終わりには誰もが私を礼拝する
1993年1月17日 in ノート64
1993年1月17日 in ノート64
1993年1月18日 in ノート64
(サクラメント市/CA)
(今日は私の誕生日で、教会一致祈祷週間の初日です。かつてはペトロの使徒座の祝日でもありました。今日は、とても聖なる方であるフランシス・A・クイン大司教に招待され、ブレスト・サクラメント大聖堂で話をしました。午後、集会の直前に、私を招いて下さった人びとから贈り物をいただきました。それを見た時、これはイエスからいただいたと感じました。1992年10月21日にこう言われたからです……
「歓び、歓喜しなさい、私の杯を次はあなたにまわすのだから……国々が次々と私の庇護のもとで暮らし、御父が私を送られたことを信じるようにするつもりだ。そう、地上の支配者や統治者たち、実力者たち、住民の全てが、私をキリスト、生ける神の子として認める日が来る。そしてあらゆる場所から、人々は祈りと礼拝のうちに敬虔に手を上げ、一つの声、一つの心となる……」
この方々からいただいたものは、金でメッキされた杯でした。そして次の言葉が刻まれていました。
彼らが皆一つとなるように
キリスト者の一致の祝日に
1993年1月18日
それから、同席されていた二人の司教方は、私の話が終わるとミサ聖祭を挙げられました。聖歌隊がカテドラルで歌い、すべてが荘厳でした。一致のためのミサの最中、彼らは私の杯を使われ、イエスの尊い聖血が奉献されました。
カテドラルで講演している間、集まってきた群衆を見ると、1800人ほどでしたが、悲しく思いました。私は主に遣わされて、一致のための講演をするためにそこにいたのですが、おそらく98パーセントはローマ・カトリック信徒だったのです。「私自身の人々1 は、私と一緒ではなかった」のです。カテドラルにはイスラム教徒やユダヤ教徒までいたというのに……ところが主は、誕生日のサプライズのプレゼントを後に取っておかれたのです。──ミサの直前に、一人の正教会の司祭と助祭が入ってこられました。ミサの後に私と話をしたいと頼まれたのです。この方々と香部屋でお会いし、「ロシアは私に最も誉れを与える国となろう」と言われた主のお言葉が理解できました。この方はロシア正教会の司祭だったのです……
私たちの分裂の暗闇の中、一致への小さな光は輝きつづけるでしょう。この小さな希望の光がロシアです。一致はロシアを通して訪れ、彼女は神の誉れとなるのです! 私はロシア正教の司祭に、あなたはイエス様からのバースデー・プレゼントだと申し上げました。この方のお名前はヴァシリとおっしゃり、私の名、ヴァスーラの男性名でした。
一致がロシアによってもたらされるというもう一つのしるしがありました。それは、開催の祈りを選んでくださるようお尋ねすると、主はロシア正教の司祭、セルギウス・ブルガコフ神父の祈りを選ばれたのです。主はメッセージの本を任意に開くように言われ、そうすると、1989年12月29日に書いた祈りが最初に目に留まりました。ここにもう一度書きます。
ああ、イエス・キリスト、私たちの主であり救い主、
いつも共にいて下さると、あなたは約束されました。
近づいて聖体と聖血を受けるようにと、
すべてのキリスト教徒を招いておられます。
しかし私たちは罪によって分裂し、
ご聖体を共に受ける力がありません。
私たちはこの罪を告白し、あなたに祈ります、
どうぞお赦し下さい、そしてみ旨に従って、
和解の道に奉仕できますよう、お助けください。
聖霊の火を心に点し、
知恵と信仰、勇気と忍耐、謙遜と剛毅、愛と悔い改めの霊をお与えください、
最も祝福された神の御母、および諸聖人の祈りを通して。
アーメン)