ノート13のメッセージ

自分と同じように隣人を愛しなさい 私の語彙の中に「運」という言葉はない

1987年7月10日 ノート13

私の花よ、私の体に結び付きなさい、荒れ野で生きるのは困難なことだが、いつでも私の泉へと案内してあげよう、そこであなたの渇きをうるおし、休息を与え、あなたを守ろう。娘よ、私のいけにえとなりなさい、無駄になるものは何もない。私にしっかりつかまっていなさい、あなたは独りぼっちではない、私たちは共にこの荒れ野を渡っている。あなたの上に私の特別なおきてを刻ませてもらいたい。「隣人を自分のように愛しなさい」。

けれど主よ、それは新しいものではありません。以前にもそうおっしゃいました。

あなたたちはそのおきてに従っているか? 聖職に就いている魂は皆、私のおきてに従うことをまだ学ばなければならない、彼らに私の無限の愛から吸収し、互いに愛し合うことを学ばせなさい。
 私を感じなさい、私の体のあらゆる部分が傷ついている、ヴァスーラ。まだ私の望みを最後まで書き終えていない、そしてもっと大きな望みを抱えたままだ! ヴァスーラ、私の望みを察することができるようにあなたを照らしているので、あなたはそれを感じ始めている。私は創造したすべてのものを限りなく愛している。

私の神よ、もしも望んでおられることが「それ」なのでしたら、あなたの地上のくにはまさに、天のくにのようになるでしょう!

あなたは少しずつ理解していくだろう。

イエス様?

(自分の無力さを感じました。あることを主にお話ししました。)

分かっている、だがあなたをここまで導いてきたではないか? これからもあなたに幻(ビジョン)を与え、あなたはそれを書き取る、あなたの神と共にいなさい、その神もまた苦しんでいる!
 被造物よ! 私の創造した者たち! 私があなたたちの神であることを今日は否定していても、明日には私をほめたたえるであろう、私を礼拝し、私を切望しなさい!
 さあ、ヴァスーラ、私が誰であるかを決して忘れないように。私にしっかりつかまり、昨日のように1私に呼びかけなさい、そうすればあなたのもとに駆けつけよう。愛している。私を切望し、私を愛することによって、私を尊びなさい。
 そのような状況のとき、あなたたちのほとんどは私のことなど忘れて、運が良かったなどと言う! 私の語彙ごいの中に「運」という言葉はない! あなたたちを助けているのは私なのだ、被造物よ。

私の奥義

1987年7月9日 ノート13

私の神よ?

私だ。ヴァスーラ、私には、あなたには隠された非常に多くの神秘がある! あなたに明かしたわずかな神秘でさえも、人間的な目で「見られる1」、それゆえ理解されない。脇に置かれるか、誤って解釈されるかのどちらかであろう。私のわざと人間のわざを、一体どうやって比べることができるというのか。科学を天のわざと比べることはできない、それは私と人間を比べたいと思うようなものだ!

 確かに、私のわざはあなたたちには正統でないものに見えるかもしれない、だが私を最も深く悲しませるのは、私自身の聖職にある魂たちが、私のわざを疑っているのを見るときだ、信じるのを拒み、その結果、私をもり立てる代わりに、遠くに追いやってしまうのを見るときである。

 私の被造物たちは砂漠と化し、干上がり、不毛で、愛に渇いている。司祭たちに与えるものがないのでは、私の小羊たちは何を食べたらよいのだろうか?

私は復活した、腐敗したのではない

1987年7月8日 ノート13

主よ、ある司祭が以前、私にこう話したことがあります。あなたが亡くなられて葬られた後、御体が大気中に分解されたため、あなたを発見できなかったのだと。言い換えると、この司祭はあなたのご復活を否定したのです。

ヴァスーラ、彼らは私の言葉をねじ曲げている。私は復活した、分解されたのではない。私の体は復活したのだ。

主よ、あなたは象徴的な意味で語っておられるのでしょうか、それとも、あなたの御体が実際に復活したとおっしゃっているのでしょうか?

