私の教会の内なる力は聖霊

1991年4月15日 (ノート52)

主よ、聖霊を伴って私たちのもとに力強く訪れてください。それは、優しいお父さま、あなたが御子に栄光を与え、御子があなたに栄光をお与えになったように、聖なる真理の霊が御子に栄光を与える時が来たからです。ただ紙に刷られた文字でないみことばには、いのちがあり活力があることを、世に証明してください。あなたの聖なる霊が「父の心を子に向かわせ、子の心を父に向かわせ」てくださいますように1

あなたに平和。ヴァスーラ、聖書は決して偽らない。来たるべき終わりの日には、宗教の外観を装いながらもその内なる力を拒むようになる、と書かれてある2。ああ! まこと愛する者よ、私が戻って来た時に信仰は残っているだろうか?……

──私の教会の内なる力はその中で生き生きと躍動しておられる聖霊。体の中に心臓があるように、教会である私の体にとって心臓となっている。
──私の教会の内なる力はその賜と恵みを自由に与え、分配する聖霊、教会はその恩恵を受けている。
──私の教会の内なる力は聖霊、みことばを思い出させる方、新しい啓示はないが、同じ霊による同じ教えを現される。
──私の教会の内なる力は聖霊、あなたたちを変容させ、引き上げ、私自身の真の生き写しに変える。
──私の教会の内なる力は聖霊、あなたたちを元気づけ、清め、その霊を火の柱に変える炎です。熱した愛の溶鉱炉、光の生けるたいまつ、みことばを恐れなく宣言し、至高者の証人となり、天のことしか探し求めないように諭す。
──私の教会の内なる力は聖霊、あなたを生かすいのち、そして呼吸、あなたたちの霊に私を望ませ、父よアッバ、と呼ばせる。

もし、私の子よ、私を拒むなら、そして聖霊の賜を押さえつけてしまうなら、私に対してどんな奉仕を行ったり献げたりできようか? 宗教の外観を保ちながら、虚しい議論で私の神聖な側面を制限して、その内なる力を拒む亡骸なぎがらとはなってしまわないように。聖霊を熱心に愛する生活を送り、子として私のもとにやって来る人びとを止めないでほしい。この人びとを私の聖霊との婚姻に招くのは私。聖となる秘訣は、あなたの神、私を熱心に愛すること。そしてあなたのうちに住む私の霊が道を案内し、天のことを教えなければ、自分の力では何もできない。

まことに言う、私を畏れる者は私の懲らしめを受け入れる。だからもう眠ってしまわないように、目を覚まし、注意している時が来た。耳を開き、私の霊が語ることを聞く時が来た。それを無視してしまわないように。今は誤って賢人の真似をし、聖霊の息吹を遣いやって、教会の中でこれを元気づける力を押さえつけてしまう時でない。慎重でありたいのか? では目を開けなさい。慎重でありたいのか? では頭でなく心と耳を開くように、友よ。慎重な人は霊の忠告を決して軽蔑しない。高慢な人だけが畏れについて何も知らない。主への畏れは知恵のはじまり。慎重でありたいのか? 不幸なあなたを救おうと、手を必死に差し伸べる真理を探し求めなさい! 惨めで罪深いあなたに身をかがめ、その墓から引き上げ、もう一度息を吹き込もうとしている者が誰であるかを見るように!

さあ! 私を誤解しないでほしい。あなたを強制してはいない、それに自由を侵そうとも思わない! あなたの時代を憐れんでいるのです。私の言おうとすることはすでに言い尽くされたと言わないでほしい。自分たちの制約をどうして私にも当てはめるのか?

私はみことばを思いださせる者、そう、教会の内なる力。そして自由に新たな前兆を送り、新鮮で不思議なわざを行う。

私は自由にあなたの時代を引き上げ、私の聖心の豊かさから癒やしの油を注ぐ。望む時に、望む者の上に。今や荒廃して横たわる私の教会を造り上げている、そう、新しく建て直しているのです。だから、時代よ、裁きの日にあなたと対面した時、こうは言わせないでほしい。あなたは私が造り上げようとしている時に打ち壊し、私を迫害する一人だったと。今慈しみはあなたの戸口にあり、苦難の日々に戸を叩いている。自分たちが聖であるというのか? 私を礼拝し、聖である証しを立てなさい! あなたが改心させて私のもとに連れて来る魂たちを示し、自分たちが聖である証しを立てなさい、それは私の王国が語られる言葉によらず、宗教の外観にもよらず、私の聖霊を通して、私だけが与えることのできる内なる力によるものだからです。それを探し求めるなら。私の存在と、あなたたち一人ひとりに抱いている愛を感じなさい。私、イエス・キリストは現存する、そして私の聖心の深みよりあなたたち皆を祝福し、額に愛の溜息を残す。一致しなさい。教会は生き返るだろう。

 

  1. マラキ4・6。
  2. 2テモテ3・5。