あなたの誇りとする群れは今どこか
1989年8月9日 ノート35
(コークスのカトリック教会で1989年8月18日に行われる祈りの集いのためのメッセージ)
主よ?
私です、聞いてほしい。愛する者たちよ、私は聖なる者、聖性の道を歩かせようと、あなたたちを準備している。私の小さな子たちよ、地上の持ち物に執着しないように覚えておきなさい、上からのもの、天来の聖なるもの全てに寄り頼むように。私は聖、そしてあなたたちは私に由来する者たちゆえ、聖なる生き方をしてほしい。私の名を聖としなさい。
私の名を尊ぶように。私自身の者たちよ、私のもとに来て、沈黙のうちに私を見いだし、私を感じるがよい。私にすっかり心開くのを自らに許しなさい、その時、大いなる歓びのうちにあなたを教育し始めよう。知識を降り注いで、私のもとに魂を引き上げ、美しく飾ろう。私は私の聖なるみことばを絶え間なく思い出させる者、私は規律、そして英知。私に自らを明け渡すその全ての人を教育する、比類ない唯一の者。私の光の中で生き、翼の陰に隠れていなさい。私に養わせ、へその緒を早まって切り落とそうとはしないように、あなたが生きられるように十分整えさせ、大人として成熟し完徳に達するまで魂を養わせなさい。私から離れて行かないで、ともに歩みなさい。
私はこの荒野で探し求めながら、今だに誤った道を歩むすべての人に、私は昼夜となく、繰り返し呼びかけている、来なさい! この荒野で誤って: 「贖い主を探し求めたが、見いだせない」と言う者たちよ。清い心で、私を見いだしなさい、まこと愛する者たちよ、私欲を持たずに私を愛することによって。聖さのうちに、私を見いだしなさい、あなたに望む明け渡しのうちに。私の掟を守り、私を見いだしなさい。悪を愛に置き換えて、私を見いだしなさい、単純な心で、私を見いだしなさい。もう罪を犯さないように。悪を行うのをやめなさい。善い行いを心掛け、義を追及するように。虐げられた者たちを助け、この荒野も不毛の地も歓喜させなさい。生温かったあなたが、熱烈な炎となって燃え上がるように。無関心を捨て去り、熱意に置き換えなさい。こうした全てを行うなら: 「私は贖い主を探し求めていたが、見いだした、ずっと傍らにおられたのに、闇の中にいて見えなかった。ああ、神に栄光! 主に賛美! これほど盲だったとは?」と言えよう。そのときは私の原理を守り、心に銘記するようにと促す、あなたが生きるように。ああ、私のもとに来なさい、真理からさ迷い出た、すべての羊飼いたちよ、試していない無法と破壊の小道はもうないなどと、どうして言えるか? 足跡を残さずに砂漠を渡ったなどと、どうして誇れるか? その自慢気な横柄さで私の群れに、何を与えて来たのか? そう、あなたの誇りとする群れは今どこか? 正しく統治したと、それでも言えるか? 私、牧者が、あなたに望む態度を自分で取ってきたかどうか、真剣に問うたことがあろうか? では私の言葉に耳を澄ましなさい、そして理解し、これらの言葉を警告として受け取るように、羊飼いの杖を偽りの笏に持ち替えながら、何千もの人びとを治める者たちよ。あなたたちの肩から重荷を取り除いたのは私だっただろう? 贖ったのは私ではなかったか? 涙してパンを食べるあなたたちを、私は見るに忍びなかったではないか? 私のしたことはあなたたちを解放し、救い出しただけ、そしてそっと優しく命名した。
私の羊飼いと。
今や時は足りない、私は不思議と、印を与え、空を前兆で満たしている、次々と警告を送り、私の愛と慈しみの大いなる印を与えている、しかしこれらにあなたたちは気づかない。今日は、私を心に迎え入れる用意があろうか? 今の時代に降り注ぐ私の恵みの霊について、口を用いて語り、感謝のうちに認める用意は? 目で見る用意があるか? 耳で私の愛の叫びを聞き分ける用意は? 心を開き、今日の私の恵みを感謝をもって受ける用意はあろうか? 足を用いて私のもとに歩み来て、礼拝の時間に打ち伏す用意があろうか、まさに私の降誕の時、称えながら、拝みに訪れた最初の羊飼いたちのように? 今度こそは心から私をほめ称え、私への愛と誠実な思いを私の群れに示せるだろうか?
あなたたちは自らを生きていて死んではいないとする、では私にあなたの声が聞こえないのはどうしてか? 祝福の言葉が聞かれないのはどうしてか? 愛するすべての人を戒め、訓練するのは私、来て悔い改めなさい、今日は私の聖心を歓びで満たし、私、あなたたちの牧者に目を据え、もうこれ以上この砂漠でさ迷わないように。私は現存し、平和と愛と一致の道へ足を向けるように案内する。そこで私の王国の鍵を受け取り、それを用いるようにと切に願う。私の王国への鍵とは、愛、栄光に満ちた愛、一致に必要な、もう一つの鍵とは愛と謙遜、これらの鍵を取って用いなさい、用いなさい、まこと愛する者たち、こうして一つとなるように、一つの聖なる民となるように、一人ひとりを祝福する、額に愛の接吻を残して。
私のメッセージにこれを付け加えさせてほしい:
自分は光の中にいると言いながら、兄弟を憎む者は暗やみの中にまだ留まっている。ゆるしなさい、ゆるしなさい、私、主が、快くゆるしているように。私が聖であると同じように聖い者となるように、私のメッセージを黙想しなさい、黙想しなさい、私のメッセージを吸収するように。愛が皆を愛している。
今度は聖母がご自分のメッセージをくださいます:
一人ひとりを祝福します。あなたたちには、主のメッセージに感謝し、絶え間なく主を賛美してほしいのです。これを信じて従う人びとの間で、このメッセージは今なお生きた力となっています。ですから安心して恵みの玉座に近づいてください、あなたたちは主の愛と慈しみを受けており、主は本当に思いやりのあるお方ですから、その指示に従い、主のメッセージを生きてください、読んで脇に置き、次のを待つだけでなく、実践するように、そうするなら主の聖心をお喜ばせします。お声に耳を澄ませてください。私の子どもたちよ、かかえている問題や苦しみをお献げしなさい、祝福をいただくでしょう。御名を聖となさい。愛があなたたちの間におられます、さあ、一人ひとりを祝福しましょう。