カテゴリー: ノート1-6

あなた一人の力で私を愛することができたか

1987年1月24日 in ノート1-6

ヴァスーラ、ヴァスーラ、小さな子、私のみこころに愛された者よ、恐れるな、愛している。
 娘よ、自分の力で私を愛することができただろうか?

いいえ、イエス様。

私があなたに近づき、照らしたので、あなたは私を愛することを学んだ。あなたを目覚めさせることによって回心させた。ヴァスーラ、なぜあなたを愛しているか知っているか?

いいえ、知りません、イエス様。

では教えよう。あなたを愛するのは、あなたが無力で、みじめで、そして罪深いからだ。私は子どもがたまらなく好きだ。彼らは私に形造らせてくれる、だから愛している。ヴァスーラ、来なさい、そして私の聖心みこころの中にとどまりなさい、あなたはその深みで平和を見いだし、あなたたち皆に対する私の熱い愛を感じることができるだろう。あなたは、彼らに抱く私の愛を伝えることができるようになる。見なさい! 日を追うごとに、あなたは私に近づいている!

私を運ぶ者としてあなたを選んだ

1987年1月23日 in ノート1-6

ああ、ヴァスーラ、あなたをどれほど愛しているか、私のもとに来なさい、私はあなたの永遠の父。子どもたちに対する私の愛を感じなさい! 私を愛するようにあなたを教え、導いてきた。道を示したのは私。私は愛の神、平和の神、あわれみの神。私は柔和。良い羊飼い。ゆるしを与える父。道に迷ったあなたたちを助けにも行かず、ただ見ていることなどできるだろうか? 私はあなたたち一人ひとりを数えている。良い羊飼いは羊のためにいのちを捨てる。私は無限のゆるし、あなたたちを見捨てるようなことは決してない。

(しばらくして)

もしも私が書くのをやめてしまったら、イエス様、どうなるのでしょうか?

ヴァスーラ、たとえあなたが書くのをやめても、私はいつもあなたと共にいて、教え導こう。このようにして私と会うというカリスマ(聖霊のたまものを与えて、あなたを教えた。私のために働きたいかと尋ね、あなたの返答は私を喜ばせた。ヴァスーラ、あなたがためらうのを見てうれしく思う。あなたは決断する前に考えることを学び始めている。
 私はあなたの教師、私の導きを受け入れなさい。自分自身の虚栄心で養うことによって、魂を破滅させようとたくらんでいる悪魔の存在に、常に注意しておくように教え導いている。悪魔がどれほど油断ならないかを理解するように教えている。受け入れることを教えよう。謙遜で、自分に正直であり、私に忠実であることを教えよう。あなたに謙遜を与えよう。他の人々よりもあなたを特別扱いしているわけではないことを思い出させている。私の導きは、あなたを成長させ、あなたの魂を清めるためのもの。自分が他の子どもたちよりも愛されているからこのカリスマ(聖霊のたまものが与えられたとは、一瞬たりとも考えてはならない、この恵みはあなたと、恵みを切実に必要としている他の人々とを養うために与えた。私は主イエス・キリスト、自分の群れの世話をする良い羊飼いである。あなたたちに立ち戻る道を教えるために来た。あなたたちを照らし、希望を与えるために来た。
 ヴァスーラ、あなたが生まれる以前に、あなたを評価したのは本当だ。私のメッセージを全人類に示す伝え手として、あなたを選んだ。私の花嫁になりなさいと以前に言ったので、ためらっているのか?

はい、主よ……

あなたは既にそれを受け入れた、覚えているか?

分かっています、イエス様。でももう一度考えてみると、無理だと思ってしまうのです。嫌だということではありません。あなたの花嫁になる値打ちなど私にはないということなのです。一体どうやって! その値打ちも分からないまま、どうしてあのように受け入れることができたのでしょう!

ヴァスーラ、私にふさわしい者になれるよう、あなたを導くことができる。

ふさわしくなれたとしても、それだけでは十分ではありません。

なぜ?

