1993年12月6日のメッセージ

行うことはすべて、愛のうちに心をこめてなされますように

1993年12月6日 ノート69

私、Panay ia1、が今、ともにいます。娘よ、イエスが望んでおられる姿となるよう、あなたを自由に形造るにお任せなさい。あなたの意志を私の息子、イエス・キリストに献げ、自らをすべて差し出すなら主を真にお喜ばせし、主のみ旨があなたのうちに行われるのです。怖がらないように、熱心に働き、主の教会を生き返らせなさい。みことばにいのちがあり、たゆまず活動していることを、造られた者たちに気づかせなさい。あなたの母として、イエスに託された十字架を持ち上げるよう、常にあなたを励ましてゆきましょう。さあ、お書きなさい、娘よ:

 私はどの時代よりもこの日々に、信仰を生き返らせ、天のことを思い出させるメッセージを与えてきました。たゆまず平和を呼びかけ、兄弟同志の一致と和解のメッセージをひろめています。私は、あなたたちが神からどれほど遠ざかっているかを知らせに、天から深い悲しみと涙のうちにまいりました。神、そして互いと和解し、あなたたちの間でもう差別をしないよう、皆にお願いしに来たのです、「主の名を呼び求める者は、すべて救われるから」

(ローマ書10・12-13)

です。私は誰も裏切ったことはありません。

 私は平和の約束を持ってきたのです、あなたたちの最も小さな者に対しても、神の平和を宣言するために、そしてこの時代が目を上げ、神を探し求め神に生けにえを献げるようにと懇願しています。私が来たこの時代は、あまりに多くの者が神のいのちから離れてしまった時代です。神の真の使徒とは、み旨を行う人であることを、皆に思い出させに来ました:

愛するとは、神のみ旨を行うことです

ヴァスーラ、あなたたちの多くを癒やすために、私は神に遣わされました、けれど私の呼びかけは、尊ばれないで、名誉も与えられていません。至高者である御方から、あなたたち大勢の群れを集め、愛があらゆる捷の本質であると教えるように、遣わされたのです。

娘よ、今日に至るまで、天からの祝福が無視され、私の霊は悲しんでいます。神からのものであるメッセージの正しさと本質に気づかないまま、人びとは今日に至るまで、自分たちの考えを押し進めようとしています。このようにしてみことばは狡猪に引き下げられ、私の足跡はこの世の口先を恐れる、人間の手で隠されてしまいました。私に希望をおいて信頼さえしてくれたなら、彼らが拒みつづけている人びとの改心によって、もっとずっと多くの利益を得たでしょうに! ……励みなさい、小さな者よ、主のために、主の完全なご計画をあなたの上に刻むことがおできになるよう。あなたたち一人ひとりに、主がこれらの質間を投げかける日が来ます:

「隣人を自分と同じように愛したか? 神のみ旨をまだ理解していないのではないか? 平和を雛持するために、できるだけのことをしただろうか? 敵が飢えている時、あなたの食卓から食べ物を与えたか? 渇いていた時、飲ませてあげたか? 与える時、愛なしに与えるのはどうしてか?」あなたに祈りを頼みました。多くは祈ります、けれど愛なくして。あなたたちの多くは断食します、けれど愛がありません。多くは私のメッセージについて語ります、けれどあなたたちの心に愛が欠けているので、ほとんどの人がそれに従いません。あなたたちは身を低くかがめ、掟の文字に従います、けれどその心を理解することはしません。多くは一致について話します、それでいてそれを実行に移す人びとを、まず最初に非難します、愛がないから。あなたに頼むすべてを、愛なしに行うなら、まだ闇の中にいるのです。まだ戦争に組し、平和の味方ではありません。あなたは何でも知っていると信じています、しかし実際には何も知らないのです。あなたに和解を呼びかけました、皆は互いに部分なのですから、しかし私の声は聞かれていません。今日に至るまであなたたち皆に呼びかけています:

私のメッセージを生きてください! 

神のうちに、主の愛のうちに、自らを新たにし、互いが愛し含うようになることを。善良にそして、聖となりなさい! 架空の願望を追って、小さな子たちよ、自分を歎かないように。愛とは、真実のうちに生きることです。「持ち物を一つずつ、全部与えていくとしても、火に投げ込まれるために、身を相手に渡したとしても、愛なくしては、何の益にもならない」という言葉を読みませんでしたか? あなたたちのたった一人でも傷ついているなら、キリストの体全体が傷つき、ともに苦しんでいることが分からないのですか? 隣人を傷つけるなら、キリストの体を傷つけたことになるのです、隣人ではなく。こう言えますか:

「私は畏敬、誠実と愛をもって神のもとにやって来た」と。

「いつ?」と主はお尋ねになるでしょう、「いつ畏敬、誠実と愛をもって私のもとにやって来たか? あなたは私の体を傷つけている、私は裁かれ、侮辱的にあしらわれ、中傷され、偽りによって裏切られた。軽蔑され、拒まれ、あなたの唇によって、すっかり不名誉を帰せられた、だから、いつ私のもとに畏敬、誠実と愛を持って来たというのか? 私に対する何かはっきりとした愛の証しを求める」

 私の子たちよ、サタンがなぜあなたの弱さを利用し、戦いに誘惑したかを理解なさい。キリストが飢えてあなたのもとにやって来られた時、食べ物を与えませんでした。喉を渇かせて来られたのに、飲ませてあげませんでした。よそ者としてあなたのところへやって来られましたが、迎え入れず、好きなようにあしらいました。私の子たちよ、あなたの愛は、唇から出る単なる言葉であってはいけません、心から溢れてくる何かでなければ。あなたの愛は生き生きとして、働きかけるものでなくてはなりません。ともにいて、あなたを助けます。

こう言って、あなたたち皆を祝福しましょう:行うことはすべて愛のうちに、心をこめてなされますように。