あなた一人の力で私を愛することができたか

1987年1月24日 ノート1-6

ヴァスーラ、ヴァスーラ、小さな者よ、私の聖心に愛された人よ、怖れなくてよい、愛している。

娘よ、あなた一人の力で私を愛することができたか?

いいえ、イエス。

私を愛することを覚えたのは、私があなたに近づき、光を注いだからです。あなたを目覚めさせて改心させた。ヴァスーラ、どうしてあなたを愛するか分かるか?

いいえ、存じません、イエス。

では教えよう。あなたが無力、みじめで罪深いために愛している。子どもたちは私の弱点です。形造らせてくれるために愛しているのです。ヴァスーラ、来て、私の聖心の中に住みなさい、その深淵に平和を見出すだろう、そして皆に抱く私の熱烈な愛を感じるだろう。あなたは、彼らに対する私の愛を伝えることができる。見よ! 過ぎ去る日一日と、あなたは私に近づいている!

私を運ぶ者としてあなたを選んだ

1987年1月23日 ノート1-6

ああ、ヴァスーラ、どれほど愛しているか、私のもとに来なさい、あなたの永遠の父です。私の子どもたちに抱いている愛を感じなさい! 私を愛するようにとあなたの道を案内してきた。道を示したのは、私です、私は愛の神です、平和の神、慈悲の神です。私は柔和です。私は善き牧者。ゆるしを喜んで与える父です。迷子になっているあなたを見つけて、助けに飛んで来ないことがあろうか? あなたたち一人ひとりを数えている。善い牧者は自分の羊のためにいのちを投げ出す。私は限りないゆるしの与え主です。決してあなたを見放さない。

(しばらくして)

もし、書くのをやめたら、どういうことになりますか?

ヴァスーラ、たとえ、書くのをやめても、いつもともにいて、道を案内する。私はこのような仕方で私と会い、あなたを教えるというカリスマを与えた。私のために働きたいかと尋ねたが、あなたの返事は私を喜ばせた。ヴァスーラ、あなたの躊躇する姿が好きです。あなたは決める前に考えることを学び始めているのです。

私はあなたの師、私の指導を受けなさい。悪が自分の虚栄心によって魂を養い、破滅に陥れようとするが、それに用心し続けるよう、道を案内している、悪がどれほど反逆的であり得るかを、理解するようにあなたを教育している。あなたに受け入れることを、自分に対して謙虚となり、正直であることを教える。そして私に対する忠実を教え、あなたを謙遜の徳で養う。ほかの人びとと分け隔てして好意を示しているのではないことを思い出させよう。私の指導は、魂の向上と、清めを教えるためのものです。このカリスマを与えたのがほかの子どもたちよりあなたを多く愛している体と、一瞬たりとも思わないように。この恵みを与えたのは、非常に大きな窮乏のうちにあるあなたとほかの者たちを養うためです。私は、主イエス・キリスト、自分の群れの番をする善き牧者です。戻る道を示すために、あなたの上に輝いて希望を与えに、やって来た。

ヴァスーラ、確かにあなたの生まれる以前に、あなたを全部知り尽くしていた。人類に私のメッセージを明らかにするために、私を運ぶ者として選んでいた。ためらっているのは、以前私の花嫁となるように頼んだからか?

はい、主よ……

覚えていようか? あなたは、すでに承諾した。

分かっています、イエス。けれど、今改めて考えると、私にはできません。私がなりたくないのではなく、あなたの花嫁になるにふさわしくないのです。どうして、どうしてその重要性に気づかずに簡単に承諾してしまったのでしょう!

ヴァスーラ、私にふさわしくなるように、あなたを教えることができる。

たとえ、私がふさわしかったとしても、それだけでは不十分です。

どうして?

