ノート12のメッセージ

罪が私の邪魔となる、私は惜しみなく与える

1987年6月6日 ノート12

イエス様?

私だ。神の顔をのぞき込むとは、愛を見るということ。

せいがいの主の写真を見ていました。

私にすっかり支配されたいか、ヴァスーラ?

はい、私の神よ。それがあなたのお望みでしたら、そうしていただきたいです。

では、私に自由にさせなさい、決して私を邪魔しないように、私のために生きなさい。

主よ、どのようなときにあなたを邪魔したことになるのでしょうか? 邪魔せずにいられるように教えてください。

罪が私の邪魔となる、罪だ、ヴァスーラ。本当に、私が望むようにあなたの中で働かせてくれるか?

はい、私の神よ、私が罪を犯すのを禁じてください。私の罪をおゆるしください。あなたの望まれるとおりに、私の中でお働きください。私の臆病さには配慮せず、目を留めないでください。必要とあれば、私を引きずってでも行ってください。私を自由にお使いください。あなたのわざをなさってください。どのような遅れの原因にもなりたくありません。あなたのわざを邪魔したくないのです。ですから私の弱さに一切目を留めず、お好きなようになさってください。

娘よ、あなたのその言葉がうれしい。さあ、私のわざを続けるとしよう。私の意志を自由に行わせなさい。来なさい、私がどのように働くかを明らかにさせてほしい。あなたに多くの恵みを与えた、ヴァスーラ、だが、私の恵みに感謝を表してほしい、私を喜ばせ、そしてもっと信じなさい。

もし主のお気に召さなかったら、これらのお恵みを取り上げてしまわれるのではないかと恐れています……

どうして私の恵みを取り上げなければならないのか?

成長できなかったり、間に合うように付いていけなかったりしたら、お恵みを取り上げてしまわれるのではないかと思うからです。

いいや、決してそのようなことはしない!

私には、主のお気に召さなかったら、お恵みを取り上げてしまわれるのは当然だと思われるのです。

子よ、あなたの目にはそれが当然と映るかもしれない。私は、あなたをこの世から解放する時まで養うであろう。私の食物をあなたから取り上げることは決してない。あなたを何年も待ち続けてきた私、あなたを愛し、私の胸に強く抱き締めるまで何年も待ち続けた私が、今になって私の食べ物を取り上げることなどできるだろうか? 来なさい、心行くまで私に寄りかかりなさい。私は愛であることを覚えておくように。私は惜しみなく与える、与えたものを取り上げることはない。あなたに私のやり方を絶えず思い出させることにしよう。

道行きの留で私を見つけなさい

1987年6月5日 ノート12

ヴァスーラ、道行きのりゅうで私を見つけなさい。祝されよ。私たちは共に働くだろう。

(十字架の道行きをまだしたことがありません。しようと思っています。私と一緒にするようにイエスから頼まれた司祭を待っているところです。)

ほほ笑む巨人

1987年6月4日 ノート12

(今日、神は私を手のひらに乗せてくださり、私が本当に小さいことを感じさせてくださいました。主を見るようにと言われました。そうしました。すると、美しく、ほほ笑んでいる巨人が見えたのです!)

ヴァスーラ、私を見なさい、私の顔を見て。

(主は美しさにあふれ、ほほ笑んでおられました! 自分が主の手のひらの中のほんのちっぽけな点のように感じられました。)

それが私にとって何だというのか? あなたがちりのひと粒に過ぎなかったとしても、私にとって何だというのか? 感じなさい、私があなたをどんなに愛しているかを!

(主は美そのもので、このすべてが本当に美しい!)

私は美しい。ヴァスーラ、私のことを思うときは、私が地上にいた時の男性の容貌ようぼうをイメージしなさい。私をそのように思い浮かべなさい。

でも主よ、あなたは本当はどのようなようぼうなのですか? お顔立ちはどんな感じなのでしょう?

私はすべてである。私はアルファでありオメガ。永遠そのものであり、妙薬である。私を愛しなさい。
 私のうちにとどまりなさい。決して私を恐れてはならない。人間が誤って教えたその恐れを、愛に置き換えるように。恐れることなく、私のうちに住みなさい。私に逆らうときにだけ私を恐れなさい。私は愛。私の心がどれほど果てしなく深い愛であるかを、彼らに伝えなさい!