ふさわしいだけではだめだと思うからです。それ以上でなければ。

分かっている、ふさわしいだけでは十分ではない、だが、あなたがふさわしく、そして聖なる者になるように私が教えよう。あなたも努力してそれを獲得しなければならない。さあ、助けてあげよう。あなたは私の花嫁であり続ける、鍛錬を必要とする花嫁として。あなたを愛しているから、ありのままのあなたを受け入れた、だが私の望むような者になるために、私に鍛えさせてもらわなければならない。成長できるようにあなたを養おう。これまでも多くの情報を与えて、悪魔がどのように働くかを明らかにしてきた。それを注意深く読み、いつも目を覚ましていてほしい。
 受け入れることを学びなさい。あなたが弱く、わなに陥りそうになるのを見たら、その度に助けに駆けつけよう。私の導きを、罰するための手段とは受け取らないように、あなたが倒れないように教え導いているのだから。あなたを失いたくない。祈りの中で私に呼び求めなさい、もっと祈るように。

あなたには選ぶ自由がある

1987年1月21日 in ノート1-6

(司祭は私をひどく苦しめました。16日に神が予告なさったとおり、私の書いたものが邪悪なものだと証明するために、あらゆる種類の学説が書かれた冊子を何冊も送ってきたのです。神が予告されたとおり、潜在意識、オカルト、悪魔崇拝に関する学説なども送ってこられ、さらに手紙が添えてありました。そこには、私と他の人々のために、これまで書いたものを破り捨てて、これはすべて悪魔からのものだから、警戒するように伝えなさいと書いてありました。そこで私は、司祭の指示に従ってあの三つの祈りを唱えたことと、結果を見るために書かなかったことを伝えたのです。でも彼は信じなかったようです。というのも、彼はもう一人の(書かれたものが神から来ていると信じ、私を支持してくださった)司祭の所に行き、この文書は悪魔的なものであり、私は指示した三つの祈りを唱えることすらしていないとおっしゃっていたからです! 彼は他の多くの司祭にも警告していたので、私を支持してくださる司祭は、最新の二冊のノートを彼に渡して読んでもらうようにと私に言われました。翌日、私を信じようとなさらないその司祭は、自分なりに考えをまとめたのか、私に書き続けるようにと言ってこられました。とはいえ、これが邪悪なものだと信じておられるその司祭も、教会への愛のため、教会を守るためにそうしておられることは私にも分かっています。この方がもっとはっきり見えるようになることだけを願っています。彼は私のことも救いたいのです、なぜなら、これが邪悪なものだと信じておられるからです。いつかきっと分かってくださるでしょう。聖マリアに祈ります、私は何か間違ったことをしたのでしょうか?)

ああ、娘よ、あなたのために、どんなに心が痛むでしょう。

他の人々にも神を愛してほしいと望んで、このメッセージを見せたら、私は間違ったことをしていることになるのでしょうか?

いいえ、何も間違ったことはしていません。私はマリア、悲しみの母です、ヴァスーラ、私がいつもそばにいます。私たち1と共にいてください。慰めを得るために私たちのもとに来てください。彼らは私たちの豊かさを理解しません。いつまでも心を閉ざしています、あなたは私たちが与えた多くのしるしの一つですが、彼らは理解していないようです。神の呼びかけに耳を傾けるよう、神はあなたを励まされました。
 ヴァスーラ、一人の魂を神のそばに連れてくる度に、神はあなたを喜ばれます。私の子イエスと私がいつもあなたのそばにいます。気をつけなさい、悪魔はあなたに対して激怒しています。あなたを止めようとしているのです。彼らの戦い方は、あなたをあざむくために、間違った言葉を付け加えるというものです。このことを常に覚えておきなさい、決して忘れてはなりません。それがあなたに対する彼らの武器なのです。私がそばにいてあなたを守っています。

悪魔に気付くことができるでしょうか?

私がいつも教えてあげましょう。私に信頼なさい。イエスは、主を識別できるようにあなたを訓練されました。

どうして私は攻撃を受けているのでしょうか?

それを説明しましょう、私の子よ。あなたはハデス2にさらされていることを理解なさい、愛する子よ。あなたの神への愛が、道から外れた多くの魂を癒やしています3。そのためにあなたは攻撃されているのです。私がそばにいてあなたを守っています。偽りの言葉をなぜ受けるのか、あなたが理解できるように今説明しました。イエスと聖なる御父に対して抱く愛によって、あなたは多くの魂を癒やしているのです。

このようなやり方でも働いていることになるのでしょうか?