ふさわしければよいというだけではありませんから。それ以上のことがあります。

分かっている、ふさわしいだけでは十分でない、しかしふさわしいと同時に、聖となることを教えよう、あなたは努力してそれを手に入れなければならない、来なさい、手伝ってあげよう、いつまでも私の花嫁としてとどまっていなさい、鍛える必要のある花嫁として、あなたを愛し、在りのままを受け入れた、しかし、私が望むように鍛えさせてくれなければならない、あなたが成長するように養う、情報の山を積んで、悪がどう働くかを明らかにした、それらを注意深く読み、目覚めていてほしいのです。

受諾することを学びなさい、弱くなって罠に落ちそうになるたびに、かけつけて、あなたを救い上げる、私の導きを、償いの手立てとは受け取らないように、転ばないように、道を案内しているのです。あなたを失いたくない。祈りの中で、私を呼びなさい、もっと多く祈るように。

私の花嫁になりなさい

1987年1月8日 ノート1-6

あなたに平和、ヴァスーラ。私、イエスです。ヴァスーラ、私のもとに来なさい、私の心の真ん中に来て住みなさい。

私のような者をお望みですか、イエス様?

おお、そうです! あなたを切に望む、あなたを引き寄せたい!

けれど、私には何の値打ちもありません。

ありのままのあなたを愛している……私の花嫁になりなさい、ヴァスーラ。

どうして、私なんか!

あなたを愛している。

私には、あなたの花嫁にどうやってなれるかが分かりません、イエス様?

どうやって私の花嫁となれるかを教えよう、愛する者よ。

何か表すしるしを身につけるのですか?

私の十字架を担わせてあげよう。私の十字架は平和と愛を訴えている。

お幸せにしたいと思っています、イエス。

私から決して離れないことによって、幸せを与えてくれるように、私を愛することによって、幸せを与えてくれるように、私の子どもたちの目を覚ますことによって、私を幸せにしてほしい。

これらすべてのためにあなたの力が要ります、特に最後のためには!

私を見なさい。

(私は主を見ました。神々しいオーラのように力を発散して輝いておられました)

私は力です。助けを与える、祝福を受けなさい。

私は主をお幸せにしていますか? はじめておたずねしますが。

あなたによって私は幸せです、あなたに愛されていると、ずっと感じている。

お姿が体現するのを見られたなら!

求めなさい、そうすれば与えられる。私のうちに、信仰を大きくひろげなさい。

(書かれた物をここのカトリック司祭に見せることにしました。彼は、それは悪魔の仕業だと言って、私にやめるようにと宣告しました。イエスは彼に対して、私とともに平和と愛の十字架を担いたいかどうか、尋ねておられました。私はそのことを伝えました。彼は読むようにと言って、聖ミカエルの祈り、聖ベルナルドの祈り、聖心への信頼のノヴェナを手渡し、その後これらの祈りを唱え何が起こるか様子を見るように、と言いました。私はそのようにしました1。自分の手が書くに任せると、このようでした、四日間続けて:「私、ヤハウェは、あなたを導いている」と)

主、イエスよ。私は司祭の望む通りに行いました。祈りの後、これらの言葉が書かれるのを許した以外は書くのをやめました。司祭に従うために、あなたが書くのをお止めしました。主よ、お尋ねしたいのです。どうして、どうして彼に尋ねたりなさったのですか。どうなるかをご存じで、そして彼がこれほど私を苦しめるだろうことをご存じでいて?

ともにいる、娘よ、彼に学んでほしいから尋ねたのです、私の豊かさを理解しはじめてほしいのです、私は無限の富です!

「私イエスが、この導きを私の子どもたちのために与えているのを知りなさい、ヴァスーラを導いているのは、私です、与えた恵みを拒まないように、私のメッセージは平和と愛を訴えている、私の子たちに私の聖所を満たしてほしいのです、私のほうを振り向いてほしいのです、聖なる生き方をしてほしいのです。私はこの暗やみの世に輝くために訪れた、彼らを生き返らせ、みことばが生きたものであるのを知らせたいのです! 彼らが退けてしまったみことばを思い出してほしいのです、どれほど彼らを愛しているかを思い出させたい、心を燃え立たせたいのです、私が彼らを愛しているように、互いが愛し合うように伝えたいのです。──あなたを愛している、息子よ、ヴァスーラを止めようとすることによって、その意思はなくても私の教会を損なっているのです、私はあなたの愛するイエス・キリスト、善意で行っているのは分っている、しかし、正しいと信じていることが、私を迫害するにすぎなかったと、サウロに伝えるまでの、サウロもやはりそのようだった、あなたは私、イエスが、娘に与えたカリスマは悪からのものだと信じている、私を信じなさい、息子よ、恐れを感じないでほしい、ヴァスーラが私から教えを受けているのは、私の意思だからです。彼女は今、生き生きとしている、そしていずれそのもたらす実は、失われた多くの魂を養うだろう。いつの日かは理解するだろう、息子よ2、私、イエス・キリストは、あなたを愛している」

