カテゴリー: ノート10

私を愛する者たちへのメッセージ

1987年5月2日 in ノート10

私はイエス。

イエス様、あなたが重要なメッセージを与えようとされているのを感じます。そのため、悪魔がいつものやり方で、書くのをやめさせようと私を攻撃してきます。

私を愛する人々に、また、私のために自らの魂をいけにえとして献げている人々1に対してメッセージがある。彼らに力を与えて励ましたい。
 言葉である私は、この弱い道具を通して、私の言葉をはっきりと示そう。私はこのメッセージを通して地上にくだるだろう、あなたたち皆の上に私の光を輝かせながら。
 あなたたちを祝福する、私の魂の愛する人々よ。あなたたちを愛している! 私のうちに、私の魂の奥深くに、生きていて尽きることのない炎がある。私は純潔であり、献身であり、無限の富である。私の愛する者たちよ。来なさい、そして私から引き出しなさい、あなたたちの心を満たし、来て、私から吸収しなさい。来て、私の開いた傷口から入って来なさい。来て、あなたたちの魂を私の血の中に浸しなさい! 私の生ける泉から飲みなさい、そうするなら、すっかり浸されて、この荒廃した荒れ野をうるおし、私の小羊たちを癒やすことができるだろう。
 この生ける炎から引き出しなさい、その炎にあなたたちの心を包み込ませなさい! あなたたちの心では決して理解できないほどに、あなたたちを愛している。来なさい。私の聖なる十字架を担うのに疲れてしまわないように、私が共にいて、あなたたちとそれを担っているのだから。私の後に続き、そばにいるように、私の足跡にあなたたちの両足を置いて、努力することにも苦しむことにも疲れてはならない。私の栄光をたたえなさい、あなたたちの声を甘い香のように天に立ち昇らせなさい。
 私をほめたたえなさい。私を喜ばせてほしい、あなたたちの中で歓喜させてほしい。あなたたちの私への愛の中で喜ばせてほしい。この無限の愛であなたたちの心を満たし、私の小羊たちの上にそれを注ぎ出して、彼らを癒やしなさい。
 地上に生きるすべての被造物に、私の温かさを感じさせなさい。冷たく、石のように硬くなったどの心も、私の清さの中で溶かし、溶解させるように、私の体と結合し、一つとなって! あらゆる過去の影が、高潔さと平和、愛に満ちあふれた生ける魂となるようによみがえらせなさい。私が造った世界をエデンとするように!
 一致しなさい! 一致して一つとなるように、なぜなら神である私は唯一だからである。一致は力をもたらす、一致しなさい。私の熱心なたねき人となり、私の平和と愛の種をきなさい。
 私は地上の天国を生み出すこくつぶを創造した、それは私の地上の王国が、天の王国と同じようになるからだ。私の心の中にあり、私の血によって清められたこくつぶを取って、あたり一面にき広げなさい。私はそれらの種を持っている、愛する者たちよ、私の心の中に入り、それらを取り出してくれるように望む。一致を追い求めなさい
 私の花々を癒やし、香りを付け、生い茂らせ、私の園を飾ろう、あなたたちの心をうるおし、生き返らせよう。
 被造物よ! あなたたちを愛している! あなたたちの上に輝き、暖かな光線でその重く暗い雷雲をほどいて、散らし、追い払おう。私の光がそれらを突き抜け、あなたたちの上に重くのしかかっていたあらゆる暗黒と邪悪は消え去る。この暗黒はあなたたちに弱さやみじめさ、邪悪さしかもたらさなかった。
 私の暖かな光線は、私の花々をすべて生き返らせる、そして私は天から、義と聖性、清さ、高潔さ、平和と愛の露を注ごう。私は、寝ずにあなたたちに目を注ぎ続ける献身的な園丁であり、世の光であることを覚えておきなさい。私は言葉である。
 平和があなたたち皆と共にあるように。私の栄光をたたえなさい。私にり頼みなさい。努力し、私の十字架を担うことに疲れないように、私の子どもたちを癒やしなさい。
 私のヴァスーラ、決して書くことに疲れないように。愛している。知恵があなたを導くだろう。

