1989年9月5日のメッセージ

私のこだまとなるように

1989年9月5日 ノート36

わが主よ、夕べの空しい会話について何時間も思いめぐらしています。あの後おそばに行くことができないほど取り乱していました。恥ずかしくて、あなたに面と向かうことさえできませんでした。あなたのためにどんな弁明をしたでしょう? 何も。あなたを失望させてしまいました……あなたを尊びも、称えることもしないで。それでいて、あなたのうちにしか悦びがありません、わが主よ。あなたを恋い慕っています、主よ。神が私の心を清く保ち、誘惑から遠ざけてくださいますように。

私のヴァスーラ、あなたに抱くこの愛を感ずるように……私の慈しみは大きく、私の優しさは怒りに打ち勝った、私の道は聖、娘よ、私は聖なる者ゆえに、あなたも聖となりなさい、私の耳にあなたの会話が、楽の音と響くように。英知が、私の子よ、あなたを教え、教育する、空疎な語らい、無駄な会話を避け、私の教えから話し、実り豊かでありなさい。私はあなたの相談相手、助言は常に私が与える。私の教え子は完全であってほしい、だから完全でありなさい! ゴシップ、空しい会話といった、あなたを引き下げるもの全てを不快と思うように、あなたを愛するがゆえ、完全であってほしい。私の現存を感じ、私の反射となって、私の栄光を称え、代弁者となるように。私の手のうちにある教え子は清く、師の声に聴き従わなければならない。あなたには私の恩寵がある、私の教えを守り、それに従ってほしい、初めの時からあなたを、いかに私の聖心のうちに置いていたかを理解するように、あなたの上には私の霊が留まっている、祝福を与えた、愛する者よ、勇気を、この全ては無駄ではない。あなたは私を愛し、礼拝し、手を使わせてくれるだけでよい、私の木霊となるようにと願っている。

どういうことでしょう、主よ?

祈りの集いで私のメッセージを読み上げるように。そうすれば私は、栄光を受けたと感じる。しばしば黙想し、与える全てを受け入れなさい。花よ、私の十字架を持ってあなたを訪れた、しばらく休みたい、私の十字架を担ってくれるか?

わが主よ、喜んで。

与えているものが何かを、よく覚えていてほしい。私の十字架は尊いもの、私の十字架を持ち上げなさい、後ほど肩から下ろしに戻って来よう、私の子よ、自由に用いさせてくれる魂を私は悦びとする、決して何だろうと拒まないでほしい、あなたの神、私のために、いつでも喜んで使わせてくれるように