(司祭はこれを読んだ後、それが悪霊から来るもので、占いにすぎないと言って、私を非難しました)

分かっている。こう言って、私の言葉をそのままこの司祭に伝えなさい。「占いは愚者のためのものです、霊感は聖なる子どもたちのためのものです。占いは実りがない、霊感は、よい実をもたらし、多くの人を養う」

勇気をとり戻しなさい、娘よ、英知が私の子たちの目を覚ます、私、神は、あなたを愛している。

あなたはこれから知恵を得なくてはならない

1986年12月16日 ノート1-6

あなたがお与えくださったものに気付くのに一日かかりました! 何を与えてくださっていたのか何も考えないまま、ただ受け取っていたことに驚いています! 主よ、感謝致します。

あなたに平和があるように。その重要性に気付いているか?

徐々にですが、はい! ただ私はそのようなお恵みを受けるに値しません!

あなたはこれから知恵を得なくてはならない。こう言われたからといって落ち込んではいけない。知恵の受け取り方を教えてあげよう。あなたは私の光のうちにいる、私の光のうちにいることによってあなたは学ぶ。

私の声を聞きなさい、私だと認識できるかどうかやってみなさい。私はイエス・キリスト、あなたの教師である。聖霊を通して働くことができるよう教えた。私を愛することを教えた。あなたに私の業を注ぎ、私を理解できるようにした。私はあなたの力。これから増えていく迫害者たちに打ち勝つ力が与えられるであろう、私の子よ。

(神は悲しそうでした。お声が突然深刻で悲しそうになったので、私はおびえました)

なぜですか? なぜなのですか?

なぜかと? 私がこのようなやり方でも働くということを多くの人々が信じないからだ。中には私を全く信じない者もいる。娘よ、あなたに警告しておかねばならない1。その人々は耳があっても聞こえず、目があっても見えず、それに心も閉ざされているから、彼らに対して心の準備をし、気を付けておくように言っておく。彼らは自分たちの正しさを主張したがるだろう。これが神ではないと言い、全部あなたが頭で考え出したものだと言うだろう、あなたに有毒な論理を吹き込むだろう。あなたの間違いを指摘するためにいろいろな方法を見つけようとするだろう、間違いを証明するために自分たちの学説を読ませようとするだろう2。だから警告しておく、娘よ、人々に勇気をくじかれてはならない。時代に滅ぼされてはならない。

主よ、私に何ができるでしょう? あなたのみ手で守っていただかなければ!

私はいつもそばにいる。見捨てられたように感じてはならない。強くなることを教えよう、それによって迫害者たち全てを看過できるようになるだろう。あなたを育てている。満たされるまで与えよう。私の平和を受け、そして私のうちにとどまりなさい。

イクトゥスイエス・キリスト

知恵を与えよう

1986年12月15日 ノート1-6

娘よ、全ての知恵は私から来る、あなたは知恵を求めるか?

はい、主よ!

知恵を与えよう。私の声を聞きなさい、知恵を受けるであろう、私は全能の主である、そしてあなたに教えよう。私にしがみ付いていなさい、そうすれば学ぶだろう、私への信仰を持ちなさい。

私の子どもたちよ、起きなさい、娘よ。平和のうちに生きるのだ、あなたたちの一歩一歩を私、神が、祝福する。満たされて、あなたたちは大勢になるだろ1。平和のうちに行きなさい。

私はあなたの慰め主

1986年12月14日 ノート1-6

私はあなたの慰め主。

イエス様、このお導きはどんな役に立つのか、その目的は何なのかを教えてください。

多くの魂が私のもとに導かれるだろう。多くの私の子どもたちが元気付けられ、私のもとに戻って来て、私の言葉を読むようになるだろう。

私はあなたの良い羊飼い、私のもとに来るよう呼び掛けている。私を信じなさい、娘よ、私を見なさい、私を見なさい。私の顔をあなたに現わした。不安にならないように、私を信じなさい。私の働き方を忘れたのか、私のわざについて聞いたことがないのか、時代に滅ぼされてはならない。娘よ、ありのままでいなさい。あなたは既に目覚めていて、私の光の中にいるのだから、彼らに説き伏されてはならない1。私のそばにとどまりなさい。

イエス様、もし彼らがそうしようとしたら、彼らを止めてくださいますか?

