間にとどまるのだから

迫害する者たちを祝福しなさい

1989年4月11日 ノート33

今日からいよいよ本格的な迫害の開始です。イエスは、今年のギリシャ正教の復活祭では主のご受難を感じるでしょうと理解させてくださいました。私たちの復活祭が近づいています。主よ、多くの人々が、私を偽りの預言者だと非難します。メッセージが神からでないと言うためなら、どんな嘘でも、不利な証拠を探してくるのです。既に数名の偽証人がいて、私は他のカリスマ派の運動を悪魔が崩そうとする道具になっている、と非難されています。

私につかまっていなさい、平和を、私の子よ、何も拒まないように。私たち1は二人ともあなたと共にいる。覚えておきなさい、それはサタンの煙である、煙は実際には長くはもたないものだ。蒸発し、消えてしまう。ヴァスーラ、私、あなたの神は、天国において初めて理解するだろう愛をもって愛している。祝されるように、私の子よ、あなたが受けるすべての中傷、非難の的となっているすべての偽証ゆえに。喜んでいなさい、天国での報いは大きいのだから。やっと私を信じるか? 私と同じように、あなたも迫害を受けると繰り返し言ったであろう? 私のメッセージは人々の心を引き寄せる、しかしある者はそれでもなお、あなたに敵対するだろう。私のメッセージをおとしめるということは、私をおとしめることになるとは知らずに。何か誤りを見つけようとしてあら探しをすると言ったであろう? 私が送った他の者たちにしたのと同じように? 迫害する者たちを祝福しなさい、非難する人たちのために祈り、心から皆をゆるしなさい。私が愛であると知るように、私のヴァスーラ。私を愛しなさい、他の者たちに分け与えるために、この愛が必要なのだ。私があなたを愛するように、私の兄弟たちを愛しなさい。

でも主よ、完全に目をくらまされた人たちもいるのです!

私を信頼しなさい、小さな者よ、私の光をもって多くの者を照らし、その上に輝く。私の魂に祝された者2よ、私の受難を忘れたか? 私は愛のために苦しんだ、今は私と一つになっていなさい、私の受難で受けたと同じ杯を味わうよう、このような成り行きにしたのは、私3である。愛している、そしてあなたに抱くこの愛ゆえに、私の子よ、このたびは私の杯から飲むのを許した。私は小さな魂たちを引き上げ、形造って、私の受難の小さな象りとする。あなたたちは幸い、心と魂を献げ、私の神聖な手をもって、もう一つの小さな十字架に形造らせてくれた者たちは。歓びなさい、魂よ! 私の贈物を歓び、感謝しなさい! しかし忘れないように、小さな者よ、あなたの住むこの同じ空の下には、羊の皮を被った、食い荒らす狼もいる。警告しておいたあの偽預言者たちだ。 

(この人びとについてお答えを一つ、しかもこのたびは聖書から下さるように主にお願いしました。聖書を開いて指を当てると、エレミヤ書23・10以降でした。ここは偽預言者について書かれた箇所です)

愛する者よ、怖れることはない、私が前にいる。様々な中傷を受けても喜んでいなさい、私の目はこの者たちを見据え、言葉を聞き、心を感じている、

はい、こうして共にいてくださいますから、何も怖れません。

勇気を出しなさい、続けていくことができるように、私の力を与える。「私たち、共に」?

いつまでも永えに。

こういった迫害が十分ではないかのように、集会のために大ホールを借りたのですが、断られてしまいました。だいぶ前に予約していたのに、簡単に断られてしまったのです。自分たちのところに宗教運動を持ち込んでもらいたくないと言われました。200人の人々を抱えて、誰も場所を提供してくれません。再会の集いまであとたった一週間です。しかし主が助けに来てくださいましたご自分の教会を使わせて下さったのです。カプチン修道会の小さな教会です。そう、栄光の主は兄弟たちの中で最も卑しく貧しい兄弟を選ばれました、イエスのメッセージを迫害する人々への印として。

みことばをあなたの灯火としなさい 私たちの心に避難所を見いだして下さい

1989年4月5日 ノート32

わがイエス様?