主よ、あなたを愛しています。むねが行われますように。

愛は悪を克服する

1987年5月1日 in ノート10

神である私は、あなたが私のわざを完成できるように十分な力を与える。私を決して拒まないように。自分の利益を求めず、私の利益を求めなさい。私があなたを自由に使うに任せ、あなたを通して地上に下り、私の言葉をはっきりと示すに任せなさい、私があなたを解放しにやって来る時まで。
 ヴァスーラ、あなたの最期を予言しよう。私が選んだ魂は皆、その時を恐れなかった。私の神秘をあと五つあなたに啓示する、さあ、来て私の五つの傷に口づけしなさい。

(口づけしました。最初に主の両手に、次に両足、そしてわき腹に。けれども、五つの傷に呼応する五つの神秘によって、イエスが何を言おうとされているのかはまだ分かりません。しかし適切な時が来れば、主は教えてくださるでしょう。このようにして、尋ねないことを学びました。)

ヴァスーラ、あなたがもう少しだけ成長したら、私の秘密を教えよう1。私の好意を嘆願しなさい、そうすれば与えよう。

私の神、父よ、ほんの数節の言葉で一つのことをお願いします。
そしてそれは
あなたの利益と栄光のためだけの願いです。
あなたのメッセージが
世界の果てにまで届き、多くの人々の心を引き寄せますように。
むねが行われますように
そして聖なるがほめたたえられますように。
悪がその支配力を失い
永遠に打ち砕かれますように。
これが今の私の願いです、
あなたに願う私の声を
聞かれるときはいつでも
それはあなたの栄光のためにほかなりません。
私が願うものはすべて
あなたの栄光のため。
私が助けを叫び求めるときはいつでも
あなた御自身の利益のため、
私の利益のためではありません。
私が求める力のすべては
あなたの利益のためです、
全能の神よ。

小さな子よ、あなたの両足を私の足跡の上に重ねて、私に付いて来なさい。
 私はイエスである。

イエス様?

私だ。愛する者よ、私を伴侶と、そして父と呼びなさい。愛している。私たちで共に働こう2。私を熱心に愛し、私を傷つける他の人々のために償いなさい。

私の神よ、思うのですが、私自身が邪悪な罪人であり、他の皆と同じ状態だというのに、どうしたらこの「邪悪な世」の上空を飛ぶ鳩のようになれるのでしょう? あなたがおっしゃったように、「すべてを見る」とか、「すべてを聞く」なんて、私にはできないでしょう。なぜって、私もあなたを傷つける人たちと何も変わらないのですから……

ヴァスーラ、私のうちにいなさい。清さを獲得するよう努力しなさい。私が与える私の清さから引き出すように。私から引き出し、吸い上げなさい、私を吸収するように。私は無限の富、どの魂も私から引き出すことができる。

こんなにも多くのお恵みを与えてくださると、私はうぬぼれてしまうかもしれません。そうなったら悪魔は、簡単に私を誘惑できるようになるでしょう!

あなたのみじめさと、あなたの過去の影を絶えず思い出させよう。私が近づいた時、あなたがどのように私を否定し、私の大いなる愛を拒絶したかを。そしてあなたが闇の中で、死者たちに囲まれて倒れ、死んでいたのを私がどうやって見つけたかを。あわれみと愛によって、私がどうやってあなたを生き返らせ、私の胸元まで持ち上げたかを思い出させよう。

さあ、共に祈ろう、唱えなさい。

「私の父よ、私を行かせたいと望まれる所なら
どこへでも導いてください。
あなたの光の中で生きることをお許しくださり、
私の心を温めてください、
それによって、私の心が光り輝き、私に近づく人々に
温かさを差し上げることができますように、

あなたのは祝されますように。
私が無に等しい者であるにもかかわらず、
これらの恵みを下さったからです。

あなたのは祝されますように。
私に良くしてくださり、
私をあなたのみこころの近くにまで引き上げ、
慈しみを示してくださったからです、アーメン」。

もう一度繰り返そう。
 あなたに与えている恵みはすべて、私自身の利益のためであることを覚えておきなさい。自分のためには何も取っておかないように。私の喜びを分かち合い、私の栄光をたたえなさい。

私があなたの栄光をたたえられるようになりますように。それによって、この世がをほめたたえ、彼らの祈りが香のように、あなたのもとにまで立ち昇って行きますように。彼らの賛美が、あなたの扉をたたく音のように天に響きわたりますように。