止めてあげよう。誰にもあなたを滅ぼさせはしない。耳のある者は皆聞きなさい。警戒するように、時が近付いているから。

聖なる者になるとは私のようになること

1986年12月13日 ノート1-6

娘よ、私があなたをわなにかけたように感じているのか? あなたを愛している、愛する者よ、恐れないように。わなにかけられているのではないかと恐れているようだが!

(確かにそうです。私は友人たちにこのことを話し、「わな」という言葉を使いました)

分かっている。あなたに愛してもらいたかった。

怒っておられますか?

いいや、怒っていない。

率直にお話ししてもよろしいですか?

そうしなさい。

あなたは私に愛されたかったのですよね?

そうだ。

目的は果たされましたか?

果たした。

私はあなたに魅せられ、そしてそのことを気に入りました!

このやり方で喜んでいるか?

ええとても! ただ私がもう少し鈍くなければいいのにと思います。

あなたは今学んでいるところだ。私から食べなさい、祝福を受けなさい。

私にもあなたを祝福することはできますか?

できる。

では、私の祝福をお受けください、イエス・キリスト様!

あなたを愛している。私の運び手となるようにあなたを育てた。私を愛してほしかった。私の運び手になるのだから、聖なる者になってもらいたい、私は聖である、そして喜んで従い、私のために働きたいと望んでいるのだから、聖なる者になることを恐れてはいけない。なぜそんなに恐れるのか?

怒っておられますか?

いいや、怒ってはいない。聖なる者になるとは、清くなることであり、私のうちに住むことである。聖なる者になるとは、私を愛しながら、私に従うこと。聖なる者になるとは私のようになることである。喜んでそうなりたいなら、聖となることを教えよう。

あなたを愛していますので、お望みのことを行いたいと思います。

ならば教えよう、娘よ。私のそばにとどまりなさい、そうすれば学ぶだろう。私を信頼し、私への信仰を持ちなさい。あなたがそばにいることを喜んでいると私が言うのを信じなさい。あなたは学ぶだろう、平和のうちに行きなさい、そして私に愛されていると感じることを忘れないように。

聖なる者になるとは私のような者になること

1986年12月11日 ノート1-6

娘よ、聖なる者になりたいか? 恐れてはならない。

(イエスは前のメッセージの話題に戻られました)

聖なる者になるとは厳密にはどういうことなのでしょうか?

聖なる者になるとは、清くなること、そして心を完全に私に献げることである。聖なる者になるとは私のために愛をもって働くこと。聖なる者になるとは私を愛し、私のそばにとどまること。聖なる者になるとは私の掟に従うこと。聖なる者になるとは私のような者になることである。

心だけで聖なる者になれるのですか?

なれる!

聖職者の衣服よりも、心の方が大事なのでしょうか?

そうだ、心こそが重要だ。私のそばにとどまりなさい、そばにとどまりなさい1。私が望んでいる程あなたは近くにいない! 避けているように感じられる。

(イエスはうれしそうではいらっしゃいませんでした……)

私は聖なる者、だからあなたも聖なる者であってほしい。

心からあなたにもっと近付きたいです!

本気で言っているのか? 本気で私を探し求めているか?

私を見捨てないでください!

私は見捨てない!

決して?

決して! 娘よ、恐れてはならない、衣服2のことで悲しくなって恐れているのか? さあ、口に出して言ってみなさい!

(私はありったけの勇気を振り絞りました)

本当は修道服を着たくありません。今のままの私であなたを愛しています……

やっとそう言う勇気が持てたか、娘よ! あなたが正直でいてくれて私はうれしい。私、神は、あなたを愛している。あなたが逆のことを言っていたら、私の面前でうそをついたことになっただろう。

(神がとても喜んでおられるのを感じましたが、結果的に悲しまれたかもしれないとも思いました)

悲しんだりしてはいない! 私の言うことを聞きなさい。あなたには修道服でではなく、心で聖なる者となってほしい。

中途半端とはどういう意味でしょうか? 修道服を着ていなければ、私は中途半端ということになるのではないですか?