私の名によって求めなさい

1987年6月3日 ノート12

(「書いている最中に」、また悪魔に攻撃されました。それは背中に跳び乗ってくる猫のようでした。彼らに「うんざり」しています。まるで「地獄の門が全開になった」かのようです。とてもうるさいので、悪魔の一人に向かってこう言いました。「イエス・キリストのによって立ち去れ、そして火の中へ投げ込まれよ」。すると去って行きました。他にも悪魔が何人かいたので、最初の悪魔の時と同じ言葉で、一人ずつ同じように対処しました。イエスが私に言われました。

「私の名によって求めなさい、そうすればそのようになる。しかし信仰を持って求めなければならない、このやり方で働き、祈り、求めなさい、私の名によって祈りなさい。私の名によって働き、私の名によって求め、私の名をよみがえらせ、私を反映するものとなりなさい、私と共に進み、顔を私の方へと上げ、求めることを信じなさい」


主は、悪魔たちは私を恐れていると教えてくださいました。私は彼らにとって脅威なのだと。その後、自分がどこにいるのか分かりました。自分の足が、湿ったどろどろのぬかるみの中にあるのを感じ、すぐに、地獄に取り囲まれていることが分かったのです。それはほんの一瞬の出来事でした。今日、書くときに悪魔がしつこく妨害してきた理由がこれで分かりました。このことについてイエスに尋ねると、

「他の場所であるはずがないだろう?」

と言われました。イエスと私は、一緒に地獄の門の外側1を通り過ぎようとしていたのです。魂を癒やし、彼らをサタンの門の所からもぎ取るように救い出していました。

「ヴァスーラ、このような方法でもあなたを使わせてほしい。これもあなたの仕事の一部だ」

。)

一致するには、どれも皆曲がらなければならない

1987年6月2日 ノート12

後で会おう、その時に予備的なアドバイスを与える。ヴァスーラ、三本の線を描きなさい。

三本の鉄の棒(頭)

それらをつなげなさい、

三本の鉄の棒

つなげるためには、どれも皆曲がらなければならない。あなたたちは皆、穏やかになって、自らすすんでかがまなくてはならない。

(理解しました。主は三本の鉄の棒の明確で簡素な幻(ビジョン)をお見せになりました。それらは互いに接近して直立していました。主は、「三本とも曲がらなければ、それらの頭1はどうやって触れ合えるだろう?」とおっしゃいました。──その後、午前中に外出しました。この幻(ビジョン)を思い出せば思い出すほど、「山」はだんだん大きく見えてきました。息苦しくなりました……)

イエス様?

私だ。勇気を出しなさい、立ちなさい、生徒よ! 持ち上げなさい! 私の十字架を持ち上げなさい、愛する者よ、持ち上げて、さあ! 嘆かないように。一緒に……一緒に……
私のヴァスーラ、私たちは共に奮闘するだろう、疲れたときは私に寄りかかりなさい、そして私が疲れた時はあなたに寄りかからせてほしい。
私に会いなさい、私の望みを成し遂げさせてほしい、柔らかい蜜蝋みつろうのようでありなさい、あなたの上に、私の手ずから私の言葉を刻ませてほしい。喜んで行いなさい、恐れてはいけない! あなたを愛している、愛する者よ、ああ、来なさい! 愛があなたを傷つけることはない。

(この働きに恐れを抱いています。)

来なさい、共に祈ろう。

「ああ、御父よ、
最後まで共にいてください、
私は弱いのです。
あなたの栄光をたたえるために
あなたの力を与えてください、
アーメン。」

愛する者よ、来なさい、恐れを捨て去り、私の話を聞くように。あなたの神を待ち望みなさい。私は、私の教会を一致させたい
ヴァスーラ、私を受け入れることができるようにあなたを訓練してきた、愛する者よ、勇気を出しなさい!