そうです、あなたは愛によって魂を癒やしています。人々に感化されて、彼らの諸説に屈してはなりません。書くのをやめるように言われる度に、自分がかつてどれほど無知であり、暗闇の中に生きていたかを思い出しなさい。私たちの子どもたちの多くは、もはや私たちのしるしに気付くことができません。神はあなたを選び、神のメッセージを伝える者とされました。神をお喜ばせし、その御声をお聞きなさい。

感謝します、聖マリア、神があなたを祝福されますように。

あなたに平和があるように。

イエス様?

そうだ。ヴァスーラ、あなたが理解できないほどに、あなたを愛している。ヴァスーラ、私の子どもたちがこれほどまでに乾き果てているのを見て、どんなに苦しむか。彼らへの私の愛を、どうして忘れられるのだろうか? 私は彼らのためにいのちを差し出した。愛する者よ、そばにいて私を感じなさい。あなたを解放する時が来たら迎えに来よう、だがその前に、あなたにはやり遂げなければならない仕事がある。
 神である私は、人類すべてを祝福しようと、既に知恵を啓示した。ああ、娘よ、いつの日か、あなたは私の働き方を完全に理解できるようになるであろう。恐れなくてよい、神である私が、あなたを愛しているのだから。

(しばらくして)

娘よ、私はイエス、私と共に書くときは、いつもその前にあの三つの祈りを唱えてほしい、なぜなら、それらは悪を遠ざけるからだ。信じなさい、それらの祈りは強力だ、私のためにこれからも働きたいか?

イエス様、もし私が働きたくないと言ったら、どうされるのですか?

あなたには選ぶ自由がある、恐れなくてよい、あなたに与えたカリスマ(聖霊のたまものを取り上げるようなことはしない。あなたをどんなに愛しているか伝えるために、絶えず会いに来るであろう。

いいえ、イエス様、あなたのために喜んで働きますと既に申し上げました。自分の言葉を覆すことなどどうしてできるでしょう。覚えておられますか?

あなたの答えを聞いて喜んでいる、娘よ。私のそばにとどまりなさい、そうすれば教え導こう。

イエス様、あなたを傷つけたことがあったでしょうか?

ああ、あった。私がどうやってあなたを暗闇から救い出しに来たかを、あなたが忘れてしまった時だ。だが私はゆるした。あなたが私をどれほど愛しているか知っている。私はあなたの花婿。忘れないように。私の花嫁として、私たちはすべてを分かち合っていることも忘れてはならない。ヴァスーラ、私はこの疲れ切った両肩に、平和と愛の十字架を背負っている、これを取りなさい、愛する者よ、しばらくの間でよい。あなたの両肩にこれを降ろして、私の荷を軽くしよう。私の十字架をあなたの上に降ろすことができるよう、そばにいてほしい。私がどれほど苦しんでいるか、あなたは分かっていると知っている、だからそばにいてほしい。私の十字架を感じるとき、あなたも苦しむだろう。私はあなたの花婿、だから私の苦しみも共に分かち合う。あなたがこの重荷から解放してくれる度に、私は安らいだと感じるだろう。あなたが私を受け入れる前から、私はいつもそばにいて、あなたのあらゆる動きを片時も逃さず見守っていた、愛する者よ。あなたに何度も呼びかけた、しかしあなたは私の現存に気付かなかった。今、ようやく私の声を聞いて私のもとに来たというのに、なぜ疑うのか?

(司祭と連絡を取った後、疑いを持ったのです。)

弱さを感じたり、疑いを抱いたりしたときは、いつも私が今言ったことを思い出しなさい。私の平和と愛の十字架を担うように、そして私を置き去りにしないでほしい。さあ、共に祈ろう。

(イエスは私と祈ってくださいました。祈りの間、イエスは上の方を見上げておられました。)

イエス様、私があなたをどれほど愛しているかご存じですね。あなたの十字架を担って荷を軽くし、お助けします。重荷を二人で分かち合いましょう。

娘よ、あなたがそう言ってくれるのをどんなに待っていたことか。愛する者よ、さあ、私たちのやり方を続けていこう。

(イエスはとても喜んでおられました。うれしそうでした。)

(翌日)

(私の名前が聞こえました。イエスが私をひっきりなしに呼んでおられたのです。私は絵を描いていました。絵筆を放り投げ、立ち上がって机の所まで走って行きました。)