子よ、私は文字通りに語った、私の体は復活した。彼らに言いなさい、人間の理解を満足させようとして私の言葉をねじ曲げるのはやめなさいと。
 私は全能である。

(しばらくして)

主よ、私があなたのご計画を遅らせてしまうのではないかと心配です。

働いている者が私だとすれば、あなたにどうやって私を遅らせることができるだろうか?

罪によって、邪魔してしまいます。

しばしば悔い改めるようあなたに求める、私があなたの罪を指摘しよう、あなたには清くあってほしい。

霊的な砂漠

1987年7月7日 ノート13

(スイス)

ヴァスーラ、厳しい試練が待ち受けている1、私の現存を忘れないように、私がそばにいる。
私の天のわざを信じることも私の与えた恵みだ。私のわざは、あなたの目にはかなり伝統からはみ出したものに映るだろうが、私は神である、この私を誰と比べようというのか? そして私のわざを何と比べようというのか?
ヴァスーラ、私の聖職にある魂のあまりに多くが、私のしるしやわざを受け入れないのを見て、私は深く悲しんでいる、私があなたたちの間にいることを世に思い出させるために、恵みを与えた者たちに対する彼らの扱い方を見て、私は嘆いている……彼らは意図せずして、私の体を傷つけている!2 私のわざを受け入れなかった結果、彼らは土地を肥沃にする代わりに、砂漠にしてしまっている!

主よ、彼らがあなたのわざを受け入れないとすれば、何か理由があるはずです!

彼らは霊的に死んでいる。彼ら自身が砂漠であって、自分たちが作りだした広大な荒れ野の中に一輪の花を見つけると、それに向かって走り寄り、踏みつけ、だめにしてしまう。

どうしてでしょうか?

どうしてかと? その花は彼らの荒れ野には不釣り合いだからだ、彼らは自分たちの砂漠が荒れたままであるように念を押している! 彼らには聖性のひとかけらもない、全くだ、彼らには私に献げるものが何かあるだろうか?

守っているのです、主よ! ことがゆがめられないように守っているのです!

いいや、彼らは私を守ってなどいない、神としての私を否定している。私の無限の富を否定し、私の全能を否定し、自分たちを私になぞらえている。彼らが何をしているか知っているか? 無神論を助長し、私をむち打つ者たちを倍加させ、霊的に耳の聞こえない者たちを増やしている、彼らは私を擁護などしていない、私をあざ笑っている! だが彼らが否定しようとも、私は喜んで彼らを助けようとした、彼らも同様に、私の羊たちを助け、養ってくれるようにと。
私を愛しなさい、ヴァスーラ、私を決して否定しないことによって、私を尊びなさい。

あなたを決して否定しません。これらがあなたのわざであることを決して否定しません、主よ。たとえ死ななければならないとしても!

私の優しいミルラ、私の残りの者、私の愛する者よ、私の利益を求めなさい。私の祭壇となりなさい。私があなたのうちで働き、活動することができるように、小さな者であり続けなさい、さあ、共に祈ろう。

「あわれみの御父よ、
あなたの羊たちを一つにしてください、
彼らをもう一度呼び集めてください、
自分自身の不毛さに気付かせてください、
彼らをゆるし、
お望みのとおりに彼らを形造ってください、
あなたのやり方を思い出させてください、
すべての栄光が、あなたの聖なるのうちに、
世々限りなくありますように、
アーメン」。

(神のことを思って悲しくなりました……)

愛する者よ、この世のために、そしてこの世がこうなってしまったことを、深く悲しみなさい。私のうちで休むように。

私はあなたの慰め主

1987年7月3日 ノート13

イエス様?