あなたの勇気が必要です。私には勇気がありません。

あなたを勇気づけ、私への愛を強めよう、すべては私の栄光のために。
ヴァスーラ、私の言葉を書いてくれるか、私から吸収しなさい。安楽を求めてはならない、貧しくありなさい、地上で肉のうちにあった時の私のように。質素でありなさい、私をむち打つ者たちとの違いを共に感じることができるように、そして彼らの尊大さを共に感じることができるように、違いを感じさせてほしい! 私の心から引き出し続けなさい、私の教会を美しく飾り、私の心から引き出しなさい、そうすれば分かるようになる、私の小さな娘よ。

(ここで私は、この働きがどういうものなのかを悟り始めました。だからこそ恐れているのです。イエスは教会に手を入れ始めておられるのです……)

彼らは私を再び十字架につけている

1987年6月1日 ノート12

ヴァスーラ、私の両手には傷があり、両足にもそれがある、脇腹は開いており、それは私の心臓が見えるほどに大きく開いている。彼らは私を再び十字架につけている。

主よ、

彼らは私の教会を傷つけている。

主よ、そんなにひどいのですか?

そうだ、悪が彼らを盲目にしてしまった。彼らには愛が欠けている。彼らには誠意がなく、私の言葉をねじ曲げ、私の体に障害まで与えてしまった。私の義の杯はいっぱいになっている、それをあふれ出させてはならない! 彼らが私の体を窒息させようとするのを止めたい。私、イエスは愛である。彼らが互いに対して毒矢を投げ合うのをやめさせたい。彼らが調和するなら、損傷した部分は回復するだろう。誠実さが悪の正体を暴くであろう、彼らには私に献げるものが実は何もないというのに、これらの儀式のすべては何のためなのか? 私が求めているものは清さ、愛、忠実さ、謙遜、聖性である。
 私が望んでいるものを、私の中に探し求めなさい、そうすればそれを与えよう。あなたの利益ではなく、私の利益を追い求めなさい。私の栄光をたたえ、私をほめたたえなさい。言葉だけでは十分ではない、愛と協力の行いこそが私の体を生き返らせる。兄弟たちよ! 互いに愛し合いなさい、ああ、愛する者たち、どれほど多くを回復させなければならないことか!
 来なさい、娘よ、私のうちで休みなさい。あなたに平和があるように。

全き沈黙のうちに私を愛しなさい

1987年5月31日 ノート12

(日曜日)

ヴァスーラ、来て、私を受けなさい1、そこに私はいる。私を喜ばせなさい、来て、私と会うように! あなたは私のものだと言いなさい、その言葉を聞かせてほしい!

私はあなたのものです。イエス様、あなたを愛しています。

何年もの間、ヴァスーラ、その言葉を待っていた! 私のものとなった今、私を愛しなさい。

あなたが望まれるような愛し方を教えてください。

私を信頼しなさい、教えてあげよう。

(しばらくして)

(私のこの手の動きには、今もって驚かされます……)

それをご存じですか、イエス様?

知っている、だが、私は全能者ではないか? ヴァスーラ、平和でありなさい、落ち着いて、心穏やかでありなさい、私のように。

(書いている時に、息子に二度も邪魔されました。部屋に入って来たり、扉をバタンと閉めたり等々。イライラしました! うるさいのです。)

私を愛しなさい、答えるように!

愛しています、愛しています、主よ!

私を決して他のものと置き換えないように。私を第一にしなさい、何よりも先に私と顔を合わせ、永遠に合わせたままでいなさい。鏡のように、私をそのまま映し出して。私以外のものを決して追い求めないように。以前の生活にあった、古い習慣を決して追い求めてはいけない。私は聖であり、主である、私とあなたは今や一つであり、あなたを永遠に私だけのものにするつもりだ。謙遜になり、私から学び、私だけを求めなさい。私のために呼吸しなさい。今や左も右も向かず、まっすぐに進み続けるように。愛する者よ、あなたを使わせてほしい、私にしっかりつかまって、あなたの素朴な言葉で私を魅了しなさい。素朴さは私を夢中にさせる、あなたの言葉で言いなさい、もう一度聞かせてほしい、こう言いなさい、「あなたを愛します、イエスよ、あなたは私の喜び、私の息、私の憩い、私の視力、私のほほ笑みです」。
 娘よ、考えたり黙想したりするために時間を割くなら、私をより一層喜ばせることになる。今後、私を沈黙のうちに追い求め、完全な沈黙のうちに私を愛し、沈黙のうちに祈り、沈黙のうちに私の霊的世界に入りなさい2。今こそ私に報いなさい、あなたを愛している。自分自身を私に与えることによって、私をほめたたえなさい、私を悲しませないように、私のものでありなさい、愛する者よ、話しなさい!

