私は貧しい魂に近づく者として知られている

1989年5月13日 (ノート33)

イエス様?

私です、与えた能力に応じて、私を十分に識別しなさい。心の貧しい者は幸い、天の国は彼らのもの。祝福を受けるように。落胆させようと、これまでにも増して責めたてる悪霊に警戒しなさい。罠にかからないように助けている、小道を平らにして、気づいただろう?

はい、わが主よ、気がつきました、主を祝します。

あなたを選んだのは私であると、覚えておくように、最愛の魂よ、決してあなたの無能を、そして私なしには呼吸さえできない、その無力さを忘れないように、私のやり方をいつも覚えておきなさい。私のメッセージを受けるためにも、あなたを他の者たちの中から選んだ、私は貧しい魂に近づき、癒やし、この者たちを通して、みことばを知らせる者として、知られている。

主よ? あえて申し上げてよろしいですか?

愛が耳を傾けている。

主よ、せっかくみことばをお与えくださいますが、必ずしも聞き入れられず信じられてもいません。

分かっている、だが全てが無駄とはならない、たとえ多くの人が耳を貸さなくとも、貸す人もあるゆえに、そこでたった一粒の種子が根を張ったなら、このすべての犠牲には意味がある。

主よ、私たちを哀れに思い、み恵みによってこのすべてのメッセージをお与えです。ですから、大勢が読んで回心することもあり得たでしょう、でもそうなってはいません。あなたご自身の方がたによって叩かれ、多くの場合無視されています。

私の花よ、これが、私の教会にある大いなる棄教、私の教会は聖所の玉座に自ら座るカインたちに溢れ、私の愛の教えよりも、形式のほうに注意を向けている、愛をもって私のもとに導くように、幾百万の魂を委ねたが、知識の鍵を取り上げ、自ら中に入ろうとせず、入りたいと望む他の人びとを入れようともしない、

主よ、あとどれほど私たちは苦しむことになるでしょう?

それほど長くはない、私を信じなさい、さあ、みことばから一節を読んで聞かせよう。

イエスはエレミア書4・5-31を示されました。

被造物よ、今直ぐ、回心し、みことばを聞きなさい。来なさい、「私たち共に」?

はい、わが主よ、そういえば近ごろ全然その言葉を申し上げていない気がします。

しかし言ってほしい、ヴァスーラ……微笑みかけなさい、

本当にあなたですか?

私です、花よ、何度言えば気が済むか?

分かっているのですが、イエス、確信を与えて下さるお言葉を聞ければと。

では私の名をあなたが繰り返し言うのを、私も切に聞きたいと気づいてほしい、私に呼びかける声を飽きずに聞いている、私の名を常に思いの中に、そして心に納めて、いつでもどこでも私の名を口にし、私を語るように、それは私の誉れとなる、

ああ、イエス、こんなに多くをお与えくださいました、御名が祝されますように。神に栄光。

私の平和を受けなさい、足に接吻してくれるか?

はい、わが主よ。(主の御足を霊的に接吻しましたが、十字架上の御足でした)

私への忠実に留まり、私の誉れとなりなさい。