私だ。
 愛する者よ、私から来る霊的導きは、木の葉にしたたり落ちる露のしずくのよう。
 私はあなたに忠実であることを約束し、あなたも私に忠実であり続けられるよう手を打った、分かるか1
 ヴァスーラ、私のために、私の教会を一致させてくれるか? 私はあなたの目の前にいる、あなたを導くのは私だ、ただ付いて来なさい。私の全教会が一つになることを望んでいる。私の聖職にある魂たちが、以前の私のわざと、私の使徒たちが持っていた単純さを思い出してくれるように望んでいる。初代キリスト者たちが持っていた謙遜と忠実さを。さあ、私の心の最も深い内奥ないおうにある望みを打ち明けよう、その望みをあなたの上に刻みつけさせてほしい、小さな子よ。

(ここで私は、本当に絶望的な気持ちになりました。神は、私に語っておられるように、とても多くの重要な事を望んでおられ、書き記しておられますが、私はそれらの上に座り込んだまま、してしまったように感じました。神が望んでおられることを行っていないように感じます。何も変わってはいないのですから。でも、このことが本当に誰にもあまり知られていないとすれば、どうやって変わるというのでしょう? 私は神に不快な思いをさせ、従わず、神が最も望んでおられることをしていないと感じています。)

イエス様? これらの啓示の写しを百人以上の人たちが持っていますが、それでは十分ではありません!

私だ、平和のうちに生きなさい。私が、私の教会を復興させる。ヴァスーラ、あなたの上に私の言葉を刻み込ませてくれるだけでよい。あなたを愛している、私を愛することによって、私の栄光をたたえなさい。私の教会を一つにするのは私のわざである。あなたは私が言うことを伝えるだけだ、この違いが分かるか2? 私の教会を生き返らせ、あるいは一致させなさいと言うときでも、ヴァスーラ、決してあなたに直接向けられたものではない。学んでいくだろう、これまでも、私のわざの一部を私と共に学んできたではないか?

はい、主よ、学びました。

待ちなさい、今に分かる3
 あなたに一つ尋ねたいことがある。なぜ今、慰めを求めて私のもとに来ようとしなかったのか?
 そう、そのとおり、そうだ。

(ほんの数秒の間でしたが、イエスは幻(ビジョン)を与えてくださり、その背後にある事情のすべてを教えてくださいました。例え話のようなものです。それは子どもと母親の話でした。母親は、子どもの行方が分からなくなって何年も経っています。ついにその子を見つけ、大層喜んで、母はお前を愛しており、お前は私の子なのだから、ほしいものがあるなら、母のもとに来て何でも願いなさいとその子に教えようとしています。その子にとって、自分の母親であり、自分を大切に思っていると言ってくれるこの人に再び順応するのはとても困難でした。頼りにする人が誰もいなかったので、自分の不幸を独りで耐えることに慣れてしまっていたからです。ところがこの子は今回も、この母親こそ自分を助け、慰めてくれる人だということを忘れてしまいました。その幻(ビジョン)とは、ほんの小さな子どもが、またもやすっかりみじめになり、母親を無視して、めそめそ泣きながら家の中を歩き回っているというものでした。母親はみじめな子を見て心を痛め、子の不幸を見ていたたまれずにいます。子がなおも母の所に来ようとせず、母の両腕に飛び込んで愛情を求めようとしないことに心を痛めているのです。子どものみじめな状況と、母を無視する様子まで見て、母親はすっかり打ちのめされています。信頼さえしてくれたなら、その子は母親からどれほど多くのことをしてもらえるか知れないのに!
 ──その子どもは私。母親はイエスでした。
 ──これはすべて、私がメッセージを自分で背負い込み、大した働きもできず、どうしようもない気持ちになっていたからでした。私は忘れてしまおうと、そのまま寝てしまうことに決めました。それでベッドに向かい、忘れるために寝ようとしていました。昼下がりのことでしたが。イエスを思い浮かべましたが、面と向き合うことができないほどみじめな気持ちでした。)

