家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう

1992年9月11日 ノート62

あなたに平安。娘よ、今日は次のことを願う。

──もっと長時間、断食するように。

──必要なときは休み、ロザリオを夜中まで、取っておかないように!

──もっとしばしば告解しなさい。はいと言いながら、やらないのはよくない。「主に喜んでいただけるように努力します」と言うほうがよい! あなたの王は、あなたの能力、深いみじめさと、驚くべき弱さに気づいている。教え子よ、あなたの師は、自らの光を拒まない、むしろあなたが成長し、師の足取りをたどるに十分な、光を与える、そして師を待ち受けていたのと同じことが教え子を、待ち受けていよう。こう言ったであろう、「弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。」(マタイ福音書10・24、25)

私自身の身内が私のことを狂っていると信じたくらいだから1、ただの友達なら何とでも言うのではないか?

さあ、私の十字架を抱擁し、あなたの師に学びなさい。あなたが祈るのを聞くたびに、私の魂は歓喜する。

  1. マルコ福音書3・21。