ヴァスーラ、ヴァスーラ、ヴァスーラ。私、イエスが、あなたを呼んだ。ああ、ヴァスーラ、あなたをどれほど愛しているか。私の栄光をたたえるように。いつも私と共にいなさい。それほどの熱意を持って愛してくれる度に、私は栄光を受けたと感じる。今のように私の声を聞いて、いつも私を喜ばせなさい。覚えておくように、私は間もなくあなたと一緒になる、すぐにあなたを私のそばに連れて来よう、愛する者よ、私はあなたが想像できないほどに愛しているのだから。だが、まずは私のメッセージを全世界に送り届けなくてはならない、あなたが今やっているように。それからあなたを迎えに来る。私がいるここへとあなたを連れて来る、そして私のそばに永遠にとどまらせよう。私、イエス・キリストは、あなたを愛している。この恵みをあなたに与えた、ヴァスーラ、あなたを祝福した。与えたものを取り上げるようなことは決してない。
 ――娘よ、私の教会を生き返らせてくれるか?

ああ、イエス様、私にはできないことを頼んでおられます!

私に信頼しなさい!

あなたに寄りすがって、すっかり頼ります。あなたは私の教師でいらっしゃいます。

私の栄光をたたえなさい、あなたを導こう。

私の花嫁になりなさい

1987年1月8日 in ノート1-6

あなたに平和があるように、ヴァスーラ、私はイエス。ヴァスーラ、私のもとに来なさい、来て、私の心の真ん中に住みなさい。

私をお望みですか、イエス様?

ああ、そうとも! 切望している、あなたを引き寄せたい!

でも私には何の価値もありません。

ありのままのあなたを愛している……私の花嫁になりなさい、ヴァスーラ。

いったいどうやって!

愛している。

どうすればあなたの花嫁になれるのか分かりません、イエス様。

どうすればいいのか教えよう、愛する者よ。

そのために何かしるしを身に着けましょうか、主よ?

私の十字架を担わせよう。私の十字架は平和と愛を求めて叫んでいる。

あなたをお喜ばせしたいです、イエス様。

私から決して離れずにいることによって、私を喜ばせなさい、私を愛することによって、喜ばせなさい、私の子どもたちを目覚めさせることによって、喜ばせなさい。

どれをするにもあなたの力が必要です。特に最後におっしゃったことには!

私を見なさい。

(イエスを見ました。イエスはオーラのように光り輝き、力を放っておられました。)

私は力。あなたを助けよう、祝福を受けなさい。

私と一緒におられてうれしいですか? 今までお尋ねしたことはありませんでしたが。

あなたと一緒にいていつもうれしい、あなたに愛されているのを感じる。

あなたが肉眼で見えるお姿だったらいいのに!

求めなさい、そうすれば与えられる。私への信仰を大きくするように。

(私は書いたものを近くのカトリック教会の司祭に見せようと決心しました。司祭はそれを悪魔だと言って非難し、やめるように私に言いました。イエスはこの司祭に、私と一緒に平和と愛の十字架を担いたいかと質問しておられたので、そのことを司祭に伝えました。司祭はそれは悪霊だと言いました。そして聖ミカエルへの祈りと聖ベルナルドの聖母に向かう祈り、またイエスのみこころへの信頼のノヴェナを私に手渡し、明日からそれらを唱えて、何が起きるか様子を見なさいと言いました1。私は言われたとおりにしました。手を書くままに任せると、「私、ヤハウェが、あなたを教え導いている」という文字が現れました。四日が過ぎました。)

主イエス様、私は司祭が望まれたとおりに実行しました。祈った後に示された、五つの単語2以外は何も書きませんでした。司祭に従うため、あなたがお書きになるのをお止めしました。お尋ねしたいのですが、主よ、これから何が起きるかも、この司祭に私がどれほど苦しめられるかも既にご存じだったのに、なぜ、どうして、司祭にそのような質問をされたのですか!