沈黙のうちにとは、どのようにでしょうか、主よ?

沈黙のうちに私を見るということだ、静けさを保ってほしい、どのようなものにも邪魔されずに、沈黙のうちに私を追い求めるように。

全く邪魔されずにでしょうか?

何にも全く邪魔されずに。平穏を切望しなさい。

イエス様、家庭の中で一体どうやってその平穏を見つけられるでしょう。ほとんど不可能です!

私がそれを与えよう。あなたをあわれむ、ヴァスーラ! 私の残りの者、私のミルラ、私の愛よ、あなたにしてあげないことがあるだろうか! 私の心はあなたのみじめさやつまずきに対するあわれみでいっぱいだ。主である私が助けよう──見捨てられたとか、愛されていないとは決して思わないように。
 愛されていないとあなたが強く感じていたあの時、私がどんな気持ちでいたか知っているか?

どこでですか?

私の教会でのことだ3

知りません、主よ。

私は磔刑たっけいの苦しみをもう一度最初から味わった、殴られ、むちで打たれ、つばを吐かれ、再び釘付けにされた。ヴァスーラ、どれほどあなたを愛していることか! 私を助けて、私の教会を生き返らせてほしい。あなたを使わせてくれることによって、私を助けてほしい。勇気を出しなさい、娘よ、勇気を。

イエス様、そんなことがあなたを傷つけるとは思いませんでした。愛されていないと思った私の気持ちのことです!

そうだ、誰であれ、私のもとに来る者を私は決して拒まないこともあなたは知らなかった。私は愛、そして愛はすべての人に向けられている、どれほど邪悪な人であろうとも。

私の十字架を持ち上げなさい

1987年5月29日 ノート12

(突然、主の十字架が私の上にのしかかるのを感じました。自分では到底持ちこたえられないと思いました。)

持ち上げなさい! 私の十字架を持ち上げなさい! 私と一緒に努力して! 一緒に……一緒に……あなたを愛している、私の十字架を持ち上げなさい! 私は今、あなたの中で休まなければならない。

(その後。聖霊刷新の集いが始まる前に。)

私の小羊を養ってくれるか? 私の手を取りなさい、あなたを守り、導こう。

(その晩、また香の匂いがしました。)

私の現存を決して疑ってはならない。

(目覚めていられるように助けてください、とイエスに願いました。そして、神を受け入れることを拒否していた青年を取り巻いていた悪霊たちを追い払ってくださいと願いました。(聖霊刷新の集いの中で知ったあるケースです。))

私を喜びで満たしなさい、そしてあなたの望むものを何でも求めなさい。ヴァスーラ、彼に自分の真の兄弟のことを思い出させるように。私は彼を愛し、世話している彼の兄弟である。私の存在を彼に思い出させなさい。気も狂わんばかりに彼を愛している。私は彼のために死んだ。私のためにも同じようにしてくれるか、小さな子よ? 私のあがないの愛を信じなさい。

疑いがあったとしても、私を愛しなさい

1987年5月29日 ノート12

愛する者よ、悔い改めなさい。被造物よ、私を祝福しなさい。あなたが願うことを信じなさい。

(罪をゆるしてくださるように主に願ったのですが、それは、主が「願うことを信じなさい」とおっしゃって初めて、私の口から出ていたことに気付きました。)

あなたの罪をゆるす。私をほめたたえて、私を愛しなさい。私の栄光をたたえて、私を愛しなさい。

(もう一度主に願い、主を祝福しました。)

私は神である、被造物よ、私のみちきのりゅうに来なさい。どの留においても、私だけを求めるように。すべての留に私は立っている。私は十字架の道行きの留にいる、そこにあなたが来てくれるのを望んでいる。道行きの留でひざまずいてもらいたい。