愛は悪を征服する。
 あなたの魂と精神を尽くして私を愛しなさい。私がすべてとなるように。主である私は、最後まであなたを養う。

では私を連れて行ってください、たとえ私が無に等しい者であっても、私に望むことをなさってください。私はあなたのものです。

来なさい、このような完全な明け渡しの言葉を聞かせて、いつも私を喜ばせなさい。娘よ、愛している。

お父さん、あなたを愛します。

私はいのちの妙薬──私は復活である

1987年4月30日 in ノート10

イエス様、今日は、もしみこころならば、死にひんしているある人のために、何か特別なメッセージをいただきたいのですが。

死にひんしている1? 彼女は死なない、彼女の魂は自由になる、解放され、生きるだろう! 彼女は私のもとに来る。魂が自由になるのだ。
書いて伝えなさい、私が一人ひとりの魂をどれほど探し求めているかを。私が飢えた魂をどのように養っているかを。私のパンがどのように永遠のいのちを与えるかを。私が病人をどのように回復させているのかを。私はいのちの妙薬であり、復活であることを彼女に知らせてあげなさい。

(イエスは、この人へのメッセージを別の紙に下さいました。)

十字架からの最後の叫び

1987年4月29日 in ノート10

(翌朝)

私は主イエスである。あなたは私の叫びを聞いた、それは私だった。それはあなたを目覚めさせた1、私は十字架から叫んだ、それは肉体のうちにいた時の私の最後の大きな叫びだった。苦しみと、痛みと、苦渋に満ち、私の魂の底から響き渡り、天の高みまで貫く叫びだった。地のもといを揺り動かし、神殿の垂れ幕を引き裂いたように、私を愛した人々の心を真っ二つに引き裂く叫びだった。その叫びは、死者を墓から目覚めさせたように、敬虔に私を慕う信仰者たちを目覚めさせた。悪を打ち破ったように、彼らを覆っていた土を覆した。
 巨大な雷が天上そのものを揺り動かし、天使は皆震えながらひれ伏し、完全な沈黙のうちに私を礼拝した。かたわらに立っていた私の母は、私の叫びを聞くや、ひざまずいて地に伏し、顔は涙で覆われた。母はこの最後の叫びを、御自身が眠りに就く日まで抱いていかれた。母は苦しまれた……
 私の心は痛む。この世の多くの罪によって、今も苦しんでいる。邪悪、無法、利己主義。私の叫びは日々大きくなっている。私は十字架に独り取り残され、世の罪をただ独りで両肩に背負った、ただ独りで苦しみ、ただ独りで死に、流した血はこの世全体を覆った。あなたたち、私の愛する人々をあがなうために。
 この同じ叫びが、過去のこだまのように今も地上に響いている。私は過去の幻影の中に生きているのか? 私の犠牲は無駄だったのか? どうして私の十字架からの叫びがあなたたちには聞こえないのか? なぜあなたたちは耳をふさいで、私の叫びを打ち消してしまうのか?

主よ、このメッセージは誰のためですか?

私の叫びを聞く耳を持つ、すべての人々のためのものだ。

(主がたったお独りでどれほど苦しまれたか、そして今もどれほど苦しんでおられるかを知り、私はとても心を打たれました。)

私の神よ、4月23日のあなたのメッセージにあるとおり、お望みのような者になることを受け入れます。あなたのいけにえ、あなたの標的となることを。あなたのためにその十字架を私に担わせてください、そしてあなたに休んでいただけるようにさせてください。あなたを慰めさせてください。私は独りではありません。以前にも言いましたように、あなたとご一緒です2

愛している、小さな鳩よ、あなたにあらゆる恵みを与えた。私自身の利益と栄光のために、あなたを用いさせてもらいたい。あなたは自分自身のためには何も取っておかず、私自身の利益だけに目を留めるように。私の栄光をたたえ、私のために働き、あなたの苦しみに私の苦しみも加えなさい。