中途半端という言葉も結局同じ意味を持つ、聖なる者になるために修道服は必要ない。着る物が聖であっても、心が聖でないならば、何の価値があろうか? それは塩気を失った塩のようなものだ。私により一層近付けるよう私があなたの所へ行こう。あなたを私にもっと接近させてあげよう。私に愛されていると感じなさい、私を恐れてはならない、私は平和。私、イエスは、あなたを教え、あなたを導く。もっと祈りなさい、そしてこのようにして私と共に働きなさい。私への信仰を大きくしなさい。私を求めなさい。警戒するように、時が近付いているから。

聖となりなさい

1986年12月10日 ノート1-6

娘よ、私に付いてきてくれるか? 道を踏み外さないように、聖なる人生を送りなさい。

イエス様、今のままではいけないのでしょうか1

よく聞きなさい、使徒信条を告白する人でキリスト教会を望まなかった人が一人でもいたら、その人の名を挙げてみなさい。中途半端な人が一人でもいたらその名を挙げてみなさい!……

だれも思い浮かびません。

そうだ、そんな人は誰もいない。

(イエスは私が何かを言い出すまで待っておられるようでした)

「全部言う」べきでしょうか?

ああ、そうだ。恐れることはない。何を心配しているのか、娘よ?

(私はため息をついたに違いありません)

もし私が今のままでしたら、どうなりますか?

いつまでもそのままであり続けるなら、私はいつまでもあなたに呼び掛け続けることになるだろう。

お尋ねしてもよろしいですか?

よろしい。

私が変わるかどうかなど、本当に興味をお持ちなのですか?

持っている!

私が変わると何かが違ってきますか? あなたのおっしゃるとおり、聖なる者になるとすれば。

ああ、違ってくる。私の方を向きなさい、そして私と共に居続けなさい。

私の将来が今お見えになりますか?

見えている、愛する者よ。

お尋ねしてもよろしいですか?

よろしい。

将来がお見えになるなら、知りたいことがあります。もしお答えになりたくなければ、ハートの絵を一つ描いてください。──私は最後にあなたをがっかりさせてしまうことにならないでしょうか?

いいや、私をがっかりさせることにはならない。

(ほっとしました……)

どのようにお感じになられるのでしょうか?

私、神は、栄光が称えられたと感じるだろう。

本当ですか?

本当だ。恐れてはならない。なぜ聖なる者になることを恐れるのか? 覚えておきなさい、あなたは私の呼び掛けの最初の段階にいる。

それはいったいどういう意味なのでしょう?

今あなたは私から学んでいる最中だということだ。私はこれからあなたを教え、私のを示して行く、まだ私は呼び掛け始めたばかりだ、いずれあなたは私の働き方が分かるようになるだろう。後に時が来たら、あなたに平和を見いだすよう呼び掛けることにしよう。あなたは平和の意味を完全に理解しているか?

よく分かりません。平和は死ぬことを意味するのかもしれませんし、教会を意味するのかもしれません。私にはよく分かりません……

私が平和である。ここにいる、あなたのそばに。私の右手はあなたがペンを握っている手をつかんでいる。私の左手はあなたの左肩の上。私は現存しており、あなたは私を感じている。私はあなたの教師、娘よ。私と共に歩きなさい! 私と共に働きなさい、あなたを私の運び手として任命したのだから。人々によって失望させられることがないように。多くの者たちには理解することができない、おそらく闇が彼らの心を閉ざし、理解力を根こそぎにしてしまったからだ。平和があるように私、神は、あなたを気も狂わんばかりに愛している。勇気を持ちなさい、娘よ。

私の十字架を身に付けることとは

1986年12月8日 ノート1-6

あなたの光の中にいてもよろしいでしょうか?

あなたは私の光の中にいる。私はイエス、あなたの救い主。娘よ、私の十字架を身に付けることとは1、私の苦しみを担うことを意味する。