主よ、おっしゃることが分かりません! 道行きとは何のことですか1

そこであなたを待っている。よく調べなさい、私があなたに求めていることをよく調べるように。
私のいけにえとなれるように、あなたを清めよう。私を求め、私の飽くなき渇きを満たしなさい。私の燃え盛る愛の炎を満たしなさい。あなたの神である私を満足させるように。完全な信仰を献げることで、あなたの覆いをすっかり外し、何の妨げもなく私を見ることができるようにしてあげよう。あなたよりも以前に私を見た者たちから、私の美しさについてきっと聞いたことがあるだろう? 信じなさい、信じ切るように。あなたの父のもとにもっと近づきなさい、そうすればあなたの覆いをすっかり外してあげよう。娘よ、あなたを私の大広間に連れて行ったことがなかっただろうか?

あります、主よ。

それなら、私に信仰を持ちなさい。誰にもあなたを私から引き離させてはならない。あなたにこのたまものを与えた、だからそれを用いて、私のもとにまで到達するように。愛を恐れてはいけない、私は全能者である。私の全能を信じなさい。娘よ、私の大広間に来てほしいと私が望んだのだ、まして、あなたにそこにとどまってほしいと望まないことなどあるだろうか?

私の神よ、私自身の失敗のせいで、私たちはお互いを見失ってしまうのではないでしょうか。

私たちの絆を忘れたのか? 私はあなたの伴侶、あなたは私の家に住んでいる。私があなたを養っている。私の光で包んでいる。あなたのもろさを見守っている、あなたのみじめさゆえに、あなたを幼子のように扱っている、私があなたのためにしないことなどあるだろうか! 私と一緒にいて幸せか、ヴァスーラ?

はい、主よ、あなたは永遠に祝福されますように、私に幸せを下さるのはあなたですから。あなたは私のほほ笑みそのものです。

疑いがあったとしても、私を愛しなさい。

主よ?

来なさい、あなたは弱い、だが私が強くしてあげよう。私のメッセージを受け取ることができるように、あなたに強くなってもらいたい2。あなたの目から覆いを完全に取り去って、もっとはっきり私が見えるようにしてほしいか?

はい、もし主もそう望んでいらっしゃるなら。

あと数歩、私の方に進んで来る必要がある、もうほとんどそこにいる! 私はあなたの目から覆いを取り去り、あなたは目の前に自分の救い主を見るであろう! あなたが深く入り込めるように、私の五つの傷が開かれるだろう。私の悲しみを味わわせてあげよう。その瞬間を待ち焦がれている。
愛のこもった言葉で私を満たしなさい。ヴァスーラ、あなたは私につながれている、それにもかかわらず、以前よりもっと自由だと感じているのではないか? 私の現存を感じ、私と出会ったなら、私にほほ笑みかけなさい。あなたの力量と知恵を完全に把握している。私と共にいる者が無に等しい者、全くの無であることを知っている。来なさい、誤解しないように、私は無である者と共にいたいだろうか、あるいはそれよりも、何か私と張り合うような者と共にいたいだろうか? 私の言葉や私の望みを地上に送るためには、無論、無である者を選ぶ、そこに否定の余地は全くない。

主よ、あなたは本当に多くのものを与えてくださいました。心から御恩を感じています!

私に与えてくれるものが何かあるか、ヴァスーラ?

(言葉に詰まりました。何かあるでしょうか?)

何か少しでも、必ずあるであろう! たとえ何もなくても、あなたを愛している。

ひょっとすると、何か差し上げられるものがあるかもしれませんね?

私がそれを望んでいるかどうかを自分に問うてみたか? 私は自分だけでことりている、自分だけで十分である。

とにかく、あなたに差し上げられる何かをお望みですか?

望んでいる。

でも、何かを差し上げたとしても、あなたの御目に良いものとは言えないでしょう!

なぜ?

あなたは完全でいらっしゃるからです。

私は受け取る、たとえ悪いものであっても、良いものに変えよう! 私は神である。

では、私に差し上げられる何か良いものがありますか?

ある。だが、あらゆる良いものは私から来ている。それは私が与えたもの、良いものはすべて本当に私から来る。

(少しがっかりしました。主をお喜ばせできません。)

では、あなたに差し上げられる私自身のものは何もありません。

そうだ。あなたが持っている良いものは、何もかも私が与えたものである。

何か、いい絵3を差し上げましょう!