全世界があなたのをほめたたえ、その声があなたにまで届きますように。

一致が私の教会を力づけるであろう。一致が私の栄光をたたえるであろう。ヴァスーラ、私を愛しなさい。

主よ、あなたが望まれるような愛し方を教えてください。

教えよう。あなたを見捨てることはない。私の十字架を担うことに疲れないように。あなたのそばにいて一緒に分かち合っている、愛する者よ。

(パリにて、復活大祭の間に。

 ギリシャ正教の大修道院長がメッセージを見て「これは奇跡です」と私におっしゃった時、私も、神が私たちにメッセージを下さるとは、何とすばらしく美しいことかと思いました。でも一方で、悲しむ神、苦しむ神を伝えるということは、なんて残酷で、むごいことだろうとも思いました。神はもんのうちにメッセージを与えておられるのです、多くの人々に見捨てられて、悲しまれながら。これは悲しみのメッセージなのです。)

イエス様、果たして私はきちんと学べているのでしょうか? 自分を満足させるためにお尋ねしているのではありません。ただ、自分がどれくらいの所にいるのかを知りたいのです。果たして自分が成長しているのかどうかを!

ヴァスーラ、私、イエスは、あなたの前にいる。そしてあなたは本当に成長している。私はあなたを死からよみがえらせ、あなたを養った。あなたは私のパンを食べている。私の光があなたの上に注がれている、私はあなたの師、あなたは知恵から学んでいる。

イエス様、あなたは私に小さいままでいるように、無であり続けるようにと何度も思い出させてくださいます。それなのに、今、私が成長しているとおっしゃるのですか?

そうだ、あなたは霊において、愛において、謙遜において、忠実さにおいて、成長しなければならない。あらゆる美徳があなたのうちに成長するようにしなさい。けれども、虚栄において、邪悪さにおいて、また私の目に忌むべき、嫌悪すべき行いにおいては、無になるのだ。完全な者になってほしい。

いつも私のもとに戻ってきなさい

1987年4月27日 in ノート10

ヴァスーラ、私は主、あなたの前に立っている。

(イエスがほほ笑んでおられ、御自身のお姿を感じさせてくださいました。両手で御自分の上着をつかんで開き、みこころを示しておられました。主の胸部は光っていました。)

私の心の中に入って来なさい、奥深く入り込み、包み込まれるように。私の心によって、あなたの心が魅了され、燃え上がり、燃え立ったまま、私の平和と愛を輝かせるようにさせなさい。さあ、私たちで共にいよう。あなたの聖なる道連れにならせてもらいたい。あなたもそう望むか、娘よ?

(主に近づくことなどできないと感じました。主に近づこうとする私とは、一体何者なのでしょう? 自分がどれほどふさわしくないかを悟りました。あえて神に向かって話しかけるなどという大それたことが、どうしてできるでしょう? 恩知らずの罪人の群れに過ぎない私たちが、神に願うだけならいざ知らず、神と「対話」しようとするとは! 私たちがあまりに卑しく、ふさわしくないので、私自身、気分が悪くなるほどです。自分の口にテープを貼りたいくらいです。それで、主の現存の中にいるときは、その現存に対して畏敬の気持ちを表すために、心の中で主と私の間にベールを置きました。)

娘よ、何をしたのか1? なぜだ? 娘よ、どうして?

あなたに敬意を表すためです、主よ。

あなたに食べてもらいたい。

(主の御手の中にあるパンを見ました。)

私のパンを取りなさい、小さな子よ、私のパンを取るためには、このベールを取り除かなくてはならない、さあ。
 この仕切りを私が取り除こう……ほら、私のパンを取りなさい、近づいて。

(そうしました。そして主の御手からパンを取りました。)

あなたに食べ物を与えて、私がどれほど喜んでいるか分かるか?

(イエスは愛に満ちあふれて、喜んでおられました。)

私の喜びが感じられるか、ヴァスーラ? あなたの弱さとみじめさを差し出しなさい、私の力と、私のあわれみの中で、それらを消滅させることができるように。小さな鳩よ、自由に飛びなさい、だがいつも私のもとに帰って来て、私のパンを食べなさい、あなたを愛している。

私も愛しています、主よ。

(このあと一日中、私への主の愛を感じました。それを何と呼べばよいでしょう? 「こうこつ状態」でしょうか? そのような状態にあって、普段より一層強く、主の現存を感じました。)

(しばらくして)

あなたは私の聖なる至聖所を見た、そこに私たちは入った、そして、その至聖所が私のセラフィムたちに守られている様子をあなたの目に見せた。今日は私の至聖所の中を見せよう。私の聖なる書物に注がれているこの強い光が見えるか?

