1989年9月20日のメッセージ

ぶどう畑を何倍にも増やす 私はいのちの木の根 ペトロの座

1989年9月20日 ノート36

わが主、わが救い主よ?

私です、私の平和を与える。私のヴァスーラ、聞いて書きなさい、あなたがそばにいてくれるのを喜んでいる、私、主が祝福を与える。用意はよいか? 父親に近づく子どものように、私のもとに来なさい。

愛する者たちよ、あなたの神、私を最も思いやりある聖なる仲間と見なしなさい。私は天の栄光の座にあるが、同時に、神聖でありながら、地上にまではるばる身を屈めて、皆が私を感じ、私の声を聞いて、理解し、こうしてあなたの主、私を知るようになるのを、許している。そう、私の玉座からはるばる、あなたのもとに身を屈めている、魂を引き上げ、私の光のうちにあなたを生き返らせようとして。

愛する者たちよ、私を、あなたに欠けたすべてを、溢れるほど豊かに与えようとする、伴侶と見なしなさい、私はあなたから喪にふすベールを、民からは亡骸を包む布を取り除く、私はあなたを慰め、頬をつたう涙を拭う、皆を永久の愛をもって愛するがゆえ、深いあわれみによって、生き返らせる、私、あなたの伴侶は持てるすべてを分かち合う、望むなら、ここに、あなたの飾りとして、私の最も高価な宝石、私の十字架、釘と茨の冠がある。私にはそれらを分かち合う用意がある、あなたは喜んで、私の平和、愛と義の十字架を分かち合ってくれるだろうか? 私をあがない主として見なさい、私は、すがる者をすべて救う、呼びかける者は、誰にでも答える。あなたたちがいかにか弱く、誘惑者にどれほど誘われやすいかを知っているゆえ、同情を込めて皆を見ている。甚だ誤解されているこの愛……私の無限の愛ゆえに、皆を贖った、私は愛、そして私のうちに生きる誰であっても、真理のうちに生きている。

私はいのちの木の根、そしていのちの源。いのちの木に成る果実と、永遠の泉から湧き上がる、生ける水を、どちらも伴っている。そこで私のもとに来なさい、来て満たされなさい、来て養われるように、渇いている人は皆、来て生ける水から飲みなさい、決して拒まない、神である私は、乳離れさせて、あなたたちのうちにいつまでも残る食べ物、真の糧が食べられるようにしよう、窮乏にあえぐ魂が生きられるように。地上は荒れ地となり、焼けつく風で、あなたたちはのどをカラカラにさせている、しかし私は、あなたの救い主、このすべての悪を上から見ている、だからこうは言わないように「主は私たちを忘れ去った」と。私は全く-忠実な-者であり、高揚した愛によって、あなたたちを救っている。私の聖なる顔を背けたことはない。One agio omga elneah rima, rima, pudri pgara nedro ha unu Amen rima.1

書きなさい、あなたたちの死者の地に、平和と愛をひろめよう、周り中に、そして愛の-欠けたるすべての民の中に、私の平和と愛をひろめ、すべての不義を覆すつもりです、この死んだ時代はこうして甦り、私のあとに従い、準備している新しい地に入って来よう、そして新しい天のもとで、昼夜となく私をほめ称え、賛美しよう。私の恵みの聖霊があなたたちのために、ぶどう畑を次々と整え、優しさと愛を込めて、どの国にもひろげておられるのが、まだ分からないか?

聖母と私が手を差し伸べて、あなたたちを祝福で覆い、大勢を養うに十分な果実をもたらすぶどう畑を、何倍にも増やしつつ、こうしてあなたたちのために準備しているのが、まだ分からないのか。私の恵みの霊は優雅な芽をふくぶどうの木のように、その花は愛と平和の実を結ぶ、近づきなさい、私を熱望する者よ、私の実をいっぱい摘むように、私の記憶は密よりも甘く、私を嗣ぐなら、蜂の巣よりも甘い。私を食する者はもっと望み、飲む者はもっと飲みたくなる、耳を傾ける者は決して恥じを負わない、指図通りに行う者は決して罪を犯さない2

来たるべき時に、私は若枝を萌えだたせ、それはつぼみをつけて花開き、その果実で世界中を満たすと言っただろう? 私の光によってこの果実は実を増やし、天はその雫をあなたたちの上に注いで、渇いたのどを潤そう。このすべての恵みを私は私の民に贈っている。

愛されていると感じるように、私の小さな者たちよ、愛があなたたちを愛している。額に愛の接吻を残して、一人ひとりを祝福する。

一つとなりなさい。

イクトゥス

(後に)