愛する者よ、私はあなたの慰め主! あなたの頭を私にもたせかけなさい、あなたを優しくなでさせ、痛みを和らげさせてほしい、あなたの耳に私の言葉をささやかせてもらいたい。私の心の中には、あなたのための場所がある。他の所で時を過ごさないように。さあ、あなたの場所に来なさい4

私にはできません……

私があなたを持ち上げ、そこに置いてあげよう。

彼らに私のやり方を思い出してもらいたい

1987年6月30日 ノート13

(ダッカ)

(イエスが書くように促されたので、急いで来ました。)

あなたを呼んだ!

(イエスが喜んでおられるのが感じられ、またそのように見えました。)

そう、私はうれしい、そう感じている! 来なさい、共に働こう、私の望みを繰り返す。ヴァスーラ、私のわざを示すことを恐れないように。

主よ、親友のマーサのことを思い出しました、直情的なあの人です。今の私は彼女のように忍耐が足りません。ものごとが速く進んでほしいのです。明日、今日、できることなら今、あなたのお望みが全部、今成就してほしいのです。今こそとげが抜き取られて投げ捨てられ、やりがあなたのみこころから引き抜かれて、あなたのすべてのお望みが成し遂げられてほしい!

ヴァスーラ、慌てないように。

(主が御手で私の頭を優しくなでてくださるのを感じました。)

私の望みにもう一度耳を傾けなさい、彼らに私のやり方を思い出させたい、互いに毒矢を放ち合うのはやめてほしい、ヴァスーラ、私は政治家だったであろうか?

(イエスはこの質問で私を驚かせました。お声の調子がいつもと違っていました。)

そうですね、今となっては、私でさえあなたが政治家ではいらっしゃらなかったことが分かります……

そのとおり、私は政治家ではなかった、ヴァスーラ。あなたは私が何であったと思うか?

あなたがこの地上で肉体のうちにおられた時のことでしょうか、主よ?

そうだ。

神の愛する御子であられました。

そうだ、分かるか、私が政治家でなかったことは、あなたでさえ知っている。ヴァスーラ、ちょっと考えさせてほしい。

(イエスはいつもの姿勢で考えておられました。片方の腕はお腹の上に横向きに、もう片方の腕はひじを腰の辺りに置かれ、人差し指を頬に当てておられました。)

あなたは私の導き全体を通して、少しでも邪悪さの片鱗へんりんを感じたことがあるか?

いいえ、ひとかけらも感じたことはありません、主よ。全然ありません。

よろしい。

それはどういうことでしょう、主よ?

ヴァスーラ、あなたはこれまでどのように感じてきただろうか?

(イエスは私の先の質問を無視されました。)甘やかされているように感じていました。あまりにもたくさん愛され、抱き締められ、ゆるされて。

続けなさい。

あなたの愛で高揚し、平和で満たされ、すばらしい気持ちになりました。あなたと共にいるとき以上に、また、あなたが愛をもってもう一度道を示してくださったとき以上に、幸せを感じたことはありません。あなたは私に神の愛、聖性、謙遜を教えてくださいました。

そうだ、分かるか、ヴァスーラ、そこには政治的動乱のかけらもない。全くない。

(イエスは「全くない」ことを示すか、あるいは強調されるような手振りをなさいました。)

それこそが私であり、私は全くの愛である、そしてこれこそが私のまことの、ただし本当にまことの弟子たちに、なってもらいたいものだ。
 ──聞きなさい、私は教会である。決してこれを忘れないように。私の平和を受けなさい、ヴァスーラ。

あなたを愚かなほどに愛しています。今はもうご存じですね、イエス様。

愛する者よ、私の心は愛の炎であなたを飲み込むであろう。あなたを私の心の中にとどめさせてもらいたい。

(前に見た幻(ビジョン)のことを思い浮かべました。)

五本の光線は、私の五つの傷口から出ている。

そして、一本の光線の上にあったろうそくは?