はい、主よ!

それらはあなたを創造する前に書いた、私の最も聖なる書物である。その聖なる書物には、私の天と、私が創造したすべての被造物に関する秘密と鍵が収めてある。聖なる書物のそばには二人の大天使を置き、彼らは情熱を込めて、私の書いた聖なる書物を守っている。来なさい、私の栄光をもっと見せよう、小さな子よ。

(神は私を居心地の悪い所に連れて行かれました。)

この火の山が見えるか?

(美しく見えましたが、恐ろしくもありました。)

その横から二本の川が流れ出ており、それらはすべて火でできている。

(溶岩が流れているように見えましたが、色はもっと鮮やかな赤色をしていました。)

主である私は、裁きの日に、邪悪な魂を善良な魂から必ずより分ける。そしてサタンに従った者たちは、それら二本の火の川に投げ入れられ、正しい者たちのまさに目の前で罰せられる。ヴァスーラ、私の天をもっとあなたの目に見せてあげよう、なぜなら、私の聖なる至聖所の後ろにはまだ幾つかの天があるからだ。被造物よ、私の意志は成し遂げられる、なぜなら私は万軍の主である神なのだから、あなたの中で私に自由に行動させてほしい。私のわざが果たされるまで、私たちは愛をもって共に働く、そしてそれが成し遂げられたとき、私の聖なる書物を携えて再び来て、その中の一節を読ませる。あなたはそれを書くだろう、そのようにして、私の平和と愛のメッセージを封印する。

(その日の真夜中、十字架上からのイエスの大きな叫び声で目が覚めました。その声はもん、苦しみ、痛み、悲しみ、苦渋に満ちていました。非常に激しいうめき声に聞こえました。苦痛にさいなまれているような。)

無でありなさい、私があなたのすべてとなるようにしなさい

1987年4月26日 in ノート10

言わせてほしい、愛する者よ、あなたが生まれる前から、私は計画を描いていた。これから私たちはいつも共に働くだろう。そうしたいか?

そうしたいです。あなたが無力なままの私を受け入れてくださるなら、私の神よ。

愛している。ヴァスーラ、あなたを助けよう。
 先週の初め、あなたは悪魔に痛めつけられ、攻撃された。それにもかかわらず、私はあなたと共に、書きたかった言葉をすべて書いた。私があなたを援護した。

それは悪魔が私を呪ったときのことでしょうか?

そうだ、悪魔があなたをひどい言葉でののしっている間、私はあなたを祝福していた。あなたを守っていた。

(しばらくして)

言わせてほしい、ヴァスーラ、あなたが小さければ小さいほど、私が大きくなる。あなたのうちで私が働き、あなたのうちで私の意志を行うことができるようにさせてほしい。無でありなさい。何も感じず、私があなたのすべてとなるようにしなさい、私の言葉が世界の果てにまで届き、私の平和と愛のわざがどの心も引きつけることができるように。
 あなたが自分のみじめさを思い出すようにさせてもらいたい、それを思い出させることで、私が与えたすべての恵みのために有頂天になってしまうのを防ごう。私の清い祭壇となりなさい……人間をとる漁師よ、私の平和と愛の網を世界中に張り巡らせなさい。その網を引き、とれた魚で私を喜ばせてほしい! 私が地上で肉の姿をとっていた時、人々の小さな群れに、人をすなどる漁師になるように教えた。全人類に私の言葉を広めるように、彼らをこの世に残した。私、主イエスが、これからあなたを導き、どのようにしてこの働きがなされたかを教えよう。

(なんと言えばいいのでしょう? 一体この私に何ができるでしょう、ましてそのような使命など果たせるはずもありません。日に日にメッセージの重みが増していくのを感じています。神を本当にお喜ばせしたいですが、どうしたらいいのでしょう。目の前にはそびえ立つ山だけが見え、啓示は私に重くのしかかります。)

私はあなたと一緒に私の十字架を背負っている。そう、確かに重いだろう、だが疲れてしまわないように。私、主が助けている。私のそばにとどまりなさい、あなたを見捨てはしない。

それでも、まだ重過ぎます。

(イエスは続けるように励ましてくださいます。)