私はあなたと共にいる、娘よ、その司祭に質問したのは、彼に学んでほしかったからだ、彼が私の豊かさを理解し始めるように願っている、私は無限の富である!
 「私、イエス・キリストが、私の子どもたちのためにこの導きを与えていることを悟りなさい。ヴァスーラを導いているのは私だ。私が与える祝福を拒んではならない。私のメッセージは平和と愛を求めて叫んでいる。私の聖所が私の子どもたちでいっぱいになることを望んでいる。彼らに私の方を向き、聖なる生き方をしてもらいたい。この闇の世を照らすために私は来た。彼らを生き返らせたい、そして私の言葉が生きていることを彼らに教えたい! 彼らが忘れ去ってしまった私の言葉を思い出してもらいたい。私が彼らをどんなに愛しているかを思い出させたい。彼らの心に火をつけたい、私が彼らを愛しているように、彼らも互いに愛し合ってほしい。あなたを愛している、息子よ、ヴァスーラを止めようとすることによって、あなたにそのつもりはなくとも、私の教会を傷つけていることを理解しなさい。私はあなたが愛する主イエス・キリストである。あなたが誠意からそうしていることは分かっている、だが、私が現れてこう告げる前のサウロもそうだった。『あなたが正しいと信じていることは間違っており、私を迫害している』と。私、イエスが、私の娘に与えたカリスマ(聖霊のたまものを、あなたは邪悪なものだと思い込んでいる。私を信じなさい、息子よ、怖がらないように、なぜなら、もう一度言うが、ヴァスーラに私から学ばせるのが、私の意志なのだから。彼女は今、花開こうとしている、彼女の結んだ実は、後に多くの失われた魂を養うであろう。いずれ分かる、息子よ3。私、イエス・キリストはあなたを愛している。」

(司祭はこれを読み、これこそ悪魔からのものであり、占いのたぐいだと言って私を非難しました。)

分かっている。彼にこう言って、私について説明しなさい。「占いは愚か者のためのものであり、神から来る霊感は祝福された子どもたちのためのものです。占いは何の実も結びませんが、神からの霊感は良い実を結び、多くの者を養います」と。
勇気を取り戻しなさい、娘よ、神の知恵は私の子どもたちを目覚めさせる。神である私が、あなたを愛している。

あなたはこれから知恵を得なければならない

1986年12月16日 in ノート1-6

あなたが何をお与えくださったのか気付くのに一日かかりました! 何を与えてくださっていたのか何も考えないまま、ただ受け取ってしまったことに驚いています! 主よ、感謝いたします。

あなたに平和があるように。その重要性に気付いているか?

徐々にですが、はい! でも私はそのようなお恵みを受けるに値しません!

あなたはこれから知恵を得なければならない。こう言われたからといって落ち込まないように。知恵を得られるように教えてあげよう。あなたは私の光の中にいる、私の光の中であなたは学ぶだろう。
 私の声を聞きなさい、私を認識できるかどうかやってみなさい。私はイエス・キリスト、あなたの教師である。聖霊を通して働くことができるように教えた。私を愛するように教えた。私を理解できるように、あなたの上に私のわざを注ぎ出した。私はあなたの力。あなたを迫害する者たちに打ち勝つ力が与えられる、彼らの数は多い、私の子よ。

(神は悲しそうでした。お声が突然、深刻で悲しそうになったので、私は怖くなりました。)

なぜですか? どうしてなのですか?

なぜかと? 私がこのようなやり方でも働くということを多くの人々が信じないからだ。中には私を全く信じない者もいる。娘よ、あなたに警告しておかねばならない1、彼らに対して心の準備をし、注意しておくことができるように、この人々は耳があっても聞こえず、目があっても見えず、心も閉ざしているからだ。彼らは自分たちの信念を正当化したがるだろう。これは私からではない、このすべてはあなたの思いから来たものだと言って、あなたに有毒な理論を吹き込むだろう。あなたの間違いを指摘するためにいろいろな方法を見つけ出し、間違いを証明するために自分たちの学説を読ませようとするだろう2。だから警告しておく、娘よ、人々に勇気をくじかれてはならない。この時代に滅ぼされてはならない。

主よ、私に何ができるでしょう? あなたの御手で守っていただかなければ!

私はいつもそばにいる。見捨てられたとは思わないように。強くなれるように教えよう、あなたを迫害する者たちを皆ゆるすことができるように。あなたを育てている。満たされるまで与えよう。私の平和を受け、私のうちにとどまりなさい。

イクトゥス イエス・キリスト

知恵を与えよう

1986年12月15日 in ノート1-6

娘よ、すべての知恵は私から来る、知恵がほしいか?

はい、主よ!

知恵を与えよう。私の話すことを聞きなさい、知恵を受けるであろう、私は全能の主、そしてあなたに教えよう。私にしっかり付いていなさい、そうすれば学ぶだろう、私への信仰を持ちなさい。
 私の子どもたちの目を覚まさせなさい、娘よ。平和のうちに生きるように、あなたの一歩一歩を、神である私が祝福するのだから。満たされて、あなたたちは大勢になる1。平和のうちに行きなさい。

私はあなたの慰め主

1986年12月14日 in ノート1-6

私はあなたの慰め主。

イエス様、教えてください。このお導きはどんな役に立つのでしょう、そしてその目的は?