明かりをともしてもらいたい。

十字架のみちきで?

そうだ。

そして、あなたを見ました。

そう、私はいばらの冠をかぶっていた。覚えているか?

はい、覚えています。でも最後の光景は何だったのでしょうか?

私の油注ぎである。

その時、私はどうして押されてひれ伏した状態になっていたのでしょう?

ひれ伏すべきだったからだ。

そして主よ、聖杯は?

あなたたち自身を清めるため、そして私の聖体を尊ぶためだ。

ありがとうございます、主よ。

ヴァスーラ、私の体の奥深くで、私の心にやりの先が突き刺さっている、それはいつもそこにある。このやりが取り除かれることを願っている。平和、一致、そして愛を達成して、私の体の栄光をたたえなさい。

愛する神よ、そのすべてが、私にはあまりにも漠然としています。お言葉の意味が分かりません。

私の頭に突き刺さっているいばらを取り除きなさい。ヴァスーラ、私のためにそうしてくれるか。私はいつもあなたの目の前にいる、私の体を癒やしなさい、痛みを和らげてくれるように。五つの傷は大きく開いている、見えるか? 私を愛し、私を飾り、美しく飾り付けなさい、自分の命以上に私を愛していた初代キリスト者たちのことを、彼らに思い出させなさい。

主よ、私にはあなたのメッセージをコピーして、人々に配る以上のことは何もできません!

あなたはそれよりもっと多くのことを行うだろう。あなたを導いている者が誰であるかを決して忘れないように。

はい、主よ。あなたに頼っています。

あなたの造り主の恵みの中にとどまりなさい

1987年6月27日 ノート13

(ようやく今分かりました。私は分離されていたのです。私の体は動き回っていましたが、私の魂はその中にはありませんでした。私の魂を―─私の神よ、あなたは取り去られました。私はまるでなきがらになったようでした。完全に離脱していたのです。このようなことを体験した人がいるでしょうか? 少なくとも目が覚めている間中、神のことしか意識していないなんて。毎日二十四時間、しかも一年以上にわたって、神だけを意識し続けた経験をした人がいるでしょうか? しかも、私の意識がれ始めると、すぐに主の御手であごをつかまれ、ほほ笑んでおられるイエスの御顔の方に、私の頭をまっすぐ向けさせられるのです。そのような状況においてさえ、他のいろいろなことに対処できていることに、私自身驚いています!)

ヴァスーラ、今やあなたの心を取り上げて1、私の心の中に置いた。私はヤハウェ、あなたを愛している! 私の愛を優しく抱きなさい。被造物よ、あなたの造り主の恵みの中にとどまりなさい。

どうやって、どのようにして、あなたの恵みの中にとどまればいいのでしょう?

聖なる者とならなければならない。

どうしたら聖となれるでしょう?

私を熱心に愛することによって。

では、もしそれがあなたのむねなのでしたら、そうなれるように助けてください。

あなたを助けよう、私の祝福を受けなさい。あなたに害を及ぼすようなことは決して求めない。このことをいつも覚えておきなさい。

来なさい、私の心の最も深いないおうにある望みを打ち明けよう。それをあなたの上に刻みつけさせてほしい、小さな子よ。

油注がれた者の幻

1987年6月26日 ノート13

(バンコク)