私です、ああ、私のもとに来て、あなたの意志を献げてくれる、このひと時が、どれほど嬉しいか! 一緒に留まっていなさい、私の子たちに向かって書く。 

(イエスは1989年4月21日*の再会の集いのためにメッセージをくださいます)

あなたたちに平和、私は主、私はみことば、あなたたちの間にいる、私の現存を感じなさい、私の小さな子どもたちよ、皆一つとなって集まった**のを見て、私の聖心は悦んでいる、あなたたちには聖性への道を、進ませるつもりでいる、私の道にまだ不慣れな者たちも、あとに置いては行かない、探しに戻り、一人ひとりを連れて来て、正義と聖性の私の小道を、指し示す、私があなたたちを引き上げ、運んで行く。心優しい父親のようにあなたたちを育て、教えを説いて、私の愛の霊を豊かに注ぐ。愛の達人である、私は、私を心から愛し、私が愛するように互いも愛せるように教える、これが私に向かう、第一歩となろう。私はあなたたち皆を、ほとんど歩き方を知らない、私の幼子と見なしている。両手を差し出そう、あなたたちの小さな手を私の手の中に置きなさい、そうするなら一緒に、あなたと私が一緒に二三歩前進できる……もうどんなに私が、悦んでいるかが分かろう***? 私に向かって自らを完全に開くなら、あなたたちを進ませて、魂を美しく飾り、完徳へと導く。私の掟を教えさせてほしい、そうするなら私の教えをどう守るか説明しよう。学びたいと望む全ての人に、徳の門を開く、そう、私、自らが、私の果実をあなたの口に、手ずから含ませよう、つかまっていなさい、この困難な時代にあって、あなたを助け出す、復讐の女神が放たれ、多くの人が混乱に陥り、左手と右手の区別もつかないこの時代に。今日は今まで以上に、悪魔とその手下どもは、地上の隅々までさまよい歩き、あなたたち皆を騙し、罠を仕掛けて落とそうとしている。こうした理由から、絶え間なく祈るように私は求めている。眠っている間に、私の敵に見つからないように。今の時代を警戒していなさい。そして悪魔があなたのうちに隙を見つけないように、みことばによって、私の愛によって、私の平和と、私の徳によって、自らを満たしなさい、清い心で、しばしば訪れ、小さな白いホスチアのうちに、私を受けて、誘惑に陥らないように。絶え間なく祈りなさい、求める以前に、あなたに今何が必要かを、あなた以上に、私は心得ている、あなたの心を知っている。可能なあらゆる機会に、私のほうを向いて、祈りなさい、地上に祈りが足りない穴埋めとして、償いの祈りを。祈りを、周りに徘徊する、あらゆる悪魔から身を護る、鎧としなさい、愛をもって、悪魔の武器を取り上げ、愛をあなたの武器としなさい、皆に見えるように、額には平和と書き記しなさい、体のどの部分も、武器とすべきで、こうして私のために戦うなら、罪はもはや あなたの人生を支配しないだろう****、

みことばをあなたの灯火とし、愛と平和のメッセージを、地球の隅々にまでひろめ、心を捕らえて 回心させなさい、まだ私を知らない人びとも、来て、私の聖心がいかに、愛の竃であるかを見るように。来て、愛の炎に包まれた、私の聖心を感じなさい、そうするなら、愛の不足で、心が麻痺し、殺伐としていても、私の愛の炎をもって、生ける松明となるように、あなたの心を誘惑する。 

私の霊に祝福された愛する者たちよ、まだ抵抗するいく人かを見て、私の心がどれほど傷ついているか……見よ、私が不誠実として、知られた試しがあろうか? 私は完全に誠実な者、困っている時に決して拒んだり、見捨てたりしない。どのような時も、あなたを見捨てたことはない、若者が乙女のあとを追うように、あなたを追う、私は大きな愛をもって、天からあなたを見ている、誠実な神なのだから。愛をもって私のもとに来て、苦しみを献げなさい、私とあなた、あなたと私とで、それらの苦しみを、ともに分かち合う。私の娘、息子たち

