1993年2月19日のメッセージ

私のあわれみは大きいが、私の厳しさも劣らず大きい

1993年2月19日 ノート64

平和を、まこと愛する者よ。私と一つになっているか?

私の霊をあなたの霊と、一つにさせてください。あなたしかそうおできになりません。

あなたが自分の無力さを意識し、私なしには何もできないのを自覚していて嬉しい。私に寄りかかっていなさい、そうするなら私に魂を引き寄せる。愛がそばにいる、そしてあなたの上には私の霊がある。昨日のメッセージの続きを言わせてほしい。聞きなさい。私の中にはあわれみと共に怒りもあると彼らに伝えなさい、私はゆるすにも、怒りを降り注ぐにも大いなる力がある。私のあわれみは大きいが、私の厳しさも劣らず大きい。

1を書くように頼まれました。[/note]「あわれみと怒りは、ともに主のものであり、贖う力、怒りを浴びせる力を主はもっておられる。そのあわれみが深いように、とがめもまた厳しい。」

分かったであろう、娘よ、私は間もなく、私の義も現す。私の計画には決められた時がある。私のあわれみの呼びかけにも、決められた時がある。ひとたびこのあわれみの時が過ぎるなら、善人にも悪人にも、私の厳しさはあわれみと同じほどに大きく、私の怒りはゆるしと同様に力あるものだと、すべての人に分からせよう。私の予告したすべては、もはや速やかに起ころう──そこから何も省かれない。私は棄教について話してきた、その棄教は急速で大規模だったがゆえ、一番の私の友人たちの手をも縛り、不能2にした。

枢機卿が枢機卿に、司教は司教と対立し、多くが滅びに向っていると言わなかったか? 彼らは、際限ない争いによって私の教会を弱めてきた。今日はこの反逆の霊が私の聖所にはびこっている。毒蛇が祭壇上の秘跡のまわりを這いまわっているヴィジョンを覚えているか? 彼らのいかに多くが教皇に抵抗しているかを明らかにしたであろう? 彼らがいかに教皇を脇に追いやっているかを?

 
私の教会内の反逆については、すでに詳しく知らせてきた3

私の忠実な友よ、ここでやめるのを許してほしい。あとでまた続けよう。そばにいて、私を喜ばせなさい。

イクトゥス