(午前七時半に、色鮮やかな一つの雲を見ました。目を奪うような美しさでした。すると、そこから五つの光線がまるで星のように姿を現したのです。私が「見て!」と言うと、誰かの手が私の背中を前に押し出しました。するとさらに変化が起き、一つの光線の上に一本のろうそくが現れたのです。私はまた「見て!」と言いました。背後の手が私を押したので、私はひざから倒れてしまいました。でも、誰がそんなことをするのかとわざわざ振り返ったりはしませんでした。目の前の光景を一瞬たりとも見逃したくなかったからです。五つの光線はそのうちくるくる回り出し、そのスピードで一つの光る輪のようになりました。すると突然、その光る輪のちょうど真ん中からイエスが現れたのです。私は「見て!」と言いました。すると、誰かの手がまたも背後から私を押したので、今度は地面に手を突いてしまいました。突然、イエスを礼拝する何百もの声が聞こえてきたのです。彼らはただ、「イーエース」とずっと言い続けていました。その後、イエスの姿が消え、代わりに別の光景が現れました。もう一度「見て!」と言うと、あの手が私を押し、私は地面に突っ伏して、今やひれ伏した状態になり、頭だけを持ち上げて最後の光景を見上げていました。誰かが五人の人たちに取り囲まれ、ひざまずいている姿が見えました。その場面の正面には、まばゆいばかりの銀色の聖杯がありました。五人の真ん中でひざまずいているその人に、その五人が何かをしています。その時、油注ぎという言葉が聞こえてきました。その途端、すべてのものがぱっと消えたのです。)

私の神よ、あなたが与えてくださった夢が理解できませんでした。

知恵があなたを教え導くであろう。

私をあなたの霊的指導者としなさい

1987年6月23日 ノート13

イエス様、あなたは一番初めから、私の師でいらっしゃいました。ですが、少しだけ指導してくださるような、いわゆる霊的指導者のような方を、私に付けていただくことはできないでしょうか? 今までのところ、私には誰もおりません。私が接触した方々は、興味がないか、忙し過ぎるか、怖がられるかのいずれかでした。「私の子よ、こうしなさい、ああしなさい」と穏やかに言ってくださり、面倒を見てくださるような方は一人もいませんでした。唯一、はっきりと指示を出してくださった方は、「やめなさい。これは神からのものではないから、書くのをやめるのです、少なくとも数日間は。そして様子を見なさい」とおっしゃいました。その方の言われたことを聞き入れて、私は本当に書くのをやめました。けれど、私が自分のメモを書いている時に、あなたの御手が思いがけず、「神である私はあなたを愛している、このことを決して忘れないように」と書かれました。あなたは私の手を完全に捕らえられました。数分後、もう一度書かれました。「私、神があなたを愛しているということを、何があっても決して忘れてはならない」と。それはまるで、私を愛する誰かが、牢の中にいた私を訪ねて来てくれたような、突然の訪問でした。すばらしかったです!

私の子よ、私をあなたの霊的指導者としなさい。私では十分に満足できないと言うのか? 私はあなたの欠けたところすべてを補う者。ヴァスーラ、十字架のみちきのやり方を変更して、私を喜ばせなさい、ただ明かりをともして、一つひとつのりゅうの前でひざまずくことによって。さらに指導を与えていくことにしよう、すべてふさわしい時を見計らって。

イエス様、デイビッドに会わせてくださり、ありがとうございました。

私の子よ、私の言ったことを伝えて、デイビッドにこう尋ねなさい。「あなたを使わせてくれるか?」と。

主よ、以前にも同じことをお尋ねになりませんでしたか? 何をおっしゃりたいのか、はっきり教えてくださいますか?

彼が私のために喜んで働いてくれるかどうか、という意味だ。私の十字架は重い、少しの間、私から下ろしてくれるだろうか?

はい、主よ。

もっと近づきなさい。

私の体は傷を負っている

1987年6月21日 ノート13

主よ、なぜこんなに多くの人々が、あなたを忘れてしまったのでしょう?

ああ、ヴァスーラ、私の体は麻痺まひするほどの傷を負っている。ヴァスーラ、十字架のみちきの一つひとつのりゅうでひざまずき、明かりをともしなさい。

(私は黙ったままでいました……)

ヴァスーラ、私が話した、

主よ、私に何ができるでしょう?