多くの人々が私のもとに導かれる。私の子どもたちが元気づけられ、私のもとに戻って来て、私の言葉を読むようになる。
 私はあなたの良い羊飼い、私のもとに来るよう呼びかけている。私を信じなさい、娘よ、私を見なさい、私を見なさい。私の顔をあなたに現わした。不安に思わないように、私を信じなさい。私の働き方を忘れたのか、私のわざについて聞いたことがないのか、時代に滅ぼされてはならない。娘よ、ありのままでいなさい1。あなたは既に目覚めていて、私の光の中にいるのだから、彼らに説き伏せられてはならない。私のそばにとどまりなさい。

イエス様、もし彼らがそうしようとしたら、彼らを止めてくださいますか?

止めてあげよう。誰にもあなたを滅ぼさせはしない。耳のある者は皆聞きなさい。目を覚ましているように、時が近づいているのだから。

聖なる者になるとは、私のようになること

1986年12月13日 in ノート1-6

娘よ、私があなたをわなにかけたと感じているのか? あなたを愛している、愛する者よ、恐れないでほしい。わなにかけられているのではないかと恐れているようだ!

(確かにそうです。私は友人たちにこのことを話し、「わな」という言葉を使いました。)

分かっている。あなたに愛してもらいたかった。

怒っておられますか?

いいや、怒ってはいない。

率直にお話ししてもよろしいでしょうか?

そうしなさい。

あなたは私に愛されたかったのですね?

そうだ。

目的は果たされましたか?

果たした。

あなたは私を魅惑され、私はそれを気に入っています!

このやり方を喜んでいるか?

ええ、とても! ただ、私がもっと物分かりが良ければいいのですが!

あなたは今学んでいるところだ。私から食べなさい、祝福を受けなさい。

私にもあなたを祝福することができますか?

できる。

では、私の祝福をお受けください、イエス・キリスト様!

愛している。私の伝え手となるようにあなたを育てた。私を愛してほしかった。私の伝え手になるのだから、聖なる者となってもらいたい、私は聖である、そして喜んで従い、私のために働きたいと望んでいるのだから、聖なる者となることを恐れてはいけない。どうしてそんなに恐れるのか?

怒っておられますか?

いいや、怒ってはいない。聖なる者になるとは、清くなることであり、私のうちに生きること。聖なる者になるとは、私を愛しながら、私に従うこと。聖なる者になるとは、私のようになることである。望むなら、聖なる者になることを教えよう。

あなたを愛していますので、お望みのことを行いたいと思います。

ならば教えよう、娘よ。私のそばにとどまりなさい、そうすれば学ぶだろう。私を信頼し、私への信仰を持ちなさい。あなたがそばにいることを喜んでいると私が言うのを信じなさい。あなたは学ぶだろう、平和のうちに行き、私に愛されていると感じることを忘れないように。

聖なる者になるとは、私のようになること

1986年12月11日 in ノート1-6

娘よ、聖なる者となりたいか? 恐れないように。

(イエスは前のメッセージの話題に戻られました。)

聖なる者になるとは、厳密にはどういうことなのでしょうか?

聖なる者になるとは、清くなること、そして心を完全に私に献げること。聖なる者になるとは、私のために愛をもって働くこと。聖なる者になるとは、私を愛し、私のそばにとどまること。聖なる者になるとは、私のおきてに従うこと。聖なる者になるとは、私のようになることである。

心だけで聖なる者になれるのですか?

なれる!

聖なる衣服よりも、心の方が大事なのでしょうか?

そうだ、心こそが重要だ。私のそばにとどまりなさい、そばにとどまりなさい1。私が望んでいるほど、あなたは近くにいない! 避けているように感じられる。

(イエスはうれしそうではいらっしゃいませんでした……)

私は聖なる者、だからあなたも聖なる者であってほしい。

心からあなたにもっと近づきたいです!

本気で言っているか? 本気で私を探し求めているか?

私を見捨てないでください!

私は見捨てない!

決して?

決して! 娘よ、恐れないように、修道服2があなたに悲しみをもたらすのではと恐れているのか? さあ、口に出して言ってみなさい!