いのちの木3の根、
そして愛そのものでいらっしゃる
わが主よ、
その果実を通して永遠のいのちを、
お与え下さっているあなたは祝されますように。
枯れも乾燥もしないあなたの葉は純粋な白金で出来ており、
そこから鮮明な光を発しています。
あなたを崇め、希望し、信じて、愛します。
どうぞあなたを崇めず、希望も、信じもしない、
愛さない人びとをおゆるし下さい。
私たちの面倒を見てください、インマヌエル。
あなたを祝福します、祝福します、
あなたは夜々に助言を与えるお方、
絶え間ない祈りで私を満たし、
私のために祈ってくださいます。
親しく私たちの手を取り、
いのちの小道を示しておられ、
わが魂をお見捨てにはなりません。
あなたの愛のうちに私たちをお救い下さい。
あなたは新しい天と新しい地を、
私たちに見せて下さる希望の源です、主よ。

私はいのちの木の根、私から永遠のいのちを発している、花よ、聖書を読みなさい。

(イエスは聖書を任意に開くようにと仰しゃっています、そうしたら私が読むことをお望みの箇所を開くことになるでしょう。―― イザヤ40・9を開きました)

読んで書くように:「高い山に登れ、良い知らせを告げるシオンよ、力強く声をあげよ、善い知らせを告げるエルサレムよ、声をあげよ、恐れてはならない、ユダの町々に言え、〈見よ、あなたたちの神を!〉」あなたたちの新しいエルサレムは間近い……神である私は、この時代に降り、死骸につまずいている、恐れていたすべてが現実となった、降ってみると信仰も、希望も、愛も見いだせず。草を食むようにと、緑の牧場に置いてきた小羊たちは、飢えたまま、変わり果てた姿となっていた、瓦礫の中で暮らし、避難所とわずかの食物を探すが、見いだせない、石を一枚ずつ反してはパン屑か、播くための種子があればと希望を抱くが、パン屑や種子の代わりに、サソリが刺して毒をめぐらそうと待ちかまえている。小羊たちは誤った道を町から町へとさまようが、大都市の廃墟を見るだけ、そう、私はエルサレムについて語っている、しかし聞く用意のある者はわずか。

私の羊飼いを一人ひとり名指しで呼ぶが、私の声を聞く者はわずかだ……息がつまる、彼らが死んだ言葉で満たされているのを見て、窒息しそうだ、聞くように、私は、娘よ、正しい目的に仕えるようにあなたを呼んだ、私は手を取り、証しするようにと形造った、真理を示し、ペトロの座に私の選んだ者が見えるように、目から覆いを取り除いた、かつて私はこの者に言った: 「あなたはペトロ、この巌の上に私の教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。私はあなたに天の国の鍵を授ける:あなたが地上でつなぐものは、天でもつながれる。あなたが地上で解くものは、天でも解かれる4

私はこの権威をこの者に与えた。だが今日あなたたちは彼を退け、羊飼いの杖を盗もうとしている、偽りと悪徳の笏で治められるように、ペトロよ? 私の-小羊たちの-ペトロ、まこと愛する羊飼いよ、この恩知らずの、不忠実な世代のために、いかに心が切り裂かれ川のように血を流しているかを知っている、あなたの目を涙の泉に変え、兄弟たちの多くが背を向けているのを知っている、この者たちは、私の愛する者よ、何も知らず、何も感じない羊飼いたち、彼らは皆勝手に振舞い、それぞれ自分の利益を追って、知恵の代わりに愚かさを、清貧の代わりに欲望を、従順の代わりに不従順を主人とする。十字架から世界に住むすべての人を見詰めながら、多くの国々に住まうあなたたちに語っている、時は間もなくやって来る、その時は迫っている、あなたたち不忠実な羊飼いたちよ、夜な夜な嘆く日々までもう長くはない、不忠実から罪を犯す羊飼いたちよ、平和がない時に、平和! と叫ぶ者たちよ、さまざまな方向に迷い出た者たち、ペトロのもとに戻って来なさい。に仕えなさい、邪悪な者に仕えなくてよかろう? 私のものとなりなさい、反逆者ではなく、どうして反逆者に喜んで仕えるか? 外国人でさえ、この者たちでさえ私の声に耳を傾け、みことばを解した。私の原理は聖であり、はっきりと言うがいつまでも永遠に聖であり続ける

娘よ、みことばを読みなさい。

(主の指し示されたところは再びマタイ5・18-19でした)

読んで書きなさい。「あなたがたによく言っておく。天地の続くかぎり、律法の一点一画も消えうせることはなく、ことごとく実現するだろう。だから、最も小さな掟の一つでもこれを無視し、またそうするように人びとに教える者は、天の国で最も小さな者と呼ばれるだろう。しかし、掟を行ない、またそうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれるだろう」

子よ、もう休みなさい、あなたの幼子の-ような-信仰で私の魂を悦ばせてほしい、来なさい、私のうちに憩うように、私、主があなたを祝福する、私を愛してほしい。

主に賛美!