何もできはしない、私にすべてを行わせなさい。

(はい、けれど、誰も知らないのですから、それを行う人は誰もいないでしょう!)

信仰も私から与えられる恵みだ、ヴァスーラ、私への信仰を持ちなさい。

(しばらくして)

今やあなたは私を魅惑してしまわれました、私はこれからどうなるのでしょう?

知りたいか? あなたを私の腕の中から、捕囚の民となってしまった私の被造物たちの中へ投げ入れる! あなたは彼らの中で生きるだろう!

私の神よ! もう私を愛しておられないのですか?

(かなり動揺しました。)

あなたの御腕の中にいるのは本当に素晴らしかったのに、今度は私に出て行ってほしいなんて!

ああ、ヴァスーラ、どうしてそんなことが言えるだろう1
 このひどい悪の中に置かれたあなたを見て、私の心は引き裂かれ、傷ついている。私の子よ、私が神無き人々の間に、あなたをいけにえとして置いていることを理解してほしい。あなたをかりまいの地に置いておくために、私はつらい思いをしている。娘よ、多くの人々があなたを傷つけようとするだろう、今のところは、あなたが苦しむのを私は何とか耐え忍べる2、だが、彼らがあなたを傷つけるのは容赦しない、決して、容赦しない。

どうなさるおつもりなのですか、主よ?

傍観するつもりはない。

でも、なぜあなたは私を抱きしめ、魅了されてから、私を放り出してしまわれるのですか? それはあんまりです!

(私はほとんど叫んでいました!)

あなたは私のいけにえになると、私は言わなかったか? あなたを用いている。あなたは私の網である。そう、私はこの世にあなたをはなっているのだ。あなたは魂たちを私に献げることになる。彼らの救いのために、私が彼らをあがなう。それは、あなたの苦しみ無しに実現することはない。悪魔はあなたを憎み、ためらうことなく、あなたを焼き尽くそうとするだろう、だが、彼らはあなたに指一本触れることもできない。私がそれを許さない。

(こう言われて、先日、私たちが乗ったばかりのボートの上で、排気管に触ってしまった時のことを思い出しました。目玉焼きを作るのにも十分なほど熱いパイプに左手を置いて、全体重をかけてしまったのです。痛くて気絶しそうでした。左の手のひら全体にやけどを負い、痛みを和らげるために、左手を海に入れたい衝動にかられましたが、やけどをした皮膚を冷水に浸すと、かえって傷つくのでいけないということを思い出しました。十分間、手はヒリヒリし、真っ赤に腫れ上がったままでした。ところが、三十分後には何もかも消えていたのです。痛みも、やけどもなく、もう片方の手と同じ感覚が戻って、すっかり元通りになっていました。)

子よ、あなたが傷つくのを私が見ることはないだろう。あなたを愛している、そして愛ゆえに、あなたのために私の清めを選ぶことにしよう。あなたにどんなけがれができることも私は許さない、これがどういう意味かを悟りなさい3

主よ、あなたから来るものは、どんなものでも愛することにします。喜びであれ、苦しみであれ。

愛する者よ、そうだ、心の中に私の天国を築きなさい。子よ、あなたからその言葉を聞いてどんなにうれしいか4
 そう、私を喜ばせると考えて、あなたの意志で選ぶなら、どんな苦しみも私の目には嫌悪すべきものとなる。自分自身を欺くことになるだけだ。そのようなものは悪魔のためであって、私のためではない。償いは、私によって導かれるであろう。

あなたを愛し、あなたに完全に頼ります。

私を愛することによって、私の栄光をたたえることになる、そうだ。

(サタンがこう言っているのが聞こえました。「その瞬間は、俺にとって拷問だ!」 サタンは、神の私に対する愛の中で私が喜々としていることに、そして私の神への愛に耐えられないのです。互いに愛し合っていることに。)

それは、サタンの全身に赤熱する十字架を押し当てるようなものだ。