あなたの絵か、ヴァスーラ? 芸術のたまものは私が授けたのではなかったか? それも私からのものではないか?

だとしたら、何を差し上げられるでしょう?

愛だ。私を礼拝しなさい。私を礼拝しなさい。すべてを私に明け渡すことで、あなたの意志を私に献げなさい、それこそが、あなたが私に与えることができる最も美しいものである。

主よ、私があなたを愛していることはご存じですね。それに私が明け渡したことも!

その言葉を聞くのは楽しい、小さな子よ!

私の生けにえとなりなさい

1987年5月28日 ノート12

主よ、私にあなたのいけにえとなってほしいとおっしゃいましたか?

ヴァスーラ、そうだ、私のいけにえとなりなさい。

私の神よ。実のところ、私はいけにえの意味がよく分かっていません。いろんな意味があるのでしょうが、何らかの苦しみを含んでいることは分かります。あなたがいけにえになりなさいと私に求めておられるのですから、そうなりますように。ただ、神のいけにえになるためには、神の栄光がたたえられるだけの何らかの価値がなければなりません。私は自分がちりの粒に過ぎず、最もみじめだから選ばれたのを知っていますが、その私がちゃんとしたいけにえになれるものでしょうか? いけにえになるとしても、神の栄光をたたえられるレベルでなければなりません。つまり、その「いけにえ」が献げられて、神に栄光を帰すことができるほどの何かの価値があるということです。そんなことは、私の神よ、私にはできません。あなたが御自分のいけにえとして私をふさわしくされ、それによって効果のあるものにしてくださらなければ。

ヴァスーラ、あなたを訪れて、私を愛するようにと頼んだ時のことを覚えているか? 天使が思いがけない時に、あなたを揺り起こすために来た時のこと1を覚えているか? 私はそのようにして訪れる、だから油断せず、眠らないようにしなさい。思いもよらない時に私はあなたのもとを訪れて、愛を求めた。あなたに私の栄光をたたえてほしかった、あなたの愛を獲得し、あなたの師となって、あなたを治めたかった。あなたに私を必要としてほしかった。あなたの愛をどれほど渇望していたか、「lama, sabachthani2」。あなたのもとを訪れたが、あなたは私を拒んだ。

(主だと分かった時、私は確かに拒みました。)

ヴァスーラ、あなたを離脱させたが、さらにもっと離脱させよう。私の平和を保ちなさい。
 愛する者よ、償いなさい、償いなさい、償いなさい。
 私の教会を一致させることができるように、あなたを死からよみがえらせた。

(ため息をつきました。)

道を示してあげよう。あなたに疑いがあっても、私の心の望みを明らかにしよう。決して書くことに疲れないように。あなたのうちで私は働く、私に完全にり頼みなさい。

イエス様、少し前のことですが、あなたがしるしを与えられることはもうないと言ってきた人がいるのです。あなたがファリサイ派の人々にそうおっしゃったと言うのです。その人は、私がこのお導き(メッセージ)はあなたからのものだと言った時、そう言いました。

ヴァスーラ、私がファリサイ派の人々にそう言ったのは、私が肉体の姿で彼らと共にいた時の奇跡のことを指していた。だが、今私を非難するなら、それは私の天のわざを非難することになり、彼らの心がどれほど干からび、閉ざされてしまったかを示すことになる。私のしるしが終わることはない。私の現存は世界中で感知され、しるしを通して、私は自分自身を現し続けていく。
 信じなさい、ああ、信仰の薄い者たちよ、信じなさい、私の言葉をねじ曲げるのはやめなさい、あなたたちはファティマについて何と言ったか。このしるしを与えたのがまさに私であることを信じるのが怖いのか? ああ、信仰の薄い者たちよ、あなたたちにとって、天からのしるしが私からのものだと受け入れ、認めることほど嫌なことはないだろう! 私のわざを愛しなさい、私のわざを受け入れなさい。信じなさい、私を信じなさい、無限の富であり、あわれみである私を。私のしるしは、愛はあなたたちを忘れていないということをすべての人々が理解するためのものである。愛は退いてはいない、栄光も、主の栄光の中に退いてはいない。愛があなたたちの間にいる、あなたたちから離れることは決してない。