私は私の群れの大いなる牧者

1989年7月17日 ノート34

主よ?

私の子よ、聞いて書きなさい、私は私の群れの大いなる牧者。群れの番をするように羊飼いたちを訓練した、しかし仲間たちの多くはこの仕事の道具として不適格で、迷子の羊を放っておき、道に迷った羊を群れに連れ戻そうとしない。一番の友人たちが最大の悲しみをもたらしている、私の体に最も深傷を負わせているのは、私自身の手で与えた者たちの杖。彼らは一番の親友、しかし彼ら自身の手で、見分けがつかないほどの

深傷を負い、背中は絶え間なく鞭打たれている。全身が痛みで打ち震え、唇はカラカラに渇いてけいれんする、彼らは怖れなく平和を求めて叫ぶが、平和はない、合理主義、不従順と虚栄心に捕われ、魅せられるのを自らに許してしまったゆえ。彼らはなんという悲しみを与え、私を傷つけていることか!

主よ? どうして人によっては、これほど難しいのですか?

ひとたび偽りの笏を握るなら、手放すのは難しい、人間的な教義や決まりを捨てるのは難しい、自らの欲望に対して死ぬのは難しい、自らを-卑しめる-衣を纏うのは難しい、こうした者たちに対してはこう言う: 泣きわめくがいい、羊飼いたちよ、地面にころがり、わめくがいい、群れの支配者たちよ、屠殺される日が到来し、肥えた雄羊のように一人ずつ倒されるだろうから。私は友人の中でも最も美しい遺産を与えた、正しい者たちと肩を並べさせ、私の家督を、任せた、しかしあなたたちは私の掟を守らず、教えを棄て、私が悪と見なすことを行った、声をかけたが、聴こうとせず、私に従わなかった*……。

ああ、わが神よ、私たちをあわれんで下さい。これらの羊飼いたちの咎をきれいに洗い、罪から清めてください。

私の小さな花嫁よ、私の悲しみをともに分かち合うのを許してほしい、

愛します、主よ、わが神よ、本当にお優しい、慈しみ深いお方、あなたのためだけに生きています、私の眼差しはほかの誰でもなく、あなただけに置かれています、あなたを礼拝します!

ああ、その愛の言葉は、どれほど私の義を癒やすか! 愛のどの一滴にも、意味がある、数え切れない魂たちが、愛によって救われ得る。私の石版としてあなたを用いるのを許しなさい。私の傷を示し、私の悲しみを分かち合ってくれる友として、あなたを訪れた、あなたに聖心の傷をさらしている。

私たちの主に賛美。

私のヴァスーラ、今はあわれみの時代、あなたたちの上に私の恵みの霊が注がれているのに気づいただろう? 悔い改める時は今、生き方を変えるのは今、絶え間なく祈りなさい、愛を込めて祈りなさい、反逆し続けようといつまでも思わないように、恐ろしい義の時が間近かに迫っている、その時は審判者としての私に、顔を向ける用意があるように、私の娘、息子たちよ、はるか以前にあなたたちを、死に繋がれた鎖から解放し、大いなる思いやりをもって連れ戻した、悪霊からあがない、あなたたちの先祖に貫かれた私の心臓を示した、あなたを自由にするために自らを犠牲にした。あなたの時代は絶え間なく挑発をしかけてくる、それでも私は、大いなるあわれみゆえに、私の恵みの霊を通して、私の教えをあなたたちに思い出させている、今日私の慈しみは地上の隅々にまで及ぶ、今日の私の声に耳を澄ましなさい、今日の私の慈しみを受け入れなさい、心を込めて祈るようにと、厳かに求める、断食し、悔い改め、互いに愛し合いなさい、あなたたちの変容を通して私の栄光を示せるように、自らを改め、すっかり新しく整えられた群れとなりなさい。

* 苦渋の思いが込められていました。