迫害する者たちを祝福しなさい
1989年4月11日 in ノート33
今日からいよいよ本格的な迫害の開始です。イエスは、今年のギリシャ正教の復活祭では主のご受難を感じるでしょうと理解させてくださいました。私たちの復活祭が近づいています。主よ、多くの人々が、私を偽りの預言者だと非難します。メッセージが神からでないと言うためなら、どんな嘘でも、不利な証拠を探してくるのです。既に数名の偽証人がいて、私は他のカリスマ派の運動を悪魔が崩そうとする道具になっている、と非難されています。
私につかまっていなさい、平和を、私の子よ、何も拒まないように。私たち1は二人ともあなたと共にいる。覚えておきなさい、それはサタンの煙である、煙は実際には長くはもたないものだ。蒸発し、消えてしまう。ヴァスーラ、私、あなたの神は、天国において初めて理解するだろう愛をもって愛している。祝されるように、私の子よ、あなたが受けるすべての中傷、非難の的となっているすべての偽証ゆえに。喜んでいなさい、天国での報いは大きいのだから。やっと私を信じるか? 私と同じように、あなたも迫害を受けると繰り返し言ったであろう? 私のメッセージは人々の心を引き寄せる、しかしある者はそれでもなお、あなたに敵対するだろう。私のメッセージをおとしめるということは、私をおとしめることになるとは知らずに。何か誤りを見つけようとしてあら探しをすると言ったであろう? 私が送った他の者たちにしたのと同じように? 迫害する者たちを祝福しなさい、非難する人たちのために祈り、心から皆をゆるしなさい。私が愛であると知るように、私のヴァスーラ。私を愛しなさい、他の者たちに分け与えるために、この愛が必要なのだ。私があなたを愛するように、私の兄弟たちを愛しなさい。
でも主よ、完全に目をくらまされた人たちもいるのです!
私を信頼しなさい、小さな者よ、私の光をもって多くの者を照らし、その上に輝く。私の魂に祝された者2よ、私の受難を忘れたか? 私は愛のために苦しんだ、今は私と一つになっていなさい、私の受難で受けたと同じ杯を味わうよう、このような成り行きにしたのは、私3である。愛している、そしてあなたに抱くこの愛ゆえに、私の子よ、このたびは私の杯から飲むのを許した。私は小さな魂たちを引き上げ、形造って、私の受難の小さな象りとする。あなたたちは幸い、心と魂を献げ、私の神聖な手をもって、もう一つの小さな十字架に形造らせてくれた者たちは。歓びなさい、魂よ! 私の贈物を歓び、感謝しなさい! しかし忘れないように、小さな者よ、あなたの住むこの同じ空の下には、羊の皮を被った、食い荒らす狼もいる。警告しておいたあの偽預言者たちだ。
(この人びとについてお答えを一つ、しかもこのたびは聖書から下さるように主にお願いしました。聖書を開いて指を当てると、エレミヤ書23・10以降でした。ここは偽預言者について書かれた箇所です)
愛する者よ、怖れることはない、私が前にいる。様々な中傷を受けても喜んでいなさい、私の目はこの者たちを見据え、言葉を聞き、心を感じている、
はい、こうして共にいてくださいますから、何も怖れません。
勇気を出しなさい、続けていくことができるように、私の力を与える。「私たち、共に」?
いつまでも永えに。
こういった迫害が十分ではないかのように、集会のために大ホールを借りたのですが、断られてしまいました。だいぶ前に予約していたのに、簡単に断られてしまったのです。自分たちのところに宗教運動を持ち込んでもらいたくないと言われました。200人の人々を抱えて、誰も場所を提供してくれません。再会の集いまであとたった一週間です。しかし主が助けに来てくださいました。ご自分の教会を使わせて下さったのです。カプチン修道会の小さな教会です。そう、栄光の主は兄弟たちの中で最も卑しく貧しい兄弟を選ばれました、イエスのメッセージを迫害する人々への印として。