私はこの民をめとる 日本のためのメッセージ

1995年3月30日 ノート77

(日本──東京)

わが主よ?

天より、聖なる栄光に満ちたお住まいより、見おろしてください。

私は今ここであなたの子どもたちの間にいます、けれどもなんと多くが、あなたを本当に思いやり深い父親としては知らないままでしょう。

お父さま、み名が知られますように、
あなたは私たちの父親ですので、子どもたちをあなたの霊をもって道案内してください。

今や天を開き、私たちのもとにおいで下さい。
国中が、あなたの現存を前に、心動かされ、彼らを囚えている罪の力を手放すでしょう。

あなたの現存を前に、この民も娶られて、「花嫁」と呼ばれるようになるでしょう。

そう! 私はこの民をめとる、いたわりと愛をもってめとり、やがて彼らは声を一つにして私の名を、喜びをもって宣言しよう。

「私たちの父よ!」と。

こうしてこの地すべてが 私と婚姻を結ぼう……「花婿が花嫁を喜びとするように 私はあなたを喜びとする1

(後ほど、イエスが話されました)

日本の私の子どもたちのために祈りなさい。こう書いて伝えるように。

あなたたちの時代、この暗やみの時代に、私は私の聖なる顔を皆に現した、私の現存を思い出してもらいに来たのは、裁くためではない、あなたたち皆を、私の聖心に引き寄せるため! 私は、目の見えない人には見える力を与え、見えていると言う人からは、見る力を取り上げるつもりです。心を開いて私に話しかけなさい。私の名はイエス、そしてイエスとは「救い主」を意味する。

もうすぐ、本当に間もなく大勢の天使をともない、私はやって来る、そう、再臨は迫っている。周りをよく見なさい、私の印に気づかないか? 私を怖がらないでほしい、私は唯一の真理。あなたが天国に行く道。ありのままのあなたで、私のもとに来なさい、聖人になるまで待つのではない、こうは言わないように、まこと愛する日本の人びとよ:「私は言葉が出せない、出せたとしても、聞いては下さらない」と。私は今、あなたの戸口に立っている、与えようと、私の心を手に持って。

私は聖心、あなたたち皆に新しい愛の讃歌をつくった。慈悲は今下るのです、私を探したことなく、私を全く知らないあなたたち皆も聖人たちの集いに加わるようにと招いて。聖書ではこう言っている:「神は人を分けへだてなさらない、どの国の民でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられる2」。

私が柔和でおだやかな神だとは知らなかったか、ゆるすにはやく、慈悲に溢れていると? 自らをふさわしくない者とするあなたの心根が私を引きつけるのです。私はすべてであって、あなたの面倒をみるがゆえ。あなたの届かない手を見て私は天から身をかがめ、その手を引き上げずにはおれないのです。それゆえ心に、私を入らせてほしい、私の栄光であなたを飾ろう! 私を探しなさい、そうするなら見いだす、叩きなさい、戸は開かれる。

たとえあなたが:「主の御心に踏み込むなど、とうてい私にはできない」と言おうと、私は言う:「あなたは私の子ども、私のものであって私が蒔いた種子。私に属するのであって誰のものでもない。あなたは私に由来し、誰から来たのでもない。それゆえ、私の心の中にいてほしい」─そう、まだ私を探していなかったかも知れない、だが私はあなたを見いだした。これが、私の子、日本よ、あなたへのメッセージ。

あなたを祝福し、額に私の愛の溜息を残す。

イクトゥス

  1. イザヤ62・5。
  2. 使徒10・34-35。