(私はありったけの勇気を振り絞りました。)

本当は修道服を着たくありません。今のままの私であなたを愛しています……

やっとそれを言う勇気が持てたか、娘よ! あなたが正直でいてくれてうれしい。神である私は、あなたを愛している。あなたが反対のことを言っていたら、私の面前でうそをついたことになっただろう。

(神がとても喜んでおられるのを感じましたが、その結果を悲しまれたかもしれないとも思いました。)

悲しんではいない! 聞きなさい。あなたには修道服でではなく、心で聖なる者となってほしい。

中途半端とはどういう意味でしょう? 修道服を着なければ、中途半端になるのではないでしょうか?

中途半端という言葉も結局同じ意味を持つ、聖なる者となるために修道服は必要ない。着る物が聖であっても、心が聖でないなら何の価値があろうか? それは塩気を失った塩のようなものだ。あなたがもっと私に近づけるよう、私があなたの所へ行こう。もっと私と親密にさせてあげよう。愛されていると感じなさい、私を恐れないでほしい、私は平和。私、イエスがあなたを案内する。私があなたを導こう。もっと祈り、このようにして私と共に働きなさい。私への信仰を大きくしなさい。私を求めなさい。目を覚ましていなさい、時が近づいているのだから。

聖なる者になりなさい

1986年12月10日 in ノート1-6

娘よ、私に付いてきてくれるか? 道を踏み外してはいけない、聖なる人生を送りなさい。

イエス様、今のままではいけないのでしょうか1

よく聞きなさい、聖なる信仰宣言を告白しながら「唯一の教会」を望まなかった人が一人でもいたなら、その人の名を挙げてみなさい。中途半端な人が一人でもいたなら、その名を挙げてみなさい! ……

だれも思い浮かびません。

そうだ、そんな人は誰もいない。

(イエスは、私が何かを言い出すまで待っておられるようでした。)

「何もかも」言うべきでしょうか?

ああ、そうしてほしい。恐れることはない。何を心配しているのか、娘よ?

(私はため息をついたに違いありません。)

もし私が今のままだと、どうなりますか?

いつまでもそのままでいるなら、いずれ分かるだろう、私の方を向くように呼び続けるのを、私がやめることはないと!

お尋ねしてもいいですか?

よろしい。

私が変わるかどうかに、本当に関心を持っておられるのですか?

持っている!

私が変わると、何か違ってきますか? あなたのおっしゃるとおり、聖なる者になるとすれば。

そうだ、違ってくる。私の方を向きなさい、そして私のもとにとどまっていなさい。

私の将来を今御覧になれますか?

見えている、愛する者よ。

お尋ねしてもいいでしょうか?

よろしい。

将来が御覧になれるのでしたら、知りたいことがあります。もしお答えになりたくなければ、ハートの絵を一つ描いてください──私は最後にあなたを失望させてしまうことにならないでしょうか?

いいや、私を失望させることにはならない。

(ほっとしました……)

どのようにお感じになられるのでしょうか?

神である私は、栄光がたたえられたと感じるだろう。

本当ですか?

本当だ。恐れないように。なぜ聖なる者となることを恐れるのか? 覚えておきなさい、あなたは私の呼びかけの最初の段階にいる。

それは一体どういう意味なのでしょう?

あなたは今、私から学んでいる最中だということだ。これからあなたを教え、私のわざを示していく。まだ呼びかけたばかりだ、いずれあなたも私の働き方が分かるようになるであろう。いずれ時が来たら、平和を見いだすよう、あなたに呼びかけることにする。平和の意味を完全に理解しているか?

よく分かりません。平和とは死を意味するのかもしれませんし、教会を意味するのかもしれません。私にはよく分かりません……

私が平和である。ここにいる、あなたのそばに。私の右手はあなたがペンを握っている手をつかんでいる。私の左手はあなたの左肩の上。私は現存しており、あなたは私を感じている。私はあなたの教師である、娘よ。私と共に歩きなさい! 私と共に働きなさい、あなたを私の伝え手として任命したのだから。人間によって失望させられることがないように。多くの者たちには理解することができない、おそらく闇が彼らの心を閉ざし、理解力を根こそぎにしてしまったからだ。平和があるように。神である私は、あなたを気も狂わんばかりに愛している。勇気を持ちなさい、娘よ。