ヴァスーラ、今までずっと助けてきたではないか? それなのに、どうしてあなたを見捨てるだろう? 私に完全にり頼みなさい。私に信頼しなさい。私は自分が始め、祝福したことは完成させる。

あなたを自由にした

1987年4月23日 in ノート10

(自由とは何だろうと思うときがあります。神が私を呼ばれる以前も、私は自由でした。家庭生活は調和が取れていて、何の責任も、何の心配も実際ありませんでした。私を押しつぶし、重くのしかかってくるこのメッセージのようなものは。でもその時、私は神から遠く離れていました。突然、神は私をつかまえられたのです……。最初の頃は嫌でした。神を愛していなかったのですから。ところが、神が私に教えを説かれてから、ほんの短期間(三カ月)のうちに、神を愛することを私に教えられました。現在、八カ月が経ちましたが、メッセージ全体がほぼ完成しつつあります1。それは今も重くのしかかり、私はこの重荷を下ろせる場所を探しています。あまりにも重いからです。自由とは一体何なのでしょう? その重荷は耐え難いものでした。)

主である私が、自由とは何かをあなたに教えよう、書きなさい。
 自由とは、あなたの魂がこの世への気遣いから離脱し、私に向かって、私のもとへ飛んで来るときのことだ。神である私は、あなたのもとに来て、あなたを解放した。今やあなたは自由だ。この世に執着していたときのあなたは、ヴァスーラ、この世のあらゆる誘惑のとりこだったが、今では、あなたの魂は解放された鳩のようになっている。あなたはかごに入れられていたのだ、愛する者よ。そう、かごの中に。あなたの魂を自由に外へと飛び立たせなさい、すべての魂に与えたこの自由をあなたの魂も感じるように。だが、彼らのうちどんなに多くの者たちが、私が差し出すこの恵みを拒むことだろう。
 再び捕らえられないようにしなさい。縛られ、捕らえられていたあなたを、私が解放した。私が通りかかった時、あなたがかごの中で徐々に弱っていき、死にかけているのを見た。ヴァスーラ、それを見て、私の心があなたをあがなわずにいられただろうか? 私は来て、あなたのかごを破った、しかしあなたはあまりに傷ついていて、自分の羽を動かすことができなかった。そこであなたを私の住まいまで運び、優しく癒やして、再び飛び立てるようにした、今や私の小さな鳩が自由に飛び、初めからいるべきだった所にいるのを見て、私の心は喜んでいる2
 主である私は、あなたを自由にした。あなたを回復させた。みじめさから解放した。あなたを私の目の届かぬ所に放っておくことは決してない。いつも必ず私のもとに帰って来ると確信しながら、私の鳩が自由に飛び回るのを見守っている。あなたの救い主、師を見分けたのだから。あなたの魂は私の温かさを必要とし、あなたは自分の住まいが今や、私の心の真ん中にあるのを知っている。あなたにいてほしいといつも思っていた所に。あなたは今や私のもの、私はあなたを愛するあなたの師である。

(スイス行きのことが頭をよぎり、そこで自分が心変わりしてしまうのではないかと不安になりました……)

ヴァスーラ、あなたに再び自分自身を汚させはしない。恐れなくてよい、私がいつもそばにいて、あなたを洗い清めよう。あなたがそこに行く私なりの理由がある。

(神の理由がどのようなものなのかを考えようとしました。そして尋ねました。)

私の種がヨーロッパにかれるのを望んでいる。私のたねき人になってほしい、ヴァスーラ。私を傷つける人々の中で生活しなさい。あなたの目ですべてのものを見、私の被造物がどうなってしまったかを注視しなさい。あなたの心で、彼らにとって私がどれほど価値のないものになってしまったかを感じなさい。あなたの耳で、彼らが私をどれほど冒涜ぼうとくし、傷つけているかを聞きなさい。あなたの魂は嫌悪せずにいられるだろうか? 私の民がいかに私を忘れてしまったかを見て理解したら、私のために泣き叫ばずにいられるだろうか?
 ヴァスーラ、あなたの魂は、邪悪さや無関心、非道の極み、そしてこの世の堕落した罪の深みにさらされるだろう。彼らの頭上を飛ぶ鳩のように、あなたはこの世を注視するだろう、彼らの一つひとつの行いに苦渋を感じながら。
 あなたは私のいけにえとなり、私のために標的となるだろう。彼らは獲物を追う狩人のようにあなたを捜し回り、自分の武器を取り出して追跡する。誰であろうと、あなたを破滅させることができる者のために、あなたに高値を付けるであろう。

主よ! 私に何が起きるのですか?