よ、あなたと私で一緒に、「天に在す」を祈ろうではないか? その前に、気を落ちつかせ、ゆっくりと、心を込めて祈るように、この祈りを御父に届かせなさい、唱えている言葉を、黙想しながら、祈りなさい、聴いている(……) こうして私の王国を訪れ、私の意思は、天に行われるごとく地にも行われよう。今ある闇は、光に代えられよう。私は邪悪さを愛に、この昏睡状態を、足もとを照らす生き生きした輝きに代えよう、失望はさせない、私の優しさをもって苦痛を癒やし、汚れを洗う、だから私のもとに来て、私を愛しなさい、あなたの愛が、私の義の焔を消し、心からの祈りが、私の傷を和らげるように、あなたの祈りが、香のように天に立ち昇り、私の栄光を称える、讃歌となるように。

夜やって来て、ぶどう畑の実を結ばせないように荒そうとする人びとの、過ちを償いなさい、善を行い、悪はもう行わないように、何をするにせよ、私の栄光となるように。愛する魂たちよ、来て私と共に私の十字架を分かち合いなさい、私の十字架は、愛と平和、一致を叫び求めている、それを共に担おう、あなたと私、私とあなた、愛の一致のうちに。私、主イエス・キリストは、あなたたち皆に、祝福を与える、一致しなさい。

(しばらくして)

花よ、私の平和を与える、あなたには私の霊がある。私の教会を新たにしなさい、いにしえの時代に、あなたたちの間に愛のあった、初代のような教会となるように、私の再臨まで。愛と平和をもって、死者を甦らせ、この亡霊の地に新たないのちを生まれさせなさい。ああ、愛する者よ! この私の栄えある日を、どんなに待ち焦がれていることか!

(後ほど: 再会の集いのために聖母がメッセージをくださいました)

(1989年4月5日)

英知をお与え下さった、主を賛美しなさい。私の子よ。

主の慈しみに賛美、愛と、御わざを分かち合ってくださいます主に賛美!

私の小さな魂たちへのメッセージです。

あなたたちに平和、子どもたちよ、愛する者たちよ、単純な心で、神に近づいてください、子どものようであってほしいのです、主はご自分を試さない人びとに、見いだされるお方ですから、身を低くして、ご自分に不信を抱かない人びとに、自らをお示しになります。お分かりでしょう、子どもたちよ、全能者はご自分を試すなら、その愚か者を挫かれます、そう、英知は、悪賢い魂には決して入っていかれません。ですから主に心を開いて、単純な心でお迎えしてください、すすんで主に倚りかかりなさい、英知に倚りかかることになるのですから、祈りを通して、主への信仰が大きくなりますように、信仰を持つことも、主の与えられた恵みです、

まこと愛する者たちよ、私の汚れなき御心にお入りなさい、あなたたちの憩いとなりましょう。苦しむ者は皆、痛みを持つ者は皆、私のもとに来てください、そうしたらあなたたちの母、私は、慰めとなりましょう、悲嘆にくれる子どもを、どの母親も慰めますが、私も、そのようにし、それ以上をします、私は御父に執り成しましょう、それに決して失望はさせません、来て、私たちの心に避難所を見いだしてください、今や私たちの心を窒息させているこの茨の冠が、棘を失い、新しい芽を吹き、花咲かせますように、神を信じ、主に信頼しましょう。父と子と聖霊の御名によってあなたたち皆を、祝福します。アーメン。

聖ミカエルです。

神の子たちよ、サタンに耳を傾けたり、話しかけたりしないように、嘘をつくとは、悪魔と会話することです、怒りを溜めこむと、悪魔に足場を与えます、舌があなたを陥れる原因とならないように。私に祈りなさい、あなたのために執り成します。神のうちに安んじ、その無限の慈しみを信じなさい。あなたたち皆を祝福します。

* イエスは聖書の、エフェゾ書4・17-32と5・1-20を読むように頼まれました。
** (ここではすべてのキリスト者、ローマ・カトリック、正教会、プロテスタントまでを意味しておられます)
*** イエスは本当に嬉しそうでした!
**** ローマ書6・14

預言者たちも私の体の部分である

1989年4月2日 ノート32

主よ?