娘よ、教えよう。何も無駄にはならない。地上の影は次第になくなり、消え去る。泥土も、最初の雨のひと降りだけで、必ず洗い流されてしまう、だがあなたの魂が消え去ることは決してない。私の質問に対してあなたが何と答えたかを、主である私が思い出させよう。私は以前、あなたに質問した。「どちらの家がより大切か、あなたの家か、それとも私の家か?」と。あなたは、私の家の方が大切だと正しく答えた。

はい、そうお答えしました。

あなたを常に私の心の中で守ろう。あなたを愛している。

私も愛しています。

私たちで共に行こう、私の現存を忘れないように!

聖金曜日

1987年4月17日 in ノート10

(聖金曜日のミサの最後に、司祭はイエスのお墓3の上に敷き詰めていた花を取って配ります。花束にして人々に渡すのです。私は三本だけ受け取りました。これは、聖三位についてなかなか理解できなかったことを私に思い出させるための、神からのしるしだと理解しました。
二日が過ぎましたが、その間何も書いていなかったので、黙想の中で神と接し、神をとても強く感じながら書くことをとても恋しく思いました。)

私の神よ、長かったです!

どれくらいか。

二日ぶりです!

二日か、ヴァスーラ? あなたのために何年も待っていた私は、何と言えばいいのだろう?

言葉がありません、イエス様。あなたを傷つけたことを申し訳なく思います。私をおゆるしください。

来なさい、あなたをゆるす。私の愛する魂たちに望んでいることは、ほんの数分間だけ、彼らの心を私に捕らえさせ、その心の中に私のあふれるほどの愛を注がせてくれることだけだ。

(イエスはこのことを、大変な優しさと愛をもっておっしゃいました。神が私に重要な長いメッセージを与えようと近づかれるときはいつも、悪魔かその手下たちが私を攻撃してきます。体ではその存在を感じませんが、この導きの中で彼らに許されていることは、言葉を書くことによって自分を現すこと、つまり、私をろうしたり、呪ったりして、私を攻撃することだけです4。私は神から、その違いを識別し、悪魔の言葉を見分けるように教えられていますので、通常は彼が言葉を書き終えることすら許しません。これが彼らを激高させるのです。仮に私の注意をすり抜けたとしても、その時は神が私の手を制止されるので、書くことができません。今書いているこの紙は私のノートの一部です。このような攻撃は、神が重要なメッセージを書かせようとされる度に、ますます強くなります。今ではもう、私にもそのパターンが分かっているのですが……ですから、失望感に襲われるときがあっても、私はあきらめないのです。)

聖木曜日

1987年4月16日 in ノート10

(聖木曜日)

ヴァスーラ、私は教会にいた。私の十字架の前を歩いた。あなたの前で数秒間止まった1。私の娘よ、この長い年月の間、私の心から愛する教会に、あなたが来てくれるのを待ち続けていた4

主よ、救い主よ、あなたは本当に私を捜し続け、見つけ出し、そしてあなたのもとに、あなたの教会に連れて来てくださいました。何年もの間……あなたは何年もの間、待っていてくださった!!

私は十字架の前にとどまり、私を礼拝に来る人々を皆、代わる代わる祝福した。

(聖なる十字架が教会の中央に安置されており、人々は皆、代わる代わるその十字架に口づけをしに行っていました。)

私のしるしを描きなさい 続き

1987年4月10日 in ノート10

私の十字架刑は何時間も続いたことを覚えておきなさい。私は何時間も苦しんだ。私の血はすべて流された。あなたたちを愛している。来て、私を愛することによって私を慰めなさい。

(イエスは悲しみを感じておられ、慰めを切に求めておられました。最近イエスは、御自身の十字架刑をしきりに私に思い出させ、その映像をお見せになります。時には、イエスの現存があまりにも完全なため、直に触れることができるのではと思うほどです。言ってみれば、イエスが動かれたときに生じる空気の動きさえ感じられるほどに!)