私である。幼子のような信仰の目で、私を見つめ、私の教会を美しく飾りなさい。

主よ、この時代の預言者と、主の与えられた御言葉を受け入れるのが、人によってどうしてこれほど難しいのでしょう?

はっきり言っておく。私の羊たちは私の声を聞く。

けれど主よ、大きな罪人による回心や癒やしを、懐疑的な方がたに証明できても、こういった果実があっても、まだ、納得していただけません。

私のヴァスーラ、目の前で誰かが復活したとしても、彼らは納得しないだろう……こうした者たちに対しては、イザヤの預言がいまだに有効である1。あなたたちは聞くには聞き、再び聞くが、理解しない。見るには見て、再び見るが、気づかない。この民の心は頑なになり、耳は鈍く、目を閉じてしまったからだ。目で見、耳で聞き、心で理解し、回心して、私に癒やされるのを恐れて。多くの人が、私の預言者たちも、私の体の部分であるのを忘れている、実に私は、皆で一つの体となるように、一人ひとりに恵みを割り当てた。最愛の子よ、ある者を使徒に、ある者を司祭や教師に、そしてある者を、反逆の時代に、預言者として形造った。それなのに、どうしてあなたたちの多くは私の預言者たちに驚き、受け入れようとしないのか? 体の一部が切り捨てられるなら、私の体はどうして機能できようか? 私は疲れ果てた、私の体は、絶え間なく傷つき、引き裂かれている。花よ、愛をもって、迫害者たちを受け入れなさい。裁かないように、私の預言者たちは、常に迫害を受け、裁かれ、鞭打たれ、押さえつけられ、町から町へと追われ、軽蔑の目で見られ、磔にされよう、こうしてあなたたちは、地上で流されたどの聖者の血も、己れの身に引き受けることになろう。聖書は決して偽らない。私は言葉である。来なさい、私の子よ、煉獄の魂たちをあがなうように、あなたを形造った、祈りなさい。花よ、祈りが煉獄の魂たちにどれほど影響を及ぼすかを知らないだろう、祈りによって彼らの火を消してあげなさい。彼らに代わって償いなさい。来なさい。

御父を熱望しなさい

1989年4月1日 ノート32

イエス様?

私だ。愛に道を案内させなさい、知者には耳を傾けないように、この者たちは私の時代の律法学者たちのようだ。愛ゆえに愛をもって、宣教しなさい。私の無限の愛を皆に感じさせなさい。

主に恋い焦がれます!

小さな者よ、あなたの心を感じ、「主に恋い焦がれます」と言うのを聞いて、私の心は歓喜する、これは献身の実り。私の反射、私の象りとなりなさい、御父を熱望しなさい、地上にいた時、私は御父に恋い焦がれた。絶え間なく祈り、愛の一致のうちに、御父といつもつながっていたいと恋い焦がれた。

教え子よ、私は知恵をもって、あなたを育てあげた教師。そこで私を歓びで満たし、絶え間ないつながりを持ち続けてほしい。私を第一に置き、たえず熱望するように。私のこうしたやり方で会えるのを歓び、近くに留まっていなさい、求めるのは愛だけ。

主よ、地獄に行く魂たちを哀れに思います。彼らも地上では私たちの一人として、私たちと似ていました。何とかして地獄から連れ出し、変える方法があるなら……

悪ではなく善を選ぶ自由を与えた。懇願し、愛を呼びかけたが、彼らは悪のほうを選んでしまった。

しかし主よ、まだ機会があってもよくはないでしょうか……

子よ、私が完全に拒絶されたのをあなたは知らない。最後まで彼らを愛してきた。手引きされて、彼らは悪魔に従うほうを選んだ。死の後までも私は前に立っていたが、少しの躊躇ちゅうちょもなく、彼らは進んで悪魔のあとを追って行った。あくまでも彼らが選んだのであり、いつまでも地獄に留まるのを選んでしまった。

ああ、主よ、いつもみ旨を行わせてください。

ヴァスーラ、決して手を放さないように。永遠にいつまでも「私たち共に」、愛のどの一滴も用いられよう、破滅に向かう魂たちを救うには愛を